第1話 走馬灯かあるいは、妄想の類か。
そう、確かに死んだと思った。いや死んでいる。ただ、わかってはいたが練炭自殺は苦しすぎるようだ。死ぬ瞬間、ドーパミンが出て心地よい感覚があると云うが、今思えばまるでなかった。さて、いやしかし、俗に言う天国が実際にあるとは夢にも思わなかった。多少は考えていたがこんなにはっきりとしているものなのか。
────というか、ここは街だ。栄えている賑やかな街。目覚めたら、"いた"のだ。これは走馬灯かあるいは、妄想の類いか。よく見れば人に思しき街の民は、耳や尾が生えていたり、口には牙を持つものがいれば頭に角があるものもいる。これは驚いた。天国はやはり、なんというか次元が違う。そして美しい。かの19世紀イギリス・ヴィクトリア朝を彷彿とさせる服飾は優美且つ可憐で、この街の風景も相まって────────…………
「…………凄い」
思わず声が出るほどの、いやむしろこの衝撃でよく声が出せたものだ。目の前に聳え立つは大きな時計台、それもただの時計台ではない。直径30mはあるだろうか、複雑に絡む大小の歯車が太陽に照り付けられ、金色の輝きをより強く主張している。ビッグ・ベンの何倍の大きさか。私と同じくこれに魅入られる多くの民が集まり、写真を撮っている……"おそらく"写真を撮っている。というのもカメラのような、オペラグラスのような、立体ではあるが奇妙な物体から光が発せられている。昔の日本人が「カメラに映ると魂を抜かれる」と言っていたのがまことであるかのように思える光景だった。
時計台から目を外し、辺りを見渡す。どうやら私が"いた"この場所が広場となっており、ここを中心にいくつか大通りが放射線状に伸びているようだ。一眼向ければ、数多の個性豊かな建物たちに圧倒される。どこかレトロで、されど現代的、ハイブリットな街並みだ。電光板があると思えば古めかしい屋台が並んでいたり、ガチャガチャ音を立てて走る全身機械の馬が引く馬車、大きなたぬきが引っ張る人力車……狸力車というべきか。また当たり前のように歩いている二足歩行ロボットは、文面の割には、やけに無粋というか、ゴツゴツしている。レトロとモダンの良いとこ採りといえばそうでもないが、なんにせよ不思議な風景だ。そして堂々と視界を占めるは煉瓦造りのマンション。高層ビル並みのサイズで、現代日本ではまるで考えられない。ところどころ管が剥き出しになっていたり、アルミホイルで傷を隠していたりと不安な外観をしているが、圧巻の光景だった。これはもはや、ただの外観ではなく世界観そのものを形成している。
今自分の身に何が起きているか、これがただの夢なのか否か。そんなものはどうでもいい。事象というのは目に映る限り、いつ何時も真実だ。この先どうなるかわからないが、今は楽しんでいいのではないだろうか。生前の私を知るものはいないのだから。私は一度生命を絶ったのだから───さて、どこから征こうか。そんなことを思った瞬間。
「にゃあ」
猫が一匹、足元に。山吹色の毛に縞の模様を帯びたトラネコだった。大衆ですら見慣れた人類とは逸した姿をしているこの世界、馴染みのあるシルエットに少し安堵の念を覚える。猫は嫌いじゃない。以前野良猫を拾ったこともあるくらいだ。そして、よく見ればこの広場には猫がたくさんいるのがわかる。なぜなら私は、足元の猫による包囲網で完全に動けなくなってしまったからだ。いつの間にこんな数集まったのか。だがしかし、どこか歓迎されているようで嬉しいものでもある。
「はっ、猫が寄ってくるようなやつもいるもんだなあ」
猫が集まれば人も集まるらしい。この街に来て初めての人間との対話だ。そんな当然の期待をしながら振り返る。
「ああ、ありがと────う……」
まず灰色な肌から何がおかしいのだが、耳は風で揺れるほど大きく、また鼻が彼より長い生物も存在しないだろう。そう、相手は象人間だ。ただ驚くのも失礼な話で、この街にはただの人間の方が圧倒的に少ない。私はこのことをしかと認識していたじゃないか。いや鹿人間はまだ見ていないが。
「なんだ、鳩が豆鉄砲喰らったような顔しやがる。まあ、あんたの世界じゃ俺みたいなのはいやしねえもんなあ」
その慣用句は普通に使うんだ。いやそれよりもだ。
「わ…私がどこから来たかわかるんですか」
「わかるさ!とは言っても、最近増えてきたからな。見ない顔は大体向こうからの奴らだ」
象、象といえど首から下はヒトと似た形をしている。さも当たり前のように二足歩行。カーキ色のハットと、服は緑色のシャツとチェック柄ネクタイにオーバーオールを着合わせて、なんとも洒落ている象がいたものだ。
「……ちょっと待った。この街はやっぱり天国とかその類なんですか?増えてきたってどういう……」
「うーん?お前さん、ここがどういう場所かまだわかってないみたいだな」
