第13話 白竜と巫女の血

 突然の事態に目を見開くと、白竜はゆっくり高度を下げ、その場にふわりと舞い降りた。


「ルクストリアン・スノーホワイト!? なぜここに……!」


 全長三十センチほどという、決して大きくない体躯を持つスノーホワイトは、極寒の雪山で育ち、とりわけ人に懐かない種として知られている。

 その竜がなぜ、今ここに現れたのか。

 凄まじいほどの風を纏い、指向性のある暴風をヴェイリーにだけ寄越しながら、白竜は呆気に取られるフィファニーの元へトコトコと歩いて行く。


「クルル」


 そして、小さく鳴いた後ですり寄ると、奴に傷つけられた大腿にそっと鼻元を押し付けた。


「……!」


 途端、白竜の持つ魔力が治癒力として行き渡り、みるみるうちに傷は癒えていった。

 時間にしてほんの数秒。血に染まっていた腿は今、滑らかな白さを湛えている。


「よかった、もうこれで……」

「チッ、余計な真似を! なぜフィファニーにスノーホワイトが懐く。これを従えられるのは竜使いの中でも選ばれた血族の者だけだと聞いたぞ! ……っ、まぁいい。邪魔立てするなら竜ごと死ね!」


 すると、傷の完治と共に良くなっていく血色を見つめ、イルキュイエが安堵と共にさりげなく腿へ触れようとした、そのとき。

 ようやく暴風から逃れたヴェイリーは、気を取り直したように喚いた。灰紫の瞳を血走らせたその相貌にはもう、以前見せていた温厚さなど欠片もなく、心からの凶悪さが溢れるばかり。

 だが、イルキュイエとて同じ轍を踏むわけがなかった。


「……っ。そうはさせまい! ティレ!」

「御意に、殿下」


 そう言って、彼が奥の手としたのは、自身の執事のことだった。

 いつものようにシックなモーニングに身を包んだ彼は、細長い杖を手にしている。


(そうか、彼は……)

「ティレを甘く見るなよ。彼は氷壁ひょうへきの塔の管理者であり、精霊の加護を受けた特別な血を持つ魔法使いだ。お前など、瞬時に氷としてくれよう」


 彼らを庇うように歩み出て、ヴェイリーと対峙する執事を、イルキュイエは目に怒りを宿したまま説明する。

 執事――ティレストロ・シープスは王家に雇われた魔法使いであり、誘拐事件後、イルキュイエを守護せよとの命を受け、執事の姿に身をやつしていた青年だ。普段の辛辣さはご愛敬だが、能力には絶対の信頼を寄せている。


(だから彼は、解凍直後の私の状況を正確に把握し、色々と世話をしてくれたのね。あの薬湯もきっと、力が込められていたのだわ……)


 一方、その言葉を驚きのまま聞いていたフィファニーは、ようやく彼が、自分を凍らせた魔法使いだったことを思い出した。

 あのときは全身をローブで覆い、フードの隙間から見える氷色の瞳をぼんやりと見ていただけだったし、自身の身に起きた事態に絶望しきっていた。気が回る状況ではなかったのも確かだが、それなら、気配もなくいつでもイルキュイエの傍にいたことにも納得だ。


「さて殿下、どの程度痛めつければ気が済みましょう? 契約上、殺しは範疇外なのですが」


 と、驚きに声も出せぬまま目を瞬くフィファニーの横で、彼は突然物騒なことを言い出した。相対している敵である以上、捕縛に多少の傷はつきものだが、それにしても聞き方がストレートだ。

 しかし、執事の言葉にコクリ頷いたイルキュイエは、一応冷静さを保ったままだったのか、やけに真剣な眼差しで言った。


「分かっている。そもそも奴を誘拐事件の真犯人として、皆の眼前に出さねばならなんだ。一先ひとまず、手足を凍らせる程度で妥協しよう」

「承知いたしました。では」


 ……つまり、魔法を使えない程度に拘束せよとのことだろう。

 主の命にもう一度頷いた彼は次の瞬間、一気にヴェイリーとの間合いを詰めた。そしてふわりと杖を回し、精霊たちに願いを語った途端、その場に氷の礫が現れる。

 春の陽気でなおけないその氷の礫は、弾丸の速度で飛んだ。


「っ! 炎の精霊、すべて溶……!」

「そんな暇があるとでも? 仕上げだ」

「あぁっ!」


 襲い掛かる氷の弾丸に反撃を試みたのも束の間。再び杖を上げる執事の一声を聞き、周囲を飛んでいた礫たちは、いきなり手足に纏わりついた。

 まるで氷の鱗のように折り重なった礫は杖を手放させ、足を地面へと張り付ける。

 歴然たる力の差に、為す術など――。



「……くっ、こんなことならミチェラをさっさと始末するんだった。あの女だろう。僕のことを言ったのは」


 執事による捕縛は、ものの一分足らずで済んでしまった。

 ヴェイリーがあっけなかったのか、彼が強すぎたのか。そのどちら共なのかもしれないが、魔力が込められた特別な荒縄でぐるぐる巻きにされた彼は皮肉そうに呟く。

 すると、その言葉にイルキュイエは目を瞬いて、


「その言い草だと、ミチェラのことも本気ではないようだね」

「当然。僕に好意を寄せてきた宮殿勤めの女。いい情報が手に入るかと幾度か抱いてやった程度だ。もっとも、用がなくなってからはハーブティーと称してを差し入れ、反応を楽しんでいたんだが……」

