3-4
その後、エルシアは迎えに来たバロルたちに連れられて、ストリフォン邸を後にし、帰宅した。
顔を青ざめさせた両親に心配をかけつつ、本当に足の怪我以外カルティオのおかげもあって異常はなかったのだが、足の捻挫の経過を見るために、エルシアは一週間の休養を余儀なくされることとなった。
窓から差し込む陽の光に、慣れ親しんだ自室のベッドの上、見上げた天蓋。
二年ぶりに『何も仕事をしてはいけない』と休日を与えられるエルシアだったが、しかし昼間からベッドの上でそうしていれば、段々と居たたまれなくもなってくる。
頭の中を堂々巡りするのは、積み重なった仕事のことばかりで、しかし、バロルに「何かしたい」と申し出ても、「今は大人しくすることがお嬢様の仕事です」と断られる始末。
身の回りの世話をしてくれるメイド三姉妹に声をかけても、バロルやアムトジオにきつく言い渡されているのか、まともに取り合ってもくれなかった。
そのような休日にエルシアが許されたことは、読書くらいのもので、この機会にと読みたかった本を手にとっては見るものの、そう没頭しようとすると、頭の中にはあの日の出会いと彼の顔が思い返される。
あの日、助けてくれたヴァンパイア。
冷徹なるままに、しかし、エルシアの前で見せた戸惑いの感情に。
彼との邂逅に覚えた違和感が、夜な夜な強くなっていき、知らず知らずのうちに、彼との出会いを夢にまで見るようになった。
日に日に仕事のことよりも彼のことが気になっていって、エルシアがそれを自覚したのは、社交界から四日が経った日のことだ。
いつも通りに仕事の事後報告をするために顔を見せたバロルへ、エルシアはとっさに声をかけた。
「ねぇ、バロル」
報告は上の空で、大好きな仕事のことだったというのに頭にも入ってこない。
「聞きたいことがあるのだけど」
ベッドの上で体を起こしたエルシアが話を遮るように呼びかければ、バロルは驚いたように「はい?」と、報告を中断してでもこたえてくれた。
「カルティオ・ヴァン・ストリフォンって、知っているわよね」
「……えぇ、もちろん存じております」
エルシアがそう聞けば、突然のことだったというのにバロルは落ち着いた様子で頷いた。
「ストリフォン公爵様のご子息でございますね」
そう聞き返すバロルの顔を見上げながら、エルシアは「えぇ」と頷く。
「彼は……どうして人前に姿を見せないのかしら」
あの日も、カルティオは社交界を避けていた。
そのような話をバロルもしていたことを思い出して。
ただ、バロルは少し悩んだようにし、返事をしなかった。
「噂は、知っているでしょう?」
エルシアが質問を重ねれば、バロルは訝しんだように眉をひそめる。
「やはりあの日、何かあったのですね」
バロルの鋭い切り返しには、エルシアも静かに認めて、「……えぇ」と頷くしかなかった。
「彼に助けられたってお父様たちにも報告はしたけれど、文字通り、わたしは彼に命を救われた。その、ヴァンパイアの力に」
エルシアがそうまでこたえれば、バロルは「そうでしたか」と認めるように頷くのだった。
「やっぱり、知っている人には、知らされていることだったんだ」
ストリフォン公爵家が伝説のヴァンパイアの血を引いているともなれば、現当主カレイディ公爵にしてもそうなのだろう。
ハロワイルカンパニーは公爵家と懇意的な関係にある。
そして彼らがいくら人と同じように生活をしていても、そのカリスマ性とも呼べる特異性を隠し通すことはできないだろうとエルシアも考えた。
カルティオもレインも、ひと目して何か特別なモノを持っていると、エルシアにも理解できてしまったのだから。
エルシアが確信を持って顔を向ければ、バロルは静かに口を開いた。
「……そうですね。ストリフォン公爵家の血筋に関しては、公国でも重大な機密事項ではあります。レトリフォーで重要な位置にいる貴族や一部の者にも知らされていることです。もちろん、そこには旦那様も含まれています」
火のないところに煙は立たない。
昔からよく言われることではあったが、噂は噂でしかなくても、なんらかの根拠があるからこそ、噂になっていたのだろう。
「命を……ですか」
改めてエルシアの言葉を思い返すようにして肩を落とすバロルに、エルシアはこくりと頷き返す。
「わたし、リエノス熱の毒で、アレルギー症状を引き起こしたみたい」
エルシアが呟けば、バロルは珍しく取り乱したように目を見開いた。
「お嬢様、毒虫に刺されていたのですか?」
「うん、わたしも、まさかとは思ったけど」
寝ている間にでも刺されたのだろう。あの晩、メイドに指摘されるまで刺されたことにすら気付かずに、ましてやそれが、あのリエノス熱を引き起こす原因だとは思いもよらないことだった。
「それは……」と、言葉を詰まらせたバロルは冷や汗を流したように顔色が変わっている。
それもそうか、とどこか他人事にエルシアは考えて、「ふふ」と小さく笑ってしまった。
「笑い事ではないですよ」
バロルの言うことはもっともだ。
「えぇ、そうね。一歩遅ければ死んでいたかもしれない、とまで言われた」
何かを考えるように顎へ手を当てたバロルに、エルシアは言葉を続ける。
「血を吸ってもらったの。ヴァンパイアの吸血には、毒素を分解する作用があるんですって」
「カルティオ様に?」
「うん……彼に」
エルシアがあの日のことを改めて思い返すように頷けば、バロルはただ静かに、エルシアの言葉を待つように口を噤んでいた。
「だから、わたし……彼のことを知りたいの」
あの日、本当は何があったのか。
両親やバロルにはこれ以上心配をかけたくはなくて、ただ足を捻挫して意識を失ったところを彼に助けられ、客間まで連れて行ってもらったのだ――と説明は済ませていたけれど。
そうして胸のうちに隠していた想いを吐き出せば、ふと心が軽くなったかのような感覚に、エルシアの表情も明るくなった。
真っすぐとバロルの顔を見上げるエルシアに、彼は少し悩んだように、だけどどこか嬉しそうに「……そうでしたか」と頷く。
「お嬢様のお気持ちはわかりました。でしたら、助けていただいたお礼も兼ねて何か、考えねばなりませんね」
微笑んだバロルには、エルシアも自然と笑い返す。
「そうしたほうがいいのかと思って」
『彼のことを知りたい』――それが自分の本心なのだと、口にすることで改めて、エルシアにはそう思えた。
バロルが何か考えてくれるというので、エルシアは仕事に復帰できる日を楽しみに、休養に徹した。
その日からよく眠れるようにもなり、足の怪我も順調に回復し、しっかりと歩けるようにもなって――。
社交界から七日経ち、いよいよめでたくエルシアが仕事へ復帰することになった、その日。
アムトジオの社長室へ呼び出されたその場で、エルシアは思いもよらないことを告げられることになる。
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