第38話 選択の自由

「鍵巫女?」

 一同が声を揃えて桜琴を見た。桜琴はどうしたらいいのか分からない、迷子のような複雑な表情を浮かべていた。


「鍵巫女とは簡単にいうと、魔を払う力を持つ者です。その力によって鍵様を守ってきた存在でもあります。その鍵様とその巫女を守るのが私たちの役目でした」


「でした? というと、今は?」

 一生が即座に銀琴に訊ねた。


「もうその忍びはほとんどいません。残念ながら姉の楓には何の力も受け継がれませんでした。桜琴は父親の鍵巫かんなぎの力を引き継いでいますが」


「……で、その精霊王って奴は桜琴ちゃんの魔を払う力? 鍵巫女を狙ってるの?」

 拓実が呆然としている桜琴を一瞬見てから、端正な顔立ちがより引き立つような凛とした眼差しで銀琴に聞いた。


「おそらく……。桜琴の邪魔をしてきたのはあの精霊王の手下でしょう。まだ確証は得ませんが、ここ何年も桜琴が一人で作った和菓子は必ずと言っていいほど失敗をしてきました。全てが食べられたものじゃなかったんです」

 桜琴は黙って俯いていた。一生はそれが気になった。和菓子職人としてもショックを受けているだろう。

 それに自分にも不思議な力があった事、にわかには信じがたい話だろうが、実際、桜琴は拓実の魔を簡単に払った。


 当事者としてはそんな簡単に受け入れられる話ではない。


「ええ、そうかなぁ。桜琴ちゃんの作った塩饅頭美味しかったけどなぁ!」

 拓実が納得いかない様子で口にした。拓実の身体には紅樺色のオーラが完全に戻っていた。今は話に夢中で気づいていないようだった。


「鶴山くんはあの塩辛いお饅頭を食べたのですね……。驚きました。あれを食べられる人間はそうそういませんよ。結界がね、店の方にまでもう届かないのです。この自宅内が精一杯になってしまいました。店の厨房の方はもうすでに妖魔に侵略されています……」

「……どういう事ですか?」

 一生が口を挟んだ。

「つまりは桜琴が一人で和菓子を作ると魔祓いの力が出る。だけれども誰かがそのうちの一つでも製作過程に入ると、他氣が入り、桜琴が無意識に行なっている魔払いの氣を注ぎ込むことができなくなります。鍵巫女の力を発揮するには桜琴が全て一人で作らないと完成には至りません」


「つまりは誰かが手伝うと、わざわざ邪魔をしなくてもいいという事か……」

 一生は顎に手を置き、思考モードに入った。


  ——やはりあの塩味の饅頭は失敗だったのか。桜琴さんの和菓子を他の人間に食べさせまいと精霊王が邪魔をしていたのか? あの店の厨房で作る和菓子は誰かと一緒じゃないと、食べられたものじゃない、上手くいかないということか。しかし、精霊王はどうしてそこまで桜琴さんにこだわるんだ? 


