第8話 朝日と夕日
真っ暗なところにいた。とても静かだ。右を見ても左を見ても、何も見えない、真っ暗闇にいた。
突然、目の前が青白く光り、黒いローブをまとった死神が目の前に合わられた。手には大きな鎌が握られている。
頭は肉が削げ落ち、眼球はない。首から下は黒のローブで隠されているが、鎌を握るその手は鳥の足のように骨と皮だけだった。
逃げたい。
そう考えるけれど視線をそらすことができず、ボクはただ死神を見つめた。全身から生気が吸われていき、力が抜けていくのが分かった。
このまま死んじゃうのかな。頭をよぎる。
あ、そうか。だからか。やっぱりボクも死んじゃうから、小暮さんが見えたんだ!
薄れゆく意識のなかで、ぼんやりと考えた。
けれど死神はおかしな行動をとった。持っている鎌をボクに差し出してきたのだ。
?
訳がわからない。ボクに鎌を受け取れというのだろうか?
生気が吸われてもうろうとうするなか、ふいに鎌を受け取ろうと手を伸ばした。
……いやだ……。いやだ、いやだ!
頭の奥で叫んだ。
欲しくない。死神になんてなりたくない‼
『死ぬが怖いの』
世谷おばあちゃんの言葉が頭に浮かんだ。
そこで夢から覚めた。
ベッドから身を起こすと、心臓のドキドキが聞こえた。全身から汗がふき出てきた。ボクはかまわずに両足を抱えて、頭をうずめた。
死神ニナラナイカ?
ボクには素質があるってことだ……。
朝日が差し始めたころ、ボクは小暮さんに会いに病室を抜け出した。
小暮さんは一度もボクの病室に来ることはなかった。ボクが小暮さんと会うのは、いつも病院の廊下だったり、休憩室の長椅子だったりした。
それどころか、いままでむこうから声をかけてくれたことはなかった。いつもボクが見つけて、声をかけるたび、戸惑いを見せてからボクの声かけに応じた。だから小暮さんと話したいと思ったら、病院中を探しまわらなければいけなかった。それ以外に会う方法がなかった。
小暮さんに会いたい。話をしたい。
いつも話をした休憩室に行ってみた。人のいない休憩室は、朝日に照らされてきらきらと輝いていた。けれどそこに小暮さんはいなかった。
それから、各階の廊下や長椅子を思いつく限り探した。けれど見つけられなかった。
そして最後に屋上に行った。屋上にも、だれもいなかった。
外は少し湿ったぬるい風が吹いていて、新緑の香りがした。
がっかりした気持ちで、のぼる太陽を見つめた。
太陽が東からボクを照らす。その光は、この前見た、休憩室の夕日とは違った。同じ太陽の光なのに、白々としてエネルギーに満ちて、気持ちを前に向けてくれる。ボクは、身体のなかいっぱいにそのエネルギーを吸い込んだ。これから向かう現実のために、未来に立ち向かうために。
「いまのキミにぴったりの太陽だ」
後ろから声をかけられた。
振り向くと木暮さんがいつものようにそこに立っていた。
「おじさんから声をかけてくれたのは初めてだよ」
ボクは内心すごくうれしくて、懐かしい変な気持ちだったけれど、それがばれるのが恥ずかしくて、ばれないような声でいった。
「おじさんのこと探したんだよ。病院にいなかったの?」
「いたよ。さっきも廊下ですれ違ったね。」
「すれ違った? うそだよ、気が付かなかったよ」
「もうキミに、ワタシは見つけられないかもしれないな。もともとこうやって話ができるのが不思議なことだから。キミは死亡予定者じゃない」
何となく感じていたことをいわれて、寂しくなる。
「どうしてボクがおじさんが見えるようになったか、わかったんだ。今朝、夢をみたんだ。その夢でボク、死神から鎌を受けとって……」
「ただの夢だよ、それは」
小暮さんは夢の話をさえぎった。その言葉はめずしく強く、そしてボクの話を否定してくれた。
「どうして、今日はボクに話しかけてくれたの?」
