十二 願い

めいは医師に連れられるまま、閻魔えんまの自室へと閻宮えんきゅうの長い廊下を歩いていた。



(閻魔様……。)


今、冥が思うのは彼のことばかりだ。


どうか、無事でいて欲しい。

危険を顧みることなく、身を粉にして冥を守ってくれた。


あの時、閻魔が自分を助けてくれなければ今頃はどうなっていただろう。


彼には感謝してもしきれない。

それでも、自分のわがままで彼を、閻魔を傷つけてしまったことは変えようのない事実だ。


柘榴ざくろの言っていたとおり、まずはしっかりとお礼を伝えなくてはならない。



そして何より、早くこの目で彼の無事を確認したい。


そんなことを考えていると、一際大きく華やかな扉の前で医師は足を止めた。ここが、閻魔の自室なのだろうか。


医師は美しい彫刻の施された大きな扉に手をかけると、冥を優先させるように中へ入れる。


室内はシンプルだが、しっかりと華やかさもあり綺麗に整頓されている。何より、さすがは閻魔大王の自室、というべきかとても広い。中央には文机があり、数枚の書類のようなものや筆が置かれていた。


そして、右側へ目を向けるとキングサイズの大きなベッドの上で痛々しく、腹部を包帯で巻かれた閻魔の姿がある。


「こちらに椅子がありますゆえ、どうぞおかけください。私は治療が完了したことを他の使いの者たちに知らせて参ります。冥様はどうぞ、ごゆっくりされてください。それでは。」


医師はぺこりと頭を下げると、すぐに部屋を後にしてしまった。


お言葉に甘え、椅子に腰かけ今は眠っているのだろう、閻魔の様子をまじまじと伺う。結われていた長くも美しい髪は無造作にとかれ、今はシーツの上に沈んでいる。

また先程までの鮮やかな装束ではなく、腹部に負担をかけない着流しを着用し、静かに眠る閻魔の姿。



あまりにも静寂に包まれているせいで冥は本当に閻魔が無事なのかどうかと、思わず彼の呼吸を確かめるように着流しの間から見え隠れしている身体、心臓の部分へ微かに手を当てた。



ほど良く鍛えられ、きめ細やかな白い肌は温かく、血が通っていることがよくわかる。

心臓は確かに正常に脈打っており、ビスクドールのように整った美しい顔に小さく開かれた形のいい唇からはすぅ、すぅと寝息が聞こえる。



「…無事で良かった……。」


思わず一人つぶやき、心の臓に当てていた手を放そうとすると、次の瞬間。一気に視点が反転し、気づいたときには先程目にしていた真っ白なシーツへ今度は冥が沈んでいた。


「え、ちょ、え、閻魔様!?」


なんと。冥の腕を引っ張り、シーツへ沈めたのは眠っていると思われていた閻魔であった。その力はとてもじゃないが怪我を負った者の腕力とは思えない。

彼は早急に肘で冥を押し倒し、これでもかというほど距離を縮めて近くに迫る。


「ふふ、あまりかわいいことをしてくれるな、冥。

私とて一応、怪我人なのだがな。御前おまえがこんなに積極的に迫ってきてくれるのであれば、そう悪いことばかりではないのかもしれないな。」


そう言って、ちゅっ、と一つリップ音を立てて閻魔は冥の頬にキスを落とす。

その一連の流れがあまりに突然で、冥は固まった。そもそも、いつから起きていたのだろうか。まさか、自分が彼の心音を確かめるという焦っていたとはいえ大胆な行動とったのも全てバレていたのでは…!


「な…!え、閻魔様、急に何するんですか!?それにあなた、いつから起きて…!」


「ん?そうだな、」


閻魔は見るからに機嫌を良くした声色で冥が彼にしたように押し倒した冥の胸へ手をゆっくりと当てた。


「御前がこのようにして、私の胸へ手を当てていたときだな。」


満足そうに話す閻魔とは裏腹に、冥はあまりの恥ずかしさと衝撃に意識が飛びそうになる。

(まさか、最初から全てみられていたなんて…!)


「ひ、卑怯ですよ!

閻魔様ってば!私は、ほんとうに、ほんとうに心配で…!」


今、こうしてまた自由で人の話を聞かない彼に振り回されていることになぜだかこの上なく、安心している自分がいる。


強く、やさしい彼。


こんな風に突拍子もない悪戯いたずらを仕掛けてきては、その都度嬉しそうに冥の反応を楽しんでいる。何のためらいもなく、冥を助け自分が傷ついても尚、悪鬼の前に立ちふさがることを厭わない。



そんな彼が、閻魔が。




(生きていてくれてよかった…。)





