第9話 アリアとルーク
「ええと坊ちゃま、確かに私は結構年上ですし、もう気にしないで下さい。ね?」
ルークからの大袈裟にも見える必死な謝罪には、アリアもさすがに慌てた。彼女も憤慨したつもりはなく、逆に些か焦って彼の顔を心配顔で覗き込む。
彼も彼で心配されるのは意外だったのかぱちぱちと瞬いた。
「……心配しいなところは、全然変わらないよね。どうせなら昔みたいに撫でて慰めてほしいなあ、なんて?」
「んもう、甘えん坊は相変わらずですか」
「相変わらずですよー。今までは大人なところを見せたくて我慢していただけ」
アリアはくすくすと微苦笑しつつ冗談半分な催促通りルークの頭を撫でてやる。あと半分は本気なのだとわかるから内心ではそわそわした。正直頬にキスされた動揺もまだ消えていない。
ルークは大人しくしながらも、いや本当はそういう程度でじゃないと言ってやろうかと思ったものの堪えた。
一つ大きな疑念が生じてしまったからだ。気付いてしまったと言ってもいい。
若い可憐な姿のまま生きているアリアは、果たしてこの百年の間に恋人は一人もいなかったのか、と。
仮にいたとして、彼女の過去の男を想像するだけでルークは嫉妬で腸が煮えくり返る。その相手が既に死んでいたとしても、前世の自分以外の元カレがいたら我慢ならないのだ。
もしいたのなら、恋愛をしていたのなら、どうしてこのルーク・ブライトンには少しも靡いてくれないのか。再会してからさりげなくアプローチしている彼は、アリアのときめき反応皆無な様子に結構落ち込んでいたりした。大学や社交界では望まずも秋波を送られると言うのにだ。
けれど諦めないぞと、ルークは気を取り直して頭を撫でるアリアの手を掴んでそれを自身の頬に当てさせると、戸惑い顔をする彼女を見据える。
「いつか必ず僕はアリアを恋人にする。今の頬キスはその予告ホームランみたいなものかな。次は口にするから覚悟してて、僕のアリア」
「え、えぇー……?」
「それと、僕のことはルークって呼んでほしい。ルーク坊ちゃまでも坊ちゃまでもなくて、ルーク。ね、アリア? ……呼んでくれないと自棄になってまたキスするかも~」
「なっ!?」
耳元での最後のうそぶきにアリアはぎょっとした。
(い、い、いつの間にこんな大人な色気を身につけたのよ私の可愛いルーク坊ちゃまはーっ! ……大体、そんな展開になったらジョンに申し訳が立たないわ)
「さあ呼んでくれるよね、アリア?」
彼女は大胆にも耳を近付けてくるルークにドギマギする。
「わわわっ、わかりましたから! ――ルーク!」
「うん」
機嫌よく頷くルークからもう一回と催促されて仕方がなくもアリアは呼んでやる。彼はそのおねだりをもう何度か繰り返したけれどアリアはとてもこっ恥ずかしくなっていた。名前を呼ぶその都度彼は至福の人そのもので返事をしてくるからだ。何がそこまで嬉しいのかと呆れるも、もう遠い恋人ジョンとの日々を思い返せば答えは簡単に見つかる。
(ルークは、そこまで私を好きなのね。そう言えば私はどうしてさっきジョンに申し訳が立たないと思ったの? もしこのまま気持ちが進んでいったら、私はルークをあなたより好きになるかもしれないから……?)
