因果のPARADOX
【ハルカ・ルシール・ウォーカー】
あたいのもうひとつの名前だ。
日本にもアメリカにも国籍があって重国籍となるため、20歳に達した時から22歳までには国籍を選ぶ必要がある。
日本国籍では【金多 ルシール晴夏】と表記されている。ウォーカー家には良い思いが無いため、日本でもアメリカでも名乗るときは【カナタ】と名乗ることが多かった。
日本にいる叔母に付けてもらったルシールは気に入っている。姓を金多で名をルシール晴夏にするという選択肢が一番得策かもしれない。
そして現在、あたいは日本の大学に通っている。我生ちゃんが通っていた満天医科大学だ。
「ルーシー!!!!」
ルシールという名前から、あたいはこのあだ名で呼ばれることが多い。そんなあたいのことを大声で呼び止めてきた彼女。
「ナツキどうしたの?」
彼女がそんな声色で呼び止めてくるときは、いつも試験前なので察しは付いている。
「ノート貸してぇ……!」
「またぁ? 自分でなんとか……」
「ルーシーのノートきれいで見やすいから書き写したいの。お願い……」
何故か絶賛されるほどあたいのノートは見やすいと評判だった。
「えー? どうしよっかなあ?」
「そんなこと言わずに! お願い!!」
「あ、ちょっとごめ、電話きた」
大学を終えた帰りに呼び止められるテスト前の日常、そんなとき一本の電話が鳴る。(ヴィラン本作Karte.20 Lotus bloom内の電話ルーシー視点)
「ルーシーか? 俺だ。少し頼みたいことがある」
「おひさー!! 我生ちゃんから電話くれるなんて珍しいじゃん!! どしたの〜??」
彼はひょんなことで知り合った天近我生という満天医科大学病院の外科医だ。
「お前のその喋り方はどうも調子が狂う。頭良いんだからもう少しまともな喋り方をだな……」
あたいに染み付いたこのギャル口調を、彼は頭が良いのにという偏見で語るので、あえて意地悪な受け答えをする。
「あれ〜?? それが人にモノを頼む態度かなあ??」
「くっ……」
意外と手の平で転がされている我生ちゃんを見るのも楽しいものだ。
「すまなかった……とにかく調べてほしい」
「は〜い! ルーシー頑張る!」
「説明は追々する。メッセージアプリに切り替えるぞ。じゃ頼んだ」
「ちょっと……」
要件を伝えたらすぐ切る。テスト前だと言うのに、あたいに選択肢は無いようだ。
「今の電話、我生ちゃんって言ってたけど……もしかして天近我生先生?」
「そうだけど……」
「なんでルーシーって我生先生とそんな仲良いの?」
「色々あってね」
「あの先生にみんな憧れてるんだよ。良いなあ」
「誤解が有るようだけど、そういう関係では決して無いから! あっ、ナツキ……ノート貸してあげてもいいよん♡」
「え? ほんと?!」
ナツキは喜んだのも束の間、少し間をあけて「んっ?」という顔をした。あたいが何か企んでいる顔をしているのが見た瞬間に分かったからだろう。
「ナツキのお姉ちゃんってシカゴの大学通ってたよねぇ?」
「そうだけど……? 何?」
「ツテを使って研究施設に潜入出来ないかなあって」
「何を企んでるの? そんなのバレたらやばいよ」
「大丈夫! うまくやるから」
「てかさ、代償デカくない?」
「そんなこと気になさんな! 毎回無条件で見せてあげてるじゃないか」
あたいは心配をしているナツキの肩を叩いて目で訴えた。落ちるという確信の笑みを浮かべて。
結果は意外とチョロいもんだった。国際共同開発なるものがあるらしく、そこにあたいは【雲野いと】という存在しそうにない架空の人物を名乗り、優秀な人材として潜り込むことに成功した。
即座にシカゴに向かうことになる。そう、あたいはすでに知っていた。我生があたいにお願いをしてくることも、それで捨てたはずだった故郷であるアメリカに戻らなければいけないことも、全て知っていた。
早速メッセージアプリによる通知が届いた。
「これは極秘ミッションだ。要点だけを伝える。シカゴに向かってくれ。黒岩博士と、ジョーカーという人物を炙り出せ。近付くことに成功したらまたココに連絡してくれ」
なんともお粗末な文章だ、それだけで動ける人間など果たしているだろうか。
信頼しているからこそ、それだけで伝わると思ったのだろう。でも、あたいはすぐにわかった。そう仕掛けたほうはこっちなのだから。
順を追って説明していこうじゃないか。まずは、今回のMISSIONから振り返っていこう。
あたいは真っ先にシカゴに向かうことにした。本当に飛行機に乗っている。あたいは一体何をしているんだ……いや、そんなことを考えている暇は無いほどに時間は限られている。
「あたいは時差を時差とも感じない女」
そうは言っても、計画だけ立てておこう。夕刻である今から日本を出発しても、向こうに到着するのは同じ日の昼前である。これが時差というやつだ。最短で事を進めるには、少なくとも三日目の午前中にはシカゴを出ること。でなければ、日本時間の三日後の昼に帰ってこれない。
よし! このPLANで行こう。
それでは快適な空の旅へGOOD LUCK!!(寝る!!!!)
