一五、仲が良いのか悪いのか
黒地に持ち手がベージュのトートバッグを肩に掛けた女子が教室に入ってきた。短く折られたスカートから色白の足が際立つ。
「……あれ? まだいたんだ」
吉園さんだ。栗色のショートヘアを触りながら目を丸くしている。その耳には銀に輝くフープピアスがついている。
驚いたのはこちらもだ。弥一が帰ったと言っていたし、まさかこんなところに来るなんて思いもしなかった。
「お前……」
慧が反応を示す。やっぱり二人には何か繋がりが。
「誰だ?」
……あれ。
慧は顎に手を当てて懐疑的な目を吉園さんに向ける。
「名前が思い出せない」
呆れた。僕にその名前を知ってるか訊いてきたじゃないか。
「名前ぐらい憶えといてよ」
吉園さんも眉をしかめて苦言を呈する。
「俺は人の名前を憶えようとしないからな」
まるで自慢するかのような口ぶりだ。
「自分で言うな。忘れるのは仕方ないとしてもせめて憶えようとしなさいよ」
吉園さんがこちらに近づきながら鋭く突っ込む。もっともだ。
「あ」
慧が指を鳴らす。
「思い出した、吉園だ。よく思い出せたな、俺」
「何自分で褒めてるのよ。自慢でも何でもないし。ちなみにあたしはちゃんと名前憶えてるんだからね、泉慧」
吉園さんは当てつけのようにフルネームを強調した。
「勝手に人の名前を憶えないでくれ」
「何でよ!」
冗談か本気か曖昧な、漫才みたいな掛け合いを見せられ呆気に取られた。吉園さんって、こんなふうに喋るんだ。
「二人は、どういう繋がり?」
吉園さんはちらっと視線をこちらに向け、ぶっきらぼうな口調で答えた。
「別に。生徒指導室で会っただけ」
「……あ、なるほど」
二人の接点、どちらも遅刻をしている。慧は二回で、吉園さんはもっと多い。慧が上堂先生に挨拶したと言っていたが、遅刻をすればまず生徒指導室に行って入室許可証を貰わなくてはいけない。二人はそこで会っていたのか。
「悪い奴に絡まれた」
慧が茶々を入れる。
「あたしのこと? 親切に遅刻の仕方教えてあげたっていうのに、あんたそういうこと言うんだ」
吉園さんが反駁するも、慧は動じない。
「お前が言ったのは許可証を担当に渡す決まりだろう。遅刻の仕方を聞いた憶えはないしそもそも『遅刻の仕方』なんざ教わるものではない」
……まあ、確かに。
吉園さんは悔しそうに眉間に皺を寄せた。
「そんな揚げ足取らなくていいでしょ。ちょっと言葉が足りなかっただけで」
慧はそういう細かいところを必ず突いてくるからなあ。
「あんたそんな性格だから友達できないのよ」
「できないじゃない。作らない、だ」
痛烈な指摘に慧が強く抗議する。
「はいはい、そういうことにしてほしいのね」
吉園さんもよく煽る。
「そもそもお前、俺の性格を知れるほど俺を知ってないだろう」
「いや――」
「勝手に人の性格を決めつけて憐れむのは礼儀がなってないな」
吉園さんが何か言おうとしたところを慧が遮った。
「そういうお前のほうが友達いないんじゃないか」
「残念。あたしは一人できたから」
彼女は腰に手を当てて胸を張る。千日紅さんのことかな。いつも反抗的な態度を取る吉園さんが嬉々として友達ができたことを口にしているのは、何だかギャップがあって微笑ましい。
「そうか。良かったな。その性格だと一人できるだけでも大したもんだ」
褒めてないね。
「あんたの理屈だとあんたもあたしの性格知らないはずだけど?」
吉園さんは負けじと顎を上げて切り返す。
「俺はお前より洞察力があるからな」
慧も決して引かない。
「……さっき言いかけたことだけど、あんたの性格なんてちょっと話してるだけで丸わかりだから、意地悪」
吉園さんがそう言って慧を指差す。
二人のやり取りを僕はどう捉えればいいのかわからなくて、曖昧な笑みを浮かべる。
喧嘩するほど仲が良い、なんて言葉があるように、言い合いが親密さの証明になることもあるだろう。僕には目の前の二人がそう見える。見ていて笑いそうになる。
でも、頭の中で堀内さんのことがちらつく。
「そうだ柿原」
「はい」
吉園さんが出し抜けに僕に話しかけてきて背筋が伸びる。
「今日、あたしの代わりに掃除してくれたんだってね」
「えっ」
「あたし反省文書きに行ってて、すっかり忘れてた。ごめん」
吉園さんが手を合わせて謝るポーズを取る。
どうして僕が掃除を手伝ったと知っているんだろう。面食らいながら手を開く。
「ううん、いいよ。気にしないで」
遅刻の反省文か。なるほど、安心した。千日紅さんの言う通り悪気があったわけではなかったんだ。
「あと……資料集、ありがと」
上目遣いでそう付け加えられた。おお。すっかり忘れていた。
「どういたしまして」
ちゃんとお詫びとお礼の言葉があった。礼儀ではあるけど、吉園さんに対する好感度が上がった。
吉園さんは慧のほうにちらっと瞳を向けた。
「で、お前は何しに来たんだ」
待ってよ、慧。いま君にもお礼を言おうとしたんじゃないかな。
非難の目を向ける。
「詫びを入れに来ただけってことはないだろう」
いや、もしかして慧はお礼を言わせないように話を逸らしたのか。
「あーと、用は……」
吉園さんは首に手を当て、視線を遠くに向けながら答えた。
「別にない」
場が凍った。
わざわざ他クラスの教室に足を運んで、何もなかったなんてことがあるだろうか。
「…………あたしも馬鹿だなあ」
困惑の空気に耐えられなくなったのか、吉園さんは肩に掛けていたトートバッグからあるものを取り出した。
「それ!」
真っ先に声を上げたのは僕だ。
「なぜお前が持ってる」
慧も追随する。
吉園さんが持っていたのは、赤い背景に特徴的な鳥が大きく描かれた存在感を放つ、先ほどまで話していた慧のファイルだった。
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