しかしそうなれば恋の顛末など見えている。
(彼は先に老いていき、世界からいなくなって、私は独り取り残される。ジョンの時とは経緯は違うだろうけど、そんなの悲しくてどうにかなってしまうわ。さっききちんと釘を刺しておけばよかった。……うん、間違った期待は持たせない)
「ルーク」
アリアから呼んで毅然と顔を上げる。
ルークはこれから真剣な話が始まるのを表情から悟ったようだ。背筋を正し余計な口は挟まなかった。
「回りくどいのは嫌なのでこの際ハッキリ言いますね」
彼女はすぅと心なし長めに息を吸った。不老不死なのにこんな風に呼吸が必要なのもどこか滑稽だと思考の片隅で思う。
「今から私は変なことを言いますけれど、最後まできちんと聞いてほしいです」
「うん、わかった。約束する」
「ありがとうございます。では言いますね。私はあなたも薄々と言うか完全に気が付いているように、この容姿が以前と変わっていません。私はきっとずっとこのままで、百年後も、もしかすると千年後もこのままでしょう」
ルークは驚くでもなく疑うでもなく、落ち着いた眼差しを向けてくれている。判断するのは全て聞き終えた後と思っているのかもしれない。アリアは自分の中でうんと頷いて続けた。
「ぶっちゃけると呪いで不老不死なのです。ですから、ルークはルークの時間と同じ流れを歩める人と幸せを掴んで下さい。乳母としても、そしてアリアとしてもそう願っています。私は人間としての普通の伴侶にはなり得ませんから……」
ルークは見定めるかのようにやや目を細めると、しばし黙ってアリアを見つめた。
「ええと、あなたを拒むためにわざわざこんな変な嘘をつくのかと猜疑心を抱いたかもしれませんけれど、嘘ではありません。私はこれでも本当の本当に百年は生きていて――」
「――ドラゴンの呪いなのは、知ってる」
「へ……? ――な、んでドラゴンのだと!?」
呪いとは言ったけれど、それがドラゴンのだとは一言も言っていないし臭わせてもいない。なのにどうして彼はドラゴンのだとそこまで詳しく知っているのだろうか。
アリアは咄嗟の言葉も出ず、大きく目を瞠るしかない。
「あ、もしや先代のブライトン伯爵から聞いたのですか? 彼は誰より口が固い方だと思っていましたけれど」
「祖父は君の身の上については一言も漏らさなかったよ。誰より固いって評価は妥当だね。判断は他の支援者たちに任せようと、回りくどく彼らを僕に紹介してくれただけだ」
先代伯爵の名誉のためか、ルークはやや苦笑してそう教えてくれた。
「あなたは、支援者たちのことまで知っているのですね」
「うん」
「なら、私の本当のと言うか元々の素性も?」
「エミリア王女でしょ」
「ええ」
「アリア、僕はね、君がアリアだろうとエミリアだろうと他の何者だろうと、あとね、僕が先に老いて死んでしまうなんて言われても、そんなことは構わないんだ。だってこの世界に君は生きているのに、どうして君といるのを諦められる? そんな不公平で理不尽な人生を甘んじるなんてできないよ。到底無理だ。もう、ね」
彼女には彼の言うもうの意味がよくわからなかったけれど、ルークが内容に誤りなく呪いの件を知っているのだと理解した。
「けれど、お互いに苦しみますよ」
「お互い?」
ルークはらしくなくくっくっとブラックに笑んだ。
「勝手なことを言うよね。それこそアリアが苦しみたくないからだろう?」
「そ、れは……」
「君は僕の幸せを願ってくれているんだよね? ならさ、僕が一緒にいたいって望みを叶えてくれてもいいじゃないか。朝共に起きて、夜また共に同じベッドで眠る。僕が先に老いて朽ち果てるまでね。それもできないの?」
「……」
アリアは答えに窮した。できないわけではない。
しかしルークはそれで本当にいいのだろうか。
答えなんて問い詰めるまでもない。いいわけがない。
「そんな言い方、しないで下さい」
言ってぎゅっと唇を噛む。
二人きりの礼拝堂内は依然として静かだ。
今はこの世界に二人だけになったみたいに、外界から隔絶されたような奇妙な閉塞感がある。その癖どこか安定している。
(ルークには心から笑顔になれる未来にいてほしい。私でそのお手伝いができるならしたい。けれど、私にこの呪いがある限り……)
ふ、と唐突にルークの指先がアリアの唇に触れてきて、噛むのをやめさせるように優しく押してきた。
