第8話 支援者たち

 本当は後ろ髪引かれまくりなルークは、一人アリアからの見送りに至福を感じながら、ふと、彼の祖父が亡くなる直前に書いたのだろう自分宛の手紙があったのを思い出した。


 一度読んだけれどアリア情報は皆無だったので、実家の机の引き出しに入れたままにしていた。


 確かその手紙には彼の親しい古き友人らに借りたものを返してくれるようにと、そんな自分でやれと手紙を破り捨てたくなるような無責任かつ丸投げな内容が書かれていたと記憶している。


 何故祖父があんなふざけた手紙を遺したのかは今も不明だったけれど、どうして天啓のようにこんな時に思い出したのかも不明だ。


(あの祖父の親しくしていた旧友たち、か)


 現伯爵の父親とは異なり、偏屈で有名だった祖父に客人が来た所をルークは見たことがなかった。それなのに親しい古き友だと断言するのは寂しい老人の願望だったのか、或いは他に理由があったのか――……。


 ルークは世界は謎に満ちているな、と思いもした。

 因みにその謎には祖父も含まれている。

 前世の記憶持ちの自らにしてもそうだ。

 アリアにしても。


(アリア……。僕は何も知らないけれど、推論くらいは立てられる。彼女はおそらくエミリア王女だった時からずっとあの姿で生きているんだろう。……まさか、死ねない、とか?)


 前世で死ねないのだと過激なパフォーマンスさえ見せてくれた、あの老ドラゴンの姿が脳裏を過る。

 ルークは敢えて意識を切り替えるように一度強く目を瞑った。

 情報がまだ少な過ぎるうちに下手に予測を立てるのは止めた。


(今更だけど、何だか急にやけに気になり出したなあ、あの手紙……)


 人間これも直感というやつだ。


 これは一度実家に戻ってみた方がよさそうだ、とルークは思って努めて地面を踏み締めて前進した。気を抜けばアリアへと回れ右しそうだったのだ。






 再会以来、アリアの居る孤児院兼教会によく顔を出すようになったルークは、今日もアリアと小さな礼拝堂の長椅子に並んでいた。しかも何故か二人の定位置は最前列となっていた。


 その木製の長椅子は背凭れの角部分が荒く欠けているせいでうっかりするとトゲが刺さる。

 そこを避けて腰掛けるルークは必然的にアリア寄りに位置することになる。ここの長椅子は基本全て三人掛けなので、ルークはいつもこの椅子を選んでいた。その方がアリアのより近くに座っても不自然ではないからだ。

 アリアは単に前に他の椅子がないので、足の長い彼がゆったり寛げるからだと思っていたけれど。


 子供たちは最早定番となったルークの手土産の菓子を与えられ礼拝堂を汚さないよう外で食べているので不在。今ここは静かだ。


 ルークが毎回沢山の甘味を持参するのは、彼の編み出した最善の子供払い方でもあったりする。


 その間は邪魔が入らずアリアを独り占めできるのだ。その思考回路は最早どちらが子供なのかわからない。


 彼が通ってきて早二月。


 つまりは再会してからそのくらいだ。


 子供たちの間ではルークは「お菓子伯爵」なんて変なあだ名で呼ばれていた。爵位は祖父から父親へと引き継がれておりまだ爵位を継いでもいないのに伯爵呼びされている辺り、ルークはちょっと複雑そうだった。


 彼はアリアの不老については未だ何も問いかけてこない。


 時折り何か言いたそうにはする。けれどそれだけだ。


 アリアは心苦しい反面、彼を巻き込まずに済んでいる現状に安堵を感じてもいた。

 いつかルークは他の女性と恋に落ちてアリアの元を離れていくのだろうとそう思っているためだ。余計な厄介は背負わない方がいい。

 彼はまだ若く輝かしくそしてハイスペックだ。実際彼が大学や社交界でどう過ごしているのかは知らないけれど、周囲が放ってはおかないだろうとはアリアにも断言できる。実際教会のご近所さんたちはルークが来ているとわかるとやたら手伝いに来る。ここの敬虔で実直なシスターたちでさえ密かに頬を染めている場面をアリアは何度か目撃した。


(子供の頃からその片鱗はありましたけれど、坊ちゃまは大した人タラシにおなりになって……)


