第1話 森の中の出逢い

 遠くに沈みゆく夕日を横目に、少女は森を歩き出す。

 大きな木々が林立した森は、既に薄暗さを湛えていた。


 ここは西欧と北欧の狭間に位置する山間の小国・ウィングロード王国。魔物が住むというノクトリーの森に隣接した辺境伯領、精霊の森・エスピアスの森中だ。

 さわさわと森が囁き、涼やかな春風が渡る中、柔らかなアッシュブルーのウェーブヘアと、ロイヤルブルーのドレスを揺らした少女は、すぐ近くに建てられた屋敷へと、今まさに帰途へ就いていた。


(……随分と遅くなってしまったわ。早く帰らないとテナに怒られてしまうわね)

「!」


 だがその途中、近くから聞こえてくる子供の泣き声に、少女はふと立ち止まる。

 この森はプロフェンス辺境伯領の森であるものの、子供が立ち入ることは滅多にない。

 自分を含め、近くにいるのは皆、大人ばかりだ。

 予期しない泣き声に驚きながら進むと、少しだけ開けた木々の合間に、立ち竦む小さな男の子の姿が見えてきた。

 両手で目元を覆う男の子は、どういうわけか一人きりで泣いている。


「こんなところでどうしたのかしら?」

「……っ!」


 すると、出来るだけ静かに声を掛ける少女の言葉に、男の子はびくりと肩を震わせた。

 おそらく年齢は四~五歳くらい。裸足であることが気がかりだが、顔を上げた男の子は、さらさらの金髪に紺碧の大きな瞳が印象的な、白皙の美少年。

 服装がドレスであれば、女の子と見間違えたであろう美貌に、少女はほぅと息を吐いた後で、もう一度問いかける。


「お父様やお母様は一緒かしら? ぼうや、どうやってここに来たのか分かる?」

「うぅん。わからない。かぜがとんできたの……」

「風?」


 だが、身を屈め優しく笑う少女の問いかけに、男の子はしどろもどろで呟いた。

 それがどういう意味なのかは分からないが、周りを見る限り、この近くに人の気配はないようだ。一先ひとまず屋敷で保護をして、明日、辺境伯を訪ねてみれば何か手掛かりが掴めるだろうか?

 悩みあぐねる少女の肩に、ふと桜色の鳥がとまった。


「そうなのね。なら、ご両親が見つかるまで一先ずうちの屋敷へおいで。私はフィファニーよ。辺境伯家と共にこの地で暮らすホワード男爵家の娘。……なんて言っても分からないと思うけれど、あなたを怖がらせるようなことはしないわ」

「……んぅ」

「ぼうやのお名前は?」

「……イル」

「イルね。さ、おいで」


 悩みながらも保護を決めた少女――フィファニーは、両手を伸ばすと、イルと名乗った男の子を抱っこした。

 目的地は目と鼻の先だが、裸足の男の子を歩かせるわけにはいかないだろう。整った身なりからして、もしかしたら良家のご子息かもしれないし、慎重に扱わなくては。


「……フィファニーは、どうしてこの森にきたの?」


 と、彼が身に着ける上等な絹のシャツやタイを見遣り、心の中で思案していたフィファニーは、人のぬくもりにようやく泣き止んだイルの問いに、目を瞬いた。

 彼女の肩には変わらず桜色の鳥が乗り、それを指差した彼女は嬉しそうに笑って言う。


「この子、春を告げるスプランティネアという渡り鳥が森に来たと聞いて、観察していたのよ」

「かわいい鳥さん」

「ふふ、そうね。……あっ、見えて来たわ。あれが屋敷よ」


 桜色の羽に空色の瞳が愛らしい鳥に手を伸ばし、恐れ知らずに頬を突くイルを微笑ましげに見ていたフィファニーは、しばらくしてレンガ造りの小さな屋敷を指差した。

 保養地の別荘であるこの屋敷は、フィファニーにとって心落ち着く場所だった。





「テナ。今帰ったわ」


 観音開きの玄関扉を開け、ぬくもりを感じるマホガニー調のエントランスに入ると、すぐに侍女が出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 テナはフィファニーが子供のころから仕えてくれている、面倒見の良い女性だ。

 そんな彼女にフィファニーは、玄関を開けた途端、飛び去ってしまったスプランティネアを名残惜しそうに見つめるイルを見せ、困ったように話し出す。


「テナ、悪いけれどこの子、迷子みたいで……。今日屋敷に泊めてあげようと思うの。まずはお風呂のお湯を準備してくれるかしら?」

「まぁ。至急準備いたしますわ」

「ええ。イル、まずはお風呂に入りましょ。汚れを綺麗にしてあげるわ」


 未だに困惑を滲ませながら、それでも笑顔で声を掛けると、フィファニーはそのまま彼を大理石の浴室へと連れて行った。

 どういう経緯で森にいたのかは分からないが、彼の髪や手肌には、泥のようなものがついている。

 一緒にお風呂に入り、それらを綺麗に落としていくと、イルの髪はさらにキラキラと金色に輝き、温まって上気した薔薇色の頬はとても愛らしい。

 お世話され慣れている様子から、やはり街の子ではないだろうと予想しつつも甲斐甲斐しく手入れを行い、お風呂の後は服までちゃんと着せてあげると、イルは嬉しそうに笑った。