Day1
15時30分シカゴ到着
空港に着くと目の前に黒の高級セダンが停まっていて、スーツ姿にサングラスをかけたガタイの良いスキンヘッドの男性が後部座席を開けてこちらにお辞儀していた。
英語で話すのは慣れたように流暢に切り替えてその男性に話しかけた。
「はじめまして。雲野いとです」
「お待ちしておりました。こちらへ」
有無を言わさず車に乗せられて大学へと向かった。ただ一つ懸念することは姉がシカゴの大学にいるということだ。会いたくない……だがあたいはそこは用意周到だ。偽名なので変装する必要があったのもあるし、空港のアレが面倒だったので、現地の化粧室で花吹雪町で培った技術を活かしピンクの髪のウィッグを被り別人メイクを施していた。
「いとさん? 随分と派手な格好だな。これからハロウィンにでも行くのかい?」
「あら……それなら貴方はハリウッド映画の俳優の格好でもしてるのかしら。日本のハロウィンではよく見かけるわ」
くだらないアメリカンジョークなのか皮肉を言われたので言い返してやった。多分ナメられていてバカにされているのだろう。
少し悔しそうにしているのがサングラス越しでもわかった。すかさず悔しさを誤魔化すように咳払いをしてやや高圧的に質問をしてきた。
「では君は薬学部だと聞いている。試験とまでは言わないが問題だ。精神科治療での統合失調症などの重い病気の治療において、抗精神薬の最大の効果は、患者の陽性症状である幻覚や妄想を迅速かつ強力に抑制することだ。これにより、患者の精神状態は安定に向かう。〇か✕か?」
「✕です」
あたいは流れが読めたかのように少しほくそ笑んで答えた。
「いや答えは〇だ。幻覚や妄想が止まらなければ、治療とは言えないからな」
「いいえ、陽性症状を抑制するという認識は、古い時代の治療目標です。もちろん、陽性症状の抑制は重要で、薬の効果でも最も早いものです。しかし、現代の精神科薬物療法、特に新しいタイプの抗精神病薬が目指す最大のゴールは、陰性症状や認知機能障害の改善、そしてその先にある患者の生活の質と社会機能の回復です」
「陰性症状? 認知機能? そんなものは、薬で治らない」
「貴方の認識は、1950年代に主流だった定型抗精神薬の時代のものです。古い薬は陽性症状の抑制には優れていましたが、眠気や錐体外路症状といった強い副作用で、患者の意欲の低下である陰性症状や認知機能をむしろ悪化させ、社会復帰を妨げる原因になりました。薬学部で学ぶ薬理学では、新しい薬は陽性症状の改善だけでなく、陰性症状や認知機能へもアプローチして、患者が社会生活を営めるようにすることを治療の主な指標としているので答えとしては✕です」
「教科書みたいなこと言いやがって……私は一般論の話をしているんだ」
「医療に一般論やニュアンスで語るのはどうかと……その人がその人らしく生きることを支援するのが、現代の薬物療法の最も重要な倫理的目標です。単に陽性症状だけを注目することは、患者の生活の質を無視することと同じです」
「そんな考え方では出世しない」
確かにあたいの言っていることは医者によって見解が違ったりする諸説ありという注釈が付くような言い方ではあった。だけど、言葉の上で言い返すには申し分ない言葉で切り返してやった。
そんなこんなで大学に着いた。
「降りろ! ついて来い」
アメリカではあまり見かけないゴシックスタイルの校舎と緑に囲まれて、まるで中世ヨーロッパのお城のような敷地を歩いて幾つもある校舎を抜けて医学部の研究室をノックした。
「誰だ?」
「国際共同開発の件で滞在する方を連れてきました。少しお時間よろしいでしょうか?」
「入りたまえ」
入室はどうやらカードキーで出入りするということを確認した。
「失礼します」
「ようこそ我が大学へ。教授の黒岩純司です」