「ああ、少し意地悪が過ぎただろうか。泣かないでくれ、私の愛おしい冥。」


透明の雫を、これでもかと大きな瞳から流す目の前の少女を閻魔はやさしく抱きしめる。


陽だまりのような優しい匂いが閻魔の鼻を掠め、それがとても心地いい。




「んっ、ぐすっ…えんまさま、いきていてくれてよかった…!わたし、ふっ、ん…、あなたが、目を覚まさなかったら、どうしようって…!」



しゃくりあげながらも一生懸命に安堵の気持ちを伝えようと、自分を心配して泣いている閻魔よりも何倍も小さな存在。

それが閻魔の心をも、温かく溶かしてゆく。


「私を侮ってくれては困るぞ、冥。御前を置いて私がいなくなることなどないと、誓おう。」


両手で自らの顔を覆い、未だ涙を流す冥の頬を宝ものにでも触れるかのようにやさしく撫でる。安心して欲しい、と涙を拭おうとする閻魔に冥は少しずつ泣き止んでいった。



「私を、助けてくれてありがとう。心から、貴方に感謝してる。閻魔様。

わがままを言ったのは私なのに、閻魔様はそれを咎めることもなく、ただただ私を守ってくれた。それが、本当にうれしかった。でも、でもね…。」




涙を溜めながらもこちらを見つめる冥の瞳は、強く美しい宝石のようにきらきらと輝いていた。


嗚咽をこらえ、何かを必死に伝えようとする彼女に閻魔も静かに耳を傾けた。




「貴方が私を守りたいと言ってくれるように、私も貴方を守りたいの。

貴方が悪鬼の攻撃を受けたとき、すごく怖くなった…。それは、私のせいで閻魔様を失ってしまうことを恐れたのかもしれない。でもきっと、それだけじゃない。」



冥は両手で閻魔の頬を掬い、真っすぐに見据える。



「きっと、私は強くて、何より優しい貴方のことが…、そ、その、気になって、いるのかもしれない…。だ、からと、とにかく!貴方が傷つくのは嫌なの!えっと、それで、その」





「冥…!!!」




「うわっ!?」



思わず、といったように閻魔はこれでもかというほどきつく冥を抱き締める。



自分のことをこんな風に大切だと、伝えてくれる存在。

今この瞬間、閻魔はこの上なく言葉に表せない喜びに駆られる。


目の前の少女は知る由もないだろうが、閻魔は何度冥の存在に救われてきただろう。


もう十分、たくさんのものをもらった。


それなのに、まだこんなにももらってばかりだ。


閻魔大王らしからぬ感情だというのは、閻魔とて重々承知だ。

、一人の人間の少女に恋い焦がれているなど、閻魔大王が聞いて呆れる。それでも、この少女が紡ぐ言葉の数々や、強く美しい眼差しはこんなにも閻魔の心を温かくする。


救われているのだ。彼女の存在に。

そんな彼女を、これからも傍で、この手で守りたいと思ってた。

それが、冥も同じ気持ちでいてくれたとは。



だからこそ、叶うならこれからも。


この無常にも流れてゆく時を冥とともに過ごしたいと、そう願っている。




「今は、それだけでとても嬉しい。

御前が確かに言葉にしてくれたその思いが、私はなにより嬉しいよ、冥。


けれど、私は、私の願いは…。」


閻魔は抱擁を解き、冥の顔をよくみてはやさしく笑う。そこに閻魔大王としての面影は無い。まるで、贈り物をもらった幼子のように無邪気な笑顔だ。


冥とて、初めて目にする閻魔の一面に不覚にもどきり、とした。


「愛されたい。何より愛おしい御前に、私はいつか、愛してほしい。」


そう言って、閻魔は幸せそうに笑った。



その姿がなぜだかどこか切なく、同時に少しばかり愛おしいと思った。



「今すぐにでなくていい。御前の気持ちを一等大事にしたい。

だからこれは、私の一つの願いだ。」


文字通り、閻魔は願うように言葉を紡ぐ。

冥の話す隙など与えられることもない。

いつだって、彼の方が一枚上手なのだ。



冥が顔を赤く染め、彼を想う気持ちとそれを否定しようとする気持ちとで揺らいでいることなど露知らず、恥ずかしげもなく想い。





(相変わらず、ずるい人……!)




そっちがそう来るのならば、こちらも受けて立とう。



「そんな顔したって、私は簡単には落ちませんからね!早く父の真相を暴いて、私は現世に帰るんですから!」


もうどうにでもなってしまえ、と躍起になって叫ぶ冥に、閻魔は「ははははは」と愉快そうに笑った。




父の不可解な死の真相を追いかけて、飛び込んだ世界。


そこは冥界。

別名地獄、とも言われる世界。


茜色の空と暗闇から成り立つ、豪華絢爛な浮世の果て。



地獄の覇者、冷酷無慈悲な番人などと現代で語り継がれている閻魔大王は、どれも生きとし生けるものが生んだ作り話に過ぎない。


本当の彼は、その美しい容姿と優しさという多大なる強さを兼ね備えた若き王。


彼の中に宿るそこはかとない強さ。


そして、対になるように少女に宿る不思議な力。






それはこの世界にとっての救いか、それとも。














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地獄婚! あまいしゃるろって @moon0617

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