第2話 北海道室蘭市
室蘭市は北海道の中南部にあって内浦湾、地元では噴火湾とも呼ぶ出入り口に位置している。
人口は八万人ほどで、その生い立ちは西暦千六百年ころの慶長年間に松前藩がアイヌとの交易のため施設を置いたのが初めと言われている。
鉄鋼業を中心として栄た工業都市だが、測量山から見る室蘭港一帯の景色は夜景のスポットとして人気がある。
そんな室蘭市の高台にある室蘭シティホテルの一室で事件は起きた。
チェックアウトの時刻を過ぎて電話を入れても応答が無いため、心配してドアを開けた従業員が手を繋いで胸を刺されいるふたりの遺体を見つけ通報したのだった。
通報は午前十一時で死亡推定時刻は前日七月十日の午後四時から四時半と判断された。
持ち物から男性は横里駿太(よこさと・しゅんた)五十歳で女性は盛井淳子(もりい・じゅんこ)三十三歳と分かった。
遺体はツイーンベッドの片方に並んで寝ていて、おそらく男性が女性の胸を刺し、その後自分も並んで横になりそのナイフで自分の胸を刺した。そんな感じの写真が浅草署の丘頭警部のところへ送られてきた。
免許証の住所が浅草になっていたため、室蘭署の布地広幸(ぬのち・ひろゆき)警部から浅草署へ捜査協力を要請してきたのだった。
丘頭は捜査会議で周知し、その住所へ向かった。そして部下には周囲の聞取りをさせる。
七階建てマンションの五階にある横里宅のインターホンを鳴らすと奈美子と言う妻が迎えてくれた。
状況は伝えてあったが「主人は浮気なんかしない、週末はいつも一緒に居たから浮気なんかする暇はなかったはず……」
涙ながらに訴える夫人は憔悴しきっているように見える。
丘頭が女性の名前を言っても奈美子自身が人事部に在籍していた時にはなかった名前だと言い、夫の口からもその名前を聞いたことは無いと言う。
「自殺でも他殺だとしても、何か手掛かりが有るかも知れないのでご主人の持ち物を見せて欲しいんですが」
丘頭がそう言うと素直に書斎にしていたという部屋へ案内された。
郵便物、写真の類を始め仕事上の書類の写しだろうものもあったが、事件に繋がるようなものは無かった。
盛井淳子と言う名前も出てこなかった。
邦日銀行の監査部に勤めていたと言うので、一報を入れさせ向かう。
応接室で待っていると恰幅の良い中年男性が姿を現し名刺を差し出した。そこには監査部長椎野海輝(しいの・かいき)と書かれている。
「連絡は来ていると思いますが、横里駿太さんのことについてお話をお聞きしたいのですが」
丘頭はそう切り出す。
「いやーまさか心中とは驚いたよ。おしどり夫婦と行内では有名だったんでな、信じられない気持ちだな」
「やはりそうですか。奥さんも何時も一緒で浮気なんかする暇は無かったはずだと仰ってました。……監査部とシステム部とは何か交流と言うか行き来が頻繁にあるとか?」
「いや、監査部が監査に入った時には当然部員に話を訊くだろうが、そこで個人的な話をするような事は無いだろうな。そもそも一対一では話さないのがルールだ」
丘頭は部長を見ていて、言葉には可笑しな点は無いように感じたが、目の動き、指先の動きに違和感を感じた。
「行内で横里さんに関わらなくても何か問題が起きているということはありませんか?」
訊いた途端に椎野部長が厳しい顔をした。
「な、何でそんな質問をするんだ? 一体何が訊きたいんだ?」
丘頭は何かあるなと感じながら質問を変えた。
「たいして意味は無いんです。自殺にしても他殺にしても何か理由があるはずなのでその心当たりが無いかなと思っただけです」
「ふーん、会社には無いな。個人的なところはわからん」
「そうですか、ところで横里さんはどんな仕事をしてたんでしょうか?」
「ふん、確かに監査員は嫌われもんだよ。だが、だからって殺される理由になんかなる訳ない」
