第12話 SNSの恐怖
下高逮捕のニュースが翌日二十六日に流れると、邦日銀行への不信感を煽るようにSNSに「顧客情報漏洩が銀行内で組織的に行われ、それを告発しようとする者と隠ぺいしようとする者の対立が激化し多くの命が奪われてきた」と言う内容が流され同調する声がネット上に溢れた。
そして月が開けて三日日本中の邦日銀行の本支店窓口に顧客が殺到した。
特に本店前には開店前から玄関前の歩道を埋め尽くして足りないくらいの人々で溢れ、自動ドアが開くと同時に雪崩れ込んだ。
番号発券機は床に落とされ直接窓口の女性に唾を吐きかけるように何冊もの通帳や証書を差し出し「全部解約して頂戴!」老若男女を問わず怒鳴りつけている。
女性行員が「順番に、番号順に……」叫んでも顧客の怒号は大きくなるばかりで、ロビーに入り切れない顧客の一部は車道にまではみ出して車が渋滞してる。
その中を報道機関のインタビュアーがマイクを高々とかざして「通してください」とか「ここへ来た理由は?」とか叫びながら周囲の人々にマイクを向けようとしている。
カメラはと言えば人に流されインタビュアーとは無関係に万歳をした格好で銀行のロビーの中の様子を写し続け、あるいは歩道から玄関の方向を写したまま動かない。
一心はテレビのチャンネルを変えながらそんな様子をにやにやしながら観ている。
しばらくするとパトカーだろうサイレンが聞こえ、数多くの警官が道路の反対側から通行中の車両を停止させ玄関目指してやって来た。が、あまりの人混みでそれを割って進むことができずに右往左往するばかりだ。
「なぁ静、これって取り付け騒ぎって奴か?」
「あて、よう知らへんけど、日本史で明治とか昭和の時代やろか、そういう事をなろうた記憶がおますな」
「すげーな。警察もどうしようも無いんじゃないか?」
「ほーでんなぁ。桃子はんも駆り出されてるんちゃうかな?」
「あー調べたら昭和二十年代に金融恐慌ってのがあってその時にそんな風になったらしいぞ」
「発端はSNSかいな?」
「あぁそんなこと解説者が言ってたな。今の世、預金が無くなるとか無いのにな。無知な人ほどそう言うデマに踊らされるってことだな」
「でも、ほんまにうちの預金は大丈夫なんかいな?」
「えっ、家も邦日銀行に預金あんのか?」
「ふふふ、何言っとりまんの。家のメインバングでっしゃろが」
「えっ、そりゃ大変だ。静すぐ金下ろしに行くぞ!」
「何ゆうとりまんの。あんはんがたった今無知の人が慌てるてゆうたばかりで、自分が慌ててどないしますのんや」
「あっそうだったな。ははは」
二日が過ぎ、三日目になると報道される時間も短くなったし、玄関前に群がる人々の数もぐんと減って平静を取戻しつつあるようだ。
そうなると再び報道のカメラとマイクが目立つ。
邦日銀行に入ろうとする人、出てきた人にマイクを向ける。
預金を下ろしに来たと言う人もいるが、会社の用事で毎月来ていると言う人は、「何慌ててるんだか、預金が無くなるとか今時有る訳ないのに」と冷静だ。
「テレビを観ている人たちは、報道機関がこうやって群がってくるから慌てるんじゃないのか? 冷静なコメントを専門家とかに喋らせたらこんな騒ぎにはならなかったはずだ」
インタビュアーに苦言を呈する人もいる。
「海外では邦日銀行ばかりじゃなく日本の銀行全体の信頼性を疑い、他国の銀行へ預金を移し替える人が通常の数十倍にも上っている」とニュース番組は報じている。
そして「金融庁はこの事態を重く捉えてすみやかに対応する」とした金融庁の会見での発言を取上げた。
ところがその頃からSNSで邦日銀行を誹謗中傷する動画などの投稿が増加している上、「預金保険機構は今回の事態を重く見て、邦日銀行の預金を保険の対象外とすると発表した。そのため邦日銀行は一気に預金を引出され、運用資金が底を突いて融資や投資ができなくなって収入が途絶え半年後には破綻する」とか「政府日銀は銀行内の組織的な犯罪により窮地に陥っても救済しない」などのフェイクニュースも溢れ、それらを闇雲に信じて窓口へ走る客が再び増えてきたとテレビ番組は伝えている。
