第36話 彼氏(仮)はドSの可能性ありです。


 一生は庭掃除をしている桜琴を見つけた。さっきの田舎饅頭の感想も伝えなければならない。それに多分、もう少ししたら拓実が帰って来る。


(拓が帰ってきたら、また邪魔されるからな)


 拓実も神通力が完全ではない。そういう理由で迂闊に一人にできなくて、ここに留まらせている。それに拓実も自分の家に帰るとは言わないので、居心地はいいのだろう。


「あの桜琴さん、ちょっと」

 一生は竹箒で石畳を掃除している桜琴に話しかけた。

「あ、神谷田……じゃない、一生さん。どうしました?」

 一生は桜琴の腕を引っ張り、人目に付きにくい倉庫の裏に連れてきた。


 桜琴は竹箒を持って突っ立っている。心なしか落ち着きがなさそうだった。

 時刻はまだ午後二時半だから、銀琴の所へ行くのはまだ時間がある。約束は午後四時だった。


「桜琴さん、お饅頭美味しかった。どうもありがとう。餡子も甘すぎず、皮も柔らかくて、思わずほっとする、そんな味でした」

 一生がお礼を言うと、桜琴が喜色満面になった。

「そ、それは良かったです。嬉しいです」

 ただいつもより余所余所しい気がした。なぜかいつもより二人の間に距離がある。



 桜琴は目を合わさず、竹箒を持って固まって突っ立っている。

「桜琴さん、何かありました?」

 その様子に一生も敬語に戻ってしまう。


「な、何もないんです、本当に」

 桜琴が目を泳がせた。

 一生は桜琴に一歩近づいた。

 桜琴がビクッと身体を強張らせたのがわかった。

「やっぱりおかしいじゃないですか? 何かあったんですよね?」

 一生がさらに一歩近づくと、桜琴も一歩下がる。


「ちょっと、なんですか! 人をバイキンみたいに……」

 一生がムッとして、ズカズカと桜琴に近づいていく。


「それは違います! バイキンだなんてとんでもない! 違います! 違います!」

 桜琴が後退りしながら、両手を左右に振る。桜琴の顔が赤い。


(なんだ、この反応は?)

 一生は答えがほしくなった。

 一生が桜琴に近づくと桜琴が後退りする。

 それを繰り返し、桜琴を倉庫の壁に追い詰めた。


 桜琴は左右を見て逃げ場を探しているようだった。

「逃しませんよ」

 一生は両腕を倉庫の壁に付き、腕の中に桜琴を閉じ込め、桜琴の逃げ場を奪った。

 いわゆる壁ドンだ。一生も今までしたことがない。こんな事しようと思ったこともなかった。


「な、ななな何するんですか! 神谷田さん!!」

 桜琴は顔を逸らしてるが、頬は赤かった。

「まるで私から逃げているみたいだ。だから閉じ込めた」

「に、逃げてませんよ。ち、ちょっと、近いです。近すぎます! 離れてください」

 一生の顔が目の前にある。息がかかる。桜琴はもうどうしていいか、分からなかった。心臓が持たない。

 なんでこんな事されるのかもわからない。


「嫌だ。離れたくない。だって桜琴さん、敬語に戻ってるし、私を避けてるとしか思えないんだが」

 一生は桜琴の顔を見た。やはり目を合わせてはくれない。


「け、敬語をやめるってのは思ってたより、やっぱりその……いきなりハードルが高かったというか……できなくなったというか……」

 桜琴が横を向きながら、一生に告げる。

「ハードルが高い? 拓には普通に話してるのに?」

 一生は拓実を思い出して、焼き餅を焼いた。

 拓実と自分との距離を感じた。


「拓くんは友達だからですよ。でも神谷田さんは違うから……」

 桜琴はそう話しながら俯いてしまったので、一生から表情が見えない。

「……護衛をする人、つまりビジネスライクな関係って事ですか……」

 一生は胸が締め付けられるような気持ちになった。


「そ、そういうのでもないです。大体、神谷田さんが変な事言うから……」


 桜琴は『……嫌いなんかじゃないです。好きです』と言われてから、それがずっと頭から離れなかった。あんな言い方されたら誰でも誤解する。変に意識しすぎて今朝から普通に話せなくなった。