顔をまた近付けられて、アリアは今度こそ唇にされるかもしれないと、直前の彼の様子から想像してしまって躊躇いながらも身を固くする。
何故か押し返して拒絶できないでいる。
吐息が極めて接近する。
(ど、どうしよう、でもこんなのまだ駄目で――……)
まだ、なんて思った理由すら自覚なくも心臓が早鐘を打っていて全てがままならなかった。
「……なーんて、ね。ごめんアリア。そう困った顔しないでよ」
「え……?」
「でもね、僕は思い詰めて今言ったみたいにそこまで酷い要求を君にしてしまうかもしれないってのは本当。どう? 気持ちの本気度伝わったでしょう?」
「そ、それって今のは演技で、わざと脅したってことですか!」
にこにことして悪びれずに微笑むルークへとアリアは羞恥心やら憤りやら何やらで思わず拳を握る。
「もう、あなたって人は。知っていたのに知らないふりしていたのも酷いですよ。言わないでいたのは私がどこかへと身を隠さないようにですか?」
「それもある。けれど、僕も僕で調べごとがあったから、それをある程度まで調べてからその話をしようと思っていたんだ。まあ、先にこうなっちゃったけどね」
少し困った顔で苦笑した彼は、この二月、大学もあるだろうに折を見ては週に多い時で二度三度とこの教会に顔を出してくれている。彼がいつ秘密を知りその上で何を調べているのかはわからない。それらはこれから二人で話していく中で知っていけるのだろうと疑い無くアリアは思う。
すると、ルークはアリアの握り締めた拳をどさくさにも上から更に握ってくるや、いつになく少年のような弾んだ声でこう言った。
「そこでだアリア、――僕とドラゴンの呪いを解きに行こう!」
「……はい? 解き、に?」
アリアはポカンとした。究極の想定外だった。今までそんなことを考えたためしがなかったからだ。老ドラゴンですら解けずに世界を彷徨ったのを、どうして自分が解き方を探せるのかと最初から諦めていたのだ。
「そう! 手掛かりを見つけたんだ。きっとそれを追いかければ解けるはずだよ。僕の調べごとはそれだったんだ。まだ情報としては完全じゃないけどね。やってみる価値はあるだろう?」
案外近い距離のまま、その双眸にどこか茶目っ気のある希望の光をキラキラとさせ「どうかなアリア?」と返事を確信している癖に尋ねてくるルークを、アリアは眩しく思い見つめた。
葛藤し悲観していた一秒前までが嘘みたいに、今やカラリと晴れた空のようにどこまでも開けた気分が胸には広がる。
(何だろう、ルークって、時々妙に、不思議な人)
「ええ、やってみる価値、大いにありますね! 私も呪いを解きたいです。ルーク、あなたと」
不老不死が解けたなら、彼と同じ時を歩めるのだろうか。少なくともあのドラゴンのような孤独に苛まれて自己を失ったりはしないだろう。
「ありがとうございます、ルーク」
アリアは握られていた手をまた逆に強く握り返した。
「私を忘れないでいてくれて、好きになってくれて、あと、エミリアごとの私を受け入れてくれて」
初めは頬を綻ばせてふわりとはにかんで、しまいには歯を見せて満面で笑顔を咲かせた。
それは奇しくもエミリアが恋人ジョンに見せていたような、信頼し心を預けられる相手だけにしか見せない美しい笑みだった。
「アリア……」
ルークは夢でしか見たことのなかった愛しい笑顔に大きく目を瞠って釘付けだ。彼の胸の奥がざわざわと妖しく高鳴る。
(他の誰にも触れさせたくない、綺麗で可憐で強い、僕だけの花)
無意識が彼の衝動を後押しする。
触れたい、もっと……と。
アリアもその時ようやく彼の変化に気が付いた。
ルークの眼差しには懐かしさと愛しさ以外に炎のような熱を孕んでいた。
キスしてくる、今度は寸止めにはならないだろう、とアリアは直感する。
ルークは現に握り合っていたその手を彼の方へと引いてアリアを抱き寄せるようにしたし、唇を重ねようと顔を傾けた。
アリアはドキリとして痺れたように動けない。
そこには心の根底にそれを望んでいるアリア自身がいるからだ。大人になったルークと過ごして、彼は魅力的なのを重々知って、惚れないわけがなかった。
けれど駄目だからと、認めないように押し込めて自分でも見ないようにしていた。
大人のルークと居て密かに新しく生まれた願望。
彼へと向く恋愛ベクトルを。
(ジョン、私はあなたを糧に進んでもいい?)
