Ⅵ-Ⅰ 大崎五樹



 *一二月二五日 月曜日 森の教会



 魔法が解けていく。

 人柱を失った魔法が、脆く崩れていく。

 一二月二五日がやってくる。

 そう、これは……。

 あの夢の続き……。

 俺は――――。

 走り続ける足を止めた。

 たどり着いたのはたくさんの思い出が詰まった、森の教会。

 いや、違う……森の教会だった場所。

「…………」

 それはもう見る影もないものになっていた。

 思い出を連れて崩れ去ってしまった、哀れな廃屋。

「綾人!」

 幾重にも積み重なっている残骸を押しのけ、必死に幼馴染を探す。

 手が悴んで氷のように冷たい。

 固まってきた雪は、素手ではかき分けることができない。

「い……っ」

 木片が指先に突き刺さる。

 何本もの棘が、肌の中に沈んでいく。

「綾人……っ」

 それでも手を止めないのは……。

「あや……と……っ」

 ここに、綾人が居ることを知っているからだ。

「…………」

 ああ……見つけた……。

 降り積もる雪の中で――――穏やかに、綾人は眠っていた。

 抱き起こした綾人の身体は、冷たくて……。

 そして、決して動くことはなかった。

「なんで……」

 俺は顔を伏せる。

 どうして……どうしてなんだよ……。

 どうしてこんな……っ!

「…………」

 その時、左肩にそっと手が触れた。

 そこに立っていたのは……疲れた表情のアイだった。

「やっぱり、まだキミには記憶が残っていたんだね。魔法が解ければ、その間の記憶は消えるはずだったのだけど……。私の魔法は、私の素肌に直接触れることが条件でかかる……。あの時、私の不注意で、キミに触れてしまったから……」

 アイは、その端正な顔を歪ませる。

 自身の、薄い唇に触れながら。

「なあ、アイ……。ここは、現実なのか……?」

「そうだよ。あの一週間は、魔法で繰り返していたもの。二四日と二五日の間に、永遠に繰り返しを続ける一週間が入り込んでいたんだ……絵の魔法によって。私達は、魔法によって創られた一八日から二四日を何回も、何回も繰り返していた。その魔法が消えた今、元の世界……二五日がやってきた」

