第16話 別れと誓い
――――裁神神殿では、穏やかな日々が流れている。お祈りを終えて、資料の整理をしていれば、不意にルディが顔を出す。
「エドガー王太子が押し寄せて来た……!?」
「そうだな。武器をたらふく積んで、軍団を率いて攻めてきた」
「攻めてきたって……大丈夫だったの……!?」
「無論、今朝も神殿は静かだっただろう?」
「確かに……それに、武器を持って入れば弾かれるんだったわ」
「その通り。王太子は軍団ごと弾かれたんだが……もうひとつ。武器は没収されるから、武具ごと没収されて、大損失だ」
そう言えば……あの時アンジュが持っていた木の棒もいつの間にかなくなっていたわね。
「その後何度か取り戻そうとしたんだが……毎度全部没収されるから、国は大損失。王太子は責任を取ってその地位を追われ、王族から除籍されて離宮に幽閉されたらしい」
「最後は呆気ないわね」
そんなバカなことまでして、私に執着するだなんて。だからってエドガー王太子に心動かされることはないけれど。
「あと、それに関して面白い情報があるぞ」
「あら、なぁに?」
「元王太子は離宮に女奴隷を囲い、拷問して何かの鬱憤をまぎらわしているらしい」
何か……と言うのは何となく予想がつくけれど。
「何でもその女奴隷はなかなか死なないことで定評らしくてな。女奴隷の生家も生き残るために喜んで娘を元王太子に差し出したのだとか」
それって……明らかにアンジュよね……。アンジュに私がここにいることでも聞き出したのかしら。
しかしそれに気が付いたからといって、助けてあげる義理はないけれど。それが彼女がこの地上で背負うべき業なのだから。
そう言えば……元王太子の他は、今はどうしているのだろう。ラファエルたちは私たちの生活を脅かさなければそれでいいけれど……お父さまは……。
その時、私たちを呼びに来たのは武神さまだった。
「どうされたんですか?」
「祈りの間に、客が来ている」
「……客……?」
「お嬢さんへの客だ。来てみるか」
私への……客。
「祈りの間へ祈りに来たのなら、司祭として出迎えよう。レティシエラ。何があっても俺が放さないから、大丈夫だ」
ルディは一体誰が来たのか、分かっているような口ぶりだわ。
「……分かったわ」
でもルディなら、きっと守ってくれるって、分かっているから。
私はルディと共に、祈りの間を訪れた。
そこで待っていたひとを見て、目を見開いた。
「……お父さま」
「れ……レティシエラ……!レティシエラ!会いたかった……!レティシエラ!」
あの夜見た、狂ったお父さまではない。しかし私の知っているお父さまでもない。
私がいなくなったことで、表面的に抑えていた部分をさらけ出してまで、決して笑わなかった顔に涙をためている。
しかし私に触れようとしたお父さまは、私には一定の距離以上は近付けない。
「な……何故だ……どうして……!」
「レティシエラはもう、お前の元には帰らない」
「……は?」
ルディの言葉に、お父さまが目を見開く。
「誰だ……!誰なんだお前は!レティシエラから放れろ!」
「彼はルディよ。ルヴィウムと言うの」
「……」
私の言葉に、お父さま はピクリと固まる。
「ルディは私の一番大切なひと。一番愛しているひとよ。私は……ルディと一緒に生きていきます」
「どうして……どうしてなんだ、レティシエラ!お父さまの元に戻っておいで?戻って来てくれ!お前の母さんも逝ってしまった……その上、お前まで……っ!今度は絶対に、レティシエラを守って……今度……?今度って……何だ……?」
お父さまは、ふと自分の口からこぼれた言葉に訳が分からないと耳を塞ぐ。そうよね……魂に刷り込まれていても、その記憶はないのだから。
けれど、私のお父さまであったがゆえに、狂わせてしまったお父さま。亡くなられたお母さまのことを大切に思ってきたことも知っている。お母さまがいない分、私を厳しくしつけたとはいえ……。
「お父さまが私を愛してくれていたって分かって……私はそれだけで、満足よ」
それが世界がループしたことによる歪みであったとしても。親から愛されないことは悲しい。親から愛されたくないと思う子はいない。だから……。
「私を愛してくれて、育ててくれてありがとう。お父さま」
「レティシエラ……?そんな、別れのようなことを言うな……!」
「ううん、お別れなのよ、お父さま。私はもう、お父さまと同じ時間は生きられない」
親が子よりも早く逝く……そんな当たり前の話ではない。どこかで気付いてはいたのだ。
「だから、これが私なりのけじめなの」
本来は妻を愛し、娘を陰ながら思ってくれる優しいお父さまだったのに。
「私はルディと一緒に生きるわ。だからお父さまも……幸せになってね」
その言葉に、お父さまは魂が抜けたように崩れ落ちる。お父さまの幸せが私だってことも、分かっている。知っている。だからこそ、その何よりの幸せである私から絶縁を告げられるお父さまがどうなるかなんて、分かりきっている。冷たい娘だと、親不孝だと言われてもいい。だけど……私はこのひとを、唯一の大切な家族を、この壊れた世界から解放してあげたかったから。
「親不孝な娘で……ごめんなさい」
そう告げれば、お父さまは背広のうちポケットの中から何かを取り出す。それは……ペン?
