ハコ入り少女オムニバス

三門ミズキ

1.「Date」

   1


 夜八時、コンビニ店内。この時間帯にしては珍しく客の姿はなく、ある程度の作業も一通りこなした私はレジ前で暇な時間を持て余していた。本当だったら棚に並ぶ商品の細やかな陳列作業などをするべきなのかもしれないが、あまり気乗りしないしやってて全然楽しくない。隣のレジであくびを噛み殺している佐々木も同じことを考えているようで、何をするでもなく呆然と虚空を見つめたまま待機している。

「佐々木さん、もし疲れてるようだったら少し休憩していても大丈夫ですよ。今日、このまま夜勤ですよね」

 先ほど事務所でシフトを確認したとき、早朝まで佐々木の名前が入っていたのを見かけた。特にすることがないようであれば、少しくらい休んでもらった方が良いだろう。

「え、良いんですか。それじゃお言葉に甘えて……」

 正直、見た目は頼り甲斐のなさそうな青年に見える。彼は私より一つ下の大学生で、私がバイトを始めてからちょうど一年後に入ってきた店長待望の若い男手だった。私同様、シフトに融通の利く大学生ということもあって、万年人手不足のこの店では有り難い存在として重宝されているらしい。ちょっとした力仕事や急な夜勤を任されることも多いようで、私なんかよりもずっと働き者のように見える。

 私は彼に何度か助けられたことがある。普段の急なシフト変更もそうだが、数週間前の私が体調を崩していた時期、私の穴埋めは主に彼が担当してくれていたそうだ。その以前にも私がバイト中に過労で倒れた際、彼が私を助けてくれてたことも思い出す。にも関わらず私はそれらのお礼が出来ていなかった。

 ここまで客が来ないのは、2月の大寒波の影響だろうか。日頃から客の少ないこの店の様子を見るに、しばらくの間は暇そうだ。私はふと思い立つと店内が空になることを厭わず、事務室へ向かうことにした。

 事務室内、佐々木は椅子に座ってスマホゲームをしていた。最近流行っているゲームらしく、千鶴がプレイしているのを見たこともある。そんなに面白いのだろうか。

「佐々木さん、少し良い?」

「え、あ、はい! ……どうかしました?」

 佐々木は私が後ろに立っていることに気付くと、慌ててスマホの画面を消してこちらに顔を向けた。そんなにスマホの画面を見られたくなかったのだろうか。

「その……色々と、ありがとう」

「色々、ってああ、この間のライブの話ですか? いや、12月にチケット貰って観に行ったじゃないですか。ライブハウスって初めて行ったんですけどめちゃくちゃ楽しかったんで、折角ならアコースティックライブもちょっと行ってみようかなー、なんて思って」

「あ、いや、それもあるけど。私が倒れた時のこと、まだちゃんとお礼出来てなかったなと思って」

「ああ、先月の……」

 千鶴と大喧嘩をして、自暴自棄になっていた年始。何もかも嫌になり、休まずにバイトで働き続けたあの一週間。最後にはバイト中に倒れてしまい、そして彼には大迷惑を掛けた。

「正直なところ、あの時のことはあまり覚えてないんだけど、わざわざ事務所まで運んでくれたって聞いて……。本当にごめんなさい」

 額には冷えた濡れタオルが置かれていたことを思い出す。思い出せば思い出すほど恥ずかしくなり、ますます申し訳なくなる。

「いや、全然大丈夫ですよ! バックヤードだったとはいえ、流石に床に放っておくわけにもいかないですし……。でも勝手に運ばれるのも嫌でしたよね。救急車とか呼べば良かったのに、こっちこそ気が利かなくてすいません」

「そんな……謝るのは私の方だから。むしろ大事にしてもらわなくて良かったし」

 色々と気を遣わせてしまっていたことに気付き、私は自己嫌悪に陥る。

 自分を卑下するな、ともかに言われたことを思い出す。でも人間の性格は中々変わらないものだ。言うべきことすら忘れ、俯いてしまう。佐々木に催促されることで、ようやく我に返った。