 アイが小さな声で解説をしてくれる。

 しかし、今の俺にはそれを頭の中で噛み砕くだけの余力は残っていなかった。

「本当なら、キミはアヤトを見つけることができず、二五日の朝……アヤトは警察に発見される予定、だったんだけど……予定が狂ったな」

 焦りを含んだアイの声。

 そしてすぐに背後から、足音が近づいてきた。

「おやおや……ずいぶんと帰りが遅いと思いましたら、こんなところで油を売っていらしたのですか」

 現れたのはスーツ姿の長身の男だった。

 特徴的な片眼鏡をかけたその男は、アイと同じ車に乗っていた人物で、ストバでも遭遇したことがある。

 アイと神田が、近づいて欲しくないと言っていた人物だ……。

「ゴルゴン……」

「その名前はやめてください。今は仕事の都合上、石河いしかわと名乗っておりますので」

 その男は、口角を釣り上げるように嗤った。

 そして放心して座り込む俺の前を通り過ぎ、アイの所までやってくる。

「魔法の世界はもう消えてしまいましたよ。我々には、やらなければならない仕事があるでしょう? ねえ、序列第四位、アイギス・レイン・ベザレル様」

「うん、そうだね……」

「そして、序列第一〇位……いえ、序列第九位、神田鷲介様」

「神田……!?」

 その名前に、思わず顔を上げる。

 そこには……片眼鏡の男とは別のスーツ姿の男に、後ろ手を拘束された神田の姿があった。

「よお。オマエ……まだ、記憶消されてなかったんだな……」

 少しだけ安心したように、神田は笑った。

「一応、カレの名誉のために言っておきましょう。カレは先程、終わった世界より我々によって拘束されていました。我々と敵対し、大崎五樹を助けようとしていましたから」

「シュースケが……? でも、どうして記憶が……だって前回の世界では一度も私に触れていないはず⋯⋯」

 アイもそれを知らなかったのか、その様子を見て困惑した表情を浮かべている。

「前々回、オマエに触らせたブルーダイヤモンド⋯⋯。それにちょっとした仕掛けをしといたんだよ。言ったろ、実験だって」

「なるほど⋯⋯カノジョが協力してくれたんだね⋯⋯」

「めちゃくちゃ金取られたけどな」

 したり顔で答える神田に、アイは困ったようにため息を付く。

 しかし神田はすぐにこちらを向いて、表情を暗くする。

「悪い、大崎……結局オレ、役に立たなかったな」

「そんなこと……」

 それは、神田とは思えない弱々しい声だった。

 俺達の会話を遮るように、片眼鏡の男が口を挟む。

「如何なる理由がありましても、あの絵に関してだけは我々は目を瞑ることはできないのです。あれは、世界を歪めるもの……。この世に存在してはいけないものですので。また、神田鷲介様の力は特殊であり、使用が制限されています。我々に協力するため、もしくは影響のないところでの使用でしたら問題はなかったのですが。我々に刃向かうための使用は、さすがに見逃すわけにはいきませんね」

 神田は顔を背け、悔しそうに歯を食いしばる。

「再三警告をしましたのに、全く意味を成しませんでしたね。本当に困ったものです。昔からこの国の人間は変わりませんね。確か、あの戦争でもそうでした。しつこく最後まで抗って、そして――――」

「なら、嫌と言うほど知ってるだろ? 日本人は諦めが悪いんだぜ?」

 拘束されている状態からでも、神田は負けじと男を睨みつける。

「怖いですねえ。大戦時と違い……今現在、日本人の聖痕持ちは四人もいますから。うっかり戦争でも始まってしまえば大変です」

「っ」

 片眼鏡の男は、自分を睨みつける神田の前髪を掴み、乱暴に顔を上げる。

 顔を顰める神田を舐め回すように見つめるが、特に何をするでもなくそのままニッコリと笑い、手を離した。

「ああ、カレはもう連れて行って大丈夫ですよ。必要ないので」

 男が合図をすると、神田は引きずられるように車のある方へと連れて行かれる。

「神田!」

 俺は慌てて立ち上がり、その後を追おうとするが⋯⋯。

「ダメ」

 アイが前から抱え込むように、俺の動きを阻止する。

「離せよ、アイ!」

「お願いだから……大人しくして……!」

「なんで……っ」

「大崎……!」

 苦しそうな神田の声に、俺は慌ててアイから視線を移す。

「煉のこと、頼む……!」

「神田……」

 そう言って、目を奪われる程儚げに笑う神田。

 そのまま闇の中連れて行かれてしまい、姿が見えなくなってしまった。

 アイに抵抗する身体の力が抜け、その場に立ち尽くす。

 なんだよその……もう、会えないみたいな言い方。

「……どうしてシュースケを連れてきたんだい?」

 アイは怪訝な顔で男を見上げる。

 男は俺の顔を見て、ニヤリと笑った。

「この顔が見たかったからですよ。ワタクシは人の絶望する顔が大好きですので」

「っ」

「安心してください。聖痕を持つ者を、そう簡単に殺したりはしません。相応の罰は受けてもらいますが」

「罰ってなんだよ……」

 それが一体何を意味するのかは分からなかったが、生半可なものではないことはなんとなく想像がつく。

「イツキ……大丈夫だから……」

「アイギス様も甘いですねぇ。本来であれば、このループは必要なかったでしょうに」

「⋯⋯それが、アヤトとした約束だから。あれだけ世界が繰り返したんだ。今更一回増えたって問題ないよ」

「!」

 綾人が幸せだったと言った世界は……アイが守ってくれたものだったのか……。

「まあ、今回の功績はアイギス様のおかげですので、ワタクシも目を瞑りましょう」

 その男はまるで演劇のように大袈裟に手振りをする。

 完全に悦に浸っているようだ。

「……オマエら、そんな壮大な力を持ってるわりには、ループの原因を突き止めるのに随分時間がかかったんだな」

「イツキ……っ」

 アイが慌てた様子で声を上げる。

 吐き捨てる俺に、その男はゆっくりと近付いてきた。

「ほう……」

 片眼鏡の奥の目は、まるで獲物を見つけた蛇のようだった。

「なるほどなるほど。繰り返す世界を簡単に戻せなかったワタクシ達を、無能だと思っているわけですか」

 何がそんなに楽しいのか、男はまだ口端を吊り上げている。

「この世界では、実に様々な実験ができました。魔法使い達の力を試す様々な実験が、ね。しかもそれを覚えているのはアイギス様をはじめとした、一部の者のみ。そんな貴重な世界を、自らの命を持って創ってくれたこと……月島綾人様にはとても感謝しているんですよ。だから目を瞑ると言っているのです」

