第3話 縁談の危機

 七月も末になって盛井淳子の母親が探偵事務所に姿を見せた。

「娘は心中じゃありません。きっと殺されたんです!」

一心が対座してすぐに母親が叫んだ。

「待ってください。順に話してください。まず、心中じゃないと思う理由はなんでしょう?」

「だって、淳子には海道彰さんと言う恋人がいるのよ。それなのに聞いたことも無い名前の男性と心中なんてするはずない! そうでしょう。探偵さん! 違う?」

「まぁまぁお母さん、先ず、コーヒーでも飲んでちょっと落ち着いて下さい」

静の淹れたコーヒーを勧めながらどう話すか考える。

「あのー、怒らないで訊いて欲しいのですが……」

一心はそこまで言ってお母さんの様子を窺う。

「えぇ、どうぞ」

言葉と裏腹に眉を吊り上げて今にも怒りだしそうな表情をするお母さんに「お母さんの知らない男性と付き合ってるなんてことは無いですよね」

ピクリと眉を動かして「そんな、有る訳ないでしょう。さっきも言ったけど彰さんの子供が淳子のお腹にいるんですよ。それなのに別の男性だなんて、いい加減にして下さい!」

お母さんは怒鳴るが、子供の話は今初めて聞いたのに……。

「北海道へはひとりで行ったの?」

「まさか、彼氏と行くって言ってたから、彰さんと一緒に決まってます」

「一緒にですか? ならどうして別人と? ……」

「だから、さっきから言ってるでしょう! それを調べてくれって」

一心は、この母さん思い込みが激しいのか、自分の思ったことはすべて相手に伝わってるって思ってんのかな?

「お話は分かりました。それと警察にその話をしてますか?」

「えぇあっちの方から聞きに来てましたから」

「お母はん、お気の毒でんなぁ。あてのとこにも娘がおるさかい、その娘が亡くなったらと思うと……お気持ちよう分かりますわ」

静が瞳を潤ませて言った。

「ひとり娘なんで、結婚して、孫出来て、そう思って色々準備してたのに、全部要らなくなっちゃって……でも、捨てられません。私にはもうそれしか残されていないので……」

お母さんはそう言ってさめざめと泣いた。

 

しばし時間を置いて、ふと顔を上げて喋り出した。

「なのに、淳子が旅行に出る二週間くらい前だったか、急に彼に別れると言われたと……」

「えっ子供ができてるのに?」

「私は、あまり本気だとは思っていなかったんだけど、淳子は別れても実家に帰って産みたいの良いでしょうって言って、養育費の話とか、認知の話をしたって言うんで、それでそうなんだと初めて思ったのよ。別れても実家で産むって言ってるのに自殺するはずなんかない、それも別の男と心中なんてあり得ないでしょう」

「それで、彼氏は何と言ったんでしょう?」

「彼氏は、『下ろせ、養育費は払わないが下ろす費用を出す』そう言ったようです」

「別れる理由を聞いてますか?」

「いえ、娘は子供産んで結婚してと考えているようでしたから、きっと相手の事情だと……」

「分かりました。それも俺が訊いて報告します」

 

 寂し気に母親が帰った後、一心は浅草署の丘頭警部に会いに行った。

事件のあらましを聞いた後、海道彰について訊いてみた。

「彼は子供の頃から父親に反抗出来なかったみたいなのよ。その別れ話も父親が縁談を持ち込んできたので淳子と別れる決心をし言い出したみたいなの」

「もしかして、政略結婚ってやつか?」

「えぇそうだと思うわ。それで事件の日彰は北海道旅行をしていたようなの、ひとりでね」

「えっ淳子は彼氏と北海道旅行だと母親から聞いたぞ」

「ふふっ、うちらもそう聞いたわ。だから裏をとったのよ」

「で、アリバイ有りだったって訳か」

「そう、死亡推定時刻は十六時から十六時半で、その一時間後の十七時に彰が大沼公園温泉にいたことをホテルのフロントで確認できたし監視カメラでも確認できたわ」

「じゃ一時間以内に室蘭からその温泉に行ったってことだろう?」

「そうねぇ、それが出来ればの話しだけど……ホテルのレストランでカード支払いがあるんだけどそれが十五時二十八分なの。そこまでホテルにいたのは間違いないと思うんだけどね」

