第21話 素直な女

 一心は丘頭警部に、荒川で水死体で見つかった豪林の爪から採取された糸屑が幸手のトレーナーのものだと断定されたのに、なかなか逮捕に至らない事情を訊いてみたのだがどうもはっきりしない。

それで久しぶりに浅草署に足を運んでみる。

「あぁ、問題があって、つまり、どうやって川で溺れさせたのかが分からないのよ」丘頭警部はそう答えた。

「えっだって頭押さえつけて水に突っ込んだんじゃないの?」

「それが出来る場所が遺体のあった近くには無いのよ。死亡推定時刻と発見した時刻と考え合わせて捜索を数百メートル上流と言う鑑識の判断に従うと、どこも河岸工事がされていて水深は数メートルもあるし、岸は急斜面だから殺害できる場所はないのよ」

「つまり犯行現場が特定できないと言うことか?」

「えぇ、それに本人は午後十時頃ピザの宅配を頼んだって言ってる。業者の確認もとれたのよねぇ」

「じゃ、犯人じゃないんじゃないの?」

「それは無いわよ。爪の糸屑あるし……」

「そういう事だったのか。随分逮捕に時間かかってると思ったんだよな」

「何かトリックがあるのかもね」

「んー、じゃ、川の水を自宅へ運んどいてそこで殺してから川へ捨てたんじゃ?」

「それも考えて、排水口とか豪林がそこにいた形跡とか捜査したんだけど、まったく出なかった」

「じゃ、他の場所で殺ったか?」

「だって、十時にピザ屋が来てる」

「ふーん、しゃーない、幸手の部屋でも見に行くか?」

「そうねぇ、明日昼からで良いかしら?」

 

 事務所に戻った一心は家族にそれを伝えた。

「室蘭のマッチング終わったんだけど、聞く?」一心の話を聞き終えてから美紗が言った。

「なんか新発見有ったか?」

「おー、ホテルに女装した行員がもう一人いたぞ」

「えーーっ! 大発見じゃないか早く言えよ。だれ?」

「ふふふ、どうしてもと言うなら教えてやる。新森和人(しんもり・かずと)人事部勤務の三十七歳の男だ」

美紗がテーブルに数枚の写真を置いた。

「これ、男? どう見ても女だけど、胸膨らんでるし」

「一心、目が嫌らしくなってまへんか?」

「えっそんなこと無い。静だってこれ女に見えるだろう?」

「そうやねぇ、これが男はんとは思えまへんな」静も写真をまじまじと見て言う。

「だろう、顔認証では発見できなかったんだ。歩行マッチングアプリで発見したんだ。だから時間が掛かった」

「俺、これ持ってもう一度警部んとこ行ってくるわ」

 

 警部に状況説明すると「そうか、やっぱりこいつ北海道へ行ってたんだ」

「やっぱりって?」

「事件の日休んでる行員が五名いて、それぞれ旅行とか病気とかでさ、新森は映画とか遊園地とか言うんだけど都内だから証拠が出なかったんだ。ただ、ふたりの被害者との利害関係も無かったんで容疑者から外したのよ。でもまさか、前日から泊まって事件の翌々日チェックアウトするとはねぇ、それだも事件後の監視カメラに写って無い訳だ。プロの殺し屋みたいね。ありがとう、動機調べるわ」

「おぉ、海道と新森が共犯だったって訳さ、時間トリックも解決できたから資料置いてく」

「そう、ありがとね。じゃ、あしたは豪林殺害事件の方を頼むわね」

 

 翌日午後、「こんちわー、お土産よー」丘頭警部が相変わらずのおばさん声を張り上げながら事務所に来た。

「いっただっきまーす」岡引家の物を貰った時だけ出す元気で明るい声が響く。

「おっ今日は饅頭か、美味そうだな」一心もひとつぱくつく。

「ほら、一心行くわよ」

無理矢理手を引っ張られて事務所を出る。

車の中で「新森の自宅へ行って任意で靴を提出して貰って調べたら、靴底に血液がついてて、それが盛井淳子のものと一致したので、逮捕した。ありがとうまたひとつ事件がすっきりと解決した」

「具体的な殺害方法は吐いたのか?」

「えぇ、新森は偶然専務と海道彰の話を立ち聞きして計画を知り、女装して先に泊まって、彰がレストランで横里のビールに薬を入れるのを見て声を掛けたのよ。海道は相当驚いたようよ。そしてふたりで部屋へ連れて行ったのよ。それから海道はアリバイ作りへ、新森は四時を過ぎるまで待って、既にベッドに寝かされていた女と横里を刺し殺して自分の部屋に戻ったと吐いたわ」