 とにかく、周りに恋させるスペシャリストのルーク本人が誰かに恋をしないわけがないとアリアは自信すら持ってそう思う。


 もしも彼から恋愛相談なんてされた日には全力で応援しようとも考えていた。

 百年の間に数多の人生を見てきた。幸福も不幸も沢山。

 されど、アリアには手の届かない眩しい人生たちだ。彼女は伴侶を望めない故に。


(そんな残酷なことはできないもの)


 人間とドラゴンは社会形態がおそらくは異なるのだろうけれど、あの老ドラゴンも似たような思いをしていたのだろうかとふと思う。


(ううん、していたんだわ。孤独に苛まれて死を交換する程には)


 そんなアリアの横ではルークが今日も世間話や大学の話をしていたけれど、話の区切りに何かを思い立ったのか、やけに決然とした面持ちで彼女を見つめた。ごくりと覚悟に生唾さえ呑み込んだようだ。


「――よしアリア、一緒に婚前旅行に出よう!」

「…………?」


 アリアは彼にもう一度言ってくれと頼んだ。

 耳垢が溜まっているのかもしれないと耳の上から軽く叩く。


「婚前旅行しようって言ったんだよ」

「聴覚は正常、と。けれど、え? 何ですって? よし婚前旅行? 脈絡なさ過ぎですね。――あ、もしや坊ちゃまにはどなたか意中の人が? それで私にも誰か恋人を作ってダブルデートならぬダブル婚前旅行を、と?」

「アリア、無理に捻った解釈をしないでよ。そのままの意味だよ」


 ルークは拗ねたのと苦笑したいのとが半分みたいな顔をした。昔から彼はアリアに凄く懐いてくれていて、彼女自身好かれているのはよく知っていた。

 再会した後も彼は変わらず好意を向けてくれているのも実感している。


 何しろアリアはルークの乳母だった。


 乳母と言うものは時として世話をされた子供にとっては特別なのだとアリアは経験上わかってもいた。


 だから、アリアとしては歳の差もあるし乳母として慕ってくれる気持ちはあれ、そこに恋愛感情があるはずもないと思っていたし、更にはそもそも恋愛関係にもないのに婚前旅行という単語が聞こえて、本気にしろと言う方が無理だ。


「まあ坊ちゃまったら悪いご冗談を」

「僕は本気だよ。――今度こそ、君と一緒に年を取りたい」

「今度こそ……?」

「あ、いやこっちのことこっちのこと」

「そう、ですか?」


 困惑を浮かべるアリアだけれど、不思議そうに小首を傾げるそんな姿さえルークの萌えポイントだったりする。それも彼がジョンだった頃からの。

 ただし、彼は前世の記憶云々をまだ話してはいなかったので、たまにうっかり発言をしてアリアを怪訝にさせる。


「ああもうっ、アリアって存在自体がこう何て言うかさあ――罪だよね」

「つみ……」

「え? 何でそんな悲しそうな顔……あああ違う違う誤解しないで。だってアリアはいつも全ての挙措が僕を嬉しくさせるから、好き過ぎるーっ萌えるーってニュアンスでだよ」


 ルークの直球な好意にさすがのアリアも嬉しい反面たじたじとなった。


「そうですか、ありがとうございます。本当に坊ちゃまは想像通りにお育ちで」

「ええ? 前も言っていたけどそれはどんな想像? ……なんてまあいいか。ところでさ、その坊ちゃま呼びさ、もうやめてほしいんだけど」

「私にとっては坊ちゃまは坊ちゃまなのですよ。他にどう呼べと?」


 するとルークは酷く不満そうに半眼になった。


「だからぁ、子供扱いは止めてほしいんだよ」

「親にとってはいつまでも子供は子供というでしょう? 乳母にとってもそこは同じなのですよ」

「……僕はアリアの子供じゃないよ」

「ふふっでもおしめもお漏らししたお布団も取り換えましたよ? ね?」

「ね、て……」


 ルークの気も知らないアリアの言葉に、当のルークは死にたくなった。


「…………現実って酷だよね」

「うーんそう言われましても小さい頃から知っていますし、巷のご高齢の方々が若者を見守るような温かな気持ちで常々坊ちゃまに接しております」


 それは完全に眼中外じゃないかとルークは一人小難しい顔で思案する。アリアに意識させるにはどうするのがベストなのかと。


「とにかく話を戻しますと、教会での仕事もありますし、一緒の旅行は些か難しい申し出です」

「……」


 見事に婚前は取っ払われている。ルークは困ったように眉尻を下げる。


「重要なのは旅行自体じゃないんだ。実際には旅行に行かなくても構わないんだ。ただね、僕はアリアにそろそろ僕を大人の男として見てほしいんだよ」

「坊ちゃまが大人の女性に見えたためしはありませんけれど」

「もう、アリアのそれはわざとなの? 君のタイプって僕と違って男らしくてまさに叩き上げのザ・軍人ですって感じだったりするんでしょ? ほら例えば有名な――ジョン・オークス将軍みたいな一見細身な癖に脱ぐとすんごいマッチョの」

