第14話 金城湯地のほころび

 邦日銀行問題が連日テレビ各局で取沙汰されている最中、夜の八時過ぎに一心の探偵事務所の入口の方で

「こんばんわ」と声がした。

事務所の奥でコーヒーを啜っていた一心は遅い時間に珍しく客かと思い元気よく「はーい、今行くから座っててぇ」

事務所を覗くと能登さんだった。

「あぁ、能登さんかどうしました?」

「知っての通り、銀行が騒ぎでな。少し前になってようやく家の前から報道陣がいなくなったので散歩に出たんじゃ」

「大変だね頭取って仕事」

「行内のわしの情報源となってくれていた娘が殺されてしもうて、行員の動向が今一掴めなくなってのう……」

元気な能登さんが物憂げにトーンを落して語る。

「情報源って殺された取締役ですか?」

一心に根拠があった訳じゃない。能登さんの反応を見たくて当てずっぽうに言ったまでだった。

「ふふふ、いや、役員なんかじゃ情報源にはなり得ないよ。一行員の才川と言う頭の切れるそして曲がったことの嫌いな信頼できる女史よ」

「えっ、元警官の……どんなことを探らせてたんですか?」

「あまり大ぴらには言えんが、取締役達の部屋を盗聴させて誰がどういうことを言ってるのかを調べさせてたんじゃ」

「でも、それって違法ですよね」

「そうじゃ、だから大っぴらには出来んと言ったんじゃ。それで行内に不正行為が有るらしいことまでは報告を受けたんじゃが、惜しいことに亡くなってしまった」

「それ、警察へは?」

「それは言えんじゃろ」

「でも、その不正行為が事実だとすれば、それで殺されたかもしれないじゃないですか?」

「わしもそう思う。だが、警察には行けない」

「そうですか、それで夜の散歩に……」

「探偵さんよ。彼女はきっと何処かに証拠を、その盗聴した情報を持っとるはずなんじゃ。探してはくれまいか」

「随分と重たい話ですね。でも、近所のよしみだ、お引き受けしますよ。前に漏洩について依頼も受けてるし。そっちはさっぱり進展は無いんですが……」

「我が行は清廉潔白だと固く信じておったんじゃが、こういう時代がその牙城を崩そうとしている。いや、もう崩れ切ったのかも知れん。……時代のせいには出来んのかもしれんが、わしのせいだとは思いたくないんじゃ」

「その情報の隠し場所について何か言ってませんでしたか?」

「そこなんじゃよ。わしも色々思い返してみたんじゃが心当たりがないんじゃ……ただ、彼女が信頼できると信じたひとがおれば何か言った可能性が有るんじゃないかと思ってな、あんたに話したんじゃ」

「俺も二回ほど話しましたが、そんな深い話はしてない……」

ふと一心の頭に丘頭警部のことが浮かんだ。

「あの、彼女の警官時代の先輩から歳こそ違うが親友だったみたいに聞いたことがあるんです」

「おーその人かも知れんな。それは男か?」

「いえ、女性で現職の警部です」

「えっ、……」能登さんが言葉を飲み込んでしまった。

情報を警部に伝えていたとして、探し出したものが警察の手に渡ることになる。それは拙い事だ。

能登さんはそんな風に考えているんだろうと思った。

それで、能登さんが口を開くまで一心は待つことにした。

……

「わかった。探偵さんはその警部さんを信頼しとるのか?」長い沈黙の後能登さんが一心の目を見て言った。

「えぇ俺が多くの難事件を解決した陰にはいつもその警部がいてくれたんですよ。警部と俺達の間には隠し事は一切ないんだ」

能登さんは何度も頷いて、一心に向けて笑みを浮かべた。

「その警部さんに心当たりを聞いて情報を探し出してくれ、探偵さんも同行するんじゃろ?」

「えぇもちろんです」

優しい顔をしていた能登さんが、何か重い決断をしたように背筋をぴんと伸ばし、険しい顔をする。

「わしも良い歳になった。心も身体もメンテナンスが必要だし手術して膿は出し切らんと健康な身体には戻れんからな」

「わかりました。能登さんのその覚悟は俺達と警部でしっかり受け止め、すべての事件の裏側まで明らかにしてみせますよ」

「おぉ心強いな。探偵さん頼みます」

能登さんは深く頭を下げて帰って行った。

 

