うつ病の僕vs学校に行かせたい両親

スイーツ阿修羅

うつ病の僕vs学校に行かせたい両親

※ある読者さんへの感想返信として書いたサポーター限定の文章です。

 ある人に読んでもらうために、エッセイとして全体公開することにしました。



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子供が鬱病になるのは、両親が原因にあるケースが多いですからね。

 両親からの過度な期待や、暴言や暴力、過度な躾け、

 教育熱心すぎて遊びを禁止して、勉強ばかり強制する親もいます。


 これは最近の話ですが、私の近所にもそういう親がいて、

 我慢できなくなったわたしは一度、「子供にもっと優しくしてほしい」と、お願いにいったりしました。

 ……それが正義だったかは分かりません。私の母親には「止めたほうが良い」と言われましたが、その家の子供が可哀想で仕方がなかったので、

 ピンポンして、ちゃんと話して、お願いして、

 その方は私の話に納得してくれました。


 挨拶をかわす機会も増えて、いまだに怒鳴っているところも見かけますが、その頻度は明らかに減ったと感じています。


 私自身、あまり毒親をもつ人と友達になった経験がありません。

 私の高校もそこそこ偏差値が高く、裕福な家庭の同級生ばかりだったので。


ーーー


 私が小学五年生で鬱病になって、五月の金曜日に運動会が終わった翌週のこと。

 土日ずっと筋肉痛で寝込んで、お腹が気持ち悪くて、月曜日になっても体調が治りませんでした。

 そのまま一週間平日を休んで、なのに全然体調が良くならない。永遠にインフルエンザにかかっているようでした。

 「いったい何時いけるようになるの!?」「明日は行けるの?」「2時間目からでも行きなさい!」「お昼からでも行きなさい!」

 母親にはそんな厳しい言葉をかけられて、頑張らなきゃとおもうのですが、身体に力が入らなくて、布団から立ち上がるだけで頭痛が酷くなって、

「根性が足りない」「怠けるな」「気合いが足りない」「今日も行けなかったのか」「仮病も大概にしろ」「死ぬ気で行け」「このままじゃ引きこもりになるぞ!」

 だなんて、夕方に帰宅した父親にも散々言われて、

(そんな事、言われなくても分かってんだよっ!)

(死ぬ気でやってるよ! 毎日苦しいんだよっ! 本当に頭痛と吐き気が苦しいんだ!

 これが仮病な訳あるか!)

 と、非難する父親と口喧嘩になっていました。

 五月から十月ぐらいまで、ほぼ毎日、父親と殴り合いの喧嘩をしてました。

 毎日泣いて、自己嫌悪になっていました。

 その時、家のなかに私の味方は一人もいませんでした。

 下の弟や妹からは冷たい目で見られて、両親からは怠け者の烙印を押されて、

 散々罵られて、そんな情けない自分に落ち込んで、怒りが湧いて、

 自分で自分のことが大嫌いになりました。

 なんども自分を殺してやろうと思った。

 このままベランダから飛び降りたら、楽になれるだろうか?

 両親は僕を心配してくれるだろうか?

 私の部屋は2階だったので、そこから飛び降りて死ねるはずないのですが……

 本当に地獄でしたね。


 ……救いがあったのは、母親が不登校ことを本で勉強をしてくれた事です。

 7月くらいだったと思います。


「学校に行けなくても、何も頑張らなくても良いから、お母さんはずっと◯◯の味方だよ」

「〇〇が生きているだけで、〇〇が楽しそうに笑ってるだけで、お母さんは幸せなんだよ」

「生まれてきてくれてありがとう」

「酷い母親で本当にごめんさない」


 そんな言葉とともに、泣きながら私を抱きしめてくれて、頭を撫でてくれて、

 私も号泣しました。

 すごく安心して、緊張の糸が切れて、力が抜けて泣き崩れました。

 母親の胸のなかで泣きじゃくりました。


 5月、不登校になってからずっと、常にひとりぼっちで苦しんできて、

 はじめて無条件に全肯定してくれた人が母親でした。


「頑張らなくても、学校に行けなくても、そんなの関係なく愛してる」と、

 生まれてからずっと、私はその言葉が欲しかったんだと思います。


 小さい頃から、両親は教育熱心で、私は一生懸命勉強を頑張っていました。

 頑張れば褒めてもらえる。両親から認めてもらうために頑張る。

 その生き方で生きてきたから、私は「頑張る生き方」しか知りませんでした。


(だから好きな女の子を振り向かせようとした時、学級委員になるとか陽キャになるとか、頑張って高い地位を手に入れる方法しか知らなかった。正攻法で女の子に話しかけることができなかったんです)


 小学校5年生になって、周りの同級生は放課後に友達と遊んでいるなか、

 学校でいくら頑張っても、放課後に遊ぶ友達は出来なくて、好きな女の子に話しかけられなくて、

 ちょうど五年生の時、大人の下ネタが流行りました。

 エ◯動画的な……生々しいヤツです。

 私は恥ずかしくて、男子同士の下ネタのノリについていけなくて、

 ……ゲイ男だとか弄られるのを、苦笑いしながら、笑いをとるために肯定して、

 ……悪い意味のいじられキャラでした。半分イジメな下ネタイジメでした。

 でも反論したら、ノリの悪い奴だとか思われてクラスでさらに浮いてしまうので、

 わざと道化を演じて、わざとテストで悪い点を取ったり、嫌々ながら下ネタを吐いたり、言われた悪口に笑って自虐したり、わざと廊下を転んでドジなフリをしたり。

 (家でわざと転ぶ練習もしてました。半分ふざけながらですけど、俺はこういうキャラなんだって思って、

 おかげで本当にドジになって、無意識に転んでしまい何度か足を捻挫したという笑い話もあります)


 そんなこんなで小学5年生の私は、追い詰められた精神状態のなか、友達を作りたい一心で、的外れな努力をしつづけていました。

 努力しても努力しても苦しくなるだけ……まだまだ努力が足りないんだ!

