第10話 告げられた真実

 王太子殿下の世話役・ミチェラに「魔女」の話をしたのは誰だったのか。

 療養中の彼女を訪ね、真実を聞くことにしたフィファニーとイルキュイエは、彼女が告げた名前に大きく目を見開いた。


 ヴェイリー。それはフィファニーにとって、婚約関係にあった青年の名前だ。

 しかもミチェラは、彼を愛しい方だと言っている。

 つまり、それは……。


「フィファニーの旧婚約者が、彼女を魔女と言ったのか?」

「そうですわ。しかし、彼と真に愛し合っていたのは私なのですからね! ヴェイリー様はずっと、望まないものを押し付けられたと嘆いておられましたし、彼女が魔女だと突き止めてからは、婚約破棄と、正体を皆に告げる機会を模索していました。そして、無事に国外追放となれば、今度は私と婚約してくださるって言っていましたもの!」


 よく通る大きな声で一気に告げ、ミチェラはフィファニーをめつける。

 その視線はまるで、ヴェイリーの心は真に自分のものだと告げているかのようで、フィファニーはつい身を引いてしまう。


 だけど、本当にそれが真実なのだろうか。

 ヴェイリーはずっと、フィファニーをかわいい婚約者だと認めてくれていた。なのに、他に愛する人がいただなんて。信じたくはない。

 そして、彼が自分を「魔女」だと吹聴していたことも……。


「……っ」

「大丈夫ですよ、フィファニー。私が傍にいますから。……しかしミチェラ、あなたは結局彼と結ばれてはいないのだろう? それでも彼の言葉を信じ、彼女を魔女だと思うのか?」

「もちろんですわ。ヴェイリー様はお優しい方ですもの。お家のために渋々ご結婚されたとは聞きましたけれど、私の体調が良くなり次第、いつでも離縁し、私を選んでくださると。時折ハーブティーを持ってお見舞いに来てくださる度、愛を語っておりました」


 信じられない気持ちと、信じたくない気持ち。

 ミチェラの言葉を聞くほど、高まる気持ちに視界が覚束なくなって、フィファニーはふらりとよろけてしまった。

 その途端、気付いたイルキュイエが支えてくれたけれど、もう何も感じたくないし、考えられない。婚約者だった愛しい彼が、嘘を吹聴し、愛した別の人のため、婚約破棄まで画策していたなんて。嘘だと言ってほしかった。


(……でも、私との婚約を破棄したいなら、そうと言えば済むことよ。確かにあの縁談はプロフェンス夫人の勧めだったから、断り辛い部分もあったのかもしれないけれど、私を魔女だと言う必要はない。どうして、ヴェイリー様……)

「ふむ、恋は盲目というものの、それで視野が狭くなっては適わないな」


 涼やかな目元に涙を溜め、肩を抱かれていることすら認識していない様子で俯く彼女を気にしながら、イルキュイエは静かに呟いた。

 もちろん、フルーニーのときと同様、確かな裏付けは必要なものの、フィファニーを真に森へいざなったのも、ミチェラに「魔女」の話を吹き込んだのもあの旧婚約者なら、奴が攫いの真犯人である可能性はとても高い。それが正直な心証だ。


「しかし合点がいったよ。あの日、私が攫われたのを見て、ミチェラがフィファニーのせいだと決めつけたのは、事前にそうと聞き、妄信していたからだったのだね。しかも「王太子の命を狙っている」と聞いていたということは、本来漏らしてはいけないはずの披露目儀ひろめぎ前の私の存在を、奴に伝えていたのでしょう」

「……っ」

「そして、当時私の存在を把握していた誰にも相談しなかったところを見るに、告発まで内密にしてほしいとでも言われていた。違うかな」


 できるだけ淡々と、当時の状況を整理するように、イルキュイエはミチェラに問いかけた。

 彼女が自分たちの知らぬところでヴェイリーと深い関係にあったなら、王太子誘拐事件の全容は易々と見えてくる。



 ――十七年前。王宮の離れで王太子を遊ばせていたミチェラは、突然吹いた風に幼いイルキュイエが攫われたのを見て、ヴェイリーの言葉を思い出す。

 フィファニーは王太子の命を狙う魔女。愛しい方が告発の機会を模索していた魔女が、こんなにも早く殿下を狙ってくるなんて。

 動転したミチェラはすぐさま騎士団に報告したのだろう。魔女が、フィファニーが殿下を攫って行ったと。

 確信を宿したミチェラの様子に、騎士団はフィファニーがいるという辺境伯領へ向かう。この時点で王陛下は即時断罪を望んでいた。ならば、騎士団がすべきことは、魔女を捕らえ氷壁ひょうへきの塔へ送るだけ。

 フィファニーの言い分など聞く耳もなく、彼女は氷漬けの終身刑を……。



(それにしても何が目的なのか。状況証拠が揃った以上、奴にも詳しく話を聞かねばなるまいな……。しかし、婚約者のある身でミチェラと恋仲だったことはもちろん、フィファニーを悲しませる奴など万死に値する。彼女に止められようが、ここは王太子権限を存分に使って……)

