4-3
エルシアはミスティスに案内されて、ストリフォン公爵邸の地下室にあるというカルティオの書斎を目指した。
長い廊下を進んで公爵邸に建つ塔のひとつに入れば、その塔を登るわけでもなく、薄暗い螺旋階段を下った。
地下には、ぼんやりとした燭台の明かりが続く長い廊下があって、大きな扉はどれもエルシアの身長の二倍ほどの高さがある。
そのほとんどが物置きで、蔵書をしまう場所として使用しているのだと、ミスティスが歩きながらに説明してくれた。
きちんと掃除の手が行き届いているのか、埃っぽさもまるでなく、空気もどこか澄んでいるような気がする。
渡された小箱を片手にただ後をついていくエルシアに、トレイを手にしたミスティスは大きな赤い扉の前で足を止めると、にこりと微笑んだ。
「ここですわ」
そうしてトレイも渡してくるものだから、エルシアはただ受け取るしかない。
清潔な布巾でカバーのかけられたトマトを盛りつけた皿と抱えた小箱を手に、エルシアがぼんやりと扉を見上げれば、心構えなどする前に、ミスティスは扉をコンコンコンッと三度叩いた。
中から返事は聞こえなくて、しかし、少し待ってからミスティスは静かに扉を開く。
「どうぞ、中へ」
にこりと微笑んで指し示されれば、エルシアは無言のままにこくりと頷き、息を呑んだ。
ミスティスは部屋の中までついてきてくれる気がないらしく、エルシアは意を決し、一歩を踏み出す。
地下だということを忘れる開放的なまでに広い部屋。
見上げるほどの天井はまるで星空のように輝きを放っていて、そこまで届く本棚には、ぎっしりと書物が詰め込まれている。
部屋自体がムーンライト鉱と呼ばれる、暗い場所で光を発する特殊な鉱石によって囲まれていることには、エルシアもすぐに気が付いた。
壁の一面には大きな窓が象られていて、不思議なことに月明かりが差し込んでいる。
先ほどまで外は昼間であったのに、まるでその部屋だけ夜の中にあるように。
エルシアがそう錯覚してしまったのは、象られた窓の外に、大きなムーンライト鉱石の原石が丸く掲げられていたからだろう。
風もなく揺れもしないカーテンが提げられて、窓際には大きなベッドが置かれている。
その近く、大きな机の上に卓上ライトを置き席に着いた、陰鬱そうに瞳を細める彼は、そっと顔を上げた。
大量の本に囲まれる神秘的なまでの書斎の中では、なおさら彼の特異性が際立つようで、さらりと揺れた銀色の髪の隙間から紅い瞳が覗いている。
「カル、ティオ……」
書斎の空気に呑み込まれ、固まったままに足も動かなかったけれど、エルシアはそっと彼の名を呼んだ。
カルティオはエルシアの言葉に反応するようぴくりと眉を動かして、静かに立ち上がった。
「ん」と頷くカルティオに、エルシアはようやく自身の目的を思い出す。
「これ、届けるように頼まれたから」
静かに歩いて近づき、手にしたふたつの物を机の上に並べた。
トレイの上の皿から布巾を除ければ、彼の瞳がきらりと輝いたような気がする。
瑞々しいまでのトマトを前に、そっと近づいてきた彼はフォークを手に取り、ぱくりとひと切れ、トマトを口に運んだ。
そのひとつひとつの動作がそれだけで様になるようで、呆然と見やっていたエルシアに、カルティオは首を傾げる。
「きみが切ったのか?」
「いえ、用意したのはミスティスさん」
冷たい表情のままに、何もこたえないカルティオの顔を見上げて、エルシアはただ固まってしまった。
「……そう」と、そうしている間にも、彼の興味はエルシアが運んだ小箱へ向いている。
封を切って中身を確認しようとしているカルティオに、エルシアは呆然と部屋の窓を見上げた。
窓の横に、きれいな絵画がかかっていることに気が付いたから。
大きな玉座のような赤い布張りの椅子に腰かける、優雅に微笑む女性の肖像画。
