英雄譚の終わりと始まり 3rd

 日が沈み、辺りもすっかり暗くなった頃。フィーロはおもむろに懐中時計を取り出す。

 月のマークが刻印された蓋を開けて時間を確認すると、時計の針は二十二時を指していた。


「……もう少ししたら帰ろうかな」


 彼女はそう呟くと、休憩を終えて訓練を再開しようと動き始める。


(お、今日はまだやるのか)


 それにルークは反応し、何も出来ない身ながらも心の中で彼女にエールを送った。


(いやぁ、それにしても)


 フィーロに体を操られながら、ルークはこれまでの出来事を振り返る。

 何者かに殺され、気付けばフィーロのメタドールになって早一週間。その間に大きな事件やイベントなんかは特に起こらず、ずっと似たような日々が続いてきた。


……そう、何も起きていないのだ。


(まっっったく進展しねぇ……)


 体は動かず、情報も碌に得られない。これといったニュースも無く、フィーロの訓練も相変わらず停滞気味。


(ウチの主人、もうちょい人と話してくれないかなぁ)


 教師に勉強の事を尋ねる以外で誰にも話し掛けないフィーロに、届く事のない念を飛ばす。彼女がもう少し人と関わってくれたら、得られる情報も多少増えるだろうなと考えてしまう。


(せめて、せめて体よ動いてくれ……!)


 満足に動けなくてもいいからと。完全に行き詰まってしまったルークは、そうやって自分の体に訴えかける事しか出来なかった。


……そんな風に、いつもの通りの日々が送られようとした最中。


「キャアアア!!!」


 甲高い少女の悲鳴が、夜の静寂を打ち破った。


『「ッ!」』


 それを聞いたフィーロとルークが直後に取った行動は、奇しくも同じだった。


 悲鳴が聞こえた方向へと走り出す。幸い、此処からすぐ近くの路地裏に居たらしく、一分も掛からず少女を見つけ出せれた。


「え!?」

(……ッ、マジかよ)


 そして二人は目撃する。壁際でへたり込む少女と……少女に真っ赤なモノアイを向ける怪物の姿を。


「な、なんでこんな所にリビングドールが」


 人類の明確な脅威たる存在が、町のど真ん中に居る状況に思わずフィーロはそう疑問を口にした。


(いや、あり得ない話じゃない)


 ルークはその疑問に心の中で首を振って答える。

 十年前から姿を見せたリビングドールだが、その正体は未だに不明である。ただ、こうして町中に突如出現したという事例は過去にも少なからずあった。


(幸い数は一体、しかも下級だ)


 リビングドールにも個体差が存在し、その見た目と強さに応じて等級が分けられている。


 体長二メートルほどの個体を下級、三メートル以上の個体を中級、何かしら武装している個体を上級、そして十メートル以上ある超大型の個体を特級、合わせて四つの等級が存在する。


 今回現れたのは、その中で最も弱い下級のリビングドールだ。人形術師なら余裕で倒せる。


(けど……)


 だが、それでもルークは不安を拭い切れなかった。


(彼女は戦えるのか?)


 下級と言えど、その力は人間を大きく上回る。メタドールを使わないで倒すとしたら、武装した十人以上の兵士が袋叩きにするしかない。

 フィーロは半年前までメタドールに触れた事すら無い一般人だったのだ。そんな素人同然の人形術師が、例え下級が相手でも立ち向かえるかどうか……。


(クソッ! 俺が動けたら)


 今のルークはメタドールそのものだ。例えリビングドール相手でも正面切って戦う事が出来る筈だと彼は考えていた。


……少女を見殺しにしてしまう。しかし、そんなルークの心配は杞憂に終わった。


「───フォス!!!」


 フィーロが大声で叫ぶ。その声にルーク……否、フォスは反応し、リビングドール目掛けて跳躍する。


(ッ!)


