第9話 密室

 一心は静に皆月宅の状況を訊いた。

皆月らしい人物は写っていないと言う。

「ちょっと、様子を見に行ってみないか?」

一心は静を誘った。久しぶりにどっかで飯でも食いに行きたいという気持も少しばかりあった。

「へぇ、で、何食べますのん?」

「えっ違うよ、様子を見にだな……」

一心が言いかけると「親父無理すんな、たまに母さんとデートしたいんだろう? そう言えや」

美紗にずばっと言われる。

「えっ、どうして分かるんだ?」

「親父、鼻の下伸ばしてっからだ。へへへ」数馬にもバレバレのようだ。

「おっほん、どうする静行くか?」

威厳を保ちたくて咳ばらいをしてみるのだが、みんなにたにたしている。

「へぇ、じゃ、あと頼みまっせ」

静がそう言って一心の腕を取り出掛けることになった。

久しぶりにふたりでの食事を満喫した後皆月のアパートへ行って冴子夫人に会ってみると、前回会った時より気持明るくなった気がした。

夫から連絡は無いと言う。

そこに娘が帰って来た。元気一杯だ。

大きな声で挨拶して「遊びに行ってくる」叫ぶようにして母親の静止を振り切って行ってしまった。

しばし世間話をして辞去する。

「なぁ、どう思う」一心は静に訊いてみた。

「へぇ、明るぅなりましたな。母子共々……」

「何かあったか? 連絡がとれたか?」

「そうでんなぁ。あてもそのどっちかや思いますわ」

「どっか近くに部屋でも借りて、外で会ってるのかな?」

「そやな、だからカメラには写らない。せやけど、奥はん出掛けるの、買物くらいやけどな……」

「そっかぁ、……じゃ、買物の時尾行してみるか?」

「へぇそれがえぇ思いますわ」

ふたりで冴子が日頃買い物に行くと言うスーパーの近くのカフェで待つことにする。


 薄暗くなっても姿は見せなかった。

「これは、数馬らに頼んだほうが良さそうだな」

翌日から、冴子の出掛ける姿を監視カメラが捉えたら、数馬か一助を現場へ急行させることにした。そのアパートまで自転車で七、八分の距離で、そこからスーパまでは徒歩十分と言ったところ。

 

 その翌日の午後三時半、冴子が出掛けた。

「数馬! 行きなはれ」

静が事務所から三階に向かって叫ぶ。

ドタバタと事務所へは寄らず真っすぐ階段を駆け下りて行った。

二十分後、数馬から、スーパーに着いたら冴子は買物をしていたと報告がきた。

そして一時間後、冴子が家に帰ったと連絡してきた。

はずれだった。

 買物へは一日おきに行くようだ。時間もだいたい決まって三時から三時半に出て、五時前には家に着いている。

そんな状態が三週間続いた。

「なぁ、みんなどう思う?」

一心が家族を集めて皆月家のことを話題にした。

「外で会ってないんじゃねーか」

美紗があっさりと答える。

「まだ、調査期間短いんじゃないか?」

数馬は疑い深いというか慎重なタイプだからこういう場合はいつもこういうやり取りになる。

「外でおうてないんやったら、どないしてはるんやろ?」

「電話だけで満足してんじゃねぇの」

確かに一助の言う通りで、それ以外考えられないと一心も思った。

「ほなら、一助は彩香ちゃんと半年も電話とかテレビ電話だけで満足できまっか?」と、静が言った。

三条路彩香は一助の恋人で、その母親は川で溺れ自らの命と引き換えに彩香を産んだのだが、母親の兄が事故現場にいた一助の父親を誤解して憎み、幼い一助の目の前で一助の母親まで殺害するという悲しい事件を起こしたという因縁がある。