 一心は丘頭警部に電話を入れ能登頭取の話を伝える。

「一晩考えて見る」丘頭警部はそう言って通話を切った。

 

「一心、起きなはれ! 桃子はんから電話やゆうてスマホがビービー鳴いてますで」

静に身体を揺すられながらスマホを手にした。

「一心、わかった気がする。迎えに行くから一緒に行って」

一方的に言われ通話を切られた。

「なんの用事でしたん?」

「分からん。迎えに来るって」

「えーっ、ほな、はよ支度せにゃ……」

静に布団を剥ぎ取られ、手を引っ張られた勢いでベッドから落ち、その痛さで目が覚めた。

「コーヒー飲んでく」

 

 飲み切らないうちに「いっしーん! 行くぞー!」

階段を上がって来もしないで、恐らくパトカーの窓を開けて叫んでいるのだろう……うるさい。

静に尻を叩かれながら階段を駆け下りた。

「お待たせ」

覆面パトの後部座席に座ってシートベルトに手を伸ばしたところで走り出した。

「おいおい、道交法違反だぞ」

「じゃ、あとで一心とこに切符送っとくわ」丘頭警部が一緒に連れてきた若い刑事と笑う。

「で、何処行くの?」

「あら、言わんかった? 鈴子のアパートよ」

「何か思い出したのか?」

「えぇしっかりと。言われた時なんで急にそんな事言うのかなと思ったんだけど、夕べあんたから言われて、考えて、それで思い出したのよ」

「へー以外に記憶力良いんだな」

「うるさい。ほら、着いたわよ」同じ浅草だった。歩いても来れる距離だ。

既に鍵を借りてきていたみたいで刑事がドアを開ける。

「一心も、アルバム探して」

それだけ言って二人はさっさと本箱と引き出しから少々乱暴に探し始める。

「アルバムはA四サイズの厚地のカバーが付いてると言ってたからすぐ見つかると思うわよ」

警部が手を休めることなく言った。

一心は二人が探し出すだろうと思い、あるはずのない台所の扉を開いていった。

「あったぞ」

以外にも台所の天井近くの棚に一冊のアルバムが横たわっていた。

「こっちにもあったわ」

押入れの中から丘頭警部が一冊引っ張りだした。

「ここにもありました」

刑事がクローゼットの床の上に積まれた衣類の下から一冊引っ張りだした。

「で、何を探せば良いんだ?」

一心が訳も分からずに訊いた。

「なんか媒体だと思う。銀行のデータか会話か何かを記録したものよ。僅かな膨らみとかに注意してね」

一心も一ページずつゆっくり写真を撫でおうとつを確認してゆく。

「わー懐かしい!」

突然警部が叫んだ。

一心と刑事が覗くと二十年くらい前だろう故才川鈴子と丘頭警部が若々しい笑顔で写った写真だ。

「私まだ二十代かな……彼女が浅草署に配属になって三カ月くらいして仲良くなって……」

急に静かになった警部はぽたぽたと涙を膝の上に落としていた。

一心も危うく釣られて泣くとこだった。

数拍の沈黙の後「あら、何かある」

警部がしきりに写真を撫でている。

その写真を剥がすと裏面に小さな物体がセロテープで貼り付けられていた。

「それが媒体か?」

「多分。念のため三冊とも署へ持って行きましょう」

 