「そういう意味で訊いたんじゃありませんよ。仕事の内容を知りたかっただけです。で、どうなんです?」
椎野部長は納得のいかない顔をして「システム監査が主な仕事だ。細かな項目を知りたいか?」
「はい、一応頂けるのであれば……」
丘頭が答えると椎野部長は五分程部屋を空け資料を手に戻って来た。
「これ持って行って良いぞ、そこに書かれている項目について調べるんだよ」
丘頭が目を通すがさっぱりだった。
――これは岡引探偵のとこの美紗にでも見せないと訳わからん……丘頭は心の中で呟いた。
「最後に、横里さんの利き腕は左右どっちでした?」
「利き腕?」椎野部長はしばし天井を見上げて「右だな。それが何か関係あんのか?」
「参考までです」
そこで丘頭は才川鈴子を呼んで貰った。
刑事としてではなく友人として顔を見て行こうと思ったのだった。
「こんにちは、桃子さん」
普段と違ってばっちり化粧をした鈴子はまぁまぁ綺麗だなと思う。
「ちわ、どう元気にしてる?」
「えぇ今日は横里さんの事で来たの?」
鈴子はそう言いながらテーブルの監査細目表に目をやっている。
「これ貰ったんだけど、私にはさっぱりだわ」
「実は私もシステム監査要員なの。監査するときは横里さんとあと五名でシステム部へ行くのよ。あそこの連中は『どうせお前ら見たって分かんないだろう?』って顔すんのよ、行く度に腹立つわ。私らが着目するのはシステムの管理態勢とか権限管理なんかで、プログラムそのものを見る訳じゃないのにさ」
「そうなんだ、ねぇ、で、その部に何か問題有るんじゃない? それが自殺か他殺かの理由なんじゃないの?」
丘頭が言うと鈴子の表情筋が緊張した気がした。
「……う、うん、でも、ここじゃ言えないから、今度電話するから聞いてくれる?」
「えぇもちろん。鈴子の恋ばなでも良いわよ。ふふふ」
「ふふふ、やだぁ。じゃぁ桃子さんの恋ばな聞かせてくれる?」
丘頭の軽いジョークを軽く返してよこした。いつもの鈴子らしい応対だ。
「沢山あり過ぎて誰の事喋って良いのか分からないわよ」
「ははは……」
鈴子が声を出した笑い、丘頭もつられて笑った。
「ついでに、あと誰か話を訊いた方が良い人っている?」
「んー、分かんないけど、監査はグループで行動するからその人達に訊いてみたら? 大した話出ないと思うけど……」
「そう、その人達順に訊いてみるか。……じゃ、ひとり呼んでくれない? 一応訊いてみる」
鈴子に代わって同じグループの五人と順に話した。
予想どうり行内に問題は無いと口を揃えたが、五人とも隠し事を抱える子供のように落ち着かない感じがした。
それでもう一度鈴子を呼んで貰った。
「どうだった?」心配げな顔をした鈴子が戻りしな言った。
「全然、鈴子の言う通り。でも、全員何か隠してるってのは分かった。じゃ、次ぎ、システム部へ行こうかな」
「良いわよ、連れて行ってあげるわよ」
丘頭は部長に挨拶してシステム部に向かった。
監査部は最上階の八階でその階には行員の休憩所や自販機が並んでいる。各部署と距離を置くためにそうしているらしい。
エレベーターで五階に降りる。
目の前にすぐドアがあって鈴子がネームプレートをかざすとドアが開いた。
「へぇすごいね。私一人できたらここから入れなかったんだね」
「えぇここだけセキュリティが厳しいのよ。本部の人も全員は入れないの、監査部員とか課長級以上とかでないとね……気付いた? 天井にカメラあったの」
「えっそんなのあった?」
「えぇあったのよ。ふふっ、記録されてひと月は残ってるわ」
「そっかぁ、何かでここの機械が破壊されたら世界中の邦日銀行の窓口や自動機が動かなくなっちゃうんだね」
「そうよ、他行からの送金も受けられなくなるから大問題になるのよ」
「なるほど、セキュリティが厳しい理由がわかったわ」