ふたりは付き合うようになってからその事実を知り一旦は別れたのだが、互いに忘れられず話し合いふたりでその辛い過去を乗り越えて付き合いを続けることにしたのだった。

だから、その結びつきは強くそろそろ結婚と言う話が出るのではないかと一心は静と話していたのだ。

「俺は、我慢できんな。彩香もそうだと思うぜ」少し考えこんでから一助が言った。

「せやろ。せやねん。あてかて一心と電話だけだなんて我慢できしまへん。一心もそやろ」

静かに顔を覗き込まれ一心は頷く以外の返事の仕方を想像出来なかった。

「んー、じゃ昼は傍目もあるから夜こそっとってのは考えられんか?」と、数馬。

「だけどよ誰も出入りしてないのに無理無理」確かに一助の言う通りだ。

「じゃ、ベランダの非常階段で一階まで行って、庭に飛び降りて抜け出すのは?」

「ほー出るだけなら美紗の考えで良いと思うが、帰りは? 庭からベランダへは無理だぞ。それが出来るくらいなら泥棒が自由に出入りできることになっちゃう」

話は終わらず、少し時間を空けてまた話そうという事にした。

 

 二週間が過ぎて、「やっと見つけたぞ。才川さんを尾行してる奴」美紗がそう言って事務所に入ってきた。

一心がその映像を見ると、ひとり目は大柄でがっちりした体形の男、二人目は背は高いが痩せ型でちょっと足下が覚束ない、三人目は中肉中背でがに股歩きに見える。三人ともフードを被っていて顔は殆ど見えない。

ひとり目と三人目は革手を履いている。

ひとり目は黒のパーカーにデニムパンツ姿で、二人目と三人目はスーツに見えるパンツにウインドブレーカーを羽織っている。三人とも真夏のこの時期には相応しくない格好だ。

映像の中で三人の歩くスピードは才川と同じだ。

何回か繰り返し見ていると三人目の男は眼鏡を掛けているようだ。一瞬だが目の辺りが光った。

場所は才川の自宅のある浅草雷門から南へ通ずる道と向島のショッピングモール、それと銀行近くの道の三カ所で時間は退行時刻から午後九時の間。

「これから、歩行マッチングアプリで行員とマッチングかけるから特定出来たら報告する」

美紗はそう言って三階へ姿を消した。

たまたまということも有るかも知れない前提で丘頭警部に話に行こうと腰を上げた。

 

 調査の進展も無く、邦日銀行に関わる新たな事件の発生もなく九月が終わった。

しかし、まだまだ残暑というには遅すぎる十月十八日この日も朝から暑い。

いつものように一心がテレビニュースを見ていると

「……次は邦日銀行の取締役が荒川で水死体で発見されたニュースをお伝えします。……」

一心はドキッとした。死んだのが面談したでシステム部の担当取締役豪林冨次だったからだ。

死因は溺死、前日の二十二時から二十二時半が死亡推定時刻のようだ。

特段の外傷は無く酔って足を踏み外したか? とテロップには書かれている。

キャスターは情報源をはっきり言わないで、豪林が不倫や派閥対立など人間関係が上手くゆかず心労のあまり飲み過ぎたのではないかと喋っている。

即、丘頭警部に電話を入れた。

「奥さんも取締役らも豪林が心労で飲み過ぎなんて有り得ないと言ってる。どちらかと言うと相手に心労を与え自身はのうのうとしているタイプだと口を揃えてるわ」

「だろうな、俺も話したけどそう言う印象だった。で、他殺なのか?」

「爪に繊維片が付着してたから犯人のものかもだけど、肺も胃も荒川の水だったから、川で溺れたのは間違いないようね」

「ふーん、奴は泳げなかったのか?」

「いえ、百や二百は泳げると奥さんが言ってた。ただ、アルコール分も検出されてるからどうなのかは疑問ね」

「ほー心臓発作が起きたわけでもないんだな?」

「えぇ解剖結果でも心臓に異常はまったく認められていないわ」

「すべって川に落ちたらそばに生えてる草でも木の枝でも掴みそうな気がするが……」

「掌には傷は無かった。それにその辺りは護岸工事されてて落ちても上がれると思うんだけどね……酔ってたってことなのかな?」

「ふーん、事件解決の糸口は爪についてた糸ってか」

「ばか言わないでよ。忙しいんだから、ふふふ」

「路上の監視カメラは?」

「今、周辺の確認してる」

「こっちで見なくて良いか?」

「ほかにあれこれ頼んでるからそっち優先して、終わったら頼むかも」

 

