第12話 森の碑石に手をかざし

 エスピアスの森に形成された結界の力を保つため、屋敷を出たフィファニーとイルキュイエは、ここから北西にある碑石に向かい、森の中を歩き出した。


「フィファニー。碑石まではどのくらい歩くのですか?」

「十五分程度よ。ただ、獣道を行くことになるから、スーツが汚れてしまうかもしれないわ。屋敷で待って……」

「一緒に行きます。お散歩デートしたいです」


 代々エスピアスの巫女は、ここにある碑石に手を添えることで血を証明し、森を渡る精霊たちに願うことで結界を維持してきた。今回は、もう一度血の証明を行うことで、結界を強固にすることが目的だ。


「……分かったわ。でも、虫もたくさんいるから気を付けてね。前みたいに毛虫を見ただけで飛び上がって抱きついてきたら怒るから」


 すると、彼の不得手を思い進言するフィファニーに、断固として言い切ったイルキュイエを見つめ、彼女はしっかりと前置いた。

 本当は、別れを決めてなお、それを許さないと想いを告げてきた彼に傾倒しないよう、距離を置きたかったのも事実だが、この大自然と共に育ち、鳥はもちろん虫の類までかわいいと認識するフィファニーの一方、温室育ちの彼は毛虫一匹で大騒ぎ。先日も、宮殿の薔薇園を散歩中、毛虫を見かけたと、子供のように抱きついてきたことを指摘しているようだ。

 しかし、そんな彼女の心情など知る由もないイルキュイエは、虫の言葉に苦笑すると、どうしても苦手意識があるのか、足元の草に注視しながら言った。


「う……、しかしフィファニー。蜘蛛も毛虫も気持ち悪いです」

「カサカサ、うにょうにょ、かわいいのに」

「……」





 そうして、森の獣道を進んだ二人は、しばらくして木々の間に広がる空き地へと辿り着いた。

 短い草が生い茂る空き地の中央には、白い石で作られた高さ二メートルほどの碑石が置かれている。


「これが巫女の血を証明するための碑石ですか。見慣れない文字が書かれていますね」

「ええ。言い伝えでは、『我ここにあり。この血を以って証明し、森の精霊に結界の形成を願い奉る』という初代巫女の願いが書かれているそうよ。この文字の最後にある窪みに手を触れることで、精霊たちは巫女の願いを聞き入れてくれる。もしかしたら、あらかじめそう言う魔法が碑石にかけられているのかもしれないわね」


 美しく繊細な彫りが施された碑石を見つめ、関心と疑問を合わせた声音で呟くイルキュイエに、フィファニーは知り得ていることを口にした。


 先日、自身の先祖が北欧の魔法族だろう聞かされたときはショックを受けてしまったけれど、確かに魔法でもなければ、こんな技は成し得ない。だが、一先ひとまず血を証明することで、森の結界は強固となり、魔物の被害を減らすことはできるだろう。

 すらりとした手を伸ばし、フィファニーは早速証明を試みる。


「光の精霊――」


 と、そのときだった。

 不意に暗がりから声がして、目に見えない何かがフィファニーの足を掠めていった。


「……っ!」


 それと同時に彼女の青いドレスが破け、腿の辺りから血が滲んでくる。


「フィファニー!」


 あまりにも突然の出来事にイルキュイエは驚き、訳も分からないまま彼女を抱き留めたけれど、今のは一体……。


「その碑石に触れてもらっては困るよ、フィファニー」

「!」


 混乱と困惑。そして彼女に対する強い心配。

 幸い脚の傷は多量出血とまではいかないようだけれど、早く手当てをしなければ、手遅れにだってなりかねない。そう思い、イルキュイエが彼女を抱き上げようとした、途端。

 森の奥から姿を現したのは、杖を持った男だった。

 灰紫の髪に同じ色の瞳、穏やかな笑みさえ浮かべるこの男は……。


「ヴェイリー、様……」

「ふむ、残念ながら少し逸れてしまったようだね。邪魔がてら足を貫けば、数分で失血死すると思ったのに」


 光の下に姿を晒し、残酷な言葉と共に現れたのは、行方を晦ましていたフィファニーの旧婚約者・ヴェイリー・ロットン。

 宮殿への招集命令が出ていたはずの彼は、まるで待ち構えていたように二人をじっと見据えている。


「これは何の狼藉だ。やはりお前が私を攫い、フィファニーを陥れた犯人なのか?」


 すると、フィファニーを庇うようにして地面に膝をつき、ぎゅっと抱きしめたイルキュイエは、警戒心を露わに彼を睨みつけると、単刀直入に問いかけた。

 正直彼らには、なぜヴェイリーが今、エスピアスの森に現れたのか。そしてなぜ杖を持ち、フィファニーを傷つけるのか。理由は何も分からない。

 だが、こうして現れた以上、彼が自分たちの味方でないことは明白。

 ならば、返ってくる答えにもおおよその見当はついていた。


「やはり調べていたのだな。いくら僕から面会を申し込んでも「王太子の許可が出ない」の一点張りだったのに、いきなり招集命令と聞いて嫌な予感はしていたんだ」

「……!」

「だけどそうさ。あの誘拐事件はすべて僕が仕組んだことなんだよ」


 と、まるで悪びれた様子もなくにこりと笑ったヴェイリーは、小さく呟いた後であっさりと罪を認め頷いた。

 心のどこかで彼が犯人なのだろうと覚悟はしていたけれど、実際に答えを聞くのは苦しくて。フィファニーの瞳から、知らず涙が零れてくる。


「……っ」

「目的はなんだ。彼女を傷つける理由は、一体何だというのだ!」


 そんな彼女の姿に心を痛め、イルキュイエは抱く腕に力を籠めると、いつになく荒い口調で問い質した。こんなにもあっさりと罪を認めておきながら、手の込んだことをしてまでフィファニーを陥れた理由が分からない。