「えっ……! そっそれは否定はしませんけれど、坊ちゃまは坊ちゃまの良いところがあると思います、ええ、そうですとも! 細く見えてその実鍛えてもらっしゃるようですしね!」


 図星を指されて狼狽えるアリアの様子に、ルークはあからさまに面白くなさそうな顔になって唇を突き出してボソボソと何かを呟く。


「過去の自分に嫉妬する日がくるなんて……。それにアリアは性格も随分と生真面目になった。ジョンを真似なくていいのに……」

「ええと? ちょっとよく聞き取れませんでした」

「ああ、気にしないで。ちょっと長い独り言だから。それより僕は細く見えてその実鍛えてるって……きゃー、アリアったら覗いたのー?」

「のっ覗いたわけではなくて、あれは以前ここで坊ちゃまが子供たちと泥んこになって遊んだ日に汚れた服を着替えていたのをたまたま通り掛かって見ただけでっ! けっ決して変に不埒な気持ちで見たわけでは……っ」

「微塵もなかったの、不埒?」

「……っ」


 彼女は居堪れずに顔を両手で覆った。耳まで赤い。そのままの姿勢で彼女はぼそりと言う。


「ルーク坊ちゃまは、一般的に見て見惚れるくらいにちゃんと格好いい男性です。そこは間違いありません」

「アリア的には?」

「坊ちゃまは坊ちゃまです。他の誰でもありません」

「……一般的に格好いいよりも全然いいね」

「え……?」

 

 返された言葉の真意がわからず困惑するアリアへと、ルークは横向きに座り直して眼差しでしっかりと想い人を捉えた。


「その様子を見るに、アリアにはきっと、少しくらいハッキリと行動で示した方がいいんだ」

「ハッキリと?」


 自身に言い聞かせるかのような台詞に怪訝にしたアリアは、がしりと両肩を掴まれて目を白黒させる。


「坊ちゃま?」

「アリア、これからは僕を恋愛対象として見てほしい」


 チュッ、と軽い吃音を立てて、ルークはアリアの滑らかな頬に口付けた。小さな頃にもよくそうしたように。

 けれど、お互いの現在の容姿でやると少々勝手が違う。


「――えっっ!?」


 呆然とした次に見る間に真っ赤になって頬を押さえるアリアを依然真っ直ぐ見つめながら、ルークは少し微笑んで首を傾げてみせる。


(坊ちゃまがやると大人の男でも効果絶大……っ、そこらの人気役者たちよりも余程花形!!)


 アリアは身内贔屓目もあって正直ぐっときた。坊ちゃま推しと言えばそうかもしれない。しかしそんな乳母的な萌えに浸っている場合ではないと我に返る。

 大事な坊ちゃまの軌道修正をしなければ、と。


「坊ちゃま、ご好意は嬉しいのですけれど、こう見えて私は結構な年増なのですよ!!」

「ああ、うん、それは知ってるけど」

「えっ……!?」


 自分で年増とか言ったアリアだったけれど、ルークの肯定に内心ちょっとダメージを負った。でもこの見た目で百歳超えという尋常ではない年齢というか、微塵も外すところのない本当のことなので耐えた。





 一方ルークには勿論皮肉るつもりはなく、単にエミリア王女時代からの年数が念頭にあったので深く考えず頷いただけなのだけれど、無論アリアはそれを知らない。


 ルークは今や推測や推論ではなく、アリアの秘密を既に正確に細かに知っていた。


「ん? アリア? 急にどうしたの心にナイフでも刺さったみたいな顔をし――あっちちち違うんだ! 年増で同意したのは別に変に嫌味な意味じゃなくて、僕より年上って観点からその通りだよねってわけでっ、無神経だったよね、ごめん!」