 翌日の夕方、丘頭警部が弁当持参で事務所に姿を出した。

「あー疲れたぁ……」

警部には珍しく弱音を吐いてる。

「あら、珍しい。桃子はんが疲れたなんて、何かおましたのんか?」

「あぁおましたんや。事件がまた起きて、とんでもないことが分かった。ちょっと腹減ってるから食べながらで良いか?」

丘頭警部は喋りながらすでに弁当に箸をつけている。

静がお茶を運んでくる。

「あぁ悪いね。……新宮結斗(にいみや・ゆいと)と言う三十三歳の独身男が一戸建ての家で腹を刺されて死んでいるのが見つかったんだ。昨日の午後一時から一時半が死亡推定時刻なのよ」

「何、真昼間の殺人か?」

「そ、杉並区の西永福駅近くの一軒家で鍵がかかっていて密室だった」

「なんだ、邦日銀行の行員じゃないんだ。それに警部んとこの管轄外じゃないか」

一心はそんな関係無さそうな話がどう展開して警部のところへ転がって来たのか気になる。

「それがさ、その男の勤務先が渋谷にある染井キーピング(株)って会社で、鍵やカードキーの製造メーカーなんだ。その業界の大手らしいの。で、鍵だから製造を厳しく管理していて悪用出来ないようにしてきたんだけど、新宮が申請なく鍵を一個作ったとうちの署にそこの社長が届けてきたんだ」

「どうして警部のとこなんだ? 管轄は渋谷署じゃないのか?」

「一心の言う通りなんだけどさ、その鍵、どこの鍵だと思う?」

「えーー? 死んだ男の家の鍵?」

「静はどう思う?」

「浅草署の管轄で起きた密室殺人事件のあった部屋の鍵やおまへんか?」

「正解! 静の言う通りなんだ。だからうちに来たのさ」

「だとすると、んー、そっか、本店の杉田彩花が殺害されたホテルの部屋の鍵か?」

「そうなのよ。それで密室の謎が解けたのよ」

「でもよ、その新宮が杉田彩花を殺したんじゃないんだろ?」

「彼のアリバイとか誰かの依頼でその鍵を作ったのかとか、これから捜査を始めるとこなのよ……そうでなくてもひとつも事件解決できてないのに、また起きちゃって……。ま、それでここに愚痴を言いに来たって訳」

「桃子はん大変やなぁ、何か手伝う事おますか?」

「さすが静は優しいね。ね、一心」

「俺だって今そう言おうかと思ったところだ」

「そう、なら新宮と接触した邦日銀行の行員がいないか調べて、こっちはその部屋に事件の前に泊った奴を調べるから」

「おぅ分かった」

「あっ言い忘れてた。その新宮を刺したナイフが特殊で値段も結構するものらしいんだ。サバイバルナイフの種類なんだけど、業者の話しだと店頭には置いてないから注文を受けてから発注するので、恐らく買った店が分かれば購入者は特定されるだろうってさ」

「おーそれはナイスな情報だ。頑張って都内走り回ってくれ」

「えぇ、都内に百三十店舗しかないから一気にやっつけるわ」

「へへへ、随分強気だな」

「えぇ、後、テレビがつけっぱなしだったことと犯人は刃先を上に向けていて、刺してから心臓に向けてさらに差し込んでることが分かったの」

「つまり、強い殺意があったか、プロの仕業と言う事か」

「今分かってるのはそんなとこね。じゃ、頼むわよ。ついでに密室のトリックも考えて、得意でしょ」

食い残した弁当を静に預け、疲労感に満ちた顔で無理に白い歯を見せて丘頭警部は出ていった。

 

 

 警部が帰ってから間があって涼しくなってきた夕方、食事の用意ができるまでと思ってテレビを観ていると、邦日銀行前から生中継だと言って、インタビュアーが大ぶりのマイクを握りしめて退行する行員を掴まえては口元に無理矢理マイクを近づけ話をさせようとしている。

