第11話 エスピアスの森へ

 フィファニーが魔女と呼ばれる原因を作ったのが、婚約者にあると知ってから数日が経った。


「お姉様から急ぎの電報、ですか……?」


 あの日以来、真の真相解明を待つ彼女は、沈んだ面持ちでヴェイリーの来訪を待っている。


 ミチェラの元を訪れた翌日、イルキュイエは早速彼をただすため、宮殿への招集命令をかけた。

 だが、王太子令にも拘わらず、ヴェイリーは未だに姿を見せないどころか、返答すら寄越さない始末。

 不審に思ったイルキュイエが子爵家に人を遣るも、屋敷はもぬけの殻だったのだという。

 もっとも、国境警備隊からの報告もないため、国外へ逃亡した可能性は低いとのことだったが、この抵抗はより一層、彼が攫いの真犯人である可能性を、二人に印象付けていた――。



「はい。先程届けられたものになります」


 そんな折、与えられた部屋で刺繍に興じていたフィファニーは、銀のプレートに乗せられた電報に何度か目を瞬いた。

 辺境伯領で暮らす姉からとのことだったが、一体何の用事だろう。


「……!」


 そう思い受け取った電報に書かれていたのは、エスピアスの森の結界が、また弱まり始めているとの報告だった。

 侵入してきた魔物との応戦で負傷者を出したらしく、エスピアスの巫女であるフィファニーに、森への来訪と結界の維持を依頼したいとのことらしい。

 どうやら、フィファニーが解凍されたことにより、回復されるかと思っていた結界も、やはり巫女本人が長く森にいなかったことで、精霊たちの結界維持能力が落ちているのだろう。

 これは早急な対応が必要な案件かつ、正当な理由を以って領地に帰るチャンスだ。

 電報を手に立ち上がった彼女は、すぐさまイルキュイエの元へ向かう。


「イル! 話があるの」

「わわっ、フィファニー!」


 軽いノックと共に扉を開けると、執務中だったのか、眼鏡をかけ、机にかじりつくイルキュイエの姿が目に入った。

 もちろん、勝手に入って良いとの了承を得た上での来訪だったのだが、紙とにらめっこをしていた彼は、やけに慌てた様子だ。


「あっ、ごめんなさい。お仕事中?」

「あぅ、いえ! あなたの来訪はいつでも歓迎です! でもこんな格好悪い姿、できることなら見せたくなくて……!」


 すると、あわあわと言って眼鏡を隠した彼は、すぐさま笑顔で出迎えた。

 なにかと思えば、眼鏡をかけていることを彼女には隠しておきたかったらしい。

 尤も、眼鏡などあろうが彼の美貌が削がれることは全くないし、フィファニーとしてはどちらでも構わないのだが、彼にも彼なりの矜持があるのだろう。


「そう? 眼鏡もかわいいと思うけれど?」

「えっ」

「それより報告があって。今すぐ私を、辺境伯領に帰らせてほしいの」


 そう思い、素直な感想を告げつつイルキュイエと向き直った彼女は、姉からの電報を見せながら、事態を説明していった――。





「――それで? 帰らせてほしいとは言ったけれど、どうしてイルまでついて来たのよ」


 翌朝。

 急ぎ支度を整えたフィファニーは、揺れる馬車の中で隣に目を遣りながら呟いた。

 辺境伯領への帰宅にはあっさり許可が出たものの、どうして王太子同伴が条件なのだろう。


「それはもちろん。あなたは私の……いえ、未だ王家の監視下にある存在。宮殿を抜けるにあたり、監視者は必要なのです。それにしてもエスピアスの森、懐かしいですね」


 すると、フィファニーの問いかけに、イルキュイエは尤もらしい理由をつけながら、しれりと話題を切り替えた。

 おそらく監視~というのは建前で、単にフィファニーと一緒に居たいだけなのだろう。仕事もあるのにと心配にはなるけれど、口出ししたところで意味はない。


(それに、変に意識してしまったせいか、隣にいると少しどきどきするのよね。ヴェイリー様の話を聞かない以上、断言はできないけれど、この事件に巻き込まれたのは、私ではなくイルなのに。だから、変に傾倒しては……)

「……そうね。懐かしいと思えるなら良かったわ」


 にこりと微笑む彼から目を逸らし、フィファニーは心の中でひとりごちる。

 真実を追っているうちに、彼女は理解してしまったのだ。

 王太子誘拐事件は、イルキュイエの命を狙ったものでも、金銭を搾取するためのものでもない。この事件は、フィファニーを陥れるためだけに仕組まれたものであり、彼はただの被害者。

 そんな彼に恨みを抱くこと自体、お門違いだったのだ。


(森に着いたら謝りましょう。そして、もう一度求婚を断るの。この事件に決着がつき次第、ちゃんとお別れを告げて、この縁はおしまいにしてしまいたい。被害者たる彼を、これ以上私に関わらせていいはずがないわ……)