「何よ、無理なのか?」

「えぇ電車を使っても車を使っても一時間半はかかるのよ。室蘭からその温泉までは百四十キロもあるの」

「ってことは、死亡推定時刻に細工があるとか?」

「いや、冷凍したりあっためたりした痕跡は無かった」

「飛行機は?」

「全然無理、両方とも近くに飛行場無いもの」

「ふーむ、それでアリバイ成立かぁ……なんかよ、ミステリー小説みたいだな」

「まさしくそれ、もっと色々あるのよ。資料あげるからそっちでも考えてみてよ」

「そのトリックをか?」

「えぇ、そ」丘頭警部は半分笑いながら、半分は真剣な眼差しで言った。

「それと、監視カメラの映像は?」

「室蘭署のパソコンに保管してあると連絡がきたから、美紗に見てもらって、銀行員の写真を手にいれてるんでしょ」

「おぉもちろん。じゃ、ホテルへ出入りした人物と日時が分かったら知らせるな。海道以外に浮かんでる奴はいないのか?」

「えぇ今の所ね」

「心中した二人が無関係な人間だという事はほぼ間違いないな。他殺だとして動機は?」

「盛井は海道との別れ話のもつれが考えられるけど、横里駿太の方は不倫は無さそうなの、奥さんは子供を産めない身体だからその分夫婦仲が良いみたいなの。週末はいつも一緒、平日だってそんなに遅くなることは無い。まぁ監査部員だから遠方の支店でも行ったら、と思ったら、本部監査要員だから地方へ出ることも無いみたいなの」

「だけど、殺された。……ふーん、ところでその邦日銀行で顧客情報の漏洩があったとかって報道されたりしただろう。その辺は調べてんの?」

「いや、銀行から被害届が出てる訳じゃないし、雑誌に書かれただけで警察は動けないわよ」

「そうか、実は、頭取が近所に住んでてよく知ってるんだけど、先日、その辺調べてくれと頼まれたんだよ」

「へー頭取と知合いなんてすごいじゃん」

「えっ、いやそっちかい。じゃなくて、頭取が心配してるし、行員に話訊いたとき妙な感じがしてよ。……それにシステム部の皆月っていう主査が五月から行方不明らしいんだ。捜索願いも出していないようだし、銀行が陰で探してるようなんだ」

「それって、事件じゃない。どうして警察へ届けないのかしら?」

「な、そう思うだろう? 邦日銀行って陰で何かやってるぞ、きっと」

「探偵の勘かしら?」

「へへっ、まぁそう言う事」

「何か手伝う?」

「いや、今の所大丈夫だが、事件性が見えてきたら頼むわ」

「えぇ良いわよ。早めに言ってよ。前みたいにあんたが撃たれてからじゃ遅いんだからね」

「おぉ、心配、ありがとさん」

 

 

 能登頭取が岡引探偵に調査を依頼してから程無く滋賀グループ会長が久しぶりに来行した。

「しばらく。元気にしとったか?」

能登は大学生時代から滋賀と付き合いがあって仕事でも互いに遠慮のない喋り方をしてきた。

「あぁ相変わらずだ、そっちも元気そうじゃな」能登が応じる。

 

 しばし世間話をしてから、

「孫のさつきの話しなんだが……」

滋賀会長が本題を話始めた。能登は端からその話で来たことは分かっていた。

「何かあったか?」一応とぼけて能登が言う。

「ほー知らなかった?」そう言って滋賀会長がにやりとする。

「まぁ良い。海道彰くんが殺人事件の容疑者になってるらしいな?」

「耳が早いな。彼は良い男じゃから、おなごが寄ってくるんじゃろ」

「ふふっ、ま、いずれ白だったとなるんだろうが、汚れちゃ困る」

「跡取りにでもするおつもりか?」

「むふふ、さぁな。そう言う器ならな」

話しているとコーヒーが運ばれてきた。

会長はその手元をじっと見ていて「あんた可愛いのう」と話しかける。

「はっそんな」女性行員は恥ずかしげにかぶりを振る。

「どうじゃ、うちの息子と会ってみんか?」

真面目なのか冗談なのかにやにやして言う。

「とんでもないです。私のようなものが……」そう言うと素早く礼をし振返って小走りに部屋を出て行く。

「滋賀、うちの行員をからかわんでくれ」

「ははは、うちのボンズはだらしなくて、今の娘みたいにしっかりした嫁さん貰わないと使いものにならないんで、半分は冗談でもないんだ。今の娘は彼氏がいそうだから諦めるが、ちょっときつめの娘がいたら紹介してくれ」

「ははは、うちのはみんなちょっときつめだよ。けど、そっちにだって大勢美女いるだろうに」

「息子のためにはいると言えるだろうがね……」

「なるほど、心掛けておきますよ」

「恋人がいて、ましてその娘が妊娠してるのに乗り換えるなんて奴、信頼のできる人物なんだろうかねぇ、甚だ疑問だと思わんか?」

「詳しくご存知ですな。若気の至りという事もあるんじゃないでしょうかねぇ、問題はお孫さんの幸せと、これから滋賀グループと邦日銀行が共に発展するにはどうしたら良いのかと言う事じゃよね」

「まさに。その為に相互に汚れちゃいかんと言う事ですよ」

「もちろん、粛正に務めてますよ」

 

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