「ええと……それで、どうかしたんですか?」

「あ、うん。それで佐々木さんにお礼がしたくて。もし良ければ何かお礼の品でも渡したいんですけど、何が良いか分からなくて……良ければ欲しいものを教えてもらえませんか?」

 同性に対するプレゼントすら悩むのに、異性に対するお礼の贈り物なんて何も案が浮かばなかった。そもそもお礼の方法はこれで正しいのだろうか。

「お礼なんて、そんな大げさな……。僕だって比良田さんに散々シフト代わってもらってますし、お互い様ですよ」

「それを言ったらこの間私が一週間休んだ時にも、佐々木さんが穴埋めしてくれたって店長から聞いたから。だから私のためだと思って何かお礼させてもらえませんか? プレゼントじゃなくても、なにか私にできることなら……」

「……それじゃあ、ちょっとお言葉に甘えていいですか? 実は前から行ってみたい場所があるんですけど、男一人だけだとちょっと行きづらくて」

 佐々木は少し考えた後、スマホで何かを調べると私に画面を見せてきた。

「比良田さん、甘いものとか大丈夫ですか? デザート系がたくさん出てくる店らしいんですけど、なんか最近流行ってるみたいで」

 アフタヌーンティーと書かれた検索画面には大きな台座に無数のスイーツが乗せられた豪華な写真が載せられている。確か、もかが行ってみたいという話をしていたような気がする。

「ネットで見つけたんですけど、記事見ると女性客ばっかりらしくてちょっと気が引けて……。もし比良田さんさえ良ければどうですか?」

「私も甘いものは結構好きだから、それじゃあここで。……今週か来週で空いてる時間ある? 私はいつでも大丈夫だから」

「僕もバイトなければ別にいつでも暇なんで! 大学も春休みですしね」

 日頃から大学をサボってる上、同じく万年暇な私は心の中で苦笑いしながら、自分のスマホの予定表アプリと事務所に貼られていたバイトのシフト表をそれぞれ確認する。

「それじゃあ、今週の金曜日は?」

 私たち二人のシフトが入っていない日だ。むしろその日以外はどちらかのシフトが入れられていた。金曜日は私の組んでいるバンド、ELPISの集合日だったが、集まったからと言って大したことをしているわけでもない。たまには行かなくても良いだろう。

 佐々木が快く返事をしたところで、タイミングよく入店音が鳴り響いた。私は予約を忘れないように、検索ページを開いておくと、店内へ戻った。


   2


「それじゃつまり、金曜日はデートだからこっちには来れないってことね。了解」

「別に……デートではないけど」

 火曜日、私たちはいつものように喫茶バー『パリス』へと集合していた。千鶴はいつものようにカウンター席に座り、もかと由海の三人でボードゲームをしている。今回やっているのは、数字の書かれたポップなイラストの鳥カードを取り合うゲームらしい。

 ボードゲームが終わった後、私が思い立ったように金曜日は来られないという話をすると、好奇心の塊である千鶴は私に根掘り葉掘り聞き漁ってきた。正直に答えた私も馬鹿だった。

「朱音さん、モテないチズさんの気持ちも汲んでやってくださいっすよ! チズさんにとって男女が一緒に遊ぶことイコールデートなんすよ」

「由海ちゃん、あんたそろそろ本気であたしに怒られたい? あたしだって怒ると怖いんだからね」

「良いなぁ、アフタヌーンティー。たくさんの甘いものとお紅茶……行ってみたいなぁー」

 相変わらず自由でマイペースな人が集まる空間は、勝手に笑みがこぼれてしまう。

「で、実際朱音的にはどうよ。佐々木くんだっけ?」

「どうって、何が?」

「そりゃあ、ねえ」

「『ねえ』、じゃねえっすよ。なんでうちの方見るんすか。別にうちはチズさんみたいな恋愛脳持ってないんで。うちはドラムさえ叩ければ何でも良いんで」

「佐々木さん……って、いつもライブ観に来てくださってる方ですよね。もしかして私のお父さんと同じで、朱音さんのファンなんですかね」

「もかちゃん、それは甘いよ。あのひょろっとした微塵もバンドに興味無さそうな男の子がわざわざライブハウスやパリスにまで来てライブ観るなんて、そりゃもう朱音に気があるからに決まってるでしょ! 朱音のお眼鏡に叶うために彼も頑張ってるって訳だ」

