4-2

「ふぅ」とひと息ついて、肩を落としたエルシアに、レインは嬉しそうに再び笑う。


「あなたが考えた通り、今回わたしがエルシアを指名したの」


 レインはくすりと首を傾げて、そのかわいらしい仕草にエルシアの鼓動はどきりと跳ねた。

 テーブルの上に並べられていたティーカップを手に取るレインは、ゆったりと口をつけて紅茶を啜る。


「どうして、わたしを?」


 エルシアが聞けば、レインはカップをソーサーの上に戻してから返事をしてくれた。


「それをちゃんと説明してあげなければいけなかったわね」


 エルシアも渇いた喉を潤すように紅茶を口に含んで、レインはそれを待ってくれるようにしてから言葉を続ける。


「うちに搬入している商品リストは、あなたも把握しているでしょ?」


 そう聞かれて、エルシアはこくりと頷き返す。


「えぇ、今日も出発前に、ひと通り、目を通しはして……」


 今朝見た書類の中にあった商品の一覧を思い返し、エルシアはもう一度頷いた。

 日用品に食品と、その中でもひと際量が多く目に留まったのは、とある野菜だ。


「やけに……トマトの数が多いなとは思ったけれど」


 エルシアがこたえれば、レインはその回答を待っていたかのように「えぇ」と頷く。


「それは、お兄様用ね」


 赤く熟れた瑞々しいまでのトマトが小型の木箱ひとつ分、一週間で消費するにしては多すぎる量だろう。

 ハロワイルカンパニーで仕入れる決まった銘柄のトマトが、毎週決まって公爵家に納品されていることを、エルシアは前々から把握はしていた。


「あの果肉が、どうもヴァンパイアと相性がいいらしくてね、うちは家族全員好きなのよ。ジュースにしてもいいし、そのまま食べても美味しいし。だけど、お兄様はその中でも特別って感じ」


 困ったように笑うレインに、エルシアもどこか納得がいく。


「それが、偏食ってこと?」


 ヴァンパイアの食事の形態など考えたことはなかったけれど、伝説に人の血を啜ると語られていようとも、それだけで栄養素を確保できるわけでもないのだろう。


「えぇ、そうよ。わたしたちも主食は人間と変わらない。だけど、その中でも特に……お兄様は、特殊なのかもしれないわ」

「家族全員って、公爵様も……公爵夫人も?」


 エルシアが疑問を返せば、レインは「あぁ」と目を見開いて楽しそうに頷いた。


「お母様はヴァンパイアではないの、人間よ」


「そうだったんだ……」と、明かされた事実に、エルシアは思考を繰り返す。


 公爵家がヴァンパイアの血統であろうとも、カルティオやレインは人との間に生まれた子供ということなのだろう。

 思い返せば、伝説に語られるヴァンパイアのイメージは多くの場合、高貴でありながら孤高で、孤独なモノだった。


「……お兄様のお母様も、人間だったわ」


「え?」と視線を向けたエルシアに、だけどレインは初めて、どこか気まずそうに視線を逸らし、窓の外を眺めていた。

 深く踏み込めば後戻りができないような緊張感に、エルシアが言葉を呑み込めば、部屋のドアがノックされる。

 顔を上げるレインが「いいわよ」と返事をすれば、静かに扉は開いた。

 部屋へ入ってくるミスティスは、トレイの上に切ったトマトを盛りつけた皿をふたつ乗せ、脇には何やら小箱を抱えている。

 エルシアが息を呑めば、ミスティスはそれらをテーブルの上に並べた。


「本題が、逸れたわね」


 そう話を戻すように、紅い視線をエルシアへと定めたレインは優雅に笑う。


「あなたなら、お兄様の引きこもりを、止めさせることができるかもしれないわ」


 エルシアは覚えた緊張を忘れられなくて、だけど、何もこたえずともレインは並べられたトマトと木箱を指さして楽しそうに言葉を続けた。


「お兄様も、もういい年でしょう。伴侶のひとりでも見つけて、公爵家の長男としての自覚を持ってもらいたいの」


「伴侶って」と、エルシアは戸惑ったままに口走って、だけど、レインは殊更冗談でもないかのように笑って続ける。


「わたしは真面目に言っているわ。お兄様に引きこもりのままでいられたら困るのよ。次期当主としての役目が、わたしに回ってくるのだけは勘弁してもらいたいの」


 やれやれと目を伏せ笑うレインに、それは疑うまでもなく彼女の本心だったのだろうことが、エルシアにも理解できた。


「それが、わたしがあなたを指名した理由で、あなたに頼みたかったことなの」


 どうして、わたしなのだろう――と。

 エルシアは一瞬考えて、だけど、そのこたえなどひとつしかない。


――彼が、わたしの血を吸ったから。


「これをお兄様の書斎まで運んであげて。そこでなら、あなたの知りたいこたえも聞けるかもしれないからね」


 テーブルの上では瑞々しい果肉が陽の光をきらりと反射して、添えられた銀のフォークの先をエルシアは無意識のうちに目で追った。


 皿のひとつを手にしたレインは、フォークでひと切れ、トマトを口に運べば、「んぅー」と感嘆としたように、赤くなった頬を押さえて目を細める。

 あまりにも美味しそうに食べるものだから、呆然と見つめてしまったけれど。

 エルシアはその申し出を断ることはできなくて、こたえを知るためにも、己の足でその場へ向かうしかなかった。


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