「さて、今日はここまででいいですか? 一度に沢山話しても皆様、疲れるでしょう」

 銀琴がふぅと息を吐いた。


「それよりお母さん、怪我はどうなの? 疲れたんじゃない?」

 桜琴が心配そうに銀琴の背中を見た。

「ちょっと傷が深くてね。もう少しかかりそうよ。心配かけてごめんね……」

「ううん、あたしを庇ってお母さん、怪我しちゃったし……」

「何言ってるの。子供を守るのは親として当然の事でしょう」

「……お母さん……」

 桜琴は泣きそうな目で銀琴を見た。潤んだ大きな瞳は母親似ではなさそうだった。


「ほら、今日は楓に髪を切ってもらうんでしょ。お母さんはまだこの人たちに話があるから、楓と積もる話でもしてきなさい」


『うん、わかった』と桜琴は立ち上がり、楓がいる部屋に向かった。



 銀琴が桜琴が出て行ったのを確認してから、一生の方を向いた。

「さて、神谷田さん、鶴山くん、御厨山さん、麻宮さん、山名さん本題はここからです」


「……やはりそうですか」

 一生は湯呑みを手に取った。

「桜琴を自由にするために、妖魔になった精霊王を倒すのに協力していただけませんか?」

 銀琴の目は少し潤んでいた。長い間、娘の桜琴の周辺で起きていた事に悩んでいたのだろう。

「……そう来ると思っていました」

 一生は温くなったお茶を一口飲んで答えた。





 ****


「さくちゃん〜、会いたかったわよ〜! 少ししか離れてなかったけど、心配で心配で仕方なかったわぁ」

 楓がいつもの調子で話してきたので、桜琴は先程までのどんよりした気持ちが少し晴れた。


「楓姉、あたしも聞きたいことがあったんだ」

 桜琴は大きな鏡の前の椅子に座った。

「なになになんでも聞くよ? でもさ、まず言わせて。さくちゃん、何だか雰囲気変わったね〜」

「え、そうかな?」

「そう! 明るくなったし」

「え! そ、そうかな……」

「さっきから『そうかな』しか言ってないよ〜、さくちゃん!!」

 楓が桜琴のお団子を取り、髪の状態を見ている。


「う〜ん。派手に傷んじゃったね。これはもう切らないといけない。どこまで切ろうか?」

 楓が困った様子で髪を触っている。何でこうなったのか訊ねては来ない。もう銀琴から色々聞いているのかもしれない。


「髪がギリギリ括れる所まででいいよ。もう伸ばすのやめたし。でもショートは絶対似合わないから、それでお願い」

「……さくちゃん、もう伸ばすのやめたんだ?」

 楓が少し悲しそうに訊ねた。

「うん。もうやめたんだ……。そういうのは」

「そうか……、じゃあ、切っていくね!」


 ハサミで髪を切られていくのがわかった。こうして髪を切るのは何年ぶりだろう、と桜琴は考えていた。

「さくちゃんさ〜、好きな人できたんじゃない?」

 楓の突拍子もない質問に桜琴はむせそうになった。

「…………な、何でわかったの?」

 桜琴は観念して鏡越しに楓を見た。楓は妙に鋭い時がある。

「すごく奇麗になったからよ!」

「は? いや変わらないと思うけど?」

「何、言ってるの? 今日のメイク、マスカラの上がり方に、奇麗に引かれたアイラインに、キラキラのアイメイクにきちんとシャドーまで入れちゃって。肌はパールがかってるじゃん。気合い入りまくりだよ?」

「そんな細かい所まで……」

「元美容師を舐めすぎよ、さくちゃん。で? どっちが好きなの? 拓実くん? 神谷田さん? ま、まさか御厨山さん!?」

「……それは言いたくない。恥ずかしい」

「そうなんだ。ふふ。でも誰だったとしても私はさくちゃんの恋を応援するね」

「楓姉、人を好きになるってどんな気持ち?」

「そうねぇ、自分が無敵になった感じ」

「無敵……?? 楓姉らしい答えだね。ふふ」


「あのね、さくちゃん、私からも話があるの……」

 楓が少し頬を赤らめて話を切り出した。


「え? 何? 怖いんだけど」

「私ね、実は結婚するのよ。設楽したらさんと」

「は、はぁ!? 設楽さんってあの呉服屋の長男? 楓姉、佐一と付き合ってたんじゃないの?」

「なんで、佐一なの。いやよ、あんな筋肉だけが成長した子供大人は」


「いや、だってよく二人でいたよね?」

「あれは佐一の恋の相談に乗ってただけよ」

「そ、そうだったんだ、ふ〜ん……」

 桜琴は相手が佐一ではない事に拍子抜けしていた。


 それに少し寂しかった。結婚はおめでたいことなのだろうが、楓がここを出て新しい家族を作る。設楽さんに大事な姉を取られた気持ちがないと言えば嘘になる。

 自分はまだまだ幼いな、と桜琴は反省する。


「それより〜、若い男のコたちと一つ屋根の下で過ごして大丈夫なの〜?」

 楓は言葉とは裏腹に何かを期待している顔だ。

「な、何にもないって! 何でそうなるかなぁ」

「なぁんだ。つまんないの〜。あんな事やこんな事、色々想像してたのに〜」

 楓ががっかりした声を出した。髪がどんどん切り落とされていく。


 桜琴は一生にキスをされた頬に残っている、柔らかい唇の余韻を隠すかのように手で頬を押さえた。

「……でもさ、あたしその人になりたいってぐらい好きなんだよね……。あたし変かな?」


「ううん、全然変じゃない! 凄いよ。凄いことだよ! それは。普通そんな人には出会えないもん。その人の事を全部知りたいし、その人の世界がすごく輝いて見えてるのかもね。そっか、そっかぁ」

 楓が髪を整えながら、優しい眼差しで桜琴に伝えた。

「一つさくちゃんにアドバイスできるとしたら、相手に甘えてみたら? 奥手でいつも受け身じゃない?」


(あ、甘える? ど、どうやって!? あの神谷田さんに!?)

 恋愛初心者の桜琴には超難問だった。


 楓はその後、結婚に向けて準備が忙しくなるだの、式をどこで上げるかはまだ決めてないなど、ほとんどが自身の結婚に関する話だった。


「楓姉、幸せそうだね。おめでとう。また色々決まったら教えてね」

 桜琴は髪がすっかり短くなった自分の姿を眺めながら、少し寂しい気持ちを笑顔で隠して楓に言葉を届けた。






 ****


「今すぐに返事をとは言いません。ただ私の怪我が治っても桜琴はこの家から、鍵様の結界の中でしか生活できないでしょう。あの精霊王がいる限り。あれは私の力ではどうすることもできません……。どうか結界師様のお力をお貸しください」

 銀琴の沈んだ表情と疲労は誰の目から見ても明らかだった。



「銀琴さん、少し時間をもらえませんか? 倒す、倒さない以前に本来、神である精霊王が何故に妖魔になったのかを調べなければなりません。精霊王という主を失ってこの世界の精霊は生きていけるのかということも含めて」

 一生は返答に困った。すぐに引き受けられる案件ではない。


 精霊王が何故、闇堕ちしたのか——

 何故に執拗に桜琴を狙うのか——

 精霊王を倒せば桜琴は助かるが、この世界のありとあらゆるものが影響を受けるのは目に見えている。きっと道端の花ですら咲かなくなる——


『精霊王は創造の神』なのだ。


「もちろん、銀琴さんのお気持ちも痛いほどわかります。ですから桜琴さんは必ず救います。何とかします」

 一生は銀琴の気持ちも痛いほどにわかった。娘が狙われている。何年も前から、奇々怪界な出来事が起こり、それによって桜琴は苦しんできたのだから、母親としてこれほど辛いこともないだろう。


「わかりました。もし皆様が引き受けてくださるのであれば、きちんと対価はお支払いしますので。私たちでできることであれば、何でもします。このままでは桜琴は結婚もできない、そんな選択肢すらない人生にはしたくないのですよ」



 先ほどまで晴れていたのに、打って変わって急に激しい黒雨が降ってきた。

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