 それは偏見だと言おうとしたが、確かに佐々木が音楽やバンドに興味を持っているような素振りはこれまで見たことがなかった。年末のライブは私からチケットを渡して誘ってしまった手前、暇つぶしがてら来たのかもしれない。でもパリスでのアコースティックライブに関しては、大して宣伝もしていない。事務所での雑談で一言「今度はパリスって店でライブする」程度しか伝えていないはずだった。だから千鶴の言い分は私からしても一理あった。

「多分今頃、朱音と遊びに行けることにすごく喜んでるはずだね。で、何時からどこで待ち合わせしてるの?」

「一応、お昼過ぎくらいから渋谷の予定だけど。もうお店の予約は入れてるし」

「折角だし、午前中から遊んだら? 朱音も向こうもドキドキだろうけど、多分彼ならどこに誘っても付いてくると思うし」

「私は別にドキドキはしてないって」

 ただ実際、佐々木はその日なら丸一日空いていると言っていた。それだけのために行くのではなく、他のところでも遊ぶというのも折角なら良いかもしれない。

 ふと、近くの博物館でやっている特別展に行きたかったことを思い出す。彼は……興味あるだろうか? 千鶴の言うことを信じれば、付いてきそうだが。

「……まあ、考えとく」

「さて、そうとなれば今日は朱音の勝負服買いに行くよ。いつも地味なTシャツとジーンズばっかりなんだから、もっと可愛い服着ないと」

「確かに、アフタヌーンティーってちょっとしたドレスコードあるところも多いですし、フォーマルめな服を準備した方が良いかもです!」

「なんか面白そうなんで付いてきまっす!」

 私の言い分は無視され、三人は私のことを外へとひっぱりだした。こういうのが好きだから着てるだけなのに。とはいえドレスコードとやらに見合う服を持っているわけではないため、しぶしぶ街へ繰り出すこととなった。


   3


渋谷と一言で言えど、センター街側に遊びに行くことはあまりなかった。平日でも人でごった返しており、息が詰まる場所だ。

 渋谷のランドマークとも言えるショッピング施設も例外ではなく、中は若い女性客でとても賑わっていた。そして私たちも漏れずその中の一人である。各フロアをぐるっと一周しては中央のエスカレータから上の階へと昇ってゆく。

「朱音、こういうのも似合いそうだよね」

「わぁ……確かに絶対似合いますね!」

 施設内を散策しがてら、千鶴が指をさしたのはレースやフリルがふんだんに使われたロリータ系の洋服店だった。私は無言の抗議として千鶴を肘でつつく。しかしもかはそんな私の気持ちを憚らず、店内へ入ってしまう。

「今度ライブするとき、みんなでこう言うのを着るのはどうですか? これ、絶対朱音さんに着てみてほしいです!」

 もかはゴスロリ服を指さしながら私たちの方を見る。

「もか、それじゃうちたち、ゴシック系かビジュアル系バンドになっちゃうよ! それはそれで面白そうだけど」

「もかちゃんはこっちみたいな甘ロリ系似合いそうだよね。由海ちゃんはこっちのゴスパン風とかどう?」

「おー、良いっすね! その理屈で言うとチズさんに似合うのは被り物マスコットっすけど」

「あたしに似合う衣装はないってこと!?」

 由海は千鶴に怒られる前に逃げ去り、千鶴はそれを追いかけて行った。ただ買い物に来ただけなのに、なんて騒がしいんだろう。


   4


「朱音さん、やっぱ清楚系に行くべきだと思うんすよ」

 一通り店を見て回った後、私たちは「作戦会議」と称し、地下にある喫茶店に入った。

「清楚系と言うと?」

「もうコテコテっす。白いひらひらロングスカートに明るい色のセーターとかさわやか系のカーディガンとか羽織って、その上に外歩き用のちょっとシックなロングコートっす。化粧は今くらい薄めで簡単なナチュラルな方がやっぱウケますね」