案内された応接室にもカメラが設置されている。
鈴子はそこで戻って行った。
しばらく待たされて井手前健太(いでまえ・けんた)と言う部長が名刺をくれた。
「で、何を訊きたいんだ?」
井手前部長は端から人を見下した言い方をする人のようだ。
「亡くなった。盛井淳子さんのことをお聞きしたいのですが」
「あぁ心中なんて傍迷惑な話しだ。おまけに不倫なんかしやがって」
「いえ、まだ心中だとは断定していません。それを捜査してるんです」
「ほー、じゃ何かこの部の誰かが殺したかもしれないとでも言いたいのか?」
井手前部長が怒鳴る。
「部長さん落ち着いて、そう断定してるわけじゃなくて捜査してるんで、それで関係する方々にお話を聞いて回ってるんですよ」
「ふん、なら許してやる」
「部長さんからみて盛井さんはどんな人でした?」
「仕事はそこそこ熟してたが、化粧濃くて男漁りしてたような感じがしてた」
「はぁ……では、横里さん以外に付き合っていた人とか、別れた人とか知ってますか?」
「いや、具体的には知らん。知りたくもない」
井手前部長は突っ込んだ質問は許さんという眼差しで丘頭を睨みつけながら吐き捨てるように言った。
丘頭はこの人にこれ以上何を訊いてもまともに答えてはくれないだろうと思う。
「そうですか、ここに女性はいますか? いたら少しお話を訊きたいんですが」
丘頭がそう言うと井手前部長はすっと立ち上がり、「じゃ代わるな」
そう言い残して出ていった。
数分待たされて入って来た女性は安田凛(やすだ・りん)と名乗る。
「安田さんは亡くなった盛井淳子さんとは親しかったのかな?」
「はい、同期入行で最初に勤務した支店は別々でしたけど、ここへ来たのは彼女が五年前で私が二年前でした。私の指導員として色々教えて貰ってました」
安田はそう言いながら涙を滲ませる。
「不倫のこと訊いても良いですか?」
「えぇ、でも不倫なんかしてません」安田は迷いを窺わせず強い視線を丘頭に向け即答した。
「何か理由があります?」
「はい、一緒に遊びに行っても彼氏の話は出なかったし、SNSとかも頻繁なやりとりは無いみたいだったし、彼氏欲しいなぁって言ってたこともあって……ただ、噂ですけど……」
安田はそこまで言って、言って良いものか迷っているようだ。
「安田さん、あなたが何を言っても、私らそれを鵜呑みにするのではなく、きちんと確認してから事実だと認めるので、はっきりしないことでも情報のひとつだと思って話して下さい」
説得を試みたが安田はまだ迷っているようだった。
……
丘頭は当てずっぽうに「秘密の彼氏がいるんですね」と言ってみる。
安田の表情が変わった。
「あのー、うちの取締役に海道と言うのがいるんですけど、その息子さんの彰さんと一緒にいるところを何人かの女の子が見てるんです。本人ははっきり認めないんです。彰さんも独身だから不倫でもなんでも無いので言っても構わないと思うんですけど、何故か隠すので私も言わない方が良いのかなと思ったもんですから……済みません」
丘頭は今日一番の収穫だと思った。
「そう、それじゃ一緒に亡くなった横里駿太さんの事は何か知ってます?」
「えぇ監査の時に色々訊かれたりしたから知ってますけど、個人的なことは何も……それにほかの部の子も皆彼が不倫だなんて可笑しいわよねぇって話してます」
「そうですか。……ところで、この銀行か監査部かシステム部に何か問題が発生したりしてません? 今回の事件を除いてですが」
質問した途端に安田の目が震えた。
――やはり、この銀行に、それも本部に何か問題があるようねぇ……丘頭は確信のようなものを覚えた。
「隠さないで話して貰えませんか?」思い切って丘頭は言ってみた。