さらに「行員が顧客情報を闇業者に売却して懐を潤している。行員から金を返して貰うべきだ」などの行員を個人攻撃する投稿も多くなり、退行しようとする行員が暴漢に襲われたり、周りを取り囲まれ脅されたりしたため出勤しなくなり開店できない店舗まで発生したようだ。
*
能登頭取は緊急に取締会を招集し努めていつも通りの口調で話す。
専務、常務に五名の取締役を加えた八名が株主総会で認められた経営陣だ。その下に業務毎に二十三名の業務執行役員がいる。
能登はこれまで十分な態勢だと認識していたが、漏洩事件と行員役員や関連会社役員の殺害事件を通して管理態勢の脆弱性を目の当たりにし怒りで爆発しそうであった。
「君たちの現状の認識を順に聞かせてくれ」能登はそう言って専務に発言を促した。
「漏洩については有り得ないと思ってます。何件も発生した事件については残念な事だと思います。しかし、行内にその要因は無く個人的な問題だろうと思っております」
「阿久田専務、漏洩が無いとどうして言い切れるんだ。根拠は?」能登が問い詰める。
「いえ、これまでも漏洩など発生していなかったし、システム部への入退室のセキュリティは十分なものかと」
「君は何も調べもせず、これまでそうだったからそうだと断言するわけだな。バカもん!」
能登は専務と言う立場の人間がこんな情けない回答しか出来ないのかと思う。
「現に、わしの知合いは当行のシステムにハッキングしデータベースを閲覧しただけでなく、ログまでも参照したと言っとるぞ! それに亡くなった本店の杉田彩花さんは阿久田くん、君の愛人だったと関係筋から聞いとるぞ」
「えっ、……事件は杉田と別れた後の出来事でして……」
阿久田の言訳に一層腹が立つ。「だからなんだ。当行の従業員と関係を持つとは一体全体どういう神経をしてるんだ。……君には専務職は務まらんようだな、取締役については株主総会に報告し進退をあきらかにしよう」
「頭取、そんな不倫くらいで……」
「阿久田くん、不倫くらいでと言うな。相手の事も少しは考えたらどうだ。奥さんは知っているのか?」
「はい、家内が杉田くんを呼びつけて別れることに……」
「ははは、君は銀行の経営者には向かんな。奥さんのしもべとして扱使われる従業員の方が向いているようだ。ほかに、不倫をした或いはしているものはいるか。今手を上げず後刻判明したものは即刻解雇だそのつもりで手を上げてくれ」
能登はしばらくメンバーの顔色を窺っていた。
数名が手を上げた。顔色を変え俯いたまま手を上げないものもいる。
「富川(とみかわ)くん。君は手を上げないようだが、不倫をしていないという事で本当に良いのか? わしがこの様な場で何も裏付けも無しで言うと思っとるのか? これが最後の問いだ。この中で不倫をした或いはしている者はいないか?」
富川が手をそろそろと中途半端にあげる。
「富川くん、その手は上げたと言う事で良いんだな」
「はい、……いえ、私は不倫じゃなくて女遊びと言うか……」能登には富川の語尾がまったく聞こえてこなかった。
「富川くんはっきり言いたまえ。行員にはやたらデカい声で怒鳴りつけて、それをハラスメントだと言ってるものが複数いると関係筋から聞いとるぞ」
富川取締役が喪失感を身体一杯に表し「メイドカフェにはまっちゃって妻から離婚訴訟を起こされて……」
「ほー離婚訴訟ですか……あなたも経営者には向かないようだ。どうです、いっその事ご自分でメイドカフェを経営してみては、そうしたら好きなだけメイドさんに遊んで貰えますぞ」