「確かに朱音さんの綺麗な黒髪とも合いそう……。かっちりしすぎないスマートカジュアルって感じで、ドレスコードにもぴったりです!」

「でもスカートって寒いし……」

 高校生時代、よくあれで外に出かけていたものだと過去の自分に感心さえする。

「何言ってるんすか! オシャレはガマンって習ってないんすか!」

 由海の口からは思わぬ熱弁が飛び出した。てっきり由海はファッションに一番興味がなさそうだと思って甘く見ていた。

「ほら、もかからもなんか言ってあげてよ!」

「えぇ……えっと、私は朱音さんのいつも格好良いファッションも好きですけど。でも、確かに可愛いのも見てみたいです! 着てください!」

 もかはただのファンとしての発言だった。

「ほらほら、諦めてあたしたちの言うことを聞きなって」

 面白半分の千鶴と、ファン視点のもかと、実はファッションに真剣な由海。私の味方はどこにも居なかった。

 私たちは先ほど歩いた道を戻り、目星をつけていた店を巡る。

店内に入ると、手当たり次第私に合いそうな服を渡され、三人にチェックされる。ああでもない、こうでもないと、私はまるで着せ替え人形になっていた。

「朱音さん、スタイル良いから何でも似合いますね!」

「やっぱ雑誌とかサイトとか見てても思うんすけど、こういうのってモデルが優秀だと何も参考にならなくて困るんすよね。はー、神は残酷だ」

「二人は高校生なんだし、まだこれからだよ。でもあたしはもう終わりだ……」

 そうして、私の意思は無視され続けた。

 結局、由海が最初に言った通りの服を買わされてしまった。とはいえ、そんなに褒められたら私も悪い気はしない。普段から着てみても良いかなとすら思ってしまった。

 しかし、いざ家に帰り、改めて見てみると私らしくないチョイスで何だか気恥ずかしい気持ちになる。念のため別の服も買っておいて、今日買った服を本当に着るかどうかは、その時の気分で決めよう。


   *


『佐々木さん、博物館とか興味ある? 今、渋谷で面白そうな特別展やってて』

 12時過ぎ、私はベッドの上で昼間のことを思い出しながらメッセージを送った。集合時間を少し早めて別のところにも出かけるという誘いの件だ。あまり乗り気な返事が来なければ、当初の予定のままにしようと思いつつ、ほんの少しだけ期待して返事を待つ。

『特別展って何やってるんですか?博物館ってあんまり行ったことないんですけど』

 5分程で返信が来た。案の定、そこまで乗り気ではなさそうに感じる。

『折角なら待ち合わせ時間早めてどこか行かない? って誘いでした。こんな感じだけど、あんまり興味ない?』

 HPのURLも一緒に送る。16世紀、神聖ローマ帝国の皇帝であったルドルフ2世の集めたコレクションや彼が保護した芸術家の作品などを数多く展示しているそうだ。西洋中世史が好きな私にはそこそこ興味のある特別展だった。

『うわーなんか面白そうですね! 全然歴史とか作品とか詳しくなくて申し訳ないですけど、比良田さんが行きたいなら僕も行きますよ』

 千鶴の言う通り、佐々木は私の誘いに乗ってくれる。本当に好意を持ってくれているのなら少し嬉しいが、相手を従わせているような感覚にもなってしまい、なんだか複雑な気持ちだ。