 そんな危うい思考回路で、限界まで精神を酷使して鬱病になった私。


 どれだけ頑張ろうとしても、身体が動きませんでした。

 布団の中から抜け出せませんでした。

 血を吐く思いで力を振り絞っても、立ち上がれなかった。

 

 鬱病になった私は、

 「学校に行くことすらできない」「怠け者」「こんな簡単なことすらできない」「努力不足にもほどがある」

 父親からの叱咤も相まって、そんなふうに自分を叱りつけて、自分を罵倒し、心を痛めつけていました。

 でも……真逆だったんですよね。


 むしろ、頑張りすぎていた。

 限界を遥かに超えて頑張り続けた結果、身体が強制的にドクターストップを出して、鬱病になった。

 どれだけ頑張ろうとしても、力が入らない状態になった。


 それを、お母さんの言葉が教えてくれました。

 鬱病になるのは、真面目な努力家の方が多いそうです。

 怠け者は鬱病になりにくい。


 私はむしろ頑張りすぎていたのだと。


 お母さんは私に謝りました。

「「明日は行けるの?」とか「午後からの授業は出られる?」とか、

 頑張って苦しんでいる◯◯を、さらに焦らして追い込むような真似をしてごめんなさい」

 と。

 そして言われました。

「今はゆっくり休むことだけ考えていい」

「何も頑張らなくていいから、学校のことは忘れなさい」

「食べたいものや買いたいもの、行きたい場所があれば何度も言って」

と、


 不登校になっても、通信制などやり直す方法はいくらでもあります。

 休んで良いと言われて、家で一日中ゆっくりしていることを肯定されて、私は本当に救われました。

 まだまだ苦しさはなくなりませんが。


 鬱病期間にアニメを見過ぎて、視力が1.2から0.2まて落ちました。

 ワンピースのアニメを朝から晩まで、当時の最新話600話くらいまで見続たり、


 外に出るのが怖かったです。

 すれ違う人みんなが私を嫌っているという幻覚があって、母親と一緒じゃないと玄関の外に出られませんでした。


 母は、父親に鬱病の説明をしてくれました。

 父は賢いので、すぐに理解してくれて、

 家に帰ってくるたびに、「今日は大丈夫か?」と話してくれたり、私の好きなご飯に連れていってくれたり、将棋とか五目並べとかに誘ってくれたり、


 父さんはそれでも私に煙たい目を向けることも多くて、本当の意味で鬱病への偏見が完全に抜けたのは、一年以上経った後だと思いますが、

 少なくとも、必死に私を理解しようとしてくれました。


 両親が変わってくれなかったら、私は高い確率で自殺していると思いますし、今日まで生きていたとしても、性格はどうしようもなく歪んでいたと思います。


 私が鬱病になる前、両親は一般的には、普通に良い親だったと思います。

 私が学校に行っている限りは、凄く優しくてしっかりして楽しい親でした。

 

 しかし、私が本当に両親を好きになって、心の底から信頼したのは私が鬱病になってからだと思います。


 本当にいい両親に恵まれました。

 この10年間、苦しい時、辛い時。学校に行けなくなった時。

 いつも家族が家で支えてくれました。

 

 この10年、妹や弟も、軽度の不登校を経験しました。

 その時は、もちろん私も最大限サポートしましたが、それ以上に母親や父親が妹弟たちを支えていたと思います。

 もちろん私自身も、たくさん支えられてきました。


 わたしの両親が、この二人で本当に良かったです。


 私の母親も

「◯◯が鬱病になったおかげで、お母さんは良い母親になれた」と言いました。

 きっと、父さんも、そして私も。

 鬱病があったからこそ、私たちはまっすぐ正しく育つことが出来たんだと思います。


 今は家族全員、すごく性格が良くて、家の中の雰囲気も良くて、

 今は下の二人が受験生ですから、勉強の話をしたり、YouTuberやスポーツの話をしたり、

 これ以上ない円満な家庭だと感じています。


 現在、私は21才。

 両親から支えてもらったぶん、早く自立して稼げるようになりたいと思っています。

 早くバイトできるようになって、少しでも沢山大学に行きたいと頑張っています。


 両親の期待に応えるために毎日を頑張る。

 精一杯、頑張り続ける。

 その本質は、結局10年前と変わっていません。

 私は努力家です。

 本気の努力をしてやっと一般人の底辺だから、本気の努力は最低限です。

 


 まぁ、話は長くなりましたが、

 いつも同じようなことを話している気もしますが、

 両親には、本当に、人生でもっとも尊敬して感謝をしています。


 私が、性格が捻くれずまっすぐに前を向けるのは、

 もちろん私自身の努力もありますが、

 両親や家族の支えがあってこそです。


 それだけじゃなくて、恩師、友達、憧れの人、読者さん。


 私を応援してくれて、これまでもこれからも支えてくれる人たちに、

 私はあらんかぎりの感謝をして、その恩を死ぬまで忘れないと誓います。

 

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