「へ、変な事? 私、言いました?」

 一生は皆目見当もつかない様子で考え込んでいる。

「覚えてないんなら、もういいですか? あたし出かける準備をしないといけないんで……」

 桜琴は一生の胸を両手で押すが、びくともしない。


「嫌だ。まだ答えが出てない」

「ち、ちょっと! なんの答えですか。今日、おかしいですよ」

「桜琴さんの方がおかしい……。敬語に戻ったし、余所余所しいし、やっぱり嫌われてるんじゃないかって……」

 一生の瞳は悲しみの色だった。例えるなら明日でこの世が終わりを迎えるような、そんな悲観に満ちた眼差しだった。



 桜琴は息を吸った。

「……嫌いじゃない! 恥ずかしい! ただそれだけ!」


 桜琴は自棄になって言い放って俯いた。

(お願いだからこれ以上近づかないで、ドキドキさせないで。好きだなんて知られたくない。何もかもが、住む世界が違いすぎる。勘違いさせないで)




 二人の間に沈黙が続いた。桜琴が疑問に思って顔を上げると、そこには愉しげな表情の一生の顔があった。

「な、なんで笑ってるんですか?」

 桜琴が訊ねるも一生は『別に』としか言わなかった。

「そろそろ、この手を退けてもらえませんか?」

 桜琴はもう限界だった。一生の香りが桜琴の脳内を痺れさせる。

 この男は一体何を考えてこんな事をしているんだろう、と思い始めたが、桜琴の心と身体は正直で、決して不愉快ではない。ただ免疫がないのだ。


「嫌だ。今、楽しいから」


 一生が桜琴の大きな目を見て呟いた。一生の瞳の中は光のパレードが行われているかのような、愉しそうな煌めきが宿っていた。


「……ま、前から思ってましたけど、神谷田さんってドSですよね」

 そのパレードに飛び入り参加は到底できないが、桜琴は呟いた。

 一生の瞳の中のパレードは最高潮に盛り上がっていて、派手な衣装のダンサーが笑顔で瞳の中から飛び出して来そうだった。

 


「そんな事はない」

 一生は即座に否定した。

「そんな事ありますよ。もういいです」

 桜琴はしゃがんで一生の包囲網から出ようとした。これ以上のパレードは心臓が耐えられない。

 ところが一生はそのまましゃがみこみ、座り壁ドンを作った。

「ちょっ、何してるの? こんな壁ドン見た事ない」

「これはこれできゅんとしたか?」

 今までの一生なら、こんな発言はしない。一生は本気だった。好きになってもらうためには手段は選んでいられない。ありのままの自分を見てもらうのだ。


「ふふ、するわけがない。ダサい。ダサすぎる」

 桜琴には一生が何をしたいのかはわからないが、笑えてきた。

 揶揄われている気がしてならない。だが惚れた弱みで不快ではない。


「はぁ、もういい。結局、年下を揶揄って遊んでる。あたし、神谷田さんを見る目が変わったから」

 桜琴は大袈裟に息を吐いたが、その表情は楽しそうだった。

 その時、一生の手が壁から離れて桜琴を抱きしめた。

「またそうやって揶揄って……」

 桜琴が一生を睨むと、桜琴の耳に一生の吐息がすぐそばに聞こえた。

 桜琴の胸が熱くなった。


「……良かった。やっと……、やっと敬語をやめてくれた。嬉しい」

 そう言って一生は桜琴のほっぺにキスをした。

「!!! ち、ち、ちょっと、何するの! 信じられない!!」

 桜琴は耳まで赤くなった。胸の鼓動が一気に早くなる。


「ははは。君の負けだな。私は答えを手に入れたからな」

 一生は楽しそうだ。桜琴を抱きしめる力が強くなった。桜琴にはやはり面白がっているようにしか見えない。

「答えって、それより離して、恥ずかしい!! もう! ドS一生!!」

 桜琴が一生の腕の中で抵抗し出した。桜琴にはこれ以上の抱擁は耐えられない。

 だが一生はびくともしない。すごい力だった。

「嫌だ。いつ離すかは私が決める」

「はぁ?? やっぱりドSじゃん! てかこんな事して何が面白いの……」



 その時、桜琴の目に源次と高身長のスレンダーな女性が立っているのが映った。

「お、お、お取り込み中悪いが、凛華も連れてきたぞ、一生……」


 一生のパレードは静かに幕を閉じた。


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