『じゃあ、付き合わせて良い? 私からのお礼だったはずなのに、なんかごめん』

『全然大丈夫ですよ! むしろ僕の方も気を遣わせたみたいで、すみません!』

 別に気を遣ったつもりはないけど、それを指摘するのも野暮な気がした。私は「ありがとう」スタンプを送ってから待ち合わせ時間と念のためドレスコードの話を送ると、そのまま目を閉じた。


   5


 当日の金曜日、渋谷駅前で待ち合わせをした。かなり不服だったが、仕方なく例の服を着ている。というより、前日の夜、ELPISのグループメッセージで『明日の朝、着てる服の写真送ってね!』と言う千鶴の命令があり、着ざるを得なかったとも言える。普段はもっとくすんだ色や黒系の服ばかり着ているからか、こんな明るい服は何度見ても気恥ずかしくなる。上からコートを着てしまえば中は見えないため、なんとか自分をごまかしながら着替えることにした。

 11時、比較的日差しが暖かい陽気だったが、足の方から風が入り、肌寒く感じる。時間丁度に待ち合わせ場所へ着くと、既に佐々木は来ていた。

「……佐々木さん、おはよう。早いね」

「あ、比良田さん。おはようございます。今日、結構楽しみにしてたんで!」

 そう言って笑っている。バイト中は気だるそうにしているが、こう見ると案外好青年なのかもしれない。ドレスコードに沿って襟付きのおしゃれそうなジャケットを着ている。元々の彼の趣味だろうか、それともこの機会に買ったのだろうか。バイト時の彼の私服姿は全然思い出せなかった。

「それじゃ、行こうか」

 私たちはスクランブル交差点を横切って件の博物館を目指して歩き出す。


   6


「比良田さんって確か……大学で歴史やってるんですよね?」

「まあ、うん。一応史学科の外国史専攻。よく覚えてるね」

 道中、佐々木は私に気を遣ってか、話しかけてくれる。深く話した機会は少ないのに、細かいことまで覚えてくれていて驚いた。

「いや、歴史系の展示会だって聞いて思い出したんですよ。普段もそういうのとか行くんですか?」

「いや全然。たまに行きたいとは思うけど一緒に行ってくれる人いないし、一人だとそんな出かけないから。だから佐々木さんが来てくれるって言ってくれて、正直結構嬉しい」

 千鶴は歴史や文化には興味ないため誘うことはない。もかや由海が歴史好きという話は聞いたことないが、もしかしたら興味あったりするだろうか。今度訊いてみよう。

「あー僕で良かったら、誘ってくれれば全然行きますよ! いやまあ、全然詳しくない人でも良ければ、ですけど」

「本当? それじゃ、今度から誘おうかな」

 なんだかしっぽを振る犬みたいで微笑ましくなる。

 予め購入しておいたチケットを受付に提示して、展示室へと向かった。


   7


「……佐々木さん、どうだった?」

「こういうの、初めて見ましたけど、凄いですね!」

「うん、凄い」

 私たちは予約時間までの間、近くのカフェで休憩がてら、軽く話すことにした。とはいえ、この後も紅茶やお菓子をたくさん食べる予定なので食べ飲みはなるべく控えめにする。

「佐々木さん、今日見た範囲の世界史ってどこまで知ってる?」

「いやぁ、正直全然知らないです。高校の時も政経選択だったんで、世界史も日本史も全然知らなくて。神聖ローマ帝国と古代のローマ帝国が違うってことくらいは流石に分かりますけど」

「じゃあ……せっかくだし少しだけ語っても良い?」

 佐々木は頷く。

「神聖ローマ帝国は今から500年くらい前にあった国で、現在のドイツから東欧の方にかけて広がってた国なの。ローマと名乗ってはいるけど、古代のローマ帝国とは全然関係ないっていうのは佐々木さんが言った通り。今回の展示会のルドルフ2世はハプスブルグ家出身なんだけど、その家は中世から近世ヨーロッパの間では絶大な権力を誇った家系なの。ちなみにフランス革命で有名なマリー・アントワネットも元々はハプスブルグ家出身ね。それで……」