 署で入念にアルバムを調べると、才川と丘頭警部が写っている写真にひとつずつ媒体が貼り付けられていて、全部で二十三個見つかった。

鑑識に回してパソコンにすべてを取込んでから、警部がそう言った。

 ひとつの媒体に八時間あまり録音されていた。音のない部分は録音装置は停まっていて音がすると装置が働くようだった。

「警部、とても全部聞いてられないなぁ」一心が言う。

「必要な部分だけを別ファイルにするから、それが出来たら連絡するわよ」

一心は警部の言葉を聞いて事務所に帰ることにした。

 

 相当待ちくたびれた頃、丘頭警部から出来たと連絡が入った。

美紗に浅草署のパソコンをハッキングさせると、該当のファイルは分かりやすい場所に作られていた。

開くと、一覧表があって、日付順に分けられている。

そして日ごとに全データと関連データに分けられている。

ほぼ一年前から日付がある。

 取り敢えず今年の六月二日のファイルを開いた。

専務室で専務と椎野監査部長の声が録音されていた。会話主をメモしておく。

「監査の横里が例の秘密を知って分け前を寄越せと言ってきましたどうしましょう?」

「それは困ったな。……こっちで何とかしよう」

同じ日、今度は専務が海道取締役の息子の彰を専務室に呼びつけていた。

専務が、彰に滋賀グループ会長の孫娘との縁談が持ち上がった時、すでに恋人だった盛井淳子の妊娠を滋賀に隠したければ俺の命令に従えと言っていた。その後で

「彰くん、君に頼みがある。このひとを何とかしてくれ」

「はい、……」

彰は渋々と言った声で応じている。

恐らく専務が写真とか名刺をテーブルに置いて指示したものと思われるが、具体的に誰にどうすると言う部分は録音されていなかったし、当行の秘密についても具体的な内容は録音されていなかった。

 

 五月十九日のファイルを開くと、専務室を訪れた豪林取締役と専務の声を落とした会話が録音されていた。

「先日、システム部の皆月主査から下高が自首したいと言ってきたそうです。主査は少し待てと言ったそうですがどうしましょうか?」

「そんな分かり切ったことを一々言いに来るな。お前が判断できる問題だろう? そんな事も出来ないなら取締役を辞めてしまえ!」

一瞬、一心は海道彰殺害のことを言っているのかと思ったが、記録は五月だ、その事件とは別に何かの事件を起こした……しかもそれを専務も知っている? ……どういう事だ、犯罪の臭いがしてきたぞ。

まる二日かけてまとめられた部分だけは聞いた。重要なヒントもあったが謎は深まるばかりと言った方が良いかもしれない。

それに警察を疑う訳じゃないが一度はすべてを聞かないと重要な何かを聞き逃してるかもしれない。

毎日寝る前に時間を決めて聞くことにした。

 

 数日後、一心が阿久田専務に会おうと思い立ち、事前に丘頭警部に断りを入れると「待って、こっちも行こうとしてるのよ。多分同じ用件でね。……こっちに任せて欲しいんだけど、そうはいかぬって事かな?」

「あぁ、こっちも金貰って動いている以上、はい、そうですかとは言えないな」

「ふふっ、そうくるよね。しゃーない、一緒に行くしかないか。何時に行く?」

「そろそろ歩いて行こうかと……」

「そ、じゃパトで迎えに行くから乗って、あんた警官の振りしてて、ばれてるだろうけどさ」

丘頭警部は笑いながら言う。仕方がないので従うことにする。

 

 専務用の応接室で若手刑事を含め三人で雑談をしながら待つこと二十分。

一心がいい加減しびれを切らし人事部へどうなってるのか訊きに行こうかと立ち上がった時、専務がドアを開けた。

どかっと腰を下ろした阿久田は挨拶もせずいきなり「忙しい、用件を話せ」

相手を威圧し言動を押さえようとする魂胆が丸見えだ。

丘頭警部は手帳を見せてから厳しい視線を向け「今日は刑事事件の捜査の一環でお邪魔しました。ご存じのことは隠さずお話頂きたいと思いますので、よろしくお願いしますね」

阿久田の表情筋がピクリと緊張する。

「五月中旬頃、システム部在籍の若手行員が自首したいと上司に相談し、そのことが豪林取締役を通じあなたへ報告されています。あなたは取締役に『お前が判断できないなら取締役を辞めてしまえ』と言ってます。つまり若手行員の言ったことは当行にとって極めて重要、或いはあなたにとって極めて重要な案件だと言う事です。その点についてどうぞお話しください」