「おはようございます。満天医科大学薬学部の雲野いとです」
「早速だが、これから国際共同開発にあたって、精神医学の分野での治療のゴールはどこにあるかお聞きしたい」
「治療のゴールは陽性症状の抑制から、陰性症状・認知機能の改善、つまり患者の社会機能の回復も見据えた時代だと思っています」
教授は目つきが変わり深く頷いた。
「 なるほど。君は薬の分子作用ではなく、患者の人生や社会復帰という倫理的なゴールを見据えているのだね」
「治療を鎮静ではなく機能回復と捉えるのが、現代の薬学の考え方です」
「素晴らしい。君のその本質的な視点はとても貴重だ。期待していますよ」
「恐縮です」
「これからイギリスに滞在することになったのでね、講師には話しておくよ。日本からの滞在で疲れただろう。今日は寮でしっかり休みなさい」
「ありがとうございます。失礼します」
研究室を出て不穏な空気が漂った。偶然にも先程の問題と同じやりとりをして、教授があたいの考え方に賛同してしまったのだった。
「調子に乗るなよ。教授の優しさだ」
「わかってます」
「寮まで案内する。明日からよろしく頼むぞ」
何卒なく返事をして寮まで案内されその日は綿密な計画を立てた。黒岩はイギリスに旅立った……HASシステムは研究室で目視で確認済み。持ち出していなければダミーを作ってすり替える……よし完璧だ。と考えていると我生ちゃんから電話があった。茉莉ちゃんからジョーカーがAIだという話はある程度聞いていたらしい。(ヴィラン本作Karte.29 BUTTERFLY EFFECT内の電話ルーシー視点)
「電話が鳴ったら
「何だそれ?」
「
「思っている以上に複雑なのは想定内だ。それより例のアレはどうだ?」
「
「確かにな……何か方法は無いか?」
「
「出来るのか!?」
「あたいはキャン・オア・キャントでは無く、ドゥ・オア・ドントで行動する。」
「その答えは?」
「もちろんDoよ! 不可能ですら解釈で捻じ曲げる女。それがあたいルーシーですから」
「流石だ任せたぞ!」
「あ、切れた。頭良い人、用件伝えたらすぐ電話切る説……仕方無いやりますか!
Day2
食堂にて形跡を残さないために全て頭の中で潜入の計画を整理した。食器を片付けようとすると近くのテーブルから甲高い話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、見てあのピンクの髪の子。ウチの学校にあんな派手な子がいるなんて、信じられない。真面目に勉強する気があるのかしら?」
「しっ! 目を合わせない方がいいわ」
「ああいうのは、中身がないからああやって外見で誤魔化してるのよ」
あたいは食器を持って、わざと彼女たちのテーブルを横切るように近づく。
「なんか、すごい耳障りな声がするんだけど? 誰がブツブツ言ってんの?」
そう露骨に嫌な顔をする女性のひとりは、あたいの姉である。変装のため妹だとは気付いていないようだ。
「なんですかあなた。私たちに何か用?」
「 えー、べつに? 外見で誤魔化してるとか聞こえたけど?? そのトレイ、茶色い野菜多すぎじゃね? 健康志向ぶって、中身は超地味とかマジウケる」
「失礼ね! 私たちは貴方と違って、健康的な食事をしているのよ!」
あたいは大きな溜息混じりで姉の耳元ギリギリでわざと地声にして友人にも聞こえるように囁いた。
「ふーん。まぁいいけど……人を見た目で判断するのダサいから。 てかそういう真面目ちゃんに限って中身空っぽじゃん?」
「くっ……」
あたいは姉たちから離れ、食器返却口へ向かいながら、わざと大声で「 あー、マジきっしょー! つまんないヤツに絡んじゃったわー!」
「ちょっと待ちなさい!! その声……」
「ソフィア 、やめなさいよ! どうしたの急に」