 佐々木は口を開けたまま私を見ている。普段の私の口数からはきっと想像付かない話し方だったため、驚かせてしまっただろうか。私は慌てて咳払いをする。

「……まあ、そう言うのは置いておくとして、とにかく色々あるってこと」

 一旦カップに口を付けることで話をごまかす。

「なんか、比良田さんがそんなに語るなんてすごい意外です。本当に歴史好きなんですね」

「まあ……普通の人よりは興味あると思うけど」

それから私は慌てて別の話題を口に出した。

「そういえば、佐々木さんって何学部だったっけ? 前に聞いてたらごめんだけど」

「僕は一応経済学部です。まあ比良田さんみたいに詳しいこととかは特にないんですけどね」

「でもちゃんと大学には行ってるんだよね。サークルとか入ってないんだっけ」

「そりゃまあ授業は一応出てますけど。でもサークルは気になるところを回ってみたりしましたけど、どこもしっくりこなくて……」

「私も同じ。昔、音楽系サークルの見学に行ったことあるけど、なんか全然合わなくて」

つい二か月前、気まぐれでサークルの様子を眺めに行った時にも同じ感想を抱いた覚えがある。私にはあの空間は耐えられない。卑屈な思いをしたくはなかった。

「……だからうちのバイト先、居心地良いんですよね。ほら、店員も客も少ないじゃないですか。店長はお喋り好きだからよく話しかけてきますけど、基本的には駅前の方に行ってますし。比良田さんもそうですけど、他の人も大人しめな人が多くて人間関係は楽だなって。まあ忙しい時はやっぱり人手少なくて大変ですけどね」

 騒がしい千鶴や由海に囲まれているおかげで、ここ最近自然と口数が多くなっていたが、パリスに行かない日は一日中口を開かないことも少なくない。私もバイト先の居心地は悪くないと感じていた。

「確かにそうかもね。……そういえば今日私たち二人とも居ないけど、シフト大丈夫なのかな」

「日勤は大丈夫だと思いますよ。夕方以降は店長来れなさそうだとちょっとやばいかもしれないですけど」

 そうして雑談をしていると予約時間が近づいてきたため、目的の店へと向かうことにする。ここからそう遠くない場所にその店はあった。

「おぉ……」

 思わず感銘の溜息をついてしまう。奥まで広々とした空間はクリーム色を基調としているが、ランプ型をした暖色系の明かりが温かみの効果を出し、とてもリラックス出来る空間を生み出していた。店内にある柱はギリシアの神殿の荘厳さを彷彿とさせるようだった。その天井と柱の境目には蔓状の装飾が施されており、そちらはまるでフランス、ロココ調の宮殿のようだった。店内は満席だったが、それぞれの間隔は広くゆったりしており、もっと詰めれば倍近くの席数が増やせそうだと思った。その多くは女性グループ客だったが、時折男女のカップルも楽しんでいるようだ。

 席へと案内されて説明を受ける。そして店員が去った後、私たちは思わず顔を見合わせる。

「凄いね」

「そうですね、なんか、少し緊張します」

 そして小さく笑い合う。

やがて本来の目的であったスイーツたちが専用カートに乗せられてテーブルまで届けられた。まるでウェディングケーキのような3段重ねのステンレス製の器の上には小さなケーキやスコーンがたくさん乗っている。

 そして気が付くと、十数分後には空の器だけが私たちの前に残された。


   8


「……そういえば、聞きたかったこと、聞いていい?」

「なんですか?」

 私たちは香りの良い紅茶を飲みながらのんびりとした時間を過ごしていた。ふと佐々木に訊ねたかったことを思い出す。

「別に大したことじゃないんだけど。佐々木さん、二回も私のライブに来てくれたよね。どうして来てくれたんだろうって思って。そんなに音楽好きそうにも見えなかったから……もちろん来てくれたことは凄く嬉しいけど」