安田は前かがみになって「パワハラとかセクハラとかハラスメントが本店とか一部の本部にあって、若手行員が陰で泣いてます。それで若い人の退職率が高いんです。調べてみてください」
声を潜め眉間に皺を寄せて物凄い早口で喋った。そしてペコリと頭を下げて逃げるように立ち去った。
――お堅い仕事人にありがちな話しだ……事件との絡みはなさそうだが一応人事部へ行ってみるか……丘頭はそう思って立ち上がった。
そして盛井宅へ向かう。
翌日、室蘭署の布地警部から電話が入った。
「丘頭さん、心中にしては可笑しな点が幾つか出てきたんですよ」
「そう、勤務先が邦日銀行で、事情を訊いたら心中するはずないと言う方が多くて……」
「なるほど銀行員ですか。……で、遺体なんですが、先ず、お気付きかとは思うんですが、送った写真のとおりふたりとも靴履いてるんですよ。室内でしかもベッドで横になってる訳ですから死ぬ前に靴を脱ぐ事例が多いんです」
「確かにそうねぇ」
「それと刺し傷なんですが、女の方が十二センチ、男のは十五センチあったんです。鑑識の話しでは男はほぼ即死だそうです」
「男が自殺なら女より深くなるのは可笑しいってことね」
「えぇそうなんです。仰向けで横になってる女を上から刺すのだから力が入りやすい。男は自分を刺すのだから刺さった瞬間の痛みを押さえて深く差すのは普通の人には難しいわけです」
「そうね、テロ組織の人間が自決するってんなら分かるってことですね」
「えぇ、それに加えて、男はほぼ即死だとすると、手を繋いだのはいつなのかと言う疑問が起きます」
「刺してからだと繋ぐ余裕は無いか……手を繋いで片手で刺すとすればそんなに深くは刺せない、ってことですね。まして彼、右利きらしいから右手を繋いで左手一本で自分の腹を深く刺すってのは、ちょっと無理ね」
「はい、仰る通りです。で、こちらの結論としては他殺の線が濃いと……」
「わかりました。こちらもその線で動きます。で、警部、ホテルの監視カメラの映像をこちらへ送ってもらうか、ネットに繋がっているパソコンに保存して貰えます。その映像とこちらの行員と同一人がいないか確認しますので、どうでしょう?」
「じゃハードディスクに保存してそのパソコンから浅草署のパソコンにメールでも入れますか?」
「そうねぇ、それお願いします。それから、盛井が死亡していた部屋は誰が予約したんでしょう?」
「あぁ、言ってませんでしたね。本人が二名で予約してますが、相手の姿をホテル側では見ていないと言ってます」
「そう、横里さんはどうしてそのホテルにいたんでしょう?」
「あぁ、仕事で連泊してて亡くなった金曜日が最終日だったようです」
*
テレビを見ながら昼ご飯を食べている一心の目に、特殊詐欺被害発生のニュースが飛び込んできた。
今までの詐欺とは様相を異にしているようだ。
モザイクで顔を隠した被害者は、
「邦日銀行の者だと名乗る若い声の女から電話が来て、私の預金残高を正確に言い当て、その内幾らかを投資に回しませんかと言ってきたのよ、始めは詐欺を疑ったけどその女は口座番号まで知っていた上、年金の振込金額まで知っていた。それで銀行の人だと信じてしまったんです」
と語った。
その後、電話の主から指示されたと言って銀行員を名乗る男が来て通帳と署名押印した払い出しを渡してしまう。
被害者は「通帳と払出しの預かり証は置いてかないの?」と訊いたのだが、「一週間ほどで証券が郵送されるので預かりは置いて行かないことになってるんです」
そう言われ、それ以上突っ込めなくて了解してしまった。
そして一週間が過ぎ、十日が過ぎても何ひとつ言ってこないので銀行に電話をかけたら「そう言う勧誘を当行では行っておりません」
それで騙されたと思って取引を停止したんだけど、既にほぼ全額下ろされてしまっていた。
被害者は老後のために蓄えていた数千万円を奪われ、この先どう暮らして良いのかと涙ながらに語った。