能登は嫌味の積りで言ったのだが、がっくり肩を落して俯いた富川の頬に流れる一筋の涙を目にした。
周りで微かな失笑を買っている。
「本店長、あんたは業務執行役員として店舗営業戦略の中心的存在な訳だが、行員に『親の死に目に会えないのは当たり前だ』と常日頃言っとるそうだな。それにセクハラも。そんな風に関係筋の人間から複数の行員が証言したと聞いとるが、何か言う事はあるか?」
能登が迫ると怒りを顔に浮かべた東川(あずまかわ)は、
「私は厳しく指導したまでです。セクハラは心当たりがありません」
「ほー、親の死に目に会えない程仕事をさせることが厳しい指導だと? そのどこが仕事の指導なんだ。私はそんな人情の欠片もない様な銀行にしたつもりはないしする積りもない。人が会社を作るんだよ。あんたの言う様な会社で誰が働きたいと思うんだ。身内が亡くなった或いは危篤だと聞いたら『すぐ帰りなさい』と言ってあげるのが筋だと思うが、ほかのみんなはどう思う?」
「頭取の仰る通りだぞ、東川、お前間違ってる」複数のメンバーがそう言う旨のことを発言した。
「もうひとつ、東川くん、行員が不要な顧客照会などを行っている事実はないか?」
「漏洩と言う事ですか? そう言う報告は受けておりませんが……」
「君はその報告を誰から受けたんだ?」
「ですから、大量に照会しているという報告を聞いたことが無いと言う意味ですが」
「じゃ、誰かがそう言う照会をしていても、上司や同僚が気付かなければ、君に報告は無いよな。君は、行員の行動について管理職にどういう指導をしてるんだね」
「……特には、……管理職は管理規定に基づいて管理しているものと思っておりますので……」
「結局、君は自分の目では何も見ず、管理者任せなんだな。……例えば、過去の他行事例では、行員が顧客との話の流れで各種の照会票を印刷し、面談後それをゴミ箱へ廃棄。その後回収され業者が焼却場で処分するはずだったがどこかで漏れたと報告されている。そのため数年前行内に注意喚起文書を流したはずだ。今回の漏洩はまさにそう言う事例と考えることは出来ないのか?」
「ルール通りに行員が行っていればそのようなことは無いかと……」
「ふふふ、もう少し神経を使えよ。行員の尻を叩くばかりがあんたの仕事じゃないだろう。実績と管理は両輪とわしが常々言っとるだろうが。それと見たければあんたのセクハラ行為を捉えた監視カメラの映像、わしの部屋に来たら見せてやるぞ! あんた自身ルール通りにやってないくせに部下のせいにしおって、業務執行役員を務める資質が無いという事じゃな」
その言葉に東川は顔色を失い小さく「申し訳ありませんでした」
その後も能登は次々に叱責を続け、三時から始まった取締役会は午後五時を過ぎても続いていた。
不倫をしていたのは、加苅繁(かがり・しげる)常務取締役が人事部の黄海佐知(おうみ・さち)と、
富水(とみず)取締役が新宿支店長の梅木紅羽(うめき・くれは)と、
佐苅(さかりべ)取締役は経済産業省の国際経済課長伊那秋穂(いな・あきほ)となど過半の取締役と少なくない数の業務執行役員などで、夫々情けない顔で吐露した。
能登はあまりの多さに愕然とし、即刻粛正を厳しく求めた。
「最後に、海道くん。息子さんのこと気の毒に思うが、当行に与えた影響は計り知れないものがある。滋賀さんへの謝罪はしたのか?」
「はい、葬儀にも来ていただいたので二回ほど会長の所へ行って頭を下げて来ました」
「で、会長はなんと?」
「残念だと。それより漏洩問題はどうなっていると心配されておりました」
「ふむ、君は何と答えたんだ」
「漏洩は無いと。ただ、心配をお掛けして申し訳ないと頭を下げました」
「内々だが、会長とわしは懇意にしとってな、それで滋賀グループ内ではメインバンクを変えるべきだとの声が強いそうだ。向こうにも派閥が幾つかあってな、反会長派が特にそう言っとるそうだ。どうしたもんかな?」