 佐々木は私を見つめながら考えている。私の方が我慢できず、目を逸らして紅茶を飲んだ。

「どうしてって、折角比良田さんからチケット貰いましたし。……まあ、正直に言うともう少し比良田さんと仲良く出来たらなって思って」

「私と仲良く?」

「いや、ええと、別に変な意味とかじゃないですよ! ほら、バイト先でも比良田さんとは一番歳近いし、比良田さんって少し不思議なところあるじゃないですか。だからちょっと気になって」

 佐々木は焦ったように手を動かす。

「……え、不思議なところって?」

「ええと、比良田さんってよく変わってるって言われません?」

「言われたこと……。私、そんな変わってる?」

 言われたことがないとは言わないが、変わっていると言えばELPISの他の3人の方がよっぽど変わっているように見える。むしろ私はまともな方だ。

「えーと、なんて言えば良いんだろう。普段ぼーっとしてるように見えるのにちゃんと人のこと見てるし、でもその割には抜けたところもあったりして……。あ、悪い意味じゃないですよ」

「……別にぼーっとしてないし、抜けてもないけど」

「そうやって変なところでにムキになるのもやっぱり不思議です。 話してて楽しいですよ」

 佐々木は微笑みながら千鶴と似たようなことを言う。そんなムキになってるつもりはないのに。もしかしたら口調が悪いのかもしれない。

 そんな風に雑談をしているとあっという間に時間が過ぎて行った。


   9


 会計を済ませて店を出る。一人暮らしの学生の身には少し痛手の値段設定だったが、今回は佐々木へのお礼ということで良しとする。

「佐々木さん、このあとどこか行きたいところってある?」

「え、特に何も考えてなかったですけど。……もし比良田さんの方で用事があれば解散でも大丈夫ですよ」

 午後3時過ぎ。解散するにはだいぶ早い時間だった。普段ならパリスに居る時間帯だが、千鶴たちに根掘り葉掘り訊かれることを考えると今日は行きたくない。

「……あ、そうしたらちょっと面白いところ行ってみない?」

「どこに行くんですか?」

「行けば分かるから、秘密」

 千鶴の顔を思い浮かべた瞬間、私は佐々木が興味を持ちそうな場所がひらめいた。

 目的地はそこから5分程度歩いた場所にあった。ポップな書体で店名が書かれた木製の看板が可愛らしい。窓から店内の様子を軽く見てから、席が空いていることを確認すると店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ、2名様ですか?」

 店内に入ると目の前には受付があり、店員に席へと案内される。

 私と佐々木は二人してきょろきょろと店内を見回してしまう。壁一面に広がる棚には床から天井近くまで大小様々な箱がびっしりと並べられていた。

「当店のご利用は初めてですか?」

「はい、初めてです。その、全然知らないのでおすすめのゲームとかルール説明とかも教えてもらえますか?」

「もちろんです」

 私がそう言うと店員は私たちを席へ案内する。そして壁際の棚を軽く眺め、そこから片手で持てるくらいの箱をさっと取り出した。机には正方形に掘られた小さな溝が入ったボードが置かれ、対となる辺の中心にそれぞれコマが配置される。そして私たちには小さな木の板が幾つか配られた。

「コマをとにかく正面に進んで、先に相手側のボードの奥まで行けた人が勝ちです。ただし、お二人に配った板をボードの溝にはめ込むことで、相手の行先を防ぐことが出来ます。各プレイヤーは『コマを1マス動かす』か『板を置く』のどちらかを選んで行動することができます」

 なんだか千鶴も似たようなものをやっていた気がする。ルール把握を済ませたところで、私と佐々木はボードゲームカフェにてボードゲームで楽しむことにした。


   10


「まさか比良田さんがボードゲーム好きだとは思いませんでした。あんまりゲームとかやらなそうなイメージだったんで」

「ううん、私は全然ボードゲーム知らないんだけど、こういうの好きな友達が居て。それで佐々木さん、ゲーム好きっぽいしどうかなって」

 ボードゲームカフェで3時間くらい存分に遊び、店を出たところで軽く感想戦をする。

「え、そうなんですね。……実は前から興味はあったんですけど、やる機会なくて」

「私もたまにその子から誘われるけど、全然遊んだことはなくて。でも楽しかった」

 暗くなった夜道をゆっくりと歩きながら、私たちはなんとなく駅方面へ足を向かわせる。時間的にはそろそろ解散しても良い頃合いだが、今日一日楽しんでもらえただろうか?

