消えないもの。
紫 小鳥
恋心
【タトゥー】
刻印。
消えないもの。
私だけの刺青。
……あなたのもの。
***
私の背中には太陽がいる。
太陽の刺青だ。黒い線で彫られている。線画だ。
色は入れていない。
私はこの刺青を消したかった。
ずっと前。厳冬だった年。私は背中に刺青を入れた。
「ねえ、痛い?」
「とても」
「かわいそう」
「他人事みたいに言うじゃないか」
「他人事だなんて、そんな」
彼女は言い淀んだ。
「嘘。そんなこと思ってないよ」
彼女だって刺青がある。右腕に鱗模様。左腕に雲。
「そう、そうよ。思ってないわ」
君だって、それを彫った時には痛かっただろう。
僕の墨が彫られていく姿を見ながら、自分の腕をずっと擦っていたのを知っている。
共感心理というか、自分の経験を思い出したのだろう。
「だって、私が入れてほしいって言ったんだもの」
私は彼女の希望で刺青を彫った。
背中に太陽を彫った。
あまり大きくはない。名刺程度の大きさで、線だけで作られた簡素な図案だ。
そのはずである。僕はまだ自分に彫られた刺青を見ていない。
鏡を用意し忘れた彫師は「昨日割っちゃって」と言っていた。
「ねえ、写真撮ってよ」
「もちろん」
確認してみたら彼女が作った図案通りで、ようやく肩が軽くなった。
万が一にも腕が悪い彫師であったり、実は全く違う絵柄だったりしたらと内心ドキドキしていた。
上弦の弓張月を囲った円がメラメラと燃えている。にっかりと笑った口のようだ。
「うん、気に入った」
***
「タトゥーなんて誰でも入れてますよ。今どき」
電車の中で聞こえた会話が、やけに記憶に残っている。
「銭湯にも入れないだろう」
「最近はシールで隠せば入れるんですよ」
「そうなのか」
親子ほどの年に見えるスーツ姿の男性二人だ。初老の男性だけが座席に腰かけており、仕事関係ではないかと想像させる。
「いや、娘がな、今日な、彫りに行くんだと。『お父さんには一応教えとくから』って言うんだ。一応って」
「へえ」
「へえって、お前、もっと何かあるだろ」
「だから、最近じゃ珍しくもないですよ。この電車にだっているかもしれないし」
ああ、ここにいる。だからあまり否定しないでくれ。
「そうか」
初老の男性は少し小声になった。
、先ほどまでのような万人に聞こえる声量ではなくなった。もっとも、隣に座っている私には十分に聞こえる声だが。
「それで、どう思う」
「どうって、刺青ですか? 『一応』の方?」
「あー、どっちも」
がんばれ若者よ。上司を説得してくれ。
「刺青って、なんで悪いと思うんですか。かっこいいと思うんですけど」
「俺らの世代からしたらさ、不良の象徴なんだよね。ヤクザとまでは言わないけど、示威行為って感じ」
「別にオナニーってわけじゃないっすよ」
「そっちじゃなくて、威嚇している感じ」
「あっは、そっちか……。で、えっと、俺ら若者世代って、そのコンテクストが断絶してるんすよ。本当に、ただの自慰行為というか、自己満なんです」
「でも、あとあと困ることもあるだろう?」
「MRIに入れないとか?」
「プールとか」
「次の彼女に嫌われるとか」
「それだって、相手の親御さんに嫌われるかもしれないし」
「まあ、そうっすね」
「やっぱり、普通じゃないだろう」
「でも今は『普通』っすよ。外国人とか、ほら、当たり前に彫ってるじゃないですか」
「でもよ、海外でも実は日本とおんなじだって言うらしいじゃないか」
「おんなじ?」
「アウトロー寄りというか……。反対してる人は日本と同じだって」
「俺、それは初めて知りました。……あー、ホントっすね」
端末を取り出して検索した若者はトーンダウンした。
「なんか俺に言われてるみたいに思えてきた」
私もだ。弁論に負けたようになった若者と心同じくして、なんだか少し居心地が悪い。
「一生付き合って生きんだぞ」
「でも、そんなの自分の身体と一緒じゃないっすか」
「肉体と違って、自分で選んだわけでさ」
「そうですよ。自分で選んだんです。娘さんも、自分の選んだものを否定されたくはないでしょう」
「もっと前に言ってくれればなあ。まずはシールにしてみたらどうだとか。うーん」
「案外父親の見えないところで貼ってたりするんじゃないですかね?」
「そういうこと言うなよ、ヘコむだろ……」
そうだ、元々そういう話だった。娘の話だ。
話が元に戻ったところで、私は下車した。空いた席には若者が座ったようだ。
私らの根本には『身体は授かりモノ』という感覚があって、刺青や整形に対して嫌悪感があるのだ。そこに、ヤカラのイメージが付きまとっている。
私はだんだん自信がなくなってきた。先ほどまでの達成感は霧散してしまった。
まだ三十を過ぎたところである。が、しかし。さらに若い年代とは大きなギャップがあるように感じてくる歳だ。五年ひと昔とはよく言ったものである。
私がどんな気持ちになっても、私の背中には刺青がある。
***
しばらく経って今年。
冬の暖かい日差しが入ってくる今日。
私の部屋で、別れ話をした。
***
彼女を忘れるために。
今度、色を入れてもらおう。
青がいい。
彼女の瞳の色だった青。
消えないもの。 紫 小鳥 @M_Shigure
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