「フィファニー、すき」


 その結果、随分とフィファニーに懐いたイルは、食事も団欒も、果ては眠るその瞬間まで、彼女にぴったりとくっついた。

 まるで、金色の子犬に懐かれたような気分は悪くはないものの、やはり、彼が一人で森にいたという事実は、腑に落ちなくて。


(……イルの身に何があったのかしらね。プロフェンス様に相談後、無事に素性が分かると良いのだけれど……)


 ふかふかのベッドに入り、くっついて眠るイルの、柔らかな髪を撫でる。

 目を閉じたフィファニーは、彼を巡る謎に思いを馳せると、自身もまた夢の中へと入っていった――。





 ――翌朝、目を覚ました彼女の耳に飛び込んできたのは、馬のいななく音だった。

 不穏な空気を何事かと思い、飾りと化していた護身用の長剣を手に気配を窺っていると、いきなり飛び込んできたのは黒鉄くろがねを纏った騎士団の精鋭たち。

 鋭い剣と盾を持つ彼らは、警戒した様子でフィファニーと、後ろに隠れるイルを見つめている。


「……っ、殿下! ああ間違いありませんわ! 魔女の後ろに居られるのは殿でございます!」


 すると、そんな騎士たちの後ろから、不意にメイド服の女性が顔を出した。

 女性は恐れをなした表情でフィファニーを指差すと、やけに甲高い声音で叫ぶ。

 途端その場に動揺が走り、騎士たちの殺気が今まで以上に強まった。

 今にも飛び掛かってきそうな彼らの気配に、だがフィファニーは困惑した様子だ。


? 私が? 確かに特殊な血筋なのは認めるけれど、どうして私が魔女だなんて……。そ、それより……王太子、殿下……?)


 金切り声を上げ、露骨に忌避の目を向ける女性の言葉を呑み込もうと復唱し、フィファニーはドレスの袖口を握るイルに目を落とした。

 騎士団の包囲と言葉に戸惑う彼女の一方、イルは随分と落ち着いた様子で、前を見つめている。

 だけど王太子殿下、……って、まさか。


「今だお前たち! 魔女をひっ捕らえろ!」

「……っ!」


 しかし、冷や汗を浮かべるフィファニーがイルに注視している状況を好機と採ったのか、彼女が何かを言う前に、合図を経て騎士団員たちがなだれ込んできた。

 抵抗する間もなく剣を奪われ、後ろ手に拘束される。

 あまりの乱暴さに腕が悲鳴を挙げたけれど、そんなものには目もくれず捕らえられたフィファニーに、一歩前に出てきた指揮官らしき軍服の男が吐き捨てた。


「攫いの魔女め。畏れ多くも王太子殿下を攫おうとは極刑ぞ! 陛下の命により、お前を氷壁ひょうへきの塔へ連行する! 立て!」

「……! 氷壁の塔!? お待ちになって! 私は攫ってなど……!」

「何を今さら。世話役ミチェラの目の前で、殿下は魔法の風に攫われた。そして、彼女はお前を魔女と証言したのだ。弁解の余地はない。立て!」


 そう言って後ろ手を縛られ、弁解の機すらなく猿轡さるぐつわを噛まされたフィファニーは、物のような扱いで、鉄格子の嵌められた汚い馬車の中に放り投げられた。

 そして丸一日、中に閉じ込められ、王都の端にある氷壁の塔へ連行される。


 氷壁の塔は、最重刑の者が氷漬けの罰を受けるために作られた塔だ。

 王家に雇われた本物の魔法使いが管轄する塔で、王太子を保護しただけの自分が罰を受けるなんて。

 あまりの理不尽さに、涙が滲んでくる。

 だけど、魔法の風に攫われた王太子殿下とという事実は、早急な処罰を望む者にとって格好の餌食なのだろう。たとえこれから捜査が進み、真犯人が捕まるようなことがあったとしても、王家の気休めとして捕らえられた自分に、未来はない。





「それではこれから刑を執り行う。具体的な説明を聞くか?」

「お任せします」


 絶望を知り、連れて来られた凍てつくような牢の中で、フードから覗く氷色の瞳に見据えられたフィファニーは、粗末な服の裾を見つめたまま頷いた。

 感情の見えない声音で語るこの青年が、本物の魔法使いなのだろう。


「では念のため。貴女に処すのは全細胞の凍結だ。最低限の脈拍及び呼吸は魔法により管理されるため、即死はしない。だが、五十年もすれば凍傷による細胞劣化で人体は瓦解し……――」


 そう言って滔々と語る声を聞き、フィファニーは項垂れる。

 たとえ即死の刑でないとしても、このまま罪人としての名を残すくらいなら、いっそ今すぐこの命を終わらせてしまいたい。

 なけなしの矜持が感性に訴えているような感覚がして、ついに涙が零れた。


「――……それでは横になり目を閉じて。お眠りなさい、永遠に」


 やがて説明が終わると、青年はフィファニーを促した。

 途端体の周りに冷気を感じ、急速に眠気が襲ってくる。

 このままもう二度と、フィファニーが目を覚ますことはないだろう。

 崩れ去って、氷の礫になるまで深く深く眠るのだ。永遠に。


(こんなことならあんな子、助けなければよかった。そうすれば私は……――)


 そのとき、不意に頭を過るイルの笑顔に恨みが浮かび、凍った。

 攫いの魔女と蔑まれ、フィファニーは眠る。





 ――十七年後。


 氷壁の塔の前に、一人の青年を乗せ、豪奢な馬車が現れた。

 どうやら少女の運命には、まだ続きがあるようだ。


(今参りますよ、フィファニー)

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