「……あ、じゃあせっかくだし今日は夕飯食べて帰ろうか。どのくらいお腹空いてる?」

「良いですね! あー、でも正直そこまでお腹空いてはないです」

「私もそこまでかな。そうしたら佐々木さんさえ良ければどこかで軽く食べて帰ろうか。どこかおすすめ知ってる?」

「せっかくなんで行きましょう! そうですね、この辺りだと一旦センター街の方に戻って……」

 その時、いきなり佐々木のスマホが鳴った。電話の着信音らしい。

「うわ……ちょっとすいません、店長から電話だ」

店長からの電話ということは、きっと急なシフトの相談だろう。少し離れたところに行くと佐々木は電話越しに頷いたりしている。

 やがて戻ってきた佐々木は案の定申し訳なさそうな顔をして口を開く。

「比良田さん……ごめんなさい。やっぱりちょっと人足りないらしくて、今からバイト行ってきます。折角夕飯まで誘ってもらったのに、申し訳ないです」

「ううん、今日は私のお礼の会だから。もし佐々木さんが楽しんでくれたなら嬉しい」

「もう凄く楽しかったです。自分じゃ滅多に行かない博物館も行けましたし、行きたかったアフタヌーンティもボードゲームカフェも行けましたから。……それに比良田さんとも仲良くなれましたし!」

 私と仲良くなれたことが嬉しい、という言葉が聞けて私も嬉しかった。ただそれを悟られてしまうと恥ずかしいため、表に出さないように素っ気なく返事する。

「本当? 私も凄く楽しかった」

「僕もそう言ってくれて嬉しいですよ。じゃあ急ぎで呼ばれちゃったんで、ちょっと駅まで走ってきます!」

 私に背を向けて今にも走り出しそうなその背中を見て、ふと思い浮かんだことがあった。慌てて呼び止める。

「あ、待って。そういえば佐々木さんって下の名前って何?」

「え? 浩二ですけど……」

「えっと、じゃあ……浩二、くん。私のことは朱音って呼んで」

「え?」

「……あ、ごめん、嫌だった?」

「いやいやいや、嫌じゃないです。けど、びっくりして」

 そんな反応されると恥ずかしくなるからやめてほしい。なるべく淡々と返す。

「仲良い人は名前で呼ぶようにしてるから」

「そ、そうなんですね……」

 嘘ではない。千鶴がそうしてるから、千鶴の友人にはそうしてる。

「うん、それじゃまたね。バイト頑張って」

「はい、頑張ってきます! ……えっと、朱音さん!」


   11


「で、結局その日はそのまま解散したの!?」

「いや、逆にそれ以上何を望んでたの……」

 土曜日、いつものように私がパリスへ向かうと、案の定昨日の報告会をさせられることとなった。

 いつもの三人は食い気味で私の話を聞いている。

「そんなん、家に呼んでお泊りパーティじゃないんすか!?」

「ええ!? そ、そんなこと……この私が認めません!!」

 もかは真っ赤な顔をして由海をぽかぽかと叩いている。相変わらず騒がしいなと思いながらも、私はこんな日常が好きだった。

「え、じゃあその後に連絡とかは?」

「まあ……夜にちょっとだけメッセージ送ったけど。でも本当にそれだけだよ。本当に何もないから」

「なるほどねぇ……。ま、今後何か展開あればちゃんと報告するんだよ」

 報告するようなことなんて起きるのだろうかと疑問に思いながらも、私はその居心地の良い空間で笑い続けた。

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