「広報活動が重要かと……」広報の担当執行役員が言う。
「そうじゃな。だが前回みたいな言い方じゃ反って反感を買う。次回やるなら事前に公開文書をわしに見せてくれ……あーそれと、SNSへ投稿された不適切な動画等の削除などもやってくれよ」
「はい、そこは現在先生に相談しております」
「うむ、早急にな。それと報道によれば行員が出退行する際、顧客に取り囲まれたり暴漢に襲われたりした事例があるそうだが、場合によってはマイクロバスでも借りて送迎することも検討してくれよ」
能登はこんな事まで言わないと動かない取締役らに嫌気が差してくる。
*
「せや、一心! 室蘭のトリックわかりましたで」
静が夕食の途中で突然大きな声を上げて言った。
「あーびっくりした。なによそんないきなり大声で、どのトリックが分かったって?」
一心はいずれ美紗がマッチングアプリでそのホテルへ出入りした行員を発見し一件落着と思っていたから何の事だかさっぱり。
「せやから、海道彰はんが四時にふたりを殺害して五時に大沼の温泉にいることは可能だっちゅうこってすわ」
「だって、室蘭から大沼温泉ホテルまでは一時間半もかかるんだぞ」
「せやから、そのトリックが分かりましたゆうとんのどす」
「へぇ、どんなん?」美紗も首を突っ込んできた。
「あのな、室蘭駅と大沼駅は鉄道と道路は大体百四十キロあるんやけどな、大沼近くの森ゆう町までは直線で三十キロでモーターボーだと約三十分なんやて。森から大沼までは二十キロほどで電車で二十分くらいや」
そう言って静はスマホのメモを開いて食卓テーブルに置いた。
そこにはこう書かれていた。
――
ホテルから室蘭港まで徒歩 十分
室蘭港発(モーターボート)十五時五十分
森港着 十六時二十分
森港から森駅(徒歩) 数分
森駅発(特急) 十六時三十分
大沼駅着 十六時四十八分
大沼駅から温泉ホテルまで徒歩 七分
――
「だがよ、死亡推定時刻が十六時から十六時半だぞ、十六時に殺害したとしてホテルを出てボート乗り場に着くのが十六時十分、森港着十六時四十分となるだろう。その時には特急は森駅を発車してるからタクシーだと何分かかるんだ? 調べた?」
「へぇ、えーっと、タクシーで森港から大沼温泉のホテルまで二十分やな」
「そうすっと、えーっと、ほぅ十七時にはホテルに着けるな。着けるが……でもギリギリだな。これは確かめないと警部には言えないな……」
「そうどすか、無理どすか?」
せっかく調べたのにと静は思ったのだろう。しょげる。
一心の心を一番苦しめる静の姿だ。
「静、実証実験だ。手配してやってみよう。可能かどうかはその結果次第だ。そうがっかりすんな」
静を慰める積りで言ったのだが、子供ら三人とも目を輝かせて手を上げている。
「ここは、言い出しっぺの静だろう」
一心が言うと三人はしょげる。
その姿を見て「あては色々おますさかい、子供らに行かせて欲しいわ」一心に向けてウインクをする静を見て「あぁ綺麗だぁ」思わず呟いてしまう一心。
「こら親父、でれでれすんな。ぼけっ!」
「こら、美紗、てて親にそないに言ったら可哀そうやおまへんか。室蘭へ行かせてもらわらへんで」
静にソフトに叱られたからなのか、室蘭行きを意識してなのか、美紗がしゅんとする。
「船舶免許を持ってる一助と……そうだ、彼女、三条路彩香ちゃんと行ってこい。嫌か?」
一助は顔を染めて「大賛成だ。いくいく。久しぶりの旅行だ」
「ただし、七月の事件前後のボートのレンタル状況と森と大沼間の時間測定もしっかり確認して来いよ。そっちが目的だからな。何時行くかは彼女と相談して決めて良いから、二泊以下だぞ」
一助はすかさずスマホを片手に姿を消した。
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