 その行動にルークが驚くのも束の間、彼女はフォスの持つ大剣をリビングドールへと振り下ろす。


 振り下ろされた大剣は、まるで大岩が降ってきたような轟音と破壊の跡を齎すも、間一髪の所で飛び退いていたリビングドールには届かなかった。







「大丈夫? 立てれる?」


 なんとか少女からリビングドールを引き剥がせたフィーロは、呆然とする少女に駆け寄り声を掛ける。


「……ぁ」


 少女は肩に手を乗せられてハッと我に返り、震えながらもコクコクと頷いた。


「此処から家までの道は分かる?」

「う、うん」

「よし、じゃあ早くここから逃げて」


 少女を立ち上がらせた後、彼女は真っ赤なモノアイでコチラを凝視するリビングドールと対峙した。


「アイツは私がなんとかするから」


 自身のメタドールであるフォスに手をかざし、武器を構えさせる。


「……」

「早くッ!」

「っ! は、はい!」


 しばし立ち尽くす少女だったが、フィーロの叫びを聞いて弾かれたようにその場から逃げ始めた。


「【-・・ ・・ ・ -・・ ・・ ・ -・・ ・・ ・】!!」


 鉱物を雑多にくっつけて、無理やり人の形にしたような黒く濁った体。頭部に顔と呼べる物は無く、代わりに暗闇で満たされた虚が存在する。

 その姿は生命を感じさせない人形そのもの。しかし虚と化した顔の奥からコチラを覗く真っ赤なモノアイだけは、明確な憎悪の意思を吐き出し続けていた。


「……っ」


 途轍もない負の感情を向けられたフィーロは、たじろいで思わず一歩下がってしまう。


(これが、リビングドール)


 果たして自分は、あの怪物に勝てるのか? 下手したら殺されるんじゃ無いのか?


───否、フィーロにそんな考えは微塵も無い。


(……私が)


 勝つ為に戦う訳でも、死にたくないから戦う訳でも無い。


(私が、助けるんだ!)


 少女を助ける為に戦う。今の彼女は、それしか考えていなかった。


「行くよ、フォス!」


 心に闘志を宿し、フィーロはリビングドールに立ち向かった。


▼▼▼


 道幅の狭い路地裏は、人が戦うには少々手狭である。だが今回に限って言えばフィーロに不利とはなり得ない。


 フィーロは壁に取り付けられたパイプや換気扇を駆使してフォスを駆け登らせる。途中、リビングドールが叩き落とそうとしてくるが、狭い路地では満足に腕を振るえず、フォスを大きく跳躍させて回避する。


 飛び跳ねた勢いのままフォスをリビングドールの背後へと移動させ、大剣を振り下ろす。


 放たれた大剣は見事にリビングドールの背中を抉り取る。反撃しようとリビングドールが振り向きざまに腕を薙ぐが、やはり道幅の狭さが足枷となってあっさり後ろへ飛び退けれる。


(よし! 此処なら戦える!)


 フォスの身長は実に六十センチ前後、これはメタドールの平均値である。そしてフォスの扱う大剣は身の丈と同じくらいだが、言ってしまえばそれだけの大きさ。柄から剣先でも、成人男性の股下より少し低いぐらいの長さしか無い。


 対して目の前のリビングドールは、全長二メートルという巨体の持ち主だ。武器として振るう腕も相応に長く、それこそフォスの持つ大剣よりもリーチが若干長い。

 普通に戦えば体格差でリビングドールが有利だろう。しかし、こういった閉鎖的な空間なら体の小さいメタドールの方が有利に戦える。そもそもリビングドールと真正面で渡り合える力を持つのがメタドールなのだ。そこに地の利を得れば、例え人形術師として未熟なフィーロでもリビングドールと戦う事は十分に可能だった。


(このまま一気に!)


 自身の有利を悟ったフィーロは、その勢いのままフォスを操る。


 真正面では戦わない。縦横無尽に跳ね回り、翻弄し続けて隙が出来れば攻撃を叩き込む。

 そんな徹底したヒットアンドアウェイ戦法が功を奏し、リビングドールは致命的な隙を晒し出す。


 今まで以上の溜めを作って拳を振り下ろすリビングドール。しかし間一髪の所でまたもや回避され、拳は地面を掘削して地中に埋まる。


「今だッ!」


 目の前に現れた勝機を決して逃さないと、フィーロはすぐさまフォスを肉薄させる。


「いっけぇええ!!」


 大きく溜めた振り下ろしを、リビングドールの鳩尾目掛けて解き放つ。

 小柄な身体から放たれたとは思えないパワーがリビングドールを襲い、後ろへ大きく吹っ飛んで行く。


「きゃっ!?」


 そのまま数メートルほど宙を舞い、フィーロの目の前で背を打ち付ける。


「【・- ・-・-・- ・- ・- ・-】」


 仰向けになって倒れたリビングドールは、起き上がる事なくモノアイを弱々しく点滅させ続けた。


「……や、やった」


 そんなリビングドールの姿にフィーロは、遅れて自分が勝利した事を実感する。


「倒せたんだ。私、自力で倒せ……!?」


 しかし直後に気付く。先ほどの一撃で大きく抉ったリビングドールの鳩尾から、黒く濁った宝石が剥き出しに出ている事を。


(コアが、まだ───)