 ヴェイリーの来訪を待ちながら、ずっと考えていたことを胸に秘め、フィファニーは馬車、そして機関車を乗り継ぎながら、辺境伯領へと向かう。

 本来早馬で丸一日かかる旅路も、機関車を使うことで数時間に短縮できるせいか、思いのほか、辺境伯領にはすぐに到着した。

 時刻はちょうどお昼過ぎ。エスピアスの森はもう目の前だ。





「お嬢様~!」


 エスピアスの森にある屋敷へ着くと、テナが涙ながらに出迎えてくれた。

 あの日、なす術もなく連行されて以来の再会に、フィファニーも嬉しくなってくる。

 だが、一先ひとまず屋敷内に入ることにした彼女は、侍女に小さく微笑むと、


「出迎えありがとう、テナ。お姉様から聞いていると思うけれど、少し休憩したら森の碑石に向かうわ。それが終わったら、ゆっくりお話ししましょうね」

「はい! すぐにお茶をご用意いたしますわ」


 そうして、久方ぶりに屋敷の談話室へと入ったフィファニーは、テナに入れてもらった紅茶を前に、イルキュイエと向き直った。

 懐かしげに周囲を見回す彼は、まだフィファニーの心情には気付いていない様子だが、そんな彼を見つめ、フィファニーはそっと紡ぎ出す。


「ごめんなさい、イル」

「ど、どうされました、フィファニー、いきなり……」


 その途端、彼は驚いた顔で目を瞬き、思わず椅子から立ち上がった。

 戸惑いの浮かぶ表情には、謝られるような覚えはないと言った雰囲気が漂っているものの、構わず頭を下げたフィファニーは、続きをこう言った。


「私は氷漬けにされたときから、心の片隅でずっとあなたのことを恨んできた。幼いあなたを助けさえしなければ、もっと普通の人生を送れたのにと。だけど、真に巻き込んだのは私の方……」

「……!」

「だから、この事件に決着がつき次第、お別れしましょう。やっぱりあなたは、私なんかに関わっていい人じゃないわ。求婚の件もお受けすることは――」

「それは許しませんよ、フィファニー」


 と、真剣な面持ちで別れを切り出すフィファニーに、イルキュイエは彼女の傍に駆け寄って告げた。

 否やを言わせない口調に彼女はつい口をつぐんでしまったが、正直その方が彼のためだ。王太子たる彼にはもっと相応しい相手がいる。そして相応しいのは決して自分ではないのに。


「イル、でも……」


 そう思い、再び口を開こうとするフィファニーに、イルキュイエはもう一度首を振った。

 何かを決めた顔で手を握る彼は、まっすぐに自分を見つめている。


「巻き込んだなどと言わないでください。私は、あなたに出逢えたことを心より嬉しく思っています。それに見つけてくれたのがあなただったからこそ、私は無事に生還できたのです」

「……」

「正直上流階級の人間は、利がないことには無関心な人種です。にも拘らず、あなたは損得勘定なしに私を保護し、とても優しく接してくれた。私にとってはその事実だけで十分。だから責任など負わないでください」


 柔らかな声音でそっと微笑み、イルキュイエは言葉を重ねて彼女の心を解きほぐす。

 彼女もまた、真犯人の悪意に巻き込まれた側だというのに、それを理由に別れるだなんて許容はできない。


「それに、本来謝るべきなのは私の方です。あの日、私がきちんと状況を把握し、声を上げることさえできていれば、あなたが無実の罪で裁かれることはなかったかもしれないのに」

「……?」

「私はね、フィファニー。騎士団に連れていかれるあなたを見てなお、捕らえられたのだとは思わなかったのですよ。騎士団は私にとってずっと味方だった。味方である騎士団が、恩人であるあなたを傷つけるはずがない。きっと、宮殿に招かれるために連れて行かれたのだろうと勝手に解釈をしてしまった。だけど、しばらくしてあなたが罰を受けたと知って……」


 握る手に少しだけ力を籠め、正直に語ったイルキュイエは、迷いを見せた後で自身のリボンタイに手を掛けた。

 そして、何事かと目を瞬く彼女の前でタイを外し、白い首元を露わにする。そこには、傷つけたような筋が何本も見て取れた。


「まさか……」

「ええ。あなたを救えなかった後悔のまま、何度も死のうとしました。その度に何度も執事に止められて……。彼は言うのです。死ぬ覚悟があるのなら、死ぬ気であなたの冤罪を証明してみろと。時には辛辣な執事ですが、彼の言うことは大抵正しい」


 まなじりを下げ、十七年の日々を吐露するように、イルキュイエは呟いた。

 やめることは覚悟が要っても簡単なことなのだ。一方で続けることは、やめる以上の覚悟と才能が必要になる。その才能を問われた彼は、幼いながらに覚悟を決めた。

 必ず冤罪を証明し、フィファニーを救ってみせると。


「そのときからあなたは私のお姫様なのです。立場も状況もすべていらない。森から帰って来た暁には、あなたの素の心を聞かせてください」


 にこりと笑い、想いを告げたイルキュイエは、知らず頬を赤くする彼女の手を離すと、ここで話題を打ち切った。いつもなら結婚まで提示してくる彼の行動に目を瞬いてしまったが、確かに今は結界の維持が最優先。

 彼の言葉に首肯したフィファニーは、なんだか話が流れてしまったと思いながらも立ち上がった。


(そ、そうね。まずは碑石に行って結界を保たないと……! そうしたらもう一度お別れを言うのよ! このまま流されたらダメなのだからね、フィファニー!)

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