「目的? 特にはない」


 そう思い叫ぶと、ヴェイリーは初めて聞いた単語のように首を傾げ、平坦な口調で呟いた。そして、呆気に取られた顔をする彼らに、一拍間を開けた後でこう告げる。


「強いて言うなら、幸せの絶頂にいる女の子を絶望に落としてみたらどうなるか試してみたかった、というところかな? ミチェラをそそのかし、ぼうやを攫い、フィファニーと出逢うよう放置。きみの性格上、彼を助けるのは分かっていた。あとは騎士団の移動時間を計算すればすべての歯車が回り出す。それらが上手く働き、フィファニーが捕らえられたときは最高だったよ」

「……!」

「なのに十七年も経った今、きみは絶望から解放された。しかも美麗王太子の溺愛というオプション付きだ。さらに結界を形成できる特殊な血筋なんだってね。なら、きみが死ねば結界は消え失せ、この国は悲惨なことになるだろう。想像しただけで胸が躍る。だから、僕の楽しみのために壊れてくれないかな、フィファニー」


 爽やかな笑みをどこか極悪なものに変え、ヴェイリーは姿を見せた理由を言った。

 彼の心情を理解することは到底できないけれど、つまり彼は目的を持たない愉快犯。ああしたらどうなるだろうという、悪意に満ちた興味だけが原動力であり、王太子誘拐事件に関しても、命や金銭など、彼の眼中にはなかったのだ。

 そう考えると「動機のない攫い」には納得だが、なんと短絡的で自分勝手な犯行だろう。

 話を聞くほどに、イルキュイエの中に怒りが満ち溢れてくる。


「これ以上、彼女に触れられると思うなよ。自白した以上、王太子誘拐事件の真犯人としてお前を連行する。フィファニーを傷つけた分、お前の罪は殊更重いと思えヴェイリー・ロットン!」

「ふふ、王太子殿下はまだ状況を分かっておられないようだ」


 紺碧の瞳に燃えたぎる怒りを乗せ、勢いのままに指差すと、ヴェイリーはまるで、かわいそうなものを見るような眼差しで嗤った。そして右手に持つ杖を掲げた彼は、自らの出自を意気揚々と語り出す。


「ロットン子爵家の者というのは、僕にとって仮の姿に過ぎない。僕はその昔、この家の子息を殺して成り代わった魔法族だ。ただの人間に捕らえることなどできやしない。大人しく彼女を殺させてくれるなら見逃すが、邪魔立てするなら共に殺すぞ」

「……!」

「それとも、愛しき姫君と共にあの世へ行った方が幸せか?」



(……っ、どうしましょう。泣いている場合ではないわ、フィファニー。このままではイルが!)


 杖をくるくると回し、小さな子犬をいなすかの如きヴェイリーの言葉に、それまでただ腕の中で泣いていたフィファニーは我へと返った。

 彼の敵意が自分に向いている以上、イルキュイエの傍にいては彼を危険に曝してしまう。

 自分と共に彼の未来まで奪わるなんて、絶対に許容できるわけがない。


「イル……っ、逃げて! このままではあなたの身が危険だわ! 私のことはいいから……!」

「よくありません! そう何度もあなたを傷つけさせるわけにはいかないのです。今度こそ必ず、あなたを守り抜く。大人しく縋っていてください」

「……っ」


 しかし、焦りを滲ませ動転したまま彼に願うと、イルキュイエは酷く傷ついた顔で断言した。

 その顔はどこか怒っているようにも見えて、視線を外す彼にフィファニーは何も言えなくなってしまう。だけど、このまま自分と一緒にいては……。


(どうしたらいいの。ヴェイリー様は魔法を使える。このままじゃ絶対に敵わない。せめて私も、初代巫女のように魔法を使えれば……!)


 彼のジャケットをぎゅっと握り、解決策を見出そうとフィファニーは考えた。

 彼女の祖先は北欧の魔法族だとイルキュイエは推察していた。ならば、自分も同じように魔法を使えれば、ヴェイリーと対峙することができるのに。そう思った途端、彼女の心臓がどくんと大きく鳴った気がした。


「共に死を希望とは。よほどご執心のようだ。ならば望み通り」

「いいや。お前が望む結果にはならないよ。なぜなら私には奥の手があるからだ」


 すると、決して彼女の傍を離れようとしないイルキュイエを見下ろし、ヴェイリーは杖を掲げ攻撃を試みた。だが、なぜか自信満々に言い置いたか彼が、何かを呼ぼうと口を開いた瞬間。


「――!」


 突如つんざくような鳴き声がして、その場に大きな風が吹いた。


 何事かと思い全員が空を見上げると、そこに現れたのは、翼をはためかせるの姿だった。

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