第13話 女の怒り

 阿久田寿衣(あくた・すい)は専務より六つ年下で今年還暦を迎えたばかりだ。

二十代で夫匠と結婚し程無く妊娠したが、流産してしまいその時に医者からもう子供を産むことは出来ないと言われ、ショックで数週間寝込んでしまった。

 その頃の匠は優しく国内外への旅行に連れて行ってくれたりしたが、やがてほかの女に目が行くようになった。

 寿衣は子供を産めないと言う女としての引け目と夫への負い目があって、見て見ぬふりをしてきた。

 両親が健在の時には、離婚したいと事情を打ち明けたりもしたが、両親とも昔の人、辛抱しなさいと宥められていた。

 

 しかし、杉田彩花の場合は別だった。ある取締役の奥さんがわざわざ彼女が妊娠したと伝えてくれたのだった。

寿衣は悔しかった。

自分には叶わぬ女の喜びを愛人が……そう思うと腸が千切れるくらい悔しい。

それで最近夫が妙に寿衣に優しかったり、手土産を買ってきたりするんだと得心がいった。

考えた抜いた挙句、寿衣は本店に電話を入れ、杉田彩花を呼び出した。

夫のいない平日の昼食を二人でと自宅に誘う。

食事は店屋物にした。

さっさと食べて、言いたいことが口から零れそうなくらいあった。

杉田と言う女は以外に落ち着いていて、寿衣の目をしっかりと見てくる。

「なんだこの女、愛人のくせに」と思う気持を飲み込んで平常心の振りをする。

もちろん、何の用件で呼ばれたのかを愛人も分かっているはず。

 

 食事を終え、お茶を飲みながら、愛人となった経緯や妊娠のことを訊いていった。

「お腹の子は恋人の子供で、銀行を一緒に辞めて田舎で漁師をしながら育てる積りです」女が言った。

とても信じられなかったが「もう少し子供が大きくなったら、DNA鑑定が出来るようになるのでそしたらその結果をお持ちします」とまで言う。

愛人になった理由をはっきりとは言わなかった。夫はそんなに良い男でもないし、喋りが上手い訳でもない。

部下に慕われているような話もあまり聞かないから不思議だった。

 寿衣はすでに別れていることだけを確り確認し、銀行以外では二度と会わないと約束させた。

DNA鑑定結果も教えるよう約束させた。

それで女を帰したのだが、信用しきっている訳ではなく、探偵を使って調べさせようと思っていたのだった。

 

 その夜、夫に愛人を自宅へ呼びつけ子供の話を聞いたと告げた。

女は恋人の子だと言っていたと告げたが、夫は自分を脅すつもりで下ろさないんだと主張した。

下ろさせるから許してくれと土下座した。

「仮に、あんたの言うようにお腹の子があんたの子で、女が産むようなことがあればあんたにはこの家を出ていってもらうし、当然、離婚して父親に会社のメインバンクをほかの銀行にして貰うからね。ついでにあんたも専務じゃいられないようにしてやるから」

大手電力会社の社長を務める寿衣の父親は、寿衣がまだ幼い頃に妻を亡くし、それ以降一層寿衣を可愛がるようになってその望みをなんでも叶えてきたのだった。

その事を知っている夫は青くなって「絶対に下ろさせる。心配いらない」そう言って自室へ逃げて行った。

 

 翌日、早速父親に愛人の話を唾が飛び散るほどの激しさで訴え、銀行に圧力をかけて貰った。

 

 その数週間後だった。その愛人がホテルの一室で自殺したと言う報道を目にした。

「えーーっ」思わず声を上げてしまい家政婦に何事が起きたのかと心配をさせてしまった。

寿衣はまさかとは思いつつも、少なからず夫を疑った。

その疑いは数日で晴れたが、それ以降も警察が来たり探偵がきたり、夫が誰かを使って愛人を殺したと言う線を調べているようだった。

「あんた、本当に殺してないの?」寿衣は夫を直接問い詰めた。

「バカな事言うな。俺は関係ない」そっぽを向く夫を信じ切れなかった。

「じゃ何故あの女は殺されたの? 他に理由なんてあるの?」

「何で俺がそれを知らなきゃいけないのよ」

「あんたの愛人だった人でしょ。普通の付き合いじゃないんだから、色んなこと知ってんじゃないの。隠さないで言いなさいよ」

「だから関係ないって言ってるだろう」

「そんな事言ったって、あんたの後ろに若い女の影がぼんやり見えてるわよ」

「えっ」寿衣の言葉に夫は真っ青な顔をして後ろを振向いた。

「誰もいないじゃないか」そう言って息をふーーっと吐き出した。冷や汗まで掻いている。

「何そんなにびびってんの? 心当たりがあるからじゃないの?」

寿衣は冗談のつもりで言ったのだが、夫の反応は真に俺がやりましたと自白したようなものだ。

「やっぱりあんたが殺ったんだね」

「何回訊かれても殺ってないものは殺ってない! 証拠もないくせにしつこいぞ!」

「何言ってんのここは警察じゃない。証拠なんていらない、私がそう判断したって事よ」

 

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