第8話 スプランティネアに生まれた疑念

 あの日、スプランティネアの観察に行くよう進言したのは、誰だったのか。


 イルキュイエの何気ない質問に、ひどく表情を強張らせたフィファニーは、彼に真実を告げられないまま、数日の時を過ごしていた。

 思いつめた表情で考え込む彼女に、イルキュイエは心配を見せていたけれど、どうしても、自分でも信じられない事実を、呑み込むことができなくて……。



 ――だけどあの日、彼女をエスピアスの森へいざなったのは、他でもない姉・フルーニー。

 今思えば、普段の姉にしては強引なくらい、スプランティネアの観察を強く勧めていた。

 あのときは、鳥好きのフィファニーにスプランティネアを見せたくて仕方ないのだろうとしか考えていなかったけれど、もしそれが、妹を陥れるための計略だったとしたら。


(いいえ、あの事件は王太子誘拐事件なのよ。私は偶然イルを助けてしまっただけ。お姉様だってイルとの面識はなかったし、誘拐を計画する道理はない。でも……)


 そうと分かっていて晴れない疑念。

 可能性として過るのは、フルーニーが妹に宿る巫女の血に気付いていたかもしれないということ。


 幼い日、二人は双子だからと母に言われ、一緒に血の証明を行った。

 フィファニーとしては姉のついでだと理解していたけれど、もしどこかのタイミングで、あの結界を維持しているのが自分ではなく、妹だと気付いてしまっていたら。

 長女に宿るはずの血を奪われたと嫉妬を抱き、重罪を着せる計画を立てた可能性もあるのではいだろうか。

 もっとも、姉妹仲も良く、優しい姉がそんなことをするなんて考えられない。

 でも、でも……。



「……っ」


 何度も頭の中をぐるぐる悩ませ、落ち着かない胸のざわめきを抱えた彼女は今、気晴らしに夜の庭園を一人、散策している。

 宮殿の大広間では現在、王家主催の舞踏会が催されており、演奏家たちが奏でる美しい旋律が、彼女の耳にも届いていた。

 もちろん、歓迎されない社交場になど行くつもりはないのだが、月明かりに照らされた一人きりは、自分がいかに、彼らとは離れた世界にいるのかを、突きつけられているような気がして。


「フィファニー! ここにおられましたか……!」


 と、風に揺れる勿忘草を見つめ、心と向き合っていたフィファニーは、不意に届いた彼の声に、大きく目を見開いた。

 驚いて振り返ると、そこにいたのは洗練されたテールコート姿のイルキュイエ。

 王太子として舞踏会に臨んでいたはずの彼はしかし、優しい視線で彼女のことを見つめている。


「イル……。どうしたの? 王太子が舞踏会を抜け出すなんて、心配されるわよ?」

「……」

「今日は大事な春の行事なのだし……」

「あなたより大事なもの、私にはありませんよ、フィファニー」

「!」


 だが、突如現れた理由が分からず、首を傾げるフィファニーに、イルキュイエは彼女の手を引いて宣言した。

 そして、何を思ったのか不意に甘く口づける。

 後頭部を抱くように手を添えた口づけを、拒むことはできなくて。唇が伝える熱に、月明かりでも分かるほど一気に頬が赤くなる。

 だけど、いきなり、どうして……。


「いっ、イル……っ、な、何を……!」

「ごめんなさい、フィファニー。でも、あなたのことが恋しくて」

「……!?」

「舞踏会の最中、ご令嬢方が私に言うのです。殿下は魔女にたぶらかされているのだと。そんなことはない。それを、確かめたくて」


 まるでひどく名誉を傷つけられたような顔で、イルキュイエは動揺する彼女を抱きしめた。

 どうやら先の茶会で、フィファニーが彼の寵愛を受けていると知ったご令嬢方は、心配の体を装って二人の仲を引き裂こうと、あれこれ手を回しているようだ。

 尤も、社交界に出ない以上、彼女が直接的な被害を受けることはないものの、彼の様子を見るに、よほど根も葉もないことを言われてきたのだろう。

 苦しいほどに自分を抱く手が震えていることに気付いて、フィファニーは何も言えなくなってしまう。



「……突然、驚かせてしまってごめんなさい」


 すると、柔らかい微風そよかぜに髪をなびかせ、黙りこくっていたイルキュイエは、しばらくして静かに呟いた。

 いつになく悲壮感を漂わせた彼は、まっすぐに自分を見つめている。


「でも、私にとってはどのご令嬢も、優しい方だと思っていたのです。しかし、いざというときにしか、本性とは出てこないものなのでしょう。強引に私を取り囲んでくる彼女たちが、怖くって……」

「それは仕方ないわ。あなたは誉れ高き王太子だもの。寵愛を願っていた女の子なら、攫いの魔女が傍にいたことに驚くのは当然。でもそれが世間の反応よ。私からは離れて……」