こちらの問いを想定していなかったのか、象のおっさんは「どこから話したもんか」と鼻を傾げている。
「全部説明したい気持ちは山々なんだけどよ、生憎俺も仕事中でな。猫はどかしてやるから」
といいながら、両手で優しく一匹ずつどかしたり、"猫じゃらしのような何か"でつったりと幅広い対処法を用いられ、やっと猫から解放される。
「じゃ、悪いな兄ちゃん……って年でもないか?向こうにサービスカウンターがあるからそこに行くといい」
「はい、どうもありがとう」
自分が齢35歳の、おじさんと呼ばれるには十分な外見であることを思い出す。そしてサービスカウンターとはこれいかに。こちらにもあるのか、というか、この単語は日本人が勝手に生み出した所謂"エセ英語"なはずである。……それも含めて、溢れんばかりの疑問をサービスカウンターとやらで聴きに行こう。
***
「ご用件は」
と言い放つやけに愛想のない小娘。丁寧で暖かな日本の接客に慣れすぎているこちらも問題か。
「こ、この国のことを教えていただきたくて……」
「……ご主人、初めて?」
────⁈‼︎み、店を間違えたか⁈
「い、いや、そんなことは……初めてですけど」
「……あそう。ならこれあげるよ、ガイドブック。そこ座ってゆっくり読むといいよ。わかんないことあったら聞いて」
……別に間違えてなかったし、どっちかというと今のはこちらがおかしい。口元から覗く小さな牙が妙に
────まあわかってはいたが、文字が読めない。文章はすべてアルファベットで綴られているので一見読めそうなものだが、セオリーもクソもない。発音もしようがない。固有名詞も無論不思議な文字列をしている。冊子を広がると大きな地図になった。文字は読めないが、中心にある大文字の羅列がこの国ということは流石にわかる。
「ら、らぇじ…えん…みひく…
「そ、ラジェミックっていう人が多いよ。なんか呼びずらいでしょ」
「うお!」
さっきの受付の娘がベンチの隣に来ていた。仕事はどうした。
「あ、ありがとうございます……やっぱ読めなかったみたいで……」
「初めてなんだから、仕方ないよ。あたしも読めなかった」
「まあ慣れ」と軽く微笑みながらこのギャルは言うのだった。よく見れば髪型は
「仕事は、大丈夫なんですか?」
「シフトもう終わったから。仕事ほっぽってるわけじゃないよ」
「はは、そうですか」
……
……
……ま ず い。私は現世でも、というか一度死んだ程度でコミュ障が治るわけがないのだ‼︎こういう時何を話せばいい、こういう時どんな顔をすればいい‼︎────笑えば、いいのか……ッ!
「おっさん、なにニヤニヤしてんの。キモ」
「ほッ、ぁえ……???…むッ」
ああ、終わった。紛れもなく社会不適合者なのだ、私は。一番大事なことを忘れていた。
「ま、初めてなら聞きたいこと多すぎて何がなんだかチャンネルだよね、わかるよ〜」
「あ、はい。はい?」
いやまあ、意思は汲んでくれたんだけど、な、え?チャンネル……隠語か何かだろうか。
「あは、キョドりすぎっしょ。あと敬語いいよ。あたし年下でしょ」
若者言葉についていけないのはさておき、すごく常識的な娘だ。黒髪黒眼、顔立ちも整っており話しの印象もいい、といけない。こちらは相手の年齢にダブルスコアはつけているだろうに。
「お兄さん、日本人でしょ」
「えっ」
まただ。なぜわかるのだろう。先ほどの
「な、なんで日本人って……」
「えーなんとなく?波動?波動を感じた」
武道家か。まあ、私の会った二人がたまたま察しの良い者だったというパターンもあるだろう。
「……そんな不審がらなくていーよ。あたしも日本人ってだけだし。ここにいる黒髪なんて日本人くらいだもん」
「ああ、そういう──」
悪い癖だ。一度考えをまとめないとどうにも言葉が出ない。故に会話が成り立たない、そういう性格だった気がする────いやおかしいだろ。どうして、"私が原因で会話が成り立たない"のだ。この世界には"会話が噛み合う前提"が存在している。即ち、共通言語。それを介して情報の共有ができている。これは、"何"だ。
「そういえば、どうしてみんな日本語で……」
「やっぱ、そうだよね。ここは絶対に日本じゃない。でも通じる」
耳も鼻も、口の構造、種の違い、角や牙の有無、全て差し置いてここでは意思が伝わる。そして彼女は何度か「初めて」といった。さも遊園地かテーマーパークか何かのように。やはり、天国でも現世でもないどこかだと、確信に近い可能性が濃厚になってきている。
「……ここは、一体何なんだ」
サービスカウンターにて、謎は解けるどころか深まってしまった。
ドリームラッシュ 君塚小次郎 @cakecake258
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