夢見る乙女はただ知りたい

4-1

 ハロワイルカンパニー四階、社長室に呼び出されたエルシアは、緊張のあまりに汗が浮かぶ拳を握り込む。

 神妙な顔つきで視線を落としたアムトジオに、かちりと時計の針が時を刻み、妙な静けさが部屋の中を支配した。


「エルシア、復帰早々突然のことだが、商品の搬入に付き添ってくれと、先方からの指名があった」


 父アムトジオの言葉に、エルシアは釈然としないままに頷くしかない。

 父もまた何やら、釈然としない様子で眉間に皺を寄せていた。


「……それは、構わないのですけれど」


 ふたりして似たように首を傾げて、ともに同じタイミングで顔を上げれば、自然と目は合った。


「一体、何をしでかした?」

「さぁ……わたしにも、わからなくて」


 どうも父が詳しく語る話を聞けば、ストリフォン公爵家からそういった要請があったとのことらしい。

 公爵家へは毎週決まって、食材や日用品など、馬車一台分にもなる商品を届ける契約を結んでいる。

 いつもは担当の社員がこなす仕事のひとつであって、そうして人員を指名されることなど今まで一度もなかった。


「どういう風の吹き回しかしら?」

「あの日、何かあったのか?」


 エルシアは首を傾げて、父は訝しむように視線を細める。

 エルシアに『何かあった』と思い当たることはあっても、そうして指名される謂れはないように思えた。


「……わかりませんが、それが相手の意向なのでしたら、わたしが伺います」


 エルシアが意思を示せば、父も「うむ」と、その返事で納得はしてくれたのか、深く一度頷いてくれる。


 話を受けてすぐに、エルシアはストリフォン公爵邸へ向かうことになった。

 社員たちが既に商品を馬車へと積み込んでくれていて、御者席に着いたエルシアは、バロルが手綱を握る馬車に乗り、港町を望む丘の上を目指す。


 普段から好んで着ている膝下丈のワンピースに、足元はいつも通り、気合を入れるよう編み上げた黒いロングブーツで引き締める。

 頭にキャペリンをかぶって日差しを遮れば、あの日とは変わって、燦々と降り注ぐ陽の中に聳えるストリフォン公爵邸には、あっという間に到着した。


 構えられる城門は開け放たれていて、長い道路は噴水を囲んで、バロルがそうした玄関先に馬車を停めた。

 あらかじめ連絡が入れてあったからだろう。既に執事が二名ほど待機していて、馬車を降りるエルシアが用件を伝えれば、すぐさまバロルと執事たちが荷物を降ろし始める。


 邸宅の日陰に入り、腕を組んでその様子を眺めたエルシアだったが、未だにどうして自分がこの役目に指名されたのか理解できていない。

 力仕事にひとり分として携われるわけでもなく、今だってただただ見ていることしかできないのだけれど。

 呆然と考え込んでいたエルシアは、近づいてきた人の気配に、キャペリンを脱いで顔を上げた。

 黒い長袖のワンピースに、肩から掛けた白いエプロン。艶のある長い黒髪が揺れて、彼女はにこりと、頭を下げてから微笑んだ。


「ようこそ、エルシア様」


 ストリフォン公爵家に仕えるメイドのひとりでレインに付き従っていた女性、ミスティスは、そうしてエルシアが来るのを待ち望んでいたかのように手を差し出してきた。


「こんにちは、商品の搬入は順調ですけれど……えっと、ミスティスさん。もしかしてわたしを指名したのは……」


 エルシアが戸惑ったままにこたえれば、ミスティスは「はい」と笑顔を浮かべたままに頷く。


「お嬢様ですよ」


 面識のあまりないカレイディ公爵や公爵夫人に指名されたとも思えない。

 ましてや、カルティオが――だなんて考えもられなかった。

 そうなれば、エルシアが面識のある相手として、残るはひとりしかない。


「やはりレイン様が」

「えぇ、お待ちになっております」


 にこやかな笑顔を浮かべるミスティスはちらりと周囲を見渡して、エルシアもその視線を追えば商品の搬入に携わっていたバロルがゆるやかに頭を下げた。

 ミスティスは返事をするように腰を折って礼をしていて、エルシアはよくわからないままにふたりの間へ視線をさまよわせる。

 無言のやり取りのうちには、何か話をつけたような素振りさえ見えていた。


「ささ、エルシア様、どうぞおあがりになってくださいませ」


 先を歩いたミスティスに案内されるがまま、エルシアはストリフォン公爵邸へと再び足を踏み入れた。



 ◇◆◇



 がらんと開けた玄関ホールは、あの日と変わって静けさに包まれている。

 灯りの消える吊り下がったシャンデリアがきらきらと陽光を反射して、赤絨毯敷きの広い廊下を進んだエルシアは、公爵邸の応接室のひとつへと案内された。

 革張りのソファに背の低いテーブルが並べられていて、壁際には調度品の飾られた戸棚に大きな暖炉が目立つ。

 部屋の中ではこの館の主のひとりであるレインが、退屈そうにソファへ座って待っていた。


「ごきげんよう」


 黒いドレスに結った金色の髪を揺らして、紅い瞳を細めたレインに、エルシアも頭を下げて挨拶を返した。


「こ、こんにちは」


 なんとこたえようか迷って、しかし、レインがすぐさま話を振ってくれる。


「体調は、もう大丈夫そうね」


 レインは、エルシアの足元から顔まで一瞥するように首を振った。


「はい、おかげさまで」

「さぁ、座って」


 レインに腕を振って示されれば、エルシアとしてもその言葉に甘えるようソファへ腰かける。


「一週間、仕事を休んでいたと聞いているわ」


 どこから聞いたのか、紅い瞳をきらきらと輝かせたレインに、エルシアも素直に認めるように頷いた。


「はい、念のためと……お休みをいただいて」

「あなたにしてみたら、暇で仕方なかったのかしら」


 その紅い瞳は満月の下でなくとも、よく物事を見通すように煌めいている。


「……レイン様の、おっしゃる通りで」

「そう、かしこまらないでほしいわ。わたしのことはレインと、気軽に呼んで」


 レインにそう言われて、エルシアは無意識のうちに肩にまで力が入っていたことに気が付く。

 そうしている間にも、ミスティスがテーブルの上にティーカップに注いだ紅茶を並べてくれる。

 顔を上げたエルシアに、ミスティスはにこりと微笑んでくれた。


「ミスティス、例の物は、ここに運んで」


 レインがそう告げれば、「はい」と、頭を下げた彼女は部屋を出て行った。


「レイン……さん」


 扉の閉まる音を皮切りに、エルシアが顔を上げればレインは楽しそうに笑う。


「あなたらしくていいけれど、わたしたちはもう、お友達よ」


 可憐に微笑むレインを前にすれば、委縮してしまうのは仕方のないことだとも言えるだろう。

 それほどまでに、彼女の向ける眼差しはカリスマ性に溢れていた。


「お友達……だなんて」

「何も、間違ったことは言っていないと思うけど?」


 彼女にそう言われてしまえば、エルシアにしても否定することはできなかった。


「光栄なことです」

「だから、かしこまらないでってば」


 白い牙を覗かせて笑ったレインに、その砕けた物言いはどうにもエルシアの緊張を解いてくれた。


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