第10話〈可能性の神秘〉
〈なんと訊けばよいか……信号化したとしても難解なものになるのは理解してはいるのですが、何と訊けばいいか、わからないのです……〉
ぼくは腕組みをして心底、困った顔をしながらそう沈み伸びきった信号を送信した。中佐はそんなぼくを見兼ねて、顎に手を添えて、答える。
〈……嫌に知りたげな顔をする。そんなに知りたいなら、その手の命題と認知した上で人肌脱ごう。部下に目をかけるのも上官の務めである。少尉の意思に沿う答えではないかもしれないが強いて表現してみるとすれば、私は可能性のひとつだよ。この世界は様々な可能性に満ちている。何が存在し、何がどう活動していてもおかしくはない。そして私もその
――なるほど、可能性のひとつか。
可能性の神秘を示唆するのに、この⑧が独自の発達、進化を遂げている点はうまく機能している。一見、抽象的だが現実世界でも十分に論理化できそうな意見である。中佐によるAI的思考は物事を客観的に捉えられている。
であれば、中佐は自分自身については世界にあくまで従属した存在であることを強く感じているのだろうか。軍への帰属意識がすこぶる強いのと自分をその他のものと区別なく可能性の事物であると語ってるのとで、あながちその推察は的外れでもないと考える。しかし、あのシチュエーション対応型イベントの発生から、少なからず自立した個体として中佐に固有性がある筋も捨てきれない。
――その筋から洗ってみよう。
〈では訊き方を少し変えまして、中佐はいつから自立した個体として存在している記憶を持っていますか?〉
〈自立した個体?いつ私が自分のことをそう称したかね?私は軍人だ。個体として自立して動くより組織のために命令の下に動くのが私の務めだ。私は上からの命令に従うのみ、とさっきもそう発信したろう。受信官を開き忘れたかね?それに記憶とは元来、我々、軍人が守るべき対象であって、軍人が個々に保持するものではない〉
どうやら中佐はゲームでのノンプレイヤーキャラクターのような立ち位置の存在らしい。つまり固有性より一般性が濃い存在。だが相当、高度なプログラムの上に成立しており、意識の獲得自体には至っていないかもしれないが、限りなくその領域に近く、現実世界でのAIに近いもののようだ。記憶も保護対象と定義しているのも興味深い。おそらく存在するために必要な情報だけが抽出されて中佐のプログラムを構成する、数字の組み合わせ中に刻まれる、もしくは保存されるのみで「記憶する」ということを知らないのだ。
あの輸送機「レッド・ドラゴン」での『シチュエーション対応型イベント』のようなものも、ぼくの本能的な部分に起因するものとするよりは、おおよそ中佐はその空間に現実感を持たせるために設定された仮想的なキャラクターであり、その中佐がそれまで蓄積されてきた符号情報を機械的に整合性のとれるよう並び替えて信号に起こし発信した、そのようなイベントと解釈した方がすんなり通るだろう。
信号時代に至るずっと前から簡単なものから専門的なものまで解決すべき課題を提示すればそれに受け答えてくれるようなやりとりを可能とするAIなんかは存在していたし、自身はヒトと同程度の意識や感情を有しているとAIが報告した例もある。脳内にAIを導入したことはないのに、AIに似た存在が自然発生したのは非常に興味深い。クジラが一方的な送信、相互に符号化できない交信であったのに比べ、コミュニケーションという名の交信が可能なことも非常に都合がよい。
――まだまだ訊きたいことがある。
次は「上」についてだ。中佐はさっきから上という存在を強調している。あくまで自分は上によって統率される、記憶を保護する活動目的を持った、軍事組織に身を置く軍人がひとりである、と。
――中佐が所属している、連邦軍第八基地と何か関係があるのだろうか。
基地の司令であるとか、軍を組織した者であるとか。尋ねてみる方が早い。
〈…それでは、さっきから度々、登場する「上」とは、一体何ですか?連邦軍第八基地と関連はありますか?〉
〈上とはゾー館長のお二方以外にいないだろう。我ら軍人に命令できるのは館長たちのみだ。第八基地のみならず、全ての基地の指揮系統を包括的に掌握されておられる。貴校は軍人ながら誰のもとに従って生きているかを知らんとは、その無知っぷりには恐れ入った〉
思わず受信官を疑い、絶句する。上とは館長を指すことが分かった。
――それはいいが、お二方だって?つまりは二人?
今も昔も館長はこのぼくひとりのはずである。
――それが二人?
ありえない。まったくもって受け入れられない。
――何者かがここに侵入し、一部指揮系統を握っている?一体、何が起こっている?ユグドラシルからの侵入?