「……このところ邦日銀行の行員心中事件や自殺、さらに荒川で水死事故などが続いていますが、どう思われますか?」

行員のほとんどはマイクを押しのけ走って行内へ逃げるが、中にはインタビュアーなどをぞろぞろ引きつれたまゆっくり歩いているつわものもいる。

結局は誰からも話を聞けずに生中継は終了した。

そしてスタジオから「行員は誰も口を開こうとしません。何を隠しているんでしょうか? 疑問が膨らみます……」

一心は何をバカな事言ってんだと腹立たしくなる。

「なぁ静、報道の自由だとか言って、無断で顔をアップで写して無理矢理マイクを口のとこへ持って行って喋れって言われて、喋れるか? 俺は、それを暴力だと思うけどどうだ?」

静は手を休めることなく動かしながら「せやねぇ、あてはテレビに写るゆうだけでよう喋れんわなぁ。あんはんなら言わんでもえぇ事までぺらぺらと喋らはる思うけどな、ふふっ」

「俺はそんな喋らんぞ。それによ視聴率を上げてくれそうな芸能人がいる会社に社会的に問題視されるようなことがあっても知らんぷりしてるくせにな……」

「せやかて、放送局は視聴率上げんとスポンサーがいのうなってしもうて会社やってかれへんやろ、一心みたいにゆうたら可哀そうやおまへんか?」

「静は優しいからそう思うんだろうな。けどよ国営放送局までそうなんだぜ、無理矢理視聴料取ってるくせにだぞ」

「せやろか、あてはちごぅ思いますけどな? あんはん国営報道局のあの課長さんでしたかいな、誘拐事件の時にお世話になった十勝川洋郁(とかちがわ・よういく)はんにでも久しぶりにおうてきはったらどないです?」

「えっ、あーあの事件の時の彼女な、確か報道局のキャップとか言われてた、良い人だったな。そん時だよな警視庁捜査課の万十川(まんとがわ)課長と知合ったのも……」

「へぇそやわ、えらいかっこのえぇお方どしたわ」

「あぁ言う人物をみたら、あんなインタビューの仕方はしないだろうと思うぜ、若い奴らが暴走しちゃうのかな」

「へぇあんはん同じでしたやろ、若い頃、夜の街でよう暴走しはって、何回もあてのパンチをあんはんのお腹に叩きこも思いましたんやでぇ~」

静の料理をする手が止まって、優しい二重瞼の目が徐々に三角のボクサーの目付き、いわゆるボクサー色の目に変って行く。

「あっ、俺ちょっと美紗の進捗具合見てくるわ」

一心は慌ててその場を逃れ美紗の部屋に駆け込んだ。

「いきなり入ってくるな! ぼけ親父っ!」

美紗が手を止めて怒鳴った。

いつもなら腹の立つところだが、それより静のパンチの恐怖が一心の全身を覆っていてそれどころではない。

「あぁすまん。すまん。……作業はどうかなって思ってよ」

普段と変わらぬ言いようだったはずだが「一心、何怯えてるんだ? 母さんに怒られたんだな。一発パンチ受ければ済む話だろうに、ふふふ」

「他人事だと思って、お前はあのパンチの怖さを知らないからそんな呑気な事言ってられるんだ」

「ほー、やっぱり母さんに怒られたんだ、ははは、ばっかじゃないの」

「うっせー、ほっとけ」

「あれ、母さん階段を上がって来たみたいだぞ」

「えーーっ! そんな、美紗隠れる場所無いか……」

「ばーか、嘘だびょーん、わっははは。さ、飯の時間だ、一心行くぞっ!」

「いや、俺は腹いっぱいだから……」

「ごちゃごちゃ言うな。母さん連れてくるぞっ」

「わ、わ、分かった」

リビングへ美紗に隠れながら行くと数馬も一助も、もうご飯を食べている。

静がちらっと一心に視線を走らせ、ささっとご飯とみそ汁を所定の場所に置いた。そこは何と静の隣の席なのだ。

「ほな、頂きまーす」

普段と変わらぬ様子で静がご飯を食べだす。

一心もほっとして「いっただっきまーす」

 

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