第23話 コンプライアンス
年が明けて一段と寒い季節になった。
正月のおめでたい時期に相応しくない邦日銀行の頭取による謝罪会見が、銀行の会議室で開かれたとニュースが流れた。
中央に頭取が座り逮捕または殺害された専務と取締役を除く常務と取締役らが左右に別れ並んでいた。
「新年のめでたい挨拶をするべき時に、真逆の挨拶をせざるを得ない事誠に申し訳ございません」
頭取の謝罪の言葉から会見は始まった。
そして室蘭の心中偽装殺人事件に始まった六件の殺人事件の犯人が当行およびその関係会社に所属するものであったことを謝罪。
さらに、頭取は「専務以下五名による組織的な顧客情報売却事件は、前代未聞であり銀行の信頼を地に堕とす所業であり謝罪の言葉もございません」
そう言って壇上の全員が立ち上がり身体をふたつに折って頭を下げた。
長い間そのままの姿勢を崩さず、場を一層重たい雰囲気にして行った。
「百万先を超える情報が闇業者に売却され、それによる詐欺被害がすでに数十件発生していると認識しています。その被害者に対する救済措置を講じます。同時に百万先の方々への謝罪を個別に行います」
能登さんがそこまで言うと記者から「総額は幾らですか?」と叫び声が聞こえる。
司会者は途中の発言を制止するのだが、能登さんはその問いに答えた。
「合わせて数百億円に上る試算が出ております」
会場がざわつく。
……
ざわつきが収まるのを待って能登さんが続ける。
「その責任は重大であり、頭取以下取締役、業務執行役員の計三十一名に対し第一段階の懲戒処分として昨年十一月より給与、賞与、報酬の百パーセントを減額しており、本年の株主総会まで続ける所存であります。そして株主総会でわたしを含む全取締役を解任し新頭取を中心とした新メンバーに今後の経営をお任せしたいと考えております」
能登さんが言葉を切ると記者から「新任者は持ち上がりですか?」との声が響いた。
「金融庁から新頭取をお迎えしたいと考えています。取締役も半数以上を外部からお招きしたいと考え、すでに個々にお話をさせて頂いております」
そう答えた後能登さんは「今日は会見時間を設定せずに質問等のある限りお答えします」と言って広報担当者が質問を制限しようとする動きを牽制した。
ニュースは途中で通常番組に変わってしまった。
「能登さん大変だな」
「へぇあないにえぇ方なのになぁ……」
夕方のニュースの時間になって再び会見場からという生中継が放映された。
記者らはどうして顧客データを売却しようとしたのか、その背景を聞きたがっているようで質問はその点に集中しているように見える。
しばらくして、一段落したのか質問が途切れる。
一心も終わったかと思った時頭取が再び口を開いた。
「この場を借りて、本件以外の顧客情報、特に個人情報の漏洩についてご報告いたします」
能登さんの突然の告白に会場が再びざわついた。
一心もまだ有るのかとドキッとした。
「……これからわたしが述べる事について昨年末までに監督官庁には報告済みであります」
能登さんはさらに続ける。
「口座印鑑票の紛失事故百三十三件、手形紛失事故三件、給与振込明細紛失事故十六件、契約関係書類紛失事故五百六十一件が本支店および担当部署において発生し監査部や統括部で隠ぺいが行われておりました。申し訳ございませんでした」
頭取が発表してから状況を詳しく知りたい等の質問が相次いだほか、邦日銀行の隠ぺい体質、管理態勢について具体的に何をどう改善する積りなのか説明すべきだなど厳しい指摘が能登さんにぶつけられた。
一心は聞いていられなくなりテレビを消した。
*
会見が終了し能登は頭取室のソファでコーヒーを淹れて貰い心を落ち着かせていた。
記者会見の前には金融庁から特別検査を実施する旨の通知が入り、そのすぐ後滋賀会長からメインバンクの解消を伝えられていた。
それらも重大事案ではあるが、能登の耳にはコメンテーターが言った一言がこびり付いて離れない。
「銀行が組織ぐるみで顧客情報を売却しようとしたら、誰がそれを発見できるでしょう? これは邦日銀行だけの問題じゃない。すべての銀行にいつでも起り得る事です。邦日銀行以外の銀行は大丈夫だなんて、性善説で考えるのはもう止めないといけない。だって、百万先の顧客データが日本円で約三十億円で売られたんです。そのくらいの客数を保有する銀行は中規模以上の銀行なら数えきれない。都銀ならば一千万を超える顧客との取引がある。
闇雲に信用しないで、取引金融機関が信用でき得るのか慎重になる必要がある」
そう言ったのは名前は忘れたが著名な経済学者だ。
つまり、今回の事件は金融機関全体の信用を損ねてしまうほど大きな問題だと言う事だ。
当行以外でも数万件、数十万件の個人情報の漏洩問題は継続して発生し、ハッキングされたと謝罪会見が行われてきたが、それが悪意ある第三者によるものなのか? 実は組織的に企業が闇の業者に売却したものではないか? その真実を知るすべはない。
能登にもどうしたらそう言う犯罪を防げるのか、或いは発見できるのか分からない……。
夜、能登は眠れずに酒を友にしていた。
いくら飲んでも頭の芯が酔わなかった。
「ほどほどにして下さいよ。いつまでも若くは無いんですからね」
妻は普段と変わらぬよう気を使ってくれているのが痛いほどわかる。
電話も受話器を外しておかないと鳴りっぱなしになる。もちろん、嫌がらせだ。罵倒され、死ねと言われる。
能登は覚悟していたが、妻は電話恐怖症になってしまい、自分のスマホの音にでさえびくついている。
「あぁ、ちょっと眠れなくってな……」
「じゃ、私は先に寝ますけど、なんかあったら呼んでくださいな」
妻はそう言って寝室へ行ってしまう。
シーンとした居間にぽつんとひとりになると、苦しい。
「どうしてこんなことになってしまったのか? ……」
答えの出ない問答を繰り返す。
外が急に騒がしくったと思うや否や居間のガラスが、激しい音を立てて割れ破片が室内に飛び散る。
妻が慌てて寝室から飛び出してくる。
「大丈夫? 怪我無い?」
「あぁ、用心してたから大丈夫だ」
もう何枚目になるだろう。三日に一度は石を投げ込まれている。
窓の近くにはブルーシートを敷きっぱなしにしている。散乱するガラス片を片付けるのに便利だからと言う妻の提案だった。
「いっそ、ガラスでなくて板でも貼り付けようか?」
妻とそんな冗談がでるくらい慣れてしまった。
遠くからサイレンが聞こえる。警察は気を使ってくれていて通報もしていないのに来てくれる。
チャイムが鳴って「能登さん、大丈夫ですか」警官が声をかけてくれる。
能登はすぐ玄関を開けて顔を見せ「はい、妻共々怪我はありません。度々お騒がせして申し訳ありません」
そう謝罪するのだが「悪質過ぎます。悪戯では済まない行為です。一層周辺の警らに力を入れます」
警官は室内を一通り確認して立ち去った。
翌朝、外へ出てみると、前の日同様、塀を貼り紙やら落書きやらが所狭しと埋め尽くし、塀の色が分からないくらいだ。
それらの片付けは能登の仕事になっていた。最近では、ご近所さんが「こんなにやられちゃひとりじゃ大変だ」と言って手伝ってくれている。
涙が出るほど嬉しい。
世間は厳しく言う方が殆どで、心が折れそうになるがこういった方や探偵さんに警察が優しく接してくれることが支えになっていた。
いずれは、この家も売却して損害の補填に当てなければならないだろうが、それまで妻には平穏に暮らして欲しいと思う。
しかし、それもなかなか難しくなってきたと感ずる。
塀の掃除を終えるころ丘頭警部が訪ねてきた。
今は妻が室内の掃除を済ませていて、窓ガラスが入ってなくてもそこそこ過ごしやすい季節にはなってきたようだ。
「今日は、何か?」能登が訊く。
「はい、殺人事件の方のご報告とお見舞いと思って……」
能登が礼を言うと、「室蘭の心中事件で殺害された横里駿太さんは、顧客情報売却の真相を知って阿久田専務に仲間に入れろと脅したようです。それで阿久田が海道彰に命じて殺害を計画実行したんですが、そのホテルに人事部の新森和人が現れ、昇進させてくれるなら自分が殺ると言って実行したんです。それで捜査が混乱し解決まで時間が掛かりました」
「じゃ、動機は専務にあって実行者が新森だったのか……」
能登は専務が主犯と言うのにも驚いたが出世のためにあの新森が殺人まで犯すとは……続く言葉が見当たらなかった。
「それと、杉田彩花殺害事件も阿久田が海道に命じ、海道が新森を呼び出してもうひとり殺ってくれたら昇進を父親に約束させると言ったらしいです」
「なんと言う事だ。情けないのう」
「それに海道彰が鍵屋の新宮に鍵を作らせることが出来たのは、ソルドリッコと言う闇のカジノがあって、そこの阿久井努(あくい・つとむ)と言う男と阿久田が昔からつるんでいて、新宮に罠を仕掛けて借金を作らせ散々脅かしておいて、彰が救いの手を差し伸べる代わりの交換条件としたって訳です」
「じゃ、以前からもそう言う事をやっていたと……」
「えぇ、それで銀行から借り入れをさせたようです」
「とんでもないことだ。あきれて言葉も出ない……」
「えぇ、豪林は闇の買取業者との窓口になっていて、顧客データの一回目の引
渡し後皆月が逃走したため二回目の引渡しができず、業者に催促されていたようです。それでも、引渡しがなくしびれを切らした業者の窓口だった幸手に見せしめとして殺害されたんです。阿久田は相当焦ったと言ってました」
他の事件も警部が細かく説明してくれた。
「なるほど、これで事件のすべてが分かりました。我が銀行にはそういう輩が多くはびこっていたと言うことになるんじゃね。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。その関係でわたしが追うべき刑事責任はないのじゃろうか?」
「能登さんにはありません。売却の方では色々な責任を追求され大変でしょう?」
「それはトップにいるものにとっては当然の事です」
「そうですか、そっちの捜査は私らの手を離れて本庁の専門チームが捜査しているので状況をはっきり認識できてはいないのですが、何か困ったら相談して頂いても結構ですし、警察に言えないことはあの探偵にでも話してください」
「はい、ありがとうございました」
警部が帰ってから妻が食事を用意してくれた。
「今日も銀行は昼からで良いんですか?」
「あぁその積りだ。家にいる方が第三者的に銀行の事を考えられて都合が良いんじゃ」
「そうですか、自分ばかり責任を感じ過ぎないで下さいよ。銀行は組織なんですからね」
妻がにっこり微笑んで言った。
そんな事を言う妻を初めて見る気がしてじっと見詰めた。
「なんです。私の顔に何かついてますか? それともあまりの美形に見惚れましたか?」
妻が自分で言って笑い出した。
つられて能登も笑った。
忘れていた表情筋の動きがやけに嬉しかった。
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