2-3
吹き抜けの広いホールに、吊り下がった輝かしいまでのシャンデリア。
大きな黒いグランドピアノに、軽やかに演奏される円舞曲。
花の甘い香りへ混じった爽やかな香水や、香ばしい料理の匂いまで漂って。
大きな窓から差し込む満月の月明かりにはきらきらと、ドレスで着飾る淑女に、それに付き従う紳士たちの談笑が響き渡った。
白いクロスのかかる丸テーブルが並んでいる立食形式のパーティーに、ホールの中央は空間が開けられていて、思い思いに手を取り合う男女がステップを踏む。
扉をくぐると二階から階下へ広がるダンスホールを見下ろすことになり、エルシアはゆっくりと大階段を下りながら息を呑み込んだ。
煌びやかな世界に立ち入って、その一歩で目が眩みそうにもなった。
執事やメイドが銀色のトレイを片手に行き交えば、エルシアは会釈をひとつして、カクテルを一杯受け取る。
カクテルグラスを片手に額を抑えたエルシアは、端っこでジッとしていよう――と、人波を避けて、壁際に並べられている椅子へ腰かける。
柑橘系の香りが漂うカクテルを渇いた喉に押し込んで、空いたグラスはすぐさま会場へ控えているメイドが回収してくれた。
「はぁ」と吐いた息に、ただ、行き交う人々の笑顔とその服装がすぐさま、エルシアの感性を刺激する。
アップにまとめられた長い金色の髪に、ホールの中でもひと際目立つワインレッドカラーのドレス。上品に浮かべる笑顔からは、それだけで育ちの良さが伺える。
名前も知らない女性はひらりと広がる裾を颯爽と揺らして、座っていたエルシアにも会釈をし、目の前を通り過ぎて行った。
――あの人が着ていたドレス、スレイシャン王国のデザイナーによる新作だ。隣国か
らも、人が呼ばれているの?
別の席、集まる紳士に囲まれて笑顔を取り繕う女性の指では、大きな黄色い宝石が煌めいた。
――あの人の、あれ……特徴的な銀細工は、指輪職人の中でも巨匠と謳われる、アウェグインのモノじゃない?
人間観察が趣味のエルシアにとって、社交界のパーティー会場は宝の山のようにさえ見えた。
ただそう観察していると、どこか冷静になる自分がいることにも気づいてしまうのだ。
今宵この場に集まっているのは話に聞いた通り、エルシアとも年の近い若者がさほど。
皆が皆、それぞれに自慢の一品で着飾って、背伸びをしているようにだって見えてきてしまう。
エルシアは座ったままに首元へ触れて、そこへ提げられた蒼い宝石へ手を添える。
――それは、わたしにしたって変わらないだろうけれど。
と、自虐交じりにも笑えてしまった。
公子と年の近い同年代の者を集めて、親睦を深めることが目的といえば聞こえはいいが、要するに皆、公爵へどうにか取り入ろうと必死なのだろう。
ストリフォン家との繋がりは、商人だけでのものはなく、多くの人にとって大きなものだ。
その大きさを、エルシアも知っている。
だからこそ、そう大勢の中で客観的に見たときに冷静にもなってしまえば『くだらない』と、素直な感想が思い浮かんでしまった。
緩やかに流れ続ける音楽に、ステップを奏でた男女の姿を眺めていると、なおのこと、エルシアの口元からは、「はぁ……」と、深いため息が零れ落ちる。
ぼんやりと繰り返した思考に、だからそうして、人が近づいて来ていることには気が付かなかった。
「どうしたんだい? 乙女のため息だなんてもったいない。幸せが、逃げるというだろう?」
突如耳に飛び込んで来た歯の浮くような男性の声に、エルシアは「げ」と、表情を引きつらせて顔を上げる。
騒がしいパーティー会場でこう人が多ければ、その気配を微塵も感じることはなく。
彼が招待されていることも想像はついただろうに、まさかそうして目の前に現れるとは思いもしなかった。
エルシアが座る椅子の前で足を止めて、胡散臭いにこやかな笑顔を浮かべていたのは、忘れるはずもないかつての同級生、ディレグだった。
「きみが、こういう場に来るなんて珍しいね。今日が、あの公子のための特別な場だからかい?」
エルシアの横へ腰かけようとするディレグに、エルシアは慌てて横へひとつずれて、間を開けて椅子へ座りなおす。
「つれないねぇ」