可愛そうにと一心が静と話していると
「ごめんなさい」
事務所に来客のようだ。
「はいよー、待って、今行く」
一心は残りのご飯をかき込んで事務所のドアを開けた。
来客は近所に住む今テレビで見たばかりの邦日銀行の頭取だった。
「あれ能登さん、どうしました。また逃げられましたか?」
静がお茶を淹れてテーブルに置き能登さんに勧める。
「いやいや、今日は折り入ってお願いがあって来ましたんじゃ」
しょっちゅう飼い猫に逃げられ捜索を依頼にくる能登正史郎(のと・せいしろう)と言う七十歳くらいの気の良いおじいちゃんだ。
「実は、テレビのニュースを見てるじゃろうが、うちの顧客が特殊詐欺にあってるって」
「あぁ今もそれ見てたところだ」
「ふむ、だがな、顧客データはシステム化されておるから盗み出すことは不可能なんだ、ハッカーだろうがなんだろうが厳重なセキュリティで守られておるからな」
「じゃ、どうして? ……まさか、行員が?」
「おぉ勘がえぇのう、ただ行員と言ってもシステム部員でないと無理なんだ……信じたくはないんだが……」
「なるほど、それで頼み事はどんな?」
「うむ、その漏洩事件があったのか、なかったのかはっきりさせたいんだ」
「しかし、システムとなると俺ら素人だからなぁ」一心が受ける初めてのケースだ。
「いや大丈夫だ。俺がシステム見てやる」
いつの間にか美紗が一心の隣に座っていて自信ありげに言う。
「ほう、心強いな。美紗さんだったかな」
「はい、そうです」
「じゃシステム部へ入室できるよう手配しよう」
「いや、まだ大丈夫です。少しハッキングして調べたいこともあるんで、その時期がきたらお願いします」
「えっハッキングってうちの銀行のシステムにか?」
「はい、そうですよ。俺に入れないネットワークなんて存在しない」
美紗はこれ以上ない位鼻を高くして言った。
逆に能登頭取は少し青ざめている。
「実は、金融庁の検査官から四月の二十八日にその漏洩について内部監査をきっちりやって結果を報告するよう指示があったんじゃよ」
そこへ丘頭警部から電話が入った。
手振りで能登さんに謝って電話に出ると室蘭の心中事件の絡みで美紗へのお願いだった。
もちろん、快く引き受ける。
「あぁ済みません。警察からお宅の行員の心中事件で捜査協力を要請されたんだわ」
「ほぉ警察が探偵さんに、捜査を協力……大したもんだ警察から頼まれるなんて」
能登さんの尊敬の眼差しにちょっと得意になる一心だった。
「美紗、お前に仕事だ。後でな」
能登さんが帰った後、一心は丘頭警部に邦日銀行の心中事件について資料を貰い話を訊いた。
その上で本部を静と訪れた。
警部が一通り事情聴取をしているので、ダブらないように一般行員を対象に訊きまわる。
昼休み時間には八階にある休憩所へ行って、静が、女性数名が笑顔で喋っている中へ割り込んでゆく。
「こんにちわ。お昼休みどすかぁ」
突然の着物姿で京都弁を操る女性に驚いたのだろう、一瞬沈黙があって、「わぁー」とか「きゃー」とか騒ぎ出した。
少し間をあけて一心もその場へ。
「こんにちわ。お邪魔します」愛想を振りまいていた積りだが、全員さーっと笑顔を疑いの眼差しに変える。
「みなはん、大丈夫や、あての亭主やさかい」
静がそう言った途端に和んだ。
「私、探偵さんて初めて見た」ひとりが言うと、「私も、」「私も、」と続く。
「ちょっとお話し良いかな?」
一心の言葉に警戒感が漂う。
「そないな固い言い方しよったらおなごはんは警戒しはりますがな。ねぇみなはん」
静が言うと全員頷く。
「じゃ、静が訊いて、心中のこととか、その時銀行を休んでいた人とか、ふたりと仲の悪かった人とか、あと……」
「そないに仰山言ったら、訳わかりまへんで、ひとつずつやなぁ」静が女性たちを見回しながら言う。