友人は立ち上がった姉の手を掴んだが制止を振り切り、睨みつけた表情をしている。
「違うの! 今の声どこかで聞いたことのある声だわ。 この声の響き……」
「何を言ってるの、ソフィア! こんなファッションも言葉遣いもバカみたいな子が、あんたの知り合いなわけないでしょう! 気のせいよ」
「……でもあの声……」
返却口で、余裕の笑みを浮かべ心の中でざまぁみろと罵った。偽りの外見を見て中身がないと決めつけた彼女たち。人間の常識なんて、この薄っぺらいギャルの皮一枚程度で、たやすく欺ける。 偽りすら見抜けず、その薄っぺらい常識で他人を侮蔑する貴方たちを尻目にあたいは今日デカいことをするんだから。
講習を受けたりするフリをしてあたいは好機を探っていた。すると昨日の案内人が研究室に出入りしていることがわかった。あたいは研究室の近くの部屋で予め用意した重い荷物を持ちながらドアを頑張って開けようとする。
「おいおい! 無理をするな手伝うぞ」
か弱いレディが荷物を持っているという男の義務感してやったりだ。
「ありがとうございま……あっ、ごめんなさい」
バランスを崩すフリをして彼に接近した際に、わざと胸元を強調する服を着ていたので、視線は自ずとそちらに向き案内人が静止してゴクリと唾を飲む音が聞こえた。そうすべて作戦で、カードキーをスキミングするには十分な時間だった。そして出入りしない時間帯を探り潜入に成功。
「あたいってば、本当にスパイ映画の主役みたい。すり替えてとっとと離脱するわよ」
あたいは即座にその場を離れた。
「ちょっと! 待ちたまえ」
人気のない非常階段の踊り場に飛び込んで信じられない速さで変装を解いた。派手なジャケットを脱ぎ、濃いメイクを一瞬で拭き取り、ウィッグを外し手には何も持っていない状態で案内人とすれ違った。
「ちっ、どこへ行った?あのピンク頭……」
一瞬こちらを見たが気付くはずもなく視線を逸らした。
「よく見てみなよ
階段を駆け上がっていく音が聞こえたのを確認して、あたいは小声でそう言って振り返らずに離脱した。
「アキちゃーん! がとうあり」
門の付近で合流して手を振った彼女は、食堂で会った姉の友人だ。
「完璧よ。誰も見ていなかった。はいこれ」
アタッシュケースを受け取り、中身を確認する。
「助かったわ。まさか貴方が協力者だとは、誰も想像しないでしょうね」
「ええ。まさかソフィアも妹がギャルの格好をして潜入していたなんて、夢にも思っていないと思う。でもちょっとカマかけ過ぎよ? 気付かれそうだった」
「てへっ……なんかいざ会ったら言いたくなっちゃって」
「ところでナツキは元気にしてる?」
あたいはアタッシュケースを担ぎ、冷ややかに微笑む。そう彼女はナツキの姉なのだ。
「元気だよ! 相変わらず授業聞いてないけど」
「ごめんね。面倒見てあげて」
あたいは笑いながら何度も頷いた。
「あたいの姉は着飾ったエリートのプライドが高すぎて、偽りの外見の下にある真実なんて見ようともしないから、言っておいてちょうだい」
「何を?」
「中身がないのは、外見で全てを判断する人間側だって……そして、一番近くにいる最も軽蔑している人間が、貴方を超えちゃうかもよっ♡ってね」
そう言ってあたいはこの大学をあとにしたのだった。もう二度と来ることはないと誓って。
「ソフィア……あの子、大物になるわ」
飛行機に乗る前に我生に連絡を入れた。
「任務完了! あとは茉莉ちゃんとうまくやってね」
これがあたいの任務だった。次は茉莉ちゃんと我生ちゃんを接触させた理由について話そう。
D.N.A-ヴィラン外伝- 久良運 安寿 @mephistopheles_401
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