アリアはまつげの先をピクリと微かに震わせ下ろそうとした。
しかし、意外にもルークはピタリと寸止めした。
あたかも彼の理性が彼の頬を叩いたかのように。
その通りだったのか慌てた彼は赤面した顔を少し後ろに引いた。
「はあぁ~~っ、あわやだった! 無理矢理しそうになった、ごめんっ!」
頬にはしたくせに、唇には強引にはできないらしい。アリアとしても頬と唇とでは感情的に大きく異なる。
大体、自分たちはまだ恋人でもないのだ。
(だけど、私……)
アリアは身を乗り出して、ついさっきはほんの後少しだった距離を自ら無くしてやった。
ルークは驚愕に一瞬体を奮わせたけれど、控えめに唇をやや離してアリアの表情を見たその刹那、今度は彼の方からぐいと押して口付けた。
(え……ルーク!? さささ最初なのにいきなり舌までっ!?)
思い余った彼から濃厚にキスされてしまい、そこまでは想定していなかったアリアは大いに狼狽える。
けれど、拒む気持ちは微塵もなく、だから結局は甘い甘いルーク青年の巧みなキスに翻弄されてしまったアリアなのだった。
「――ねえ、僕たち、恋人だと思っていいんだよね?」
「あ、ええ、はい、そうですね」
キスを終えてご満悦な彼から確認された時は、照れる反面、何か負けた的に悔しくも思ったアリアだ。
「ところで、もう一回キスしてもいい?」
「え!?」
味をしめたのか、彼から艶っぽい眼差しを向けられて、また今さっきの甘甘なのが来るのかと動揺、いや戦慄した。
(あ、あ、あんな気付いた時には朝ちゅんしていそうなキスなんて、一日一度でも心臓に悪いーっ)
これがこの先、ルークに丸め込まれて「二人きり」でドラゴンの呪いを解く旅に出る彼女が、無視しようとしてもできないドキキュンに振り回される日々の幕開けだった。
また、前世に関しては、ルークは出来た男だったジョンと比べられるのが相当嫌だったのか、だいぶ後までアリアにだけは黙っていた。
代替わりした支援者らはルークの前世を早い時期に知っていたので、アリアは自分だけ無駄に除け者にされていたと大層憤慨して大喧嘩が勃発したとかしなかったとか。
――因みに、礼拝堂でのあの後。
「だめー! チューはほっぺまでなのにーっ!」
「おいっエロばかルーク! おれのアリアせんせーに何するんだよー!」
「キャーお菓子伯爵はハレンチ男だあ~っっ!」
と、子供たちが大騒ぎして雪崩れ込んできたので、甘い空気なんて秒で吹っ飛んだ。
彼らはお菓子を食べ終えやってきたものの、子供ながらにも何となく邪魔できない雰囲気だったために物陰からこっそり覗いていたらしかった。
慌てて近付けていた顔を離したアリアとルークの二人だったけれど、迫られていたアリアは助かったと正直なところホッとした。
ルークとの甘いスキンシップにまだ全然慣れていないせいだ。
ただそれをルークに悟られて拗ねられて、じゃあ早く慣れようと思い切った彼から後々より誘惑される羽目になったのはまた別の話だ。
アリアは、ルークの計らいで先代の支援者たちに一度会いに行き感謝と謝罪を述べ、それから新しい支援者たちとも顔を合わせた。これも全部ルークのおかげだ。
新たな支援者たちはアリアがドラゴンの呪いを解くその時まで、心強い味方になってくれるだろう。
まあ何はともあれ、掛け値なしにアリアの最も心強い味方はと言うと、それは言うまでもなくルーク・ブライトンその人なのだけれど。
「ルーク」
「何だい?」
「愛していますよ」
「僕も」
そんな甘い会話が日常になるまで、二人はもう分かたれたりはしないのだ。
百年の恋は冷めずにこれから まるめぐ @marumeguro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます