第9話 犯人候補
宮殿へと招いた姉に、フィファニーは静かに問いかける。
「――……あの日、お姉様は森でスプランティネアを見かけたと言って、私にエスピアスの屋敷で過ごすよう、提案してくださいましたね。しかも今から行くようにと。……どうして、あの日だったのですか?」
彼女が少年イルを保護した日の朝、エスピアスの森へ行くよう勧めた姉には、どんな意図があったのだろう。
偶然ならば構わない。だが、もしそれが、意図しての提案だったなら。
どきどきと心臓が早鐘を打ち、手のひらに変な汗が滲んでくる。
「それは……。実を言うとね、もともとその提案をしたのはヴェイリー様なのよ」
「えっ」
「……!」
すると、真剣な表情で自分を見つめ答えを待つ妹に、フルーニーはここだけの話と前置きして言い出した。
突如出てきた婚約者の名前に、フィファニーもイルキュイエも驚いた様子だが、そんな二人を見つめたまま、彼女は当時のことをこう語る。
「本当は、あなたが森から帰り次第、ちょっとしたパーティを予定していてね。サプライズで婚約指輪を渡したいから、準備のため、屋敷を空ける時間を設けてくれないかと相談されたの」
「……」
「とても素敵なことだと思ったし、ちょうどスプランティネアが来ていた時期だったから、エスピアスの屋敷で過ごしてもらうのがいいと思って……」
あの日のことを振り返るように言って、フルーニーは事実を紡ぐ。
王太子誘拐事件の真犯人を捜しているという、こちら側の意図を知らない以上、姉が嘘を吐く理由はないし、言動に不自然な点は見られない。
だがまさか、姉の進言の裏に、自身の婚約者が隠れていたなんて……。
(……ではフィファニーを森へ
姉が齎した報告に大きな動揺を見せ、瞳を揺らすフィファニーの横で、イルキュイエはひとりごちると、心配そうに彼女を見遣った。
真実を追求するうえで、少なからず辛い現実がある可能性を、きっと彼女も覚悟していたことだろう。
しかし、犯人は姉か婚約者か。どちらにしても心の負担は計り知れない。
自分がしっかりと支えてあげなくては。
「そう、だったのですね。色々とお気遣いいただいていたのに、帰宅が叶わず、申し訳ありません、お姉様」
心の中で意思を強くするイルキュイエに机の下でそっと手を握られ、どうにか俯くのを堪えたフィファニーは、言葉に
もちろん、話の真偽については、当時の使用人たちにも聞いて裏付けを取る必要性はあるだろうけれど、婚約指輪を渡すはずのサプライズが、一生の別れになるところだったなんて。様々なショックも相まって、心が覚束なくなってくる。
「いいえ。私たちも報告を聞いて、とても驚いたことは事実だけれど、こうしてまた会えたのだもの。あなたの無実を信じ続けた甲斐もあったわ。辺境伯領に帰られるようになったら、楽しいパーティでもしましょうね」
「はい、お姉様」
裏表のない様子で、快活に笑む姉に頷いたフィファニーは、それからしばらくの間、彼女と共に普通のお茶会を楽しんだ。
専ら話の内容はフルーニーの子供たちと領地のことで、変わらない自然豊かな景色の話に、フィファニーは帰郷の念を募らせていく。
尤も、王家(というよりイルキュイエ)の監視が続く以上、まだ領地への帰宅は先だろうが、再び平和な日々が訪れることを願い、姉との面会は終了となった。
それから数日。
執事にフルーニーの話の裏付けを取らせながら日々を過ごしていたイルキュイエはこの日、ある知らせを持ってフィファニーの元を訪れた。
犯人候補が近しい者へと絞られて以降、彼女の気持ちは沈みがちだ。
だが、彼女が真犯人探しをやめると言わない以上、自分もできることをしなくては。
「フィファニー。以前私の世話役をしていた、ミチェラとの面会日程が決まりました。少し急ですが、本日は体調が良いので、午後からなら面会できるだろうとのことです。ただ、彼女は現在も療養中のようで、こちらから出向くことになりますが」
「……そう、分かったわ」
すると、読んでいた本から顔を上げ、気遣わしげな視線を向けるイルキュイエに、フィファニーは、微笑みと共に頷いた。
――王太子誘拐事件における、大きな疑問。
ミチェラはなぜ初めから、フィファニーを「魔女」と呼んでいたのか。
もしこの面会で、魔女の話を吹き込んだ者の正体が分かれば、真犯人へとまた一歩近付くだろう。そして姉か婚約者、そのどちらかが該当者であれば、きっと……。
「大丈夫ですか? フィファニー。少し気分転換でもしましょう。お出掛けデートが良いですか? それともお風呂……いえ、二人きりで……」
考えるほどにざわめき立つ心。それらを抱え、笑みながらも緊張を見せるフィファニーに、イルキュイエは優しく手を握って提案した。
だが、気分転換と言いつつ、あらぬことを画策するイルキュイエの提案など、お断りである。
「どれもしないわよ、イル。ところで、ミチェラさんの元までは、どのくらいかかるのかしら。時間もないし、外出の準備も必要でしょう?」
「しゅん……。馬車で一時間掛からないくらいです……」
そう思って、綺麗な笑顔であしらい話を戻すと、彼は落ち込みながらも正直に答え、こちらをじっと見つめてきた。
彼の心配が本物なのは理解しているけれど、この執着にも困ったものだ。
「分かったわ。じゃあ少しだけお茶にしましょうか。また媚薬を盛ろうとしたら怒るけれど、そのくらいは一緒にしてあげるから」
「はい!」
そうして、しばしの休息ののち、二人は四頭立ての大きな馬車に乗り込むと、王都郊外に建つとある屋敷へとやって来た。
イルキュイエの世話役だったミチェラ・スレイフトは、元々子爵家の四女で、姉が王妃と旧知であったことから、幼い彼の世話役を任されたのだという。
しかし、王太子誘拐事件の後、心労で倒れた彼女は、今なお寝たきりが続くほど重たい症状を患ってしまったらしく、子爵家の別邸であるこの屋敷で療養生活中だ。
「うーん、話を聞ければと言ったのは私だけれど、そんなにも後遺症が続いているなんて……。私がいきなり現れたら、ショックを受けてしまわないかしら」
と、馬車を降り、筆頭執事とメイド頭の手厚い歓迎を受けながら進む途中、フィファニーは悩んだ顔で囁いた。今さら引き返すわけにもいかないけれど、療養中の彼女に、フィファニー本人は刺激が強すぎるのではないだろうか。
「きっと大丈夫ですよ。あなたが解凍された件は伝えてありますし、ミチェラ自身、あなたに何かをされたわけではないでしょう。しかし、出番とあらば私が盾になりますからね」
「またそんな……。王太子を盾にしたら、それこそ悪女よ私」
一方、二階にある日当たりの良い部屋へと入りながら、イルキュイエは自信満々に咲笑う。
この奥でミチェラが待っているとのことだったが、彼女は一体、どんな反応を示し、何を語るだろう。
「ぎゃあっ、魔女っ! 私に呪いをかけただけに飽き足らず、ついに復讐までしに来たの!?」
「……」
一抹の不安を抱え、それでも思い切って顔を出すと、ミチェラはベッドの上で飛び上がった。
赤茶色の髪と瞳をした彼女は、あの日森で会ったときに比べ、随分と痩せこけ、疾患の影響か、髪には早くも白いものが混じっている。だが、怯えながらも金切り声を上げる雰囲気は、なんだか懐かしさを感じるほど、あのころのまま。
しかし、またいきなり魔女だなんて……。
「久しいね、ミチェラ。私の眠り姫に随分な挨拶だ。彼女は何もしていないのに」
「あっ、う、いえ、ご無沙汰しております、殿下。しかし……」
「まあいい。今回はそのことで話を聞きに来たのさ。ミチェラ、あなたはどこでフィファニーが魔女だと聞かされた? 彼女は決して攫いもしていなければ、悪い力も持っていないよ」
すると、いきなり動転して叫ぶ彼女に、イルキュイエは静かに威圧感のある笑顔で声掛けた。
ここ数週間、社交界に顔を出す度、かつてフィファニーがしていた悪行やら、イジワルやらの話をご令嬢方にされ続けてきた彼は、どうやら否定的な発言に過敏になっているらしい。
尤も、そんな嘘を易々と信じるほど、イルキュイエの目は節穴ではないものの、良い気分でないことは明白。慌てて宥めようとするフィファニーの手を握り言うと、ミチェラは大きく首を振って叫んだ。
「そんなわけがありませんわ! 現に私は魔女を告発して以来、ずっと、立つこともままならない生活を強いられておりますのよ! お医者様に見ていただいても病気は見つからないのに! こんなこと、魔女の仕業としか思えませんわ……!」
「……」
「あなたが私を呪わなければ、私だって……っ」
話していくうちに感情が昂って来たのか、ミチェラは目の端に涙を溜め、ややヒステリックにフィファニーを睨みつけた。
確かに十七年もの間、身体が言うことを聞かない生活というのは、氷漬けのフィファニーとは違う辛さがあるだろう。
しかし、一方的に魔女と決めつけて譲らないミチェラを見つめ、イルキュイエはもう一度問いかける。
「彼女は魔女じゃない。ミチェラ、どこでそれを聞いた? あなたはフィファニーと面識などないだろう?」
そう言って、眉根を寄せるイルキュイエに滲むのは困惑と呆れ。そして一抹の怒り。
コクリと頷き、フィファニーを指差した彼女は、ハッキリとその名前を口にした。
「ヴェイリー様ですわ。私の愛しいあの方が、教えてくださったんですの。フィファニー・ホワードは、殿下の命を狙う魔女なのだと」
「え……」
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