「私、心中じゃないと思います」ひとりがきっぱりと言い切った。「私も、」「私も、」と続く。
「どうして?」
「だって、淳子さん彼氏別だもん」ひとりが言うと「海道よ海道」別の一人が言う。
「取締役の息子だからって、何処が良いのか分かんないけど彼女は幸せそうだった。最近までは……」
「最近までって?」
「分かんない、喧嘩でもしたのか……」
「私、その事じゃないんだけど、……変な事知ってる」ひとりが意味深な発言をした。
一心が訊くより早く女性達が「何、何、何?」一斉に質問攻めにする。
「なんでっしゃろ?」
「あのー、上司から口止めされてるんだけど、……」
「大丈夫や、探偵は口が堅いさかい。みなさんもそうやろ?」
全員が頷くのを見て「実は、私、システム部なんですけど、うちの皆月主査が五月二十日から行方不明になってるんです」
「あら、ほんまかいな。それ警察へ届け出したんかいな?」
「いえ、会社が隠れて探してるみたい、……監査部とか人事部とかの数人が仕事しないで探し歩いてるようなんです」
「ご家族は?」
「奥さんと中学生の女の子いるんですけど、捜索願を会社が出さないでくれと頼んでるみたいで……」
「せやけど、心配ですわなぁ。なんでやろ? どう思うあんはん」
「ふーむ、行内に何かトラブルとか事件があってそれを隠ぺいしようとしてるんじゃないかな。捜索願をだしたら、詳しく事情を訊かれると拙いんじゃ」
「でもなぁ、そんことはシステム部のひとはもちろん全員知ってはるんやろ?」
「えぇ、主査ですから、承認とか相談とか、いないと仕事が進められないという立場のひとですから」
「じゃ今はどないしてますのん?」
「課長が代わりにやってます」
「主査と課長、どちらが偉いんや?」
「課長なんですが、課長はシステムを知らないので実質主査の言いなりだったけど、今はまともに相談も出来ない状態なんです」
「それは大事件だな。この話は殺人事件に、いや、心中事件に関りのある事かもしれないから俺から警察へ話すぞ。おそらく警察は上層部にそれを突きつけて喋らせることになると思うんだ。けど、君らのことは言わないから俺を信用していて欲しい」
一心の言葉に今一はっきり返事をしない女性たちを見て静が付け加える。
「みなはん、えぇでっかこん人は信用できんでも、あてを信用しとくれやす」
「はい、静さんを信用します」ひとりが言ってくれた。「私も、」「私も、」と続く。
一心はやはり静を連れてきて良かった思いながら、心の片隅で悔し泣きをした。
ほかの女性たちの中に同じことを言うひともいたし、セクハラされたと言う女性の多さに驚いた。
中にはストーカーが行内にいると言う女性もいたが「誰か?」と言う質問には、さすがの静にでさえ答えて貰えなかった。
一方で、男性行員は口を揃えて「何も知らない」と言う。システム部の同僚でさえ口を閉ざし何も答えてくれなかった。
事務所に戻った一心は、美紗を呼んで「邦日銀行の皆月と言う行員の自宅を調べてくれ」と指示した。
一時間後、調べ出した皆月知久(みなつき・ともひさ)と言う56歳のシステム部主査の自宅アパートに数馬と一助を行かせ、玄関前とアパートへ繋がる道の二か所に盗撮カメラを仕掛けさせた。
事務所のパソコンにその映像を蓄積し、静がまとめて確認するよう指示した。
もう一つ、美紗には丘頭警部から連絡が来たら、室蘭のシティホテルの監視カメラの映像と邦日銀行の人事データ上に登録されている顔写真のマッチングをするよう指示した。
美紗手作りのマッチングアプリは若い時と今の写真をマッチングできる優れもので、これまでに幾つの事件で活躍したか数えきれないほどだ。
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