「それはイヤです」


 どこか子供じみた表情で首を振り、どうにか落ち着いた様子のイルキュイエに、フィファニーは優しく微笑んだ。

 普段はあれだけ自分の方が年上なのだと言い張る彼も、こういう姿を見てしまうと、やはり一回り歳の違う男の子なのだと思ってしまう。

 もちろん、見た目と実際に歩んできた時間は、フィファニーの方が短いはずだが……。


「ところでフィファニー。あなたは夜の庭園で何をしていたのですか?」

「散策よ」


 心の中で改めてそれを実感し、彼の様子を窺っていたフィファニーは、気を取り直した顔で目を瞬くイルキュイエに、視線を逸らして呟いた。

 彼の登場と、不意を突く口づけに、それまで蔓延はびこっていたざわざわはどこかへ行ってしまったけれど、今は事実を伝えるときではないだろう。

 そろそろ彼の不在を気にした執事が音もなく現れるころだろうし、陛下や王妃様に心配される前に、彼を舞踏会に返さなくては。


「ねぇ、フィファニー。私は、あなたにならいくらじらされても平気です。でも、それで悩む姿は見たくない。あなたをエスピアスの森へいざなった者の正体、そろそろ私にも教えていただけませんか」

「……!」


 と、あれこれ考えを巡らせながら、この時間の切り上げ方を模索するフィファニーに、イルキュイエはストレートに問いかけた。

 未だ解決の兆しが見えないこともあり、攫いのレッテルを気にした彼女が、一人で宮殿内を出歩くことは滅多にない。

 にも拘らず、人が集まる舞踏会の隙に散策を試みるなんて、考えられる可能性はひとつだ。


「大丈夫。父には一時退出を告げてあります。そして執事以外、周りには誰もいません。さぁ」

「え」


 促すように彼女の頬に触れ、イルキュイエは心配を見透かしたようにそう告げる。

 気付くと、生垣の向こうには彼の執事が立っていて、無表情のままにこちらを見つめていた。


「……分かったわ。でも話したら舞踏会に戻って? ご令嬢方の対応はさておき、王太子としての役目もあるでしょう」

「はい、フィファニー」


 いつから自分たちのことを見ていたのだろう。……なんて一抹の不安はさておき。彼の視線に根負けしたフィファニーは大きく息を吸い込んだ。

 そして、思い切った顔で、事実を紡ぎ出す。


「あの日、私にスプランティネアの飛来を告げ、森の屋敷で過ごすよう勧めたのはお姉様よ。もちろん、それだけで決めつけることはできないけれど、お話を聞く必要性はあると思うわ」

「なんと、姉君が……。では、彼女も今宵の舞踏会に列席しておりますし、明日にでも宮殿へお呼びして、お話を聞いてみますか?」

「ええ」

「大丈夫、私が傍にいますからね」


 フィファニーが告げた事実に目を丸くしながら、イルキュイエはそれでも気遣うように手を握ると、優しく彼女に囁いた。

 状況と表情からフィファニーをいざなったのは、姉か辺境伯か旧婚約者の誰かだろうとは予想していた。

 だけど、フィファニーとの再会を喜んでいた姉君が重要参考人に挙がるなんて、確かに心が苦しくなる。だが、こればかりは避けては通れない道だった。


「……ありがとう、イル。さ、私は戻るから、あなたも舞踏会、頑張っていらっしゃいな」





 ――翌日。

 事情は伏せたうえで面会を希望すると、フルーニーは娘を連れ宮殿へとやって来た。

 どうやら妹に姪っ子を見せたくて仕方がなかったらしく、幼い少女は今、フィファニーの膝の上で笑っている。


「ああ、子供と一緒のフィファニーも愛おしい。私も、フィファニーとなら子供が欲し……」

「ちょ、お姉様の前でいきなりなんてこと言い出すのよ、イル!」


 すると、その様子を観察していたイルキュイエは、挨拶の間もなくとんでもないことを言い出した。

 途端フィファニーの制止が入ったけれど、そんな二人にフルーニーは優しい笑みを浮かべ、丁寧に口を開く。


「ふふ、二人は仲良しですねの。本日はお招き感謝いたしますわ、殿下」

「いえ、この度、大切なお話をさせていただきたく、お越しいただいた次第でして……」

「まぁ。結婚報告でもなさるおつもりで?」


 と、寸劇から一転緊張感を露わにする二人に、フルーニーはさらりと呟いた。実姉が関係を推してくれるのは心強いが、今回の件はまた別の話だ。


「それはまた追々させていただければと思いますが……」

「違います、お姉様」


 そう思いイルキュイエが頷く一方、フィファニーは被せるように断固として否定した。

 途端イルキュイエはショックで子犬化していたけれど、ここばかりは譲れない。

 そもそも双子である自分はフルーニーと同い年なのに、なぜその発想になったのだろう。


「実は、十七年前のことで質問がありまして」

「……?」


 それはさておき、早々に本題へと入ることにしたフィファニーは、静かに口を開いた。

 不思議顔の姉は状況を呑み込めていないようだが、聞きたいことは、ひとつだ。


「あの日、お姉様は森でスプランティネアを見かけたと言って、私にエスピアスの屋敷で過ごすよう、提案してくださいましたね。しかも今から行くようにと。……どうして、あの日だったのですか?」


 たとえ意図が姉に伝わらなくても構わない。

 どうしてあの日、森へといざなったのか。

 裏があったのか偶然か、知りたいのは、ただ……。


「それは……」


 願いを込め姉に問うと、彼女は少し間を開けた後で呟いた。

 きっともうすぐ、真実は目の前だ――。

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