「そうか。それにしてもすばやい行動だな。昨日の今日なのにな」

「みんななかなか事件が解決できないのでイラついてるのよ。だからあんたからの情報もらったらみんな手分けして一気に片付けたって訳よ」

「よし、今度は幸手だな」

 

 アパートに着いて室内を隈なく見たが何も疑問が湧いてこなかった。

しかし、洗面所でちらっと女の影を感じた。

歯ブラシが二本あった訳じゃないのだが、物を置く空間が随分多いのだ。まるで、もうひとり家族がいたみたいに……。

キッチンへ行ってみると綺麗に食器類がしまってある。五枚セットの皿とかもあるが、コーヒーカップは二個しかない、茶碗は五個あるがお椀はふたつだ……。

よく見ると、歯磨き用のコップを置いたような跡が微かに残っている。

もちろん、置く場所が決まって無くて本人が置いた跡かもしれないのだが……。

「なぁ警部、幸手に女いるんじゃないか?」

「彼はそんな事言ってないわよ。もっとも私らも事件に関係ないから訊いてもいないけど……でも、どうして?」

気の付いたことを警部に説明すると「そうね。考えられるわね。探してみるわ」

「あぁ俺も美紗に近所の監視カメラで幸手と一緒に女写って無いか調べさせるわ」

即事務所に電話を入れた。

 

 事務所に戻ると「いたわよ彼女」

美紗が写真を持って来た。

「自宅が何処か探れないかな?」

「そう来ると思って、監視カメラを辿って、彼のアパートから車で十分くらいのとこのカメラに三日続けて写ってたからきっとその近所に住んでるよ」

テーブルに写真と監視カメラの設置住所を書いたメモが置かれた。

「美紗、サンキューな。後は、張るしかないか」

そう言って時計を見ると映像に写っている時間が迫っていた。

「数馬行くぞ。もうすぐ彼女がそこに現れる」

一心はそこへ向かって車を飛ばした。

 

 少し待たされたが彼女が現れた。

数馬に目配せして尾行を開始する。映像と同じ服装だ。制服なのかもしれないと思った。

五分程歩いて三階建てのアパートの階段をあがり始めた。

外から玄関が見えるので道路で待っていると、三階の一番奥の部屋へ入って行った。

数馬が行こうとするのを停めて丘頭警部に電話を入れた。

 

 三十分後覆面パトで来た警部と一緒に彼女の部屋に向かう。

警部が手帳を見せるとすんなり部屋へ入れてくれた。

名前を姫島愛子(ひめじま・あいこ)と言う商社に勤める三十四歳と名乗った。

「幸手雄星さんを知ってますね」丘頭警部が質問する。

「はい、私の彼です。今ちょっと連絡が取れなくなってるんで心配してるんです。何か事件にでも巻込まれたんでしょうか?」

「ニュースを見てないですか?」一心がそう言って室内を見回すとテレビが無い。

「えぇ私テレビ嫌いなんです」

「そう、ネットニュースにもなってると思うんだけど、彼、殺人犯として手配されてるんです」

丘頭警部が隠さずに言った。

「えっ」小さく叫んで彼女が固まってしまった。

「大丈夫?」丘頭警部が気を使って彼女の傍らに寄って顔を覗き込む。

「えぇ」小さく返事をして頷いた。

「姫島さんは十月十七日の夜はどちらに居ました?」

「えーと、旅行へ行ってたのが……十月十五日から一週間友達と台湾へ遊びに行ってました」

「パスポート持ってます?」と、丘頭警部。

彼女は立ち上がってバッグを開けてパスポートを差し出す。

丘頭警部が開いて渡航歴を見て「そうね、十五日発で二十一日着になってるわね」

「じゃ、ここの鍵を彼氏も持ってるんでしょ?」

「いえ、だけど鍵は玄関横のポストの裏に磁石で貼り付けてあるんでいつでも入れます」

「そう、悪いんだけど、お風呂場とかを鑑識呼んで調べたいんだけど良いかしら?」

「えぇどうぞ。でも、どうしてここを調べるんですか?」

「彼がここを使ったかもしれないのよ。それを確認したいの。ごめんなさいね」

丘頭警部がそう言ってスマホを取り出し電話する。

「いえ、大丈夫です。そう言えば、私車持ってるんですがそっちは調べないんですか?」

「えっ、その車は旅行中置きっぱなしでした?」

「えぇ彼が使いたいと言ったし、海外旅行なんで車は使わないので」

「じゃ、一応調べさせて頂きます」

「おぅ、じゃ美紗に言ってその車をマッチングさせてみよう。姫島さん車の写真撮っても良いかい?」

一心は許可をもらって写真を美紗に送り、事件当日のアパートと荒川の間の検索を指示した。

そして、靴箱を開けて警部を呼んだ。

「何か見つけた?」

「あぁ、この男物のスニーカー」

一心は靴底を警部に見せる。

「姫島さん、この男物のスニーカーは誰の?」

呼ばれた彼女はそれを見て「彼のです」と答えた。

一心は警部と目を合わせ頷いた。

「幸手が才川を殺した証拠になる。やったな警部」

頷く警部の目に光るものがあった。

「ふーっ、鈴子、仇は取ったわよ」警部が呟いた。

「あぁここが犯行現場なら午後十時の宅配便もアリバイにはならないからな」

一時間以上待たされて鑑識と一緒に刑事が令状を持って来た。

 

