2-2
御者席に着いたバロルに、揺れる馬車のワゴンの中、父とふたりきりの妙な雰囲気には、エルシアも息を呑んでしまう。
ドレスの丈はいつもエルシアが好んで着ている服よりも短くて、白い肌を大胆に晒した脚も、高いハイヒールにも、どうも慣れなくて落ち着かない。
膝を揃えて座れば、自然と背筋にも力が入ってしまい、身体が固まるような緊張を覚えた。
向かいの席に座るアムトジオはアムトジオで、そのようなエルシアを前にして、どこか見惚れるようにぼんやりとしている。
深い紺色のスーツに身を包む父の姿は、いつも仕事場でデスクに向かっている姿とはまた変わって様になっているけれど、その表情からはすっかり覇気が抜け落ちていた。
「しっかりしてくださいね、お父様」
訝しんだ眼差しを向けエルシアがこたえれば、父は「お、おう」と咳払いを零す。
そうして、改まったように体勢を整えた父は、真剣な眼差しを落として静かに口を開いた。
どうして急に、エルシアが社交界へ同行することになったのか。
大方の話はそこからの移動の最中、全て話してくれた。
ハロワイルカンパニーの得意先のひとつでもあるストリフォン公爵家。
港町レトリフォーを含めこの辺り一帯の領主である公爵が直々に、今夜社交界を開くことを取り決めたのだという。
そこにはそれ相応の意味があることも、エルシアには察しがついた。
「どうして、その場にわたしも?」
「あぁ……それには、断れない理由があってだな――」、と。
どうも父の話によれば、ストリフォン家現当主、カレイディ・ヴァン・ストリフォン公爵は今夜、次期当主ともなる長男を大舞台で紹介したいのだという。
ストリフォン家の長男といえば、彼のことだろう。
決して日中は人前に姿を見せないことから、『伝説のヴァンパイアなのでは』とまで囁かれる引きこもり公子の噂は、エルシアも学生時代からよく耳にしていた。
ぼんやりと思考を続けたエルシアに、アムトジオは真剣な眼差しで話を続ける。
今夜の社交界の目的が次期当主の紹介で、『そのためにレトリフォーの未来を背負う次世代の子たちを集めたい』というのが、カレイディ公爵の意向らしい。
要するに、公子と年の近い同年代の者を集めて、親睦を深めることが目的なのだろう。
「商談のため、じゃなかったんですね……」
「あ、あぁ……どうしてもと頼まれてな」
その話を聞いて肩からは少し力の抜けたエルシアだったが、どうもそうなると話が変わってくるような気もしたのだ。
「……でしたら、今日の主役は、わたしってこと?」
そう訴えたエルシアの眼差しに、父は「あぁ、そうなる」と静かに頷いた。
だからこそ母のあの気合の入りようだったのだろう、とエルシアは改めて納得した。
日頃から懇意にしているカレイディ公爵の頼みとなれば、父も断れなかったのだろうことは察しがつく。
「……わかりました。希望にこたえられるかどうかは、わかりませんが」
それがまた、これからのハロワイルカンパニーとストリフォン公爵家との関係にも繋がると思えば、エルシアも仕事の一環として考えることができはしたけれど。
ただ、なんとも言えない不安はため息となって、ルージュで彩った口元から溢れ出た。
「はぁ」と肩を落とすエルシアに、アムトジオも「うむ……」と、どこか申し訳なさそうに頷いている。
慣れない場に挑むともなれば自信はなかったけれど、成るように成るしかない、とエルシアは流れる車窓に目を向けた。
今宵の空には、丸い満月が浮かんでいる。
その満月に、この地に語られる伝説のことと、噂に語られる公子のことを思い返して、「ふっ」と、エルシアは小さく笑ってしまった。
ヴァンパイアだなんているはずがないのに、と考えて。
くだらない噂話を囁かれる公子は、なんて気の毒なのだろう――とさえ思えて。
そうこうしているうちに、馬車は港町を望む丘を登りきって、緩やかに速度を落とし、停車した。
静かにワゴンの扉を開けたバロルに、エルシアはアムトジオにエスコートされながら馬車を降りる。
――いよいよね、と。
エルシアは父の腕に手を添えながら、邸宅を見上げた。
構えられる立派な門に、見上げる二本の塔が象徴的なまでに目立って、満月の中に聳えるストリフォン公爵邸は古城のような風格を持つ。
天を仰ぐ白磁器の水鳥の彫像を囲む大きな噴水に、ぐるりと一周するよう続く馬車道。
広い庭園にはダリアの花が月明かりに揺れていて、さらさらと水のせせらぎが響き渡る。
ぼんやりと瞬く外灯に、大きな白い二枚扉は輝くようで、緩やかな階段の続く玄関ポーチにまで赤絨毯が敷かれていた。
黒いスーツを着込んだドアボーイに何やら話をつけているバロルに、そうしてエルシアが周囲を見渡せば、既に数十台の馬車が庭に続く道沿いには停まっている。
「ふぅ」と息を吐いたエルシアに、アムトジオは「大丈夫か?」と、どこか心配したように聞いてくれた。
ただ、「うん」と、心配はいらないと、エルシアは父の顔を見上げて、笑顔で頷いて見せる。
そこからは、ドアボーイとバロルに案内されるがまま、エルシアはひとり、控室に通されることになった。
吹き抜けの玄関ホールに、二階の一面にはバルコニーへ続く大きな窓が並んでいる。
フープ状の大きな階段に、天井から吊り下がった巨大なシャンデリアは客人を出迎えるようにキラキラと輝いた。
エルシアがドアボーイの案内で二階へ上がれば、アムトジオは玄関ホールに集まっていた紳士たちと談笑をしながら、一階の廊下の先へと消えて行く。
父は父で、別室で商談があるらしく、どうやら社交界には出ないらしい。
先ほど話に聞いた通りに、今日の社交界は公子のため、若者のために開かれたパーティーなのだろう。
二階に上がって、案内されるがまま長く広い赤絨毯敷きの廊下を進めば、そのまま控室に通される。
がらんと開けた客間には、白いクロスをかけられたテーブルと多くの椅子が並んでいるけれど、エルシア以外、他に誰の姿もない。
入口にはあれだけ馬車が並んでいたのに――と思い返せば、どうやらもう社交界は始まっているということなのだろう。
椅子に腰かけて緊張を呑み込むエルシアに、バロルがやや遅れて合流し、頭を下げて横へ並び立つ。
「もう、始まってるの?」
エルシアが聞けば、バロルは「えぇ」と頷いた。
「予定より早く、開始されたようで三十分ほど前から。ただ、どうも……いえ」
何か言い淀んだバロルに、エルシアはジッと上目遣いの視線を向ける。
彼は怯んだように表情を引きつらせてから、「……そうですね」と話を続けた。
「トラブルがあるようで。パーティー自体は、皆様に楽しんでいただけているようですが……」
どうもはっきりしない受けこたえに、エルシアが言葉を返そうとしたところで、控室のドアがノックされ、話が中断される。
エルシアが「はい」と返事をしながら立ち上がれば、かしりと黒いスーツを着こなすストリフォン家の執事が迎えにやって来て、結局、バロルからその話を聞くことはできなかった。
バロルにも促されるまま控室を後にして、エルシアは二枚扉の前に立たされる。
執事が扉を開いてくれて、エルシアはひとり、煌びやかな舞台へ向かって一歩を踏み出した。
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