ディレグは座った椅子から動こうともせずに「あはは」と、エルシアがそう避けようと、どうとでもないというよう笑っていた。
グレーのタキシードを着こなし、揺れる金髪に覗く瞳は、優しそうな草色に煌めく。
「別に……そういうわけでも、ないですけれど」
エルシアがそっぽを向けば、それもまた楽しそうにしてディレグは笑った。
「相変わらずだね、きみは」
「あなたこそ、相変わらずなようで」
そうエルシアが即答し、ちらりと周囲を見渡せば、ドレスで着飾った四人の女性がそれぞれにエルシアのことを睨み付けるように立っている。
蝶よ花よと、ディレグの周りに飛び交う取り巻きだろう。
「ダンスの相手なら大勢いるのでは?」
エルシアが横目でディレグを睨み付ければ、ディレグは「ははは」と笑いながらこたえた。
「別に、踊ることが目的じゃないからね」
「では、どうして」
――わたしにまで声をかけたのだろう、と。
エルシアが横目を向ければ、ディレグは自身の顎を撫でながらこたえる。
「きみだってそうなんだろう? 今日の社交界は、特別だ。なんて言ったって、あの噂の公子が、皆の前に姿を見せるかもしれない」
決して人前に姿を見せないとまで言われる、公爵家の引きこもり。
『伝説のヴァンパイアかもしれない』だなんて、囁かれる噂の公子。
「ぼくは、彼に興味があるんだよね。ヴァンパイアだなんて、本当だったら面白いだろう」
「……ヴァンパイアだなんて、わたしは信じていませんけれど」
「ははは、きみはやっぱり面白いね。学園を卒業してからのきみの話はかねがね聞いているけれど、こうして話していて、やはり興味が惹かれる。先ほどまでの目の輝きは、まさに勝機を見逃さない勝負師のような目付きをしていた。現実を見逃さず、しっかり計算できる、仕事のできる人間って感じだったよ」
現実ばかり見て、夢を見ないとでも言いたいのだろうか。
彼はやはり女性のことをよく見ているようで、そうまで言われればエルシアは返事もできずに口を噤んだ。
ただ、ディレグはそれでも構わないというように話を続ける。
「それでも、今日はそのために、きみも来たんだろう?」
薄っすらと笑みすら浮かべるその顔に、エルシアの背筋を寒気が駆け抜けた。
「きみだって……ひとりの夢見る乙女には変わりない」
彼はどういった意味合いでそう吐いたのか。
だけど、それが父の仕事のためだと、自身の夢のためだと語ったところで、到底この男が理解してくれるとは、エルシアには思えなかった。
そのつもりはなくても結局のところ、蝶のように花を探してさまよう彼ら彼女らと同じでしかないのだと、気付いてしまったから。
エルシアもまた公爵に取り入るため、この場にいることには変わりがないのだから。
「……」
考えて思考を繰り返しても、もやもやとする想いは募るばかりで、そうして彼の顔を見ているとその想いはより一層強くなる。
エルシアが無言のままに立ち上がれば、「おや」と、ディレグは困っていないだろうに困ったよう笑った。
「これは、怒らせてしまったか」
ディレグは「やれやれ」と首を横へ振った。
「それがきみの良さでもあるだろうけれど、どうやらぼくに、きみの気持ちはわからないようだ」
遠回しに貶されたような言葉に、エルシアは無言のうちに拳を握る。
ただ、それを叩きつける気持ちにもなれなくて。
ただただ冷たい眼差しを彼に向けてこたえた。
「別に、理解なんて求めていませんわ。手紙を送ってくるのも、もうやめてもらいたいのですけれど」
反りが合わないというのは、こういうことを言うのだろう。
集まる女性には優しく接することができていても、彼は所詮、飾られた花でしかない。
エルシアが無言のままに睨み続けていれば、ディレグはそれにもどこか面白そうに笑うばかりで、余計にエルシアの気持ちを逆撫でするだけだった。
「やはり面白いや、きみは」
椅子に座ったまま立ち上がろうともしないディレグに、エルシアは「ふんっ」と顔を背け、背を向ける。
しかしそうしたところで、取り巻きにいた女性がひとり、エルシアの前に立ち塞がった。
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