そしてそれを、錯乱したように自身の手の甲に向かって振り下ろそうとすれば、それを武器の代わりにしようとしていることに気が付く。
――――その瞬間。お父さまが弾かれるようにして神殿の敷地から消え失せた。
残ったのは、お父さまのいつも持っていたペンだけだった。
「お父さま……何で」
そんなことをしようとしたの。
ループ前、邪神の神殿の場所を突き止めることのできた家の主。お父さまはきっと、この神殿
武器を持ち込めば入れないことを知っていたのだ。
でもそれを元王太子に教えなかったのは、お父さま自身も王太子が私を手にすることを厭うたのだろうか。
そして私を手にいれようとする元王太子を離宮に追いやり、私を……迎えに来たの……?
「……これは君が持ちなさい」
いつの間にか顕現していた裁神さまが、お父さま
ペンを私に差し出してくる。
そのペンをじっと見れば、そこに書いてあった名前にハッとする。男性ものにしてはやけに小ぶりなペンだと思っていたら……お父さまったら……。
やはり、お母さまのことを今でも……。そして、私も。
「お父さまはどうして、わざとお母さまの形見で、手を……」
わざわざ神殿から弾かれるようなことをしたのだろうか。
「背中を向けたくなかったのだろう」
「よく分からない」
そうルディが呟けば、裁神さまがくすりと微笑む。
「お前も時が来れば分かる」
それは一体どういう意味なのだろうか……?
「だから必要な時が来れば、意地悪しないで再生してあげなさい」
それはこのペンが劣化しないようにってこと……。
立派なペンだから、孫の世代まで持ちそうだけど……。
「ルディ……私は、その……」
自分の口から言い出すのは、少し勇気のいることだ。
「ルディ、ちゃんと言いなさい」
「……レティシエラは、神籍に入っている」
神の……籍。つまり私は、人間として生まれながら、神の資格を持った。神と共に長い時間を生きる。だからこそ、神界にもこの身体のまま足を踏み入れられた。
「正確には、俺が、入れた。俺はお前と一緒に行きたい」
1000年の時を生きてきた、ルディの永遠に続く生き神の時間を。
「それはルディが独断で行ったこと。レティシエラが拒絶するのなら、その手続きは無効とする」
裁神さまがそう告げれば、ルディは悲しそうに俯く。
ルディが私と一緒にいたくてやった独断。でも裁神さまにNoと言われれば、ルディは従わざるを得ない。
「そんな顔はしないで。ルディ。私も気持ちは一緒よ。私もルディと生きたいわ」
今さらあなたをひとりにはできないもの。
「レティシエラ……なら……俺の、妻として、生きてくれるか」
「喜んで」
この絶望しかなかった世界で、女の幸せを手にできた。それも……ルディとなら。
そんな幸せなこと、ほかにないわ。
ルディがそっと私を抱き締めてくれば、私も自然と腕をルディの身体に回していた。
そして敬愛する裁神さまの神殿で、私たちは夫婦の誓いを交わしたのだ。
これから私は、ルディと共に、永遠のような時間を生きていく。
【完】
6回ループした悪役令嬢は、リセットされた世界でやり直そうと思っていたのに、気付いた時には囲い込まれていた 瓊紗 @nisha_nyan_
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