第37話 桜琴の正体

「貴方が甘山桜琴さんですね。初めまして。わたくし、麻宮凛華と申します」

 凛華は何か吹っ切れたような表情で、眼鏡を掛け直しながら、一生と抱き合っている桜琴に淡々と挨拶した。


「は、初めまして。甘山桜琴といいます……。よろしくお願いします」

 桜琴は完全に頭が真っ白になり、固まったまま、抱き合ったままの姿勢で挨拶をした。



 ****


 源次と凛華が本邸のリビングでソファに座りながら、紅茶を飲んでいる所に拓実が帰って来た。拓実と凛華は婚約解消したようには見えないほど至って普通だった。



「さぁ、皆様、行きますぞ」

 山名が運転用の白い手袋をして、気合いの入った声でエンジンをかけた。

 今日はいつものベンツじゃなく、リムジンだった。


(うわぁ〜、こんな車初めて乗るんだけど……。やっぱり世界が違うなぁ……)

 桜琴は初リムジンで緊張していた。

 拓実、源次、凛華は乗り慣れているのか飲み物を飲んだりしている。拓実に至っては欠伸までしている。


「あ、そうそう、一生さん。精霊に関する古文書が見つかりました。これです」

 そう言って、凛華が赤い表紙の古ぼけた一冊の本を一生に渡した。

 凛華は今日は白のシンプルなワンピースを着ていた。あまり化粧もしていないようだった。


「流石、麻宮家だな。ありがとう」

 一生がお礼を言う。内心は少しドキドキしていた。さっき桜琴と抱き合っていた現場を見ていたはずなのに、凛華は何も言って来なかった。それがかえって不気味だった。



「さぁ、皆さん着きましたぞ」

 山名が皆に声かけした。


 時刻は午後四時前。


 一生、桜琴、拓実、源次、凛華、山名は月縁堂の入り口に立った。

 『本日の営業は終了いたしました』と看板が掛けられている。

 自動ドアは切られているようで手動で扉を開けるしかなさそうだ。


 一生が扉に手を掛けようとした瞬間に銀琴が重たい扉を開けた。

 車の音で気づいたらしい。


「皆様、本日はようお越しくださいました」


 銀琴は藍色の着物を着ていて、赤茶色の口紅を塗り、妖艶な笑みを浮かべていた。

 案内されたのはいつものカフェテーブルではなく、店内の奥の引き戸から入った自宅だった。


「むさ苦しい所ですが、どうぞお座りください」

 銀琴に案内された二階の部屋は、畳十二畳ぐらいの和室だった。

 長方形の座卓があり、座布団が敷いてあり、そこにそれぞれ座った。

 一生は高い位置に置かれた神棚を見た。

 その神棚を見てさっき感じたものが何だったのか腑に落ちた。


 先ほど一生は自宅に通じる引き戸を開けた時にふと、感じたものがあった。

 頑丈な結界が張られている。それも結界師のものではない、何か神がかった力を感じたのだ。


「失礼します。皆様、お茶をお持ちしました」

 楓だった。デニムのワンピースを着ていた。


 楓はお茶を配ると何も言わずにまた部屋から出ていった。

 いつもの楓じゃないぐらいに大人しかった。



 楓が出ていったと同時に、一生の方を向いた銀琴が土下座した。


「まずは神谷田さん、他の結界師の方々も、この度は桜琴を守ってくださってありがとうございます。おかげで助かりました」

「い、いや、そんな顔をあげてください。当たり前のことをしてるだけですから」

 一生が慌てて銀琴の土下座をやめさせた。


「それより、私に桜琴さんの護衛を頼んだという事は銀琴さんは、我々のもう一つの仕事をご存知なんですね?」

 一生が銀琴に確認するかのように問いかけた。


「……存じております。この間、夜に桜琴が饅頭を作っていた次の日の朝、起きたら厨房に神獣の気配が残っていて、そのあと神谷田さんと鶴山くんが来た時に同じ気配を感じて確信しました」

「そんなに前からですか?」

「こう見えても私も昔、忍びの一族だったのです。最初から貴方たちが結界師であることはわかっていました。お店でお会いした時に、その時がついに来たんだと思いました」

「その時が来たとは?」

 この場にいる全員が銀琴と一生の話に聞き入っている。

「桜琴の力が先日開放されました。あの精霊王がきっかけでしょうね。貴方たちは出会うべくして出会ったのです。貴方たちに出会わなければ桜琴の力が覚醒する事はなかったのです」