 瞬間、リビングドールはむくりと起き上がり、


「【-・・ ・・ ・】」


 その剛腕を背後に立つフィーロ目掛けて薙ぎ払った。


▼▼▼


『動け! 動くんだ!!』


 ルークは必死になって己の体に呼びかける。


『動け動け動け!!! 頼むから言う事を聞いてくれ!』


 何度も叫び、訴え続ける。その間、ルークは目の前の光景から片時も目を離さなかった。


「【死ね死ね死ね死ね】」


 頭から血を流して気絶するフィーロを、リビングドールは憎悪に満ちた言葉を吐きながら見下ろす。人からメタドールへと変化した影響か、ルークはリビングドールの言葉が理解出来た。と言ってもその内容は文章として不十分で、ただ己の持つ憎悪を表現できる言葉を並べ続けているように感じた。


『早く早く早く!! 動くんだ! でなきゃあの子が!』


 座ったままの不恰好な攻撃だから、威力はそれほど高くない。しかし生身の人間からしてみれば、それでも気を失う程度にはショックが大きい。


 操る人形術師が居ないメタドールは、ジッとその場に突っ立つのみ。その姿は正しく人形だった。


『クソッ!! なんで、なんで動いてくれない!?』


 ルークがこうやって焦燥に駆られているのは、目の前で人が殺されようとしているというのも勿論ある。しかし一番の理由はもっと純粋な物で、彼女を助けたいからだ。


 ルークはフィーロが戦うまで、ずっと彼女の事を未熟な人形術師だと思っていた。実際、彼女の技量はまだまだ発展途上にある。しかし、ルークが言っているのはそういう事じゃない。


 彼女は勇敢にも立ち向かい、そして恐怖しながらも前に出た。見ず知らずの少女を助けたいという、その一心でだ。


 その在り方は正しく英雄。人形術師になって間もない少女が、ベテランの人形術師でも手にするのが難しい心の強さを既に持ちかけているのだ。それは卓越した技量を持つ事より遥かに価値がある。


 ルークは見たくなってしまったのだ。彼女が成長し、次代の英雄へと至るその姿を。


『頼む、頼むから彼女を……』


 故に彼は請い願う。


『───俺にフィーロを助けさせてくれ!!!』


 フィーロ・マリオネッタを支えたいという、切なる望みを。


▼▼▼


 ルークが吐露した必死の叫び。それにどういう意味があったのか、どんな因果が働いたのか、彼自身にも分からない。


 けれどその時、確かに彼は繋がりを得た。どんな運命の糸よりも強く、固く、深く結ばれた不滅の繋がりを。


▼▼▼


「【死ね死ね死ね】」


 壁にもたれ、項垂れる目の前の人間に、リビングドールは混じり気のない憎悪を吐き続ける。

 情けも、容赦も必要ない。腕を天高く持ち上げ、そのまま躊躇いなく振り下ろす。


「【死ね】」







『させるかあああ!!!』


 その一撃は、横っ腹に衝撃を受けた事で中断させられる。


「【……】」


 あまりの衝撃に吹き飛ばされたリビングドールは、ゆっくりとした動きでソイツを見る。


『はぁ、はぁ……なるほど、メタドールを操る時みたく動かせばいいのか』


 フォス……いやルークは、自分の手を閉じては開いてを繰り返し、調子を確かめる。


『……一週間も動かなかったんだ。体もさぞなまっている事だろうよ』


 ルークはフィーロに近づき、額から流れ出る血を拭う。


『手負いの下級……準備運動には丁度いいな』


 そして彼女の前に立ち、リビングドールに刃を向ける。


『相手して貰うぞ、木偶の坊』

「【殺す】」


 闘志を燃やすメタドールに、変わる事のない憎悪を発露し続けるリビングドール。


 二体の人形による殺し合いが、今始まる。

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暁の人形術師 ブナハブ @bunahabu

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