「綾人はそんなことのために……っ」

「黙って、イツキ」

「アイ……」

 先程とは打って変わって、アイから迷いの表情が消えていた。

「そろそろ、私達もここを立ち去った方がいい。騒ぎになる前に」

「もちろん、そのつもりです。だからこうして序列第七位を連れてきたのでしょう?」

「七位……」

 アイは目を見開き、その気配の方へ顔を向ける。

 そこには厚手のダッフルコートを纏いながらも、ガクガクと震えている小柄な少年が立っていた。

 その身長と顔つきから、俺よりも少し年下に見える。

 長めのボブヘアーに、同じく切り揃えられた前髪。

 そこまでならどこにでもいそうな中学生のようだが、片目に付けたよくあるタイプの眼帯が、良くも悪くも目立つ。

「寒い……マジあり得ない。凍死するこれ。やるなら早くして……」

 少し高めの早口で文句を垂れ流している。

「久しぶり」

「……ども」

 さっきまでの饒舌はどこにいったのか、アイがその少年に話しかけた途端、瞬時に声が小さくなった。

「カレは、七位のままなんだね。……どうしてシュースケの序列が変わったんだい?」

「それは些細なこと。また、別の物語が動き始めただけです」

「別の……」

 男は意味深に微笑むが、それ以上話す気はないようだった。

「……それじゃあ、始めましょうか」

 そして、パンと両手を叩く。

「!」

 俺はまるで金縛りにでもあったかのように、身体が動かなくなったことに気付いた。

 ただ立ちつくしている俺の肩を後ろから掴み、そのまますぐ横で話しかけてくる。

「これから――――この世界、絵、ループ……それらに関するアナタの記憶を消させていただきます」

「……は?」

 記憶を……消す?

「なんで……っ」

「もうキミには、必要ないものだから」

 目の前にアイもやってきた。

 後ろの男がぐいと両肩を下に押し、雪の積もる地面に膝立ちにさせられる。

 膝の濡れていく感覚がなんとも気持ち悪い。

 そして、アイも俺と同じ目線になるようにしゃがみ込んだ。

「辛い記憶なんて、ない方がいいだろう? キミにとって、それは重荷にしかならないよ」

「……バカ言ってんじゃねえよ。俺は……っ」

「覚えていてどうなるの? 辛い記憶をひたすら後悔し続けるのかい?」

「そんなわけないだろうが……っ! 俺がこのことを忘れたら……誰が綾人のこと、覚えているんだよ……!」

「それは……」

 委員長があの夜に言ったことが、重なる。

「アイツはずっと一人で頑張ってたんだぞ! なのに、それを忘れちまったら……俺が忘れちまったら……っ。アイツの努力がすべて消えちまうだろうがっ!」

「……そんなの、意味のないことだろ」

「意味がなくても、やらなきゃいけないこと……いくらだってあるんだよ。それが……人間ってもんだろ……」

「…………」

「綾人のこと、それにオマエのことだって……絶対に、忘れはしない……! 絶対にだ!」

「俺の魔法が効かない人間なんていないし」

 少しムッとしたように、その少年は一歩前に出る。

「そんな、ワケの分からない力なんか……」

「魔法」

 頭上から聞こえる男の声。

「ワケの分からない力ではありません。これらは全て『魔法』なのです」

「…………」

「貴方は、魔法を感知することができない。ただ、それだけですよ」

 分かってる。

 抵抗する力すら持っていない俺は、されるがままに蹂躙されるしかないんだ。

「さて、我々はそろそろ行かなければ。ここは現実の世界。時間は有限です。人間と魔法使い、その壁が越えられるようになったら……またお会いしましょう。いつでも、歓迎しますよ」