「……っ、もういい。ティレ、辺境伯から幌馬車でも借りて放り込んでおけ。王都に帰り次第、父上に報告して断罪させる」

「御意」


 にやりと口元を歪め、楽しげなヴェイリーにイルキュイエは顔を顰めると、執事に指示を出して打ち切った。

 やはり妥協したとはいえ、フィファニーを傷つけた彼のことが赦せないのだろう。珍しく本気で怒りを表す彼に、執事はやれやれと肩を落としている。



「血の証明をしなくちゃ」


 と、そんなやり取りを傍で聞いていたフィファニーは、不意に自らの使命を呟いた。

 ヴェイリーの阻害により中断となってしまったが、早く碑石に血の証明をしなければ、森の結界が危ない。

 決着がついてなお、自分を抱きしめて離さないイルキュイエを見上げ、フィファニーはもう一度口を開く。


「イル、今のうちに血の証明を行うわ。もう大丈夫だから退いてくれる?」

「本当に大丈夫なのですね、フィファニー?」

「ひゃあっ」


 すると、フィファニーの声掛けに視線を戻したイルキュイエは、先程ヴェイリーに傷つけられ、白竜により治癒された脚に手を滑らせた。


「な、なんで触っているのよぉ!」


 途端フィファニーは変な悲鳴をあげてしまったけれど、一方の彼は爽やかな笑顔だ。


「フフ、確かめたくて? 魔力を持つ者の治癒は把握していますが、やはり自分の手で確かめるに越したことはない。すべすべですね」

「――っ!」


 にこりと笑顔で断言し、顔を真っ赤にするフィファニーを見つめたイルキュイエは、ようやく背に回していた手を離すと立ち上がった。そして彼女に手を伸ばし、二人はもう一度碑石の前に立つ。

 その肩で、すっかり懐いた様子のスノーホワイトがクルルと鳴いた。



「では、始めるわ」

「ええ」

「森を渡る精霊たちに願う。我エスピアスの巫女なり。この血を証とし、森を隔てる結界を強固にせよ」


 前置きと共に息を吸い込み、心を落ち着かせたフィファニーは、碑石の窪みに触れると、精霊たちに願いを語った。

 正直に言えば、精霊たちがどんな形で願いを叶えてくれるのかは分からないし、目に見えない結界を確かめる術はない。それでも、代々受け継がれてきた言葉に、願いを乗せるばかりだ。


「……これで、巫女の血が本物であれば、精霊たちは願いを聞き入れてくれるはずよ」

「ティレ、どう?」


 おおよそ一分ほど瞑っていた瞳を静かに開け、フィファニーは少々不安そうに呟いた。

 すると、彼女に寄り添ったままイルキュイエは執事を仰ぎ、状況を見てもらう。

 精霊たちを視認し、言葉を交わせる彼なら、何かの変化を見つけられるかもしれない。


「なんと。巫女の血とは素晴らしいものですね」


 そう思い、荒縄を掴んだままの彼に問うと、ノクトリーの森の方に目を遣った執事は感心の声を上げ頷いた。

 どうやら彼女の願いを聞き入れた精霊たちは一斉に移動を開始。強いエネルギーの塊となって、森の狭間に結界を形成してくれているという。


「よかった。本当に、私がエスピアスの巫女なのね」

「ええ。改めて辺境伯や姉君にご報告しなければなりませんね。攫いの真犯人を捕らえ、あなたの潔白が真に証明されたこと。そして、森の結界は再び強固となり、魔物たちの侵入を防いでくれること。これですべての懸念事項は去りました。あとは……」


 執事の報告に安堵し、ほっと胸を撫で下ろすフィファニーに、イルキュイエは真剣な眼差しで呟いた。途端、何事かと首を傾げる彼女を見つめ、ぐいと傍に抱き寄せる。

 そのはずみで、肩にとまっていた白竜がふわりと舞った。


「クルル……」

「そう。帰るのね」


 ばさりと翼を羽ばたかせ、空に舞うスノーホワイトの鳴き声に別れを悟ったフィファニーは、イルキュイエそっちのけで顔を上げ、名残惜しむように呟いた。

 ほんのわずかな邂逅とはいえ、駆け付けてくれた白竜に想いが滲む。


「助けてくれてありがとう。またいつの日か」

「クルル」


 手を伸ばし礼を告げると、ホバリングをしていた白竜は、もう一度だけ彼女にすり寄った。そして、すぐさま高度をあげて去って行く。


 おそらくは、自らの巣へと帰ったのだろう。

 あの竜が、ヴェイリーの脅威からイルキュイエを守りたくて咄嗟に願った「自分も魔法を使えたら」という思いに応じ、現れたことはなんとなく分かったけれど、脅威が去った今、巫女として必要な力以外、特別なものは何もいらない。

 これでようやくフィファニーにも平和な日々が訪れる。あとはイルキュイエをどうにか……。



「さて、フィファニー」


 そう思い、領地での安寧に思いを馳せた、ときだった。

 ごほんという咳払いと共に、もう一度彼女の視線を攫ったイルキュイエは、その場にゆっくりと膝をついた。

 そして、驚く彼女の手を取って真剣に見つめ、願いと愛を語り出す。


「これでもう、あなたが「攫いの魔女」と呼ばれることはありません。愛しい人。今度こそ私の求婚に頷いてくださいますね?」

「……っ」


 ……どうやらフィファニーの平和な日々は、まだ遠く先にあるようだ。

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