長い金色の髪に、青い瞳は聡明そうに開かれ煌めく。
純白のドレスに、膝を揃えて佇む姿には、それだけで気品が漂った。
「きれい……」と、思わず声が漏れてしまって。
――カルティオの、想い人なのかな。
その女性が誰だかはわからなかったけれど、エルシアが真っ先に思いついたのはそんなことだった。
公爵家の次期当主ともなれば、許嫁のひとりくらいいても不思議ではないだろう。
だけど、絵画の作風から考えても、それがここ最近の物だとは思えなくて、エルシアは首を傾げる。
あまり芸術品を見る目があるほうではないけれど、少なく見積もっても二十年以上前に描かれたものだということくらいは、エルシアにもわかることだった。
絵画に見惚れたエルシアに、しかし、カルティオはエルシアのことを気にした様子もなく、小箱から取り出した書物を確認している。
そこで初めて、自身が運んだ商品が本だったことにエルシアも気が付いた。
たびたびハロワイルカンパニーに入る注文には、異国の書物や絵物語なども含まれる。
そして、そのようなものがストリフォン家に卸す商品の中に含まれていることも、把握はしていたけれど。
――彼の、注文だったんだ。
書物を手に瞳を輝かせるようにした彼の横顔には、幼い子が初めておもちゃを手にしたときのようなあどけなさが垣間見える。
――そんな表情も、するんだ。
どきりと、思わずエルシアは目を見開いた。
そのようなエルシアの気も知らないようにして、彼はさっと背を向け、手にした本を近くの本棚に収める。
呆然としたエルシアに、振り返る彼は元通り、冷め切ったような表情を向けていた。
「たしかに、受け取った。代金は、もう払ってあると思うけど」
彼の言いたいことがわからずに、エルシアは返事に困ってしまう。
時が止まったような間があって、首を傾げるカルティオは言葉を続けた。
「きみは、商人だろ」
「え、えぇ」
「お金の心配を、したのかと思ったけど」
――もしかして、代金を受け取るのを待っているとでも思われた?
彼が何を考えているのかは、相変わらず表情からは読み取りづらくて、エルシアは自問自答の末に、彼の言葉を咀嚼し、こたえを出した。
「あ、あぁ、そうじゃないの。あまりにも神秘的な書斎に、心を奪われて」
正直にこたえたエルシアに、カルティオは首を傾げてから、「ふっ」と小さく笑った。
――そんな表情も、できるんだ……。
驚いたエルシアの気持ちなど余所に、カルティオは「そうだろ」と本棚たちを見上げる。
「ここは、俺の城だからな」
自慢するように言ったカルティオに、エルシアは素直に頷く。
どこか覚えた違和感には、レインの語った言葉が引っかかった。
エルシアがカルティオに初めて会ったとき、目覚めた後に出会った二度目も、彼はずっと冷めたような表情をしていた。
しかし、ここに来て見る彼の表情は、どこか生き生きとしているように熱を感じられる。
――引きこもり、だから?
ここが『城』だというのなら、彼にしてみればホームだろう。
――『そこでなら、あなたの知りたいこたえも聞けるかもしれないからね』
レインの言葉を思い返せば、彼女にはそこまで視えていたということなのだろう。
「ねぇ、カルティオ」
そう呼びかけてしまって、少し馴れ馴れしかったかな、とも反省はしたのだけれど、彼は気に留めた様子もなく、「ん」と返事をしてくれた。
カルティオもレインと同じく、『特別扱い』されることを嫌がっているように、エルシアには思えていたから。
だから、あえて自然体に、友達に接するように、エルシアは言葉を続ける。
「この前の話のこと……どうして、わたしのことを、助けてくれたの?」
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