一六、不器用な優しさ

 騒然とした雰囲気に吉園さんは慌てた様子で付け加える。

「あっ、あたしが盗ったわけじゃないから!」

「知ってる」

 あっさり認められて、吉園さんがきょとんとする。

「紆余曲折あり、クラスの女がそこに入っている宿題を写すために俺のファイルを許可なく持ち出したことはわかってる」

 慧の説明を受けて吉園さんの眉が吊り上がる。

「へえ、そうなんだ。……もしかしてここにいるのもそのことで?」

「ああ」

 彼女は手を丸めて少し考え込む仕草をした。


「……それなら話が早い。一つ頼みを聞いてよ」

「嫌だ」

 慧が素っ気なく拒否する。吉園さんの口元に不敵な笑みが浮かぶ。

「即答ね。まだ何も言ってないのに」

「それを返す代わりに中身を見せろとでも言うつもりだったなら、断る」

 慧の言葉に吉園さんは目をしばたたかせる。

「おっ、図星か」


「慧、どういうこと?」

 得意顔の慧に訊くと、親指を吉園さんに向けて突き立てた。

「失礼でしょ」

「お前もさっきしてただろう」

 堀内さんがしまったというら顔になる。

「こいつは何の用があったか知らんが、図書室に行って堀内と会ってるんだ。で、脅しでもしたのか俺のそれを奪い取った」

 そこのところは僕にも予想がついていた。


 さっきの疑問。どうして吉園さんは掃除のことを知っていたのか。冷静に考えるとすぐにわかった。

 僕が掃除を手伝ったことを知っているのは弥一と千日紅さんしかない。そして千日紅さんは吉園さんと友達。

 千日紅さんは図書室で吉園さんと待ち合わせていたんだ。僕が図書室で千日紅さんと話したあと、反省文を書き終えた吉園さんが入れ違いで来た。そして掃除の話をした。


 図書室に行ったのなら堀内さんと会う機会もあったことになる。

「同じクラスなんだって? 脅すとか奪い取るとか人聞きの悪い。あたしは初対面だからね。優しく問い質しただけよ」

 吉園さんは可愛い声を作って話す。

「どうして泉のファイルを持ってるの。えー借りたの、泉慧に。あいつがねえ、人にものを貸すなんて。ふうん、じゃあ確認してもいいよね? 本人に。……ねえ、本当のこと、話そうか。……そんな感じよ」

 何があったかわかりやすい演技だ。言葉は優しいが高圧的な口調により追い詰めている。僕がその相手だったらと想像するだけで身震いする。


「お前、俺が人にものを貸すことに疑問を持ってるような口ぶりだな」

「だって、この前ネクタイ貸してくれなかったじゃない。そんな奴がねー」

「誰が学校で自分のつけてるネクタイ貸すんだよ、よりによって生徒指導室で」

 一体生徒指導室でどんなやり取りがあったというのか。

「資料集だって、自分のは貸さなかったじゃん」

「……ふん」

 吉園さんは慧の性格をよくわかっているようだ。


「あの子があんたのファイル持ってるの見て、おかしいなって思って問い詰め……問い質したの」

 いま問い詰めたって言おうとしたよね。怖い怖い。

「そもそもよくあれが俺のだと知ってたな」

「あ、確かに」 

 慧の疑問に吉園さんは目を見開き、それからふっと笑った。

「あんなの一度見たら忘れるわけないじゃない」

 僕は笑って「確かに」と頷く。それだけ慧のファイルはインパクトがある。


「まあいい。とにかくお前は上手いこと唆して俺の宿題を手に入れたわけだ。そして取り戻してやったのだからと恩を売って自分も写させてもらおうと企んだ。おっと、あくまで参考のつもりだったか? お前らのクラスも、明日提出なんだろう?」