 桜琴は何の話をしているのか全く訳が分からなかった。

「あ、あのお母さん、何の話してるの?」


「ちょうどいいわ。桜琴、ここに来なさい、あと鶴山くんも桜琴の隣に」

 桜琴と拓実は怪訝な顔をしながら、銀琴の前に並んで座った。


 銀琴が桜琴にペンダントを渡した。赤い紐に吊り下がるように白い勾玉がついたペンダントだった。

「……これ何? お母さん」

「いいから身に付けて」

 銀琴に言われた通りに桜琴は首からネックレスを下げた。何か起こるのかと期待したが、特に何も起こらなかった。


「鶴山くんは妖魔に派手に神通力を吸い取られたわね。まだ吸われ続けてるわ。普通の人間なら死んでるわよ。鶴山くん、腕を出して」

 拓実が右腕を出した。

「そっちじゃない。左腕ですよ」

 銀琴が指摘する。

「いや〜、こっち、恥ずかしいんだけど……。変な顔があって……」

「……死にたいの?」

 銀琴が拓実を睨んだ。拓実が竦み上がって渋々左腕を出した。


 精霊王の顔が右半分残っていた。

「……やはり妖魔ね。しかもかなりの霊力。鶴山くんは桜琴の試作品のあの琥珀糖をちゃんと食べたのよね?」

「あ、はい。食べました。遅くなりましたが、お見舞いの品をありがとうございました」

 拓実は銀琴が何を言ってるのか全く分からなかった。

 いや、銀琴以外の全員がわかっていないだろう。わかっている方がおかしい。

「桜琴が一人で作った物には魔を払う力が込められています」

「は?」

 一生は思わず口から間抜けな声が出た。

 桜琴は固まっている。


「桜琴の作った食べ物でも、これだけしか魔を払えなかった。これはあの妖魔のすごい執念を感じます」

「妖魔ってあの白い精霊王の事?」

 桜琴が口を挟んだ。

「そうよ。だから鶴山くんは桜琴が直接、魔を払う必要があるわ」

 銀琴が神棚の方を見た。それに気づいた一生が銀琴に訊ねた。

「あの神棚は不思議な力がありますよね?」

「そうよ。貴方たちならこの気配、わかるわよね?」


「……何とも言い難い、大神龍とも違う気配だな……」

 源次が眉間に皺を寄せた顔で呟いた。

「これは一体何なのですか??」

 凛華だった。興味津々といった様子だ。


「ここには鍵様の魂と繋がっている、水晶が祀られているわ」

「鍵様って何? 神様?」

 拓実が訊ねたが、銀琴は目を伏せた。

「……その時が来たらまた話すわ。今は鶴山くんを元通りにしないとね」

「え! 元通りにできるの!?」

 拓実が興奮気味に訊ねた。

「桜琴、両手で勾玉を掴んで祈りなさい」

 桜琴は不安そうな顔で勾玉を握った。

「い、祈るって何を? お母さんの言ってる事、全然分からないんだけど……」

「鶴山くんを助けたいって祈るのよ。今なら鍵様も起きてるみたいだから、すぐに力を開放できるわ」

「え? よく分からないんだけど、そんなアニメみたいな事ある……」

 桜琴がまごまごと戸惑っていると、銀琴が脅しをかけた。

「早くしないと鶴山くんの腕から、その変な顔が一生消えなくなるわよ」

 拓実が『ヒィ!』と叫んだ。

「も、もう何なの。よくわかんないし、みんなが居て恥ずかしいんだけど、やってみるよ!」

 桜琴は顔を赤くしながら、白い勾玉を両手で握り、目を閉じ、拓実の身体が元通りになるように祈った。全員が固唾を飲んで見守っている。


 しばらくすると白い勾玉が白く光り出し、桜琴の周りにロータスピンクのオーラが出始めた。淡く優しい光だった。

 桜琴の左肩に蓮の花の模様が浮かび上がった。


「え、何これ、前にもこの光を見たけど……、精霊王が光ってたんじゃなかったの? あたしだったの?」

 桜琴は声も手も震えている。

「その手を鶴山くんの方に、左腕に向けなさい」

 桜琴は銀琴に言われた通りに、拓実の方に身体の向きを変え、震えながら両手を拓実の腕にかざした。

 拓実の左上腕部の精霊王の顔に向かって、ロータスピンクの光がいくつもの線になってそこに流れていく。


『ぎゃあああああ!!』

 その腕から変な声がして、拓実の腕から精霊王の顔が消えた——

 その場にいる銀琴以外の全員が動けなかった。


「これが桜琴の……、『鍵巫女』の力です」

 銀琴が整然とした口調で告げた。

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