 平謝りするルークは、今日までの間に実家に行って祖父の手紙を読み返し、手紙に書かれていた祖父の古き友人らとやらに彼の借りていた品を返すために会いに行っていた。


 借用物は古いキセルやらヘンテコな置物やら、何の変哲もないハッキリ言えば返さなくても良くないかと思われる大した価値のなさそうな品ばかりだった。


 まあそれでも大切な思い出が個々のその品々には宿っているのだろうと思えば、何も知らない自分が物理的観点から無価値だと決めつけるのは宜しくないなと内心反省をしたものだ。


 ただし、本来の持ち主に返すだけがルークの目的ではなかった。


 アリアを知っているか、と、もしも何か彼女の事情を知っているのなら教えてほしいと素直に頭を下げた。


 会ってみてわかったけれど、祖父の旧友らも祖父同様にもういいお年で、老獪な彼らに小手先やら小細工やらはかえって逆効果だと判断したためだ。

 幸い、正解だったようだ。

 蓋を開けてみれば、祖父のように案外世の中の各方面に影響力のある彼らは、よくよくアリアを知っていた。

 彼女の元々がエミリア王女だという秘密も。


 加えて、彼らはエミリア王女の支援者だと自らをそう呼んだ。


 祖父もその口で、彼はエミリア王女の四人の支援者の中でも一番年嵩だからと纏め役を任されていたらしかった。


 王女の支援者。ルークにはそれがどう言った意味を持つのかがわからない。彼らの誰も不可思議な力は使えない普通の人間だ。なので財政面や働き口などを世話する者たちの単なる肩書きなのかもしれないと思った。けれど、完全にそれだけと結論付けたわけでもない。


 ただその答えはアリアと居るうちに自ずと悟れるような気もした。


 ……その真実は、遠い異国ではドラゴンの随行者、または眷族と認められた者には幸運が訪れるために、人生が豊かになる不思議な縁が生じるとされる。

 故に、その者は意識して、或いは無意識時にもドラゴンとの絆を大切にし、時に手を差しのべる役割を担うのだ。そこには決して魔法は介在せず、純粋に世界を繋ぐ縁が起因すると言われている。

 エミリア王女はドラゴンではない。

 けれど、ドラゴンと生を取り替えたために似たような作用が生じたのだ。支援者が皆悉く成功者でもあるのはそのためだ。

 ただそれは支援者当人にしか理解できない感覚で、だからこそ彼らはこの上ない忠誠にも似た感覚で他言はせず、エミリア、つまりアリアを支え時に護ってきたのだった。


 そんな支援者らは、アリアの詳しい秘密を教えてほしいのなら持参した品を骨董市で売ってくるようにと、ルークに揃って同じく奇妙な条件を提示してきた。


 キセルや置物を手放す行為は、当代の支援者の役目の終わりを意味し、新たにそれを手にした者が新支援者となるそうだ。

 だから様々な人の訪れる骨董市で売りに出すらしい。

 この先彼女を護りたいのならば、それらを購入した者たちと関わりを絶やさないようにするようにとの助言、いや忠告も受けた。

 

 ルークとしては、その選考基準が果たして大丈夫なのかは激しく疑問だったけれど、仮に新たな支援者が腑抜けで役に立たなくとも、自分がアリアを護っていけばいいと思っている。

 支援者が男性ならばむしろ逆に彼女に指一本たりとも触れさせたくはないので、遠ざけることも可能だ。目を光らせていられる。


 ルークは支援者らにも彼の前世の話はしなかったけれど、品を骨董市で売却して見事条件を満たし、尚且つアリアを想う心の強さを認められたのか、はたまた祖父の孫だからなのか、おそらくはその全てがプラス方向に作用したのだろう、当代支援者たちからエミリア王女の身の上にあるドラゴンの呪いの話を聞くに値すると判断されたようだった。


 およそ馬鹿げた話だと、普通の者なら思うだろう。支援者らもきっとそう言われると想定していたらしい。


 けれど、ルークは特別だった。


 信じるかと問われ、信じると一分の揺らぎもなく返答したルークを支援者らは彼らの目元のしわを伸ばして珍しいものでも見るように見つめてきたものだ。


 彼らも実はアリアをとても心配していたようだったので、機会があれば彼女に秘密を知ったと打ち明けて彼らと会ってもらうのもありかもしれないとルークは考えている。


 とにかく、アリアの容姿が変わらない理由に彼は合点していた。

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