 翌日、丘頭警部が事務所に来て「幸手に逮捕状が出た。けど、どこへ逃げたのかしらね」とぼやく。

「事情聴いたときに逮捕出来たら良かったけどな」

「しょうがないわ、彼女がいるなんて想定外だったもの」

「鑑識の結果は?」

「えぇお風呂場から荒川の成分と一致する水があったし、微生物も確認出来て荒川の水があったと断定された。それにスニーカーの靴底は鈴子の手の甲に残された跡と一致した。両方とも幸手の犯行だった」

 喋ってると、美紗が階段を駆け下りてきた。

「美紗、どうした?」

「おぉその幸手って奴、逮捕するんだろう? 今、成田空港の監視カメラに写ってたぞ。早く掴まえないと高跳びされるぞ!」美紗が興奮気味に喋る。

「そう」

丘頭警部はスマホを出して署に一報を入れ、「じゃ、私急行するから」

階段を駆け下りて行った。

 

 警部が姿を消した後、美紗がパラパラっと写真を数枚テーブルに置いて、「幸手の彼女の車を荒川近くの監視カメラが捉えてたぞ。運転手は幸手だろう」

「そう言えば、彼女の車から何か出たのかな? 警部に聞いてみるか」

一心はスマホを掴んで電話を入れる。

「どうした?」

「おぅ、彼女の車から何か出たのか?」

「あぁ、出たわよ。幸手の指紋がハンドルやその他多数。トランクに豪林の毛髪と荒川の成分がね」

「そうか、今、美紗が荒川近くで事件時刻前後で幸手の運転する彼女の車を発見したからよ、そっちはどうだったのかと思って電話したんだ。そうしたら幸手の犯行確定だな」

「えぇ、お陰でね。ありがと」

「おう、幸手、逃がすなよ」

「えぇ、もちよ! じゃ」

 

しばらくして、丘頭警部から電話が入った。

「逮捕したか?」

「いや、空港警察が受付カウンターで身柄を拘束しようとしたんだけど、逃げられた。車で空港を出てしまったの。車番は……でね。悪いけど……」

「全部は言うな、今、一助に追わせる。じゃ後は一助に直接話してくれ、一助にも言っとく」

通話を切って直ぐ三階に向かって「一助、緊急の仕事だ!」と叫んだ。

バタバタと駆け下りてくる一助に「成田空港辺りでこの車番の車探してくれ、殺人犯の幸手が乗ってる」

そう言ってメモを渡す。

「おぅ」と返事をし屋上へ駆け上がって行った。

 

 それから、一時間、二時間と一心は只管連絡を待ち続ける。

「一心、助かった。ありがとう。今、幸手の車を追跡してる。もう逃がさないわ」

それっだけ言って切れてしまった。

また呼び出しが鳴って「おぅ見つけて警部に電話入れた。今、東北道の上り線で奴の車を先頭にパトカーが七台も追跡してるから逮捕は時間の問題だわ。俺の仕事は終わったから帰る」

「おー、ご苦労さん。気ぃ付けて帰って来いよ。バッテリーは大丈夫だよな」

「あったりまえだ。常に満タンにしてるから、後六時間は飛べるぜ、でもな飛行許可取ってないからレーダーに引っかからないように帰るな」

何故かいきなり小声になる一助に可笑しくなって笑ってしまった。

 

 一心が事件解決にほっとしてコーヒーを啜っていると、静が大きなケーキを持って事務所に入って来た。

「えっ、誰の誕生日だ?」一心が訊く。

静はにこにこしながら「へぇキリストさんの誕生日の前夜祭どす」

「えーっ、あっそうかクリスマスイブだったか……おぅ一助が帰って来たら食べようぜ」

「へぇ今チキンも持ってきますよって、一助が戻ったらビールもな。ふふふ」

「銀行の事件の調査に入ったの七月だったかな、色々あったな……」一心が呟いた。

すると、その声が聞こえたのか静が気を利かせてビールをひとつだけ持って来てくれた。

 

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