「あ、そうか」

 なるほど。吉園さんも宿題に手を焼いていたんだ。


「しかし俺相手にそんな交渉が通じると思っていたなら甘いな。いや、そこに気づいたからこそ言うか迷ったのか?」

 慧の問い詰めに吉園さんはしばらく俯き、そしてゆっくりと顔を上げて悔しそうな表情を浮かべた。

「あーあ、本当馬鹿だったな。あんたの性格知ってたのに。そんな頼み聞くはずないよね」

 そう言いながら吉園さんはファイルを慧に手渡した。


 なぜだろう、用なんてないと誤魔化そうとした理由もわかったのに、まだわだかまりが残る。理屈はわかるが納得はできないような……。

「じゃあ、あたしはもう行くから」

 そう言って背を向けたところに、慧が言った。


「吉園、ありがとう」


 予想外の言葉だったのだろう、吉園さんは足を止めた。僕も驚愕した。慧が人に「ありがとう」と口にするところなんて、初めて見た気がする。

 吉園さんは手で口元を隠しながら、顔だけ振り向かせた。

「……え、あんたそんなことストレートに言うキャラじゃないでしょ」

「お前も照れるキャラじゃないだろう」

 慧の間髪入れない返しに、吉園さんは向き直って抗議する。

「はあ? 照れてないから!」

 睨んで怒声を飛ばすものの、先生に歯向かうときのような剣幕はない。吉園さんは耳を赤くさせながらくるりと回り、小走りに教室を出て行った。

「はは、あいつ、感情が表情に出すぎだろう。あれはババ抜きとか弱いな、絶対」


 慧が、笑った。

 僕に対してもからかうように鼻で笑う程度で、なかなか笑顔という笑顔を見せたことはない。そんな慧が、口を開けて大きく笑っている。

 想像を深める。


 吉園さんが慧の宿題を手にして写すつもりだったなら、。入室時の「あれ? まだいたんだ」という言葉から、慧がいるとは思ってなかったらしい。なら頼み事をしに来たわけではない。写すつもりがあったならここに来るまでにこっそりしてきただろう。

 そして慧に断られたときの、不敵な笑み。まるでその答えを予想していたような、そしてその答えを望んでいたようにも見えたあの表情。


 千日紅さんの言葉を思い出す。今日だけに勉強をする。

 吉園さんは宿題に追われていた。そこで千日紅さんを頼り、図書室で教えてもらいながら終わらせる予定だったのではないか。千日紅さんは宿題を終えていたので、吉園さんが来るまで自習をしていた。

 慧の私物を貸さない性格も知っている吉園さんだ、慧の宿題を当てになんてしていなかったはずだ。ならどうして慧の言葉を否定しなかったのか。


 単純に、吉園さんは慧のファイルを机に返してあげようとして教室に来たのではないか。本当はただ慧のためにファイルを取り返しただけなのでは。そのことを知られるのが恥ずかしかったから用事はと訊かれて言い淀み、照れ隠しで自分の目的のためにしたんだと言おうとした。慧もそれを察してあえて吉園さんの話に乗った。お互い気恥ずかしいのを茶化しながら誤魔化そうとした。

 でも慧は最後、素直にお礼の言葉を言った。素直じゃないはずの、慧が。


 千日紅さんは迷いなく吉園さんを「良い子」と言い切った。吉園さんは、悪い面もあるし素直じゃないけど、友達のために行動できる強かな優しさを持った人なのではないか。千日紅さんはそのことをよく知っていたんだ。僕が慧の良さを知っているように。

 慧がお礼を言ったのは、吉園さんのその部分に感銘を受けたからではないか。


 ……いけないだろうか。

 今日、都合の良い願望に囚われ己の無粋さに気づけなかったばかりにも関わらず、僕はつい悪い想像を思い描いてしまう。


 慧と吉園さんが揃わない足並みで街中を歩いている。外面とはあべこべに不器用な優しさを持った二人は、不満そうに顔をしかめながらも本当はお互いを大切に思い、思いやり、見えないところで笑い合っている。


 そんな景色を見たいと思う僕は、はたして正しく友を思えているのだろうか。

 いまはまだわからない。

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春、色づく思いは謎めいて 柚子樹翠 @yuzukimidori

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