 そう言ってニコリと笑う。

 俺がそちら側に行けることなんてありえない。

 俺は……魔法使いじゃないのだから。

「イツキ」

 目の前でアイの声がした。

 吐息がかかる程に近い距離だった。

「アイ……」

 すぐ横にあるアイの顔。

「これを……」

「え……?」

 アイの手から突然出てきたもの。

 それは……綾人の魔法。

 綾人が、降り積もる雪の中で最期に渡してくれた花。

 アイが直接その花に触れたことで、世界を超えられたんだ……。

 拾っておいてくれたんだな……。

「綾……人……」

 なんなんだろうな、この花……。

 一本の茎に、いくつもの小さな赤い花がついているが……名前までは分からなかった。

「はい」

 アイは、その花をそっと俺に握らせる。

 雪の降る闇夜の中、触れたアイの手は……。

 やはり……陶器のように真っ白で、とても冷たかった。

「さあ、アイギス様離れてください」

「うん……」

 アイは立ち上がり、その場から少し離れた位置に立つ。

「いいの? やって」

「ええ、お願いします」

「分かった」

 眼帯の少年は一言返事をすると、先ほどまでアイが立っていた場所にやってくる。

 コートの下から伸びた華奢な手で、優しく撫でるように俺の頭に置いた。

「ん……?」

 一瞬、その動きが止まる。

「どうかしたのですか?」

 男が不思議そうに尋ねるが……。

「……ううん、何もない」

 もう一度、俺の髪に触れた。

 弱い電流が身体を伝っていく感覚……。

「…………」

 見えるもの全てが真っ白になり……。

 次第に意識が遠くなっていった――――。



 *一二月二五日 月曜日 自室



「ん……」

 カーテンの隙間から差し込む光……。

 まだ働かない頭で、携帯電話の日付を確認する。

 一二月二五日の朝六時……。

 あれ……?

 俺、いつの間に家に帰ってきていたんだ……?

「……っ」

 少しだけ頭が痛い。

 おかしいな……。

 なんだか、ひどく記憶が曖昧だ……。

 ええと……昨日……。

 綾人を搜して……走って……。

 そして――――――。


 ――――魔法をかけられた。

「え……?」

 走馬灯のように記憶が溢れ出す。

 それは、あるはずのない記憶。

 天使の絵……世界のループ、魔法……。

 綾人、悠希、委員長、神田……そして、アイと過ごした全ての一週間の記憶。

「どうして……」

 覚えてる……?

 何もかも……ちゃんと、覚えてるじゃねえか。

「記憶……消されなかったのか……?」

 自分自身に問いかける。

 どうして……。

 だって、アイツの……。

 あの眼帯……自分の魔法がかからない人間はいないって……。

 序列第七位って、かなり上位の魔法使いなんだろ……?

 それなのに、どうして……記憶を失っていない……?

 俺自身、何かして……防いだのか?

 それとも……。

「あ……」

 なんとなく目に入った自分の右手。

 それに残った感触を思い出す。

 そうか……あの時。

 アイが、俺に花を渡した時……。

「アイの、手に触れていた……」

 あの時……アイツは手袋をしていなかったんだ……。

 だから俺は、アイツの魔法にかかった……。

 アイツの反魔法が……俺を守ってくれたのか……?

 どうして……。

 どうしてあの時、アイは手袋をしていなかったんだ……?

 まさか……。

 わざと、外した……?

「…………」

 意図的なのか、そうじゃないのかは分からないが……。

 覚えてる。

 忘れるわけがない。

 綾人は確かにいた。

 一緒にいた。

 永遠の一週間を、生き続けたんだ。

 そして最後に、決して忘れられない劇を見せてくれた……。

「…………っ」

 カーテンを開けば、未だ降り続ける雪。

 全ての哀しいことを覆い隠すように。

 全てを真っ白に埋め尽くすように。

「綾人……っ」

 どんなに叫んでも……。

 もうこの声は、綾人には届かない。



 ――――綾人の遺体が、森の教会から発見されたのは、そのすぐ後のことだった。

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