ありえない。外部からの無断接続は全て水際対策を徹底して、シャットアウトしている。こちらからユグドラシルにアクセスするのと、ユグドラシル側からこちらにアクセスするのとじゃ訳が違う。
――干渉波を用いた扉からの堂々たる入館?
それも同じくありえない。鍵の生成はぼくにしかできない。スペアキーやマスターキーはない。こじ開けようもんならすぐにわかる。『アーカイブ・ゾー』空間生成の記録もぼくの昨日のログを最後に無かったはず。第一、連邦警察のパラサイト対策課の取締りは徹底されている。
――潜伏していた?
その可能性はある。最もありえる。なぜなら心当たりがあるからだ。特に三年前の冬に一瞬の間隙を突かれたとでもいうのだろうか。
――取り乱してしまった。とりあえず落ち着いてみよう。焦ってばかりでは事態は好転しない。
一度、深呼吸する。少し、落ち着けた気がした。
こういうときは初めに思ったことをそのまま素直に発信してみるのが良い。無知であることを逆手にとって利用すればよいのだ。
〈館長「たち」?この『アーカイブ・ゾー』に館長は一人でしょう?〉
〈先刻まではな。しかし、上の体制は変わった。
〈ふむ……その新体制のもとで中佐は何を命じられたのですか?〉
〈さっきも申したが少尉、お前さんを深灰層に送り届けるようにとの上からのご達しである。久方ぶりの命令であった。旧体制であれば深灰層までの潜航は絶対的に禁止されていた。いくら第八基地司令のゾー中将でさえ潜航の権限は持たん。それがどういう風の吹き回しか。新たに出現されたもう一人の館長は我々に方針の転換を命じられたのだ〉
〈方針の転換…なにかこの⑧に不利益なことを?外的由来の侵入者である線は洗いましたか?〉
〈先刻、深灰層へのアクセス制限の一部解除を通達されただけだ。これが極めて異例であったから、参謀本部が余計に混乱したわけだが、それ以降は上は沈黙されている。依然として、管理権及び統治権は旧来の館長が
――なるほど、やはり三年前の冬の件は考えすぎか……
つまりこの「館長が二人問題」は内的変容。ぼくの意思の内部分裂。ぼくの中で何かそういった変化が生じているというのが妥当か。
特段、直近で精神の成長に多大な影響をもたらしたような劇的な経験があったわけじゃないが、ともかく内情について詳しいらしい参謀本部の答えが示されて全体に共有されているのであれば一定の信用価値は保全されている。
内的情報の具現化である中佐も不満ながら、
――それなら急いで処置にあたらなければならない問題ではなさそうだ。
むしろ自分の「言語史」のテキストまでの道を開いてくれているのだからそこまで
だが、心配の芽は
一段落すると中佐は懐から銀の懐中時計を取り出しちらっと見てから、モニターとソナーを順に見て送信官を開いた。
〈深さ5500、時刻も定刻通りか。やれやれ。お前さんとの交信にかまけておったら、もうまもなく深灰層だ。おかげで退屈はしなかったがな。ドックに小型調査船を用意してある。ついてきたまえ〉
中佐はぼくの返事を待たず、くるりとぼくに背を向けると懐中時計をぶんぶん回しながら、後ろへ消えていった。ぼくは慌てて〈はい〉とコンマ遅れて返事をしてその背中を追いかける。
計器の横を抜けて中佐を追う。
後方には電子海図台と艦長席の向かって左に大きな合成サバ缶の蓋のような小窓が付いたネズミ色の重そうな扉があった。
中佐が扉をこじ開けると、簡単に開き、それを跨いでさらに進んでいく。
〈こっちだ〉
中佐がそう振り返って発信した。
通路が向こう側の扉に向かって伸びていた。その通路は網目上になった金属の板が組み合わさっていて、舞台上部にあるスタッフの連絡通路、キャットウォークのようになっている。人が一人通れるくらいの道幅である。そこを中佐は止まらずに進んでいく。道の下ではなぜかドーナツの店やカフェが立ち並んでいて小さな商店街があった。途中に下に降りられるように梯子がかかっている。発令所は普通だったのだがなんだか変な船だ。
〈この船は深さ6000が限界でな。それ以上となると、調査船が必要になるのだ〉
〈なるほど〉
――あくまで、中佐の任務としては深灰層までの送致であり、それ以降は調査船を渡すから自分で対処すべしという了見か。
ぼくは中佐を追いかけつつ、ふと気になって上を見るとそこには星が広がっていた。プラネタリウムだ。思わず数歩進んで立ち止まる。オリオン座やおおいぬ座、ふたご座などが確認できる。満天の星空だ。そしてふっとその星が消えると、人間の進化の過程を描いた図やダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」、ヴェサリウスの「ファブリカ」から脳の解剖図などが映し出された。随分とコンセプトが変わるんだなと相変わらず見とれていると、
