Ⅵ-Ⅱ 大崎五樹



 *一月二五日 水曜日 屋上



 一月の屋上はあちこちに雪が積もり、以前来ていた時とは全く違う景色になっていた。

 目に入る景色はモノクロで、まるで色のない世界に迷い込んでしまったかのようだ。

 あの時よりも更に冷たくなった風が、容赦なく肌に突き刺さる。

 それでも俺は勝手に扉を開けて、そこにいる。

 楽しかったあの思い出に、少しでも浸っていたい気持ちだった。

 学校は、年明けと共に綾人の事故を忘れてしまったようだ。

 普段と何も変わらない時間が流れている。

 俺は……そんな生活するのが苦痛で仕方なかった。

 一人、冷たい雪の中で深い眠りについた綾人。

 今度こそ、手の届かない……。

 完全な悪夢の中に、綾人は入ってしまったのだ。

 これが、絵に閉じ込められるということなのだろうか。

 死を暗喩していたのだろうか。

 誰に訊こうにも、もう……それに応えてくれる人はいない。

 あの一週間はとっくに終わっていて、何度も繰り返していた世界全てが幻だったのだから。

 もちろんアイは転校して来ていないし、正月明けには神田が退学したという噂が耳に入ってきた。

 魔法に関係していた人物は、綺麗さっぱりいなくなってしまったのだ。

 情報を知っていそうな、悠希やレストランのマスターに話を聞いても、困ったように神田の行方は分からないと言われるだけだった。

「大崎、またこんなところでサボっているのか!」

 屋上に響く委員長の声。

 俺がここに来るたびに、律儀に注意をしに来てくれる。

「こんなところにいたら、風邪をひくぞ」

 委員長はそう言うと、俺の手を引いて室内に入ろうとする。

 何の抵抗もする気のない俺は、委員長に引っ張られるがままだ。

「……なあ、委員長」

「なんだ?」

「神田も、よくここに来てたよな」

「そう……だったのか?」

 バツが悪そうに委員長は目線を逸らす。

「申し訳ないが、神田とはあまり話したことがなかったものでな……」

「中学、同じだったんだろ?」

「この前も話したが、あまり親しくはなかったのだ」

「……そうだったな」

 再び冷たい風が吹く。

 間違いなく、アイツらが委員長の記憶を奪ったんだろう。

 自分達から遠ざけるために⋯⋯。

 この世界のどこかに、アイツらはいるのだろうか……。

 だけど……。

 俺にはアイツらに対向する術を持っていない。

 神田やアイのような力を……何一つ持ち合わせていないんだ……。

「……帰る」

「な……っ!? 大崎!?」

 引きとめようとする委員長の手を上手くかわし、俺は屋上から逃げるように降りていく。

 後ろから聞こえてくる足音はない。

 まあそうか……。

 一ヶ月もこんなことやってたら、さすがの委員長でもいい加減諦めるよな……。

 俺は荷物を持って学校から飛び出す。

 途中で猫背の担任と鉢合わせしたが、特に咎められることはなかった。

 商店街を通らず、真っ直ぐに家へ向かう。

 一人で歩く通学路は、こんなにも長いものなのか。



 *一月二五日 水曜日 自室



 ようやく家に辿り着き、そのまま自室のベッドに倒れ込む。

「なんで……」

 胸にぽっかり空いた穴。

 家についても、安心できる場所は俺にはなかった。

 それだけ、綾人の開けた穴は大きかった。

 決して開くことはない、隣り合った窓。

 電気の点かない部屋。

 当たり前だった日常。

 しつこいくらい、窓から聞こえる声。

 本当に、他愛もない話。

 本当に、些細な幸せ。

 『また、明日』と言えること。

「…………」

 何がいけなかったのか……。

 そんなの、分かってるじゃないか……。

 あの時俺が……綾人の居場所をすぐに見つけることが出来ていたのなら……。

 ずっと綾人の傍にいて、森の教会に行くことを止めていたのなら……。

 そうすれば、綾人は事故に遭わなかった。

 絵に願いをかけることなんかなかった。

 答えは簡単だ。

 全て俺が……。

 俺のせいで……。

「……っ」

 ……今更、後悔したってどうしようもない。

 もう疲れた……。

 こんなにも、綾人と過ごした記憶が辛くなるなんて……。

 何度も繰り返した世界が、重くのしかかる。

 もっと、あの世界で……。

 綾人を大切にしてやれば良かったのに。

「……くそっ」

 どうしてアイは、俺の記憶を残したんだろう。

 組織の意向に逆らってまで……。

 あれは、本当に偶然だったのか……?

 それとも……俺にもまだ、できることがある……?

 いや、そんなはずはない……。

 だって……もうアイツらと接触することなんてないのだから……。

 魔法、魔法使い、廻る世界……。

 アイツらとの接点なんて……。

 何も……。


『『因果律と世界』、『魔法実験まとめ』、『レオンハルト・ミューラーに関する中間報告書』』


「……!」

 指先が震えた。

 心臓の音が大きくなっていく。

「そう、だ……」

 一つ、心当たりがあるじゃないか……。

 魔法、魔法使い、廻る世界……。

 それらに共通するもの……。

 どうして……。

 どうして、今まで気づかなかったんだ……!

 あんなに大量の本を持っていた人物が……。

 すぐ近くにいたじゃないか……!

「……っ」

 俺は震える指で、携帯電話のボタンを押す。

 この番号に電話をかけるのは何年ぶりだろう。

 その人は、意外にも三コール目ですんなりと出てくれた。

「……もしもし、母さん?」

 緊張からか、声が掠れている。

「急に電話したりしてごめん……」

 一つ一つ丁寧に、言葉を絞り出す。

「今、大丈夫か?」

 母さんは、一体どんな顔をするだろう。

「……あのさ」

 いつものように、鼻で笑いながらあしらうだろうか。

「ちょっと、訊きたいことがあるんだ⋯⋯」

 ……それとも。

「――――魔法使いって、いると思うか?」




第一章 降り積もる雪の中で 終

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廻る世界と魔法使い 野薔薇荊棘 @misapooh801

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