「あの、殿下……」

「情報提供感謝するよ、ミチェラ。心配せずとも今さらあなたを責めるつもりはない。この十七年、辛いことは数あれど、彼女はこうして今、私の隣にいるのだから」


 すると、思案を巡らす紺碧の瞳に怒りを見たせいか、恐る恐る切り出すミチェラに、イルキュイエはふと呟いた。

 正直動機については本人をただす他ないだろうが、真実の判明はもう目の前。

 後は無事に彼女をほだし、婚約を取り付けて……。


「ごほん。さて、我々はそろそろいとまさせてもらうよ。長居は身体に毒だろうし、彼女の心も心配だ。他に聞きたい事項が出てきたらまた連絡する。ではね、ミチェラ」


 真実の追及、そしてその先に待つ彼女との婚約をちゃっかりと見据え、心の中で筋道を再確認したイルキュイエは、覚束ない様子で黙り込むフィファニーを抱き上げると、そのままミチェラの元を後にした。

 よほど彼女に告げられたことがショックだったのか、フィファニーはあれから一言も喋らず、彼のお姫様抱っこを受け入れている。

 それだけ、彼女があの男を愛していたのかと思うと苦しくなったけれど、話はせめて宮殿に帰ってからだ……――。





「フィファニー。お部屋に着きましたよ」

「……ん」


 彼女のために用意した部屋に入ると、イルキュイエはようやくフィファニーをお姫様抱っこから解放した。

 道すがら、ずっと彼に寄り添われていたはずのフィファニーは、しかしそれを認識していないのか、どこかぼんやりとした眼差しで遠くの景色を見つめている。


「もう我慢しなくてよいのです、フィファニー。私が傍にいますから」


 と、そんな彼女の姿に、気持ちを吐露するきっかけを掴めないでいるのだと気付いたイルキュイエは、促すようにぎゅっと彼女を抱きしめた。

 愛しい人の苦しい顔は、どうしてこんなにも心が痛くなるのだろう。

 それがあの旧婚約者のせいだと思うと余計に辛くなったけれど、涙くらい、我慢せずに流してほしい。たとえ何があろうと、彼女のすべてを受け入れる覚悟くらい、ちゃんと持っているのだから。


「……っ」


 思いを込め、小さな子供をあやすように背中をさすると、やがてフィファニーの瞳からぽろぽろと小さな涙が零れてきた。

 声も出さずに泣く彼女は、一心に彼の上着を握りしめている。それはもう、無意識に縋るような行動で――。


「フィファニー。大丈夫です。あんな男のために、あなたが心を痛める必要はない」

「……」

「私が幸せにしますから。辛いことがあった分、その何倍も幸せにします。だから今は存分に涙してくださいね」

「……うっ」


 彼の声に導かれるように、フィファニーは安堵と共に泣き出した。

 正直、フィファニーの心は今、絡まった糸のようにぐちゃぐちゃだ。

 もちろんミチェラをそそのかし、「攫いの魔女」と呼ばれる原因を作ったのが、ヴェイリーにあるのは分かっていた。けれど、彼とは生涯を共にするつもりでいたのだ。

 頭では分かっていても、心は簡単に追いつけない。そのくらい、フィファニーは彼を愛していた。

 だけど、彼にとって自分は……。



「ヴェイリー様……」

「……そんなにも、あの男は魅力的でしたか?」


 失意に打ちひしがれ、不意に彼の名を口走ると、背を撫でていたイルキュイエの手がピクリ反応した。

 その声音に滲むのは、間違いなく大きな嫉妬だろう。

 だが、それに気付きながらも首肯したフィファニーは、涙ながらに彼のことを語り出す。


「ええ。イルと違って地位も交友関係も少ない私は、殿方とお会いする経験なんて、社交時期シーズンのわずかなときだけだった。だけど、プロフェンス夫人のご厚意で知り合って以来、ヴェイリー様は何度も家に足を運んでくれて……っ。本当にお優しい方だったの。だから……」

「なるほど。……しかしフィファニー。私とてあなたを愛しているのです。胸の中で他の男の名を囁かれるのは気苦しい。私に縋ってくださるのなら、せめて、私の名を呼んでくださいませんか」


 思い出を聞き、紺碧の瞳に一瞬だけ奴への嫌悪感を剥き出したイルキュイエは、彼女を抱く手に力を籠めながら懇願した。

 年齢やレッテルを気にする彼女が一筋縄でいく相手でないことは理解しているけれど、自制しなければ持たないほど、自分は強く彼女を愛しているのだ。だからこういうときは、自分の名を呼んで欲しかった。


「……イル」

「そう、もっと呼んで……。あんな男のことを忘れるくらい、強く、私を」


 すると、一呼吸おいて名を呟く彼女に、イルキュイエは耳元で囁いた。

 普段のフィファニーなら、彼の甘い言葉など、笑顔であしらっているだろう。

 だけど今日だけは、彼の優しさに縋りたい。


 だって、自分でも不思議なくらい、彼の名を呼ぶと心が落ち着いて来るのだ。

 それはきっと自分の中で、彼がそれだけ大きな存在になっているということなのだろう。

 意識した途端、不意に頬が赤くなった。


「うん……」


 だけど、そう……。

 彼はもう、あのときのような幼い子供ではないのだ。



 想いを心に抱き、静かに頷いたフィファニーは、この日初めて、彼を年の離れた男の子ではなく、自分を受け止めてくれる男性なのだと理解した。

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