警部の話を聞き終えた阿久田は額に汗を浮かべて目が彷徨い、偉そうに背もたれに身体を預け腕組みをしているがまったく威厳も迫力も失われ、ただの頑固じじぃって感じだ。

「……」

「どうしました。阿久田専務! 言う事は無いんですか?」

丘頭警部が声を大きくして言った。きっと人事部まで聞こえただろう。

ドアが開き女性行員が二人お盆にお茶碗を載せて入って来た。

一心は良いタイミングだと思った。室内の様子を窺うこともお茶出しの目的のひとつだと教育されているのだろう、さすが大手の銀行だ。

……

女性が一礼をしドアを閉める。

それを見て阿久田が話を始めた。

「私は、行員から個人的に相談された問題を部長や取締役の段階で解決できなくてどうすんだ! と言う積りでそのような事を言った記憶はあります。当行の問題でも私の問題でもない」

「あなたは、どうして個人的な問題を相談してきたと思ったんですか? 具体的な話を聞いていたのかしら?」

「当行に問題がない以上、個人的な問題と捉えるのが常識だろう。具体的な話は聞いていないし、私がそう言った時に豪林は反論しなかった」

「ほー当行に問題がないと誰がいつどうやって判断したんでしょう。警察が行員さんに聞取りをした結果では多くの問題が当行にあるとの証言を多数得ていますよ」

「……」

「それから、別の日、海道取締役の息子さんの彰さんを、ここへ呼びつけて、『恋人の妊娠を滋賀さんに知られたくなかったら、俺の命令を聞け』と仰ってます。これは恐喝に該当する可能性があります。どうしてそのような事を言ったのか? どういう命令をしたのか教えてください?」

「……そんな事を言った記憶はない」

阿久田はそっぽを向いて呟く程度の声で答えた。

「じゃ、彰さんをここへ呼びつけた理由は?」

「良縁のお祝いを言おうと……」

「へー、お祝いを言うのに、取締役にじゃなく? 息子さんを呼びつけてまで言う事じゃないでしょう。口から出まかせ言って通じると思ったら大間違いよ!」

丘頭警部があまりの大声で怒鳴るので横にいた刑事と一心は一生懸命に宥め役にまわる。

……

一呼吸おいて丘頭警部が静かに話始めた。

「下高さんは、あなたに恋人の杉田彩花さんとお腹の子を殺されたと言ってます。それであなたに食ってかかった。専務室に怒鳴り込んだと言ってます。その後、彰さんに殺されそうになったけど、素早く察知し逆に彰さんを殺してしまったと自首してきました。あなたが彰に殺害を指示しなければ彰が下高さんを殺そうとする理由は何処にも存在しない。ただ、彼も邦日銀行に存在する問題を話せないと言ってる。無いとは言わなかった、言えないと言ったんだ。彼の上司も行方不明になったまま、行員が数名探し回ってますね。その行員が誰かも分かってます」

「私は何も知らない。長い間私は邦日銀行の発展の為だけに尽力してきた、多少の無理もあったが警察の世話になるようなことはしていない。もう良いだろう、来客の予定がある」

阿久田はそう言って腰を上げた。

「良いでしょう。今度は令状を持って警察署でお話を聞きますから、首を綺麗にしといて下さいね」

丘頭警部が不気味な笑みを浮かべて言った。

「あれは真っ黒だな」

一心が呟く。

「もち、裏付け急いでる。今日は様子見だからさ」

警部も立ち上がった。

 

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