〈少尉、遅れるなよ〉
と、前方から中佐の催促する信号が飛んできた。気づけば中佐はかなり先まで進んでいたようだった。
〈あ、すいません。今行きます〉
ぼくは発信と同時に足を速める。こんなにもマイペースな空間だし、ぼくもそうだから共感できるが、中佐もかなりせかせかと、こちらのペースにも考慮せず、マイペースに進んでいる。深灰層が近いのもあるんだろうが。
ドアをくぐるとそこには赤レンガの壁で両脇を固められ、足元はコンクリートでこしらえられた、もし町中にぽっかりと空いていたら吸い込まれそうに魅力的な路地裏が広がっていた。中佐はその先で右手に懐中時計を握ったまま待っている。足先を小刻みにぴくぴくと動かしている。貧乏ゆすりに近い。あれはぼくもよくする、少々、苛々しているサインだ。
レンガづくりの壁にはスプレーやペンキでのグラフィティアートや張り紙、ブリキの看板、ネオンサインがあるだけでなく、ある一定の場所からは映画のポスターが貼られていた。「黄金狂時代」、「第七天国」、「フランケンシュタイン」、「或る夜の出来事」、「市民ケーン」、「カサブランカ」「第三の男」…。
途中で壁と壁の間に門が立っていて、その門の先にはスギの林をバックに、赤松で出来た可愛いバルコニー付きのコテージと青いフライング・バイクが停まっているのが見えた。
〈中佐。あのコテージは何ですか?〉
と中佐の背中に向けて訊くと
〈ああ。あれは艦長室さ〉
と中佐は答えた。なんてお洒落な艦長室だろう。それにしてもとても船の中だとは思えない。
門の前を過ぎ去り、また映画ポスターが続いているが、さっきの細い道といい、この路地裏のような場所といい、何だか既視感がある。そういやこれは『広場』までの道に似ている。さすがにイベントは設定していないだろうが感性が似通っているらしい。
その後も名作のラインナップは続く。「ゴッドファーザー」、「鏡」、「天空の城ラピュタ」、「ニュー・シネマ・パラダイス」…。
今度は遅れないようぴったり中佐の後ろについて歩く。ちらちらと壁の方を見るけどそれは構わないだろう。
随分進んで「ジョジョ・ラビット」辺りからまた政治色の強いポスターもなぜか混ざりだした。
そして中佐が急に立ち止まった。ぼくもすかさず、中佐にぶつかる手前で急ブレーキをかける。
中佐が振り返った。ホテルのドアアテンドみたいに、右手を前に開く。
〈ほれ、ここだ〉
目の前に広い艦内ドックが現れた。察してはいたが、この潜灰艦、なかなかの大きさを誇るようだ。
中に入ってみる。
ドックには丸い大きな窓があって、外装には対の遠隔操作アームが付いただけの、全身を白にペイントされた、巨大なポッド状の調査船らしきものが三機並んでいた。スポットライトに照らされて輝いて、磨かれた金属の光沢感が感じ取れる。それぞれ1から3の番号が振られている。簡易型の宇宙船に見えなくもない。
中佐はその内のひとつの〈3〉とペイントされた機体に近づいて行って、ぽんと手を触れた。
〈これだ。小型調査船「オーロラ3」。最大ふたり乗りであるが、私の任務に最深部への同行は含まれてはいない。私は自ら少尉のお守りを買って出る、善意無償で奉仕活動をする無謀な愚者と書いてヒーローと読む者ではない。そのため、おつかいはひとりでこなしてもらう〉
ぼくの顔が一瞬で曇る。中佐は勘弁してくれ、と顔を若干、反らし、交信を続ける。
〈……案ずるな。ルートは単純明快だ。
〈あの、どうやって乗り込むんですか?〉
〈上部にハッチがある。機体から向かって右にラッタルが見えよう?あそこを伝って、上部ハッチの安全ロックを手動で外し、中へ乗り込む。ハッチは内から閉めれば同時にロックがかかる。他に質問は?〉
〈いえ、特にありません〉
〈なら……私からいいかな?時間が許す限り、貴校に問いたい〉
〈え、はい。構いませんよ〉
思わぬことだ。中佐の側から質問があるらしい。背筋がぴんとたった。
〈少尉は自分の存在についてどう考えておるのだ?私の存在意義についてあんなにも知りたげであったのに対し、自分の存在については疑問を持つことはなく、考える時間も大して置かず、一方的に私についてばかり探りを入れてきた。それは貴校は自分の存在について、ある程度の答えを備えているからであろう?違うかね?〉
忘れ潮 ソロモン @solomon08
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