そう問いかけると、小暮さんは目線をそらせた。
もしかしたら、小暮さんもボクと同じ気持ちなのかもしれない。
小暮さんは、いつも夕日を浴びて過ごしている。
夕日は朝の光とは違う。柔らかくて、落ち着いていて、包み込む力がある。
朝日も夕日も、同じ太陽の光には変わりないけれど、どちらか一方だけを浴び続けるのは、ときにはつらいのかもしれない。
「ボク、前におじさんにはこの仕事向いてないっていったよね。
でも、もしかしたら、おじさん……小暮さんみたいな人こそが、やるべき仕事なのかもしれないって、思うようになったよ」
ボクの言葉に小暮さんは少しはにかんだ。
「ボクの見た死神はすごく怖いんだ。こころが凍りつくようで、生気を吸い取るんだ。
でもおじさんは違う! あたたかくて、すごく落ち着く」
太陽がだんだんと高く上って、太陽とボクと小暮さんが一直線上に並んだ。ボクの影が小暮さんの正面に重なる。
小暮さんは、ボクのことをまぶしそうに目を細めて見つめた。
「どうして朝日くんがワタシと話をできたのかわからない。でもワタシはキミと話せて、成長するってことがわかった気がするよ」
「成長? ボクが……成長したの?」
「したよ。キミ自身はまだ気がつかないかもしれない。でも成長したよ。ワタシにはわかる」
小暮さんの眼鏡が朝日に反射して、うまく表情を読み取れない。でも優しい目でボクを見てくれているのはわかった。
「会えてよかった。ありがとう」
小暮さんの身体が薄くなり始めた。見えなくなってしまう。ボクの身体が熱くなって、気持ちをおさえられなくなった。
「小暮さん! 寂しいよ、もっといてよ!」
小暮さんが右手を上げる。空気を伝って、耳元で小暮さんの声が聞こえた。
『いつかずーっと先に、また会おう―――』
ボクの影がまっすぐに地面に落ちた。
しばらくのあいだ小暮さんのいた辺りを見つめて、それからボクは振り返った。上る太陽に向き直した。
その日の午後、お母さんが家の軽自動車で迎えに来た。着替えの詰まった鞄を持って、病室を出た。向かいのベッドのおじさんが「じゃぁな」と笑顔で見送ってくれた。
病室を出てすぐ、世谷おばあちゃんのいる新棟に視線を向けた。最後に会いたかったけど、母親がすぐ横でボクを待っていたし、もう行っては行けない気がした。
もしかしたら、とボクは思った。小暮さんが説得してしまったかもしれない。でも、いまはもうどちらでもよいことのように思えた。死ぬのは悲しいし、つらい。けれどそれは本人だけの問題なんだ、きっと。
そう、世谷おばあちゃんにいわれた気がする。
早くしなさい、と母親がボクをうながした。
ボクはこころのなかで、世谷おばあちゃんに頭を下げた。鞄をかつぎなおして、エレベーターに向かう。
病院の入口の待合室は、今日も混雑していた。外来の患者さんと面会の人、入院患者さんや病院の人でごった返している。
そのとき、病院の入口で二人の女性とすれ違った。一人は年配の小柄な女性で、もう一人は若い女性の母娘だった。
ボクはその二人の女性を振り返り見つめた。胸の辺りが熱くなってきて、顔も赤くなるのがわかった。
やっぱり、さっきまでの考えは取り消しだ!
死ぬのは本人だけの問題じゃない!
だって、ボクは生きているから。
だって、いまボクはうれしいから。
あの二人が、おばあちゃんに会いに来たのがうれしいから!
他の人も、生き続けてくれるほうがいい!
母親が、出入口で立ち止まっているボクを不思議そうに見ている。母親に向かって走り出す。
病院を出ると、夏の空気がボクをむかえた。高く上った太陽が、ボクを照らしてくれた。
ヘンな男が見えるようになった わかさひろみ @wakasahiro
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