私の師匠 (結)
「ん……んう」
……状況が、よく分からない。目が覚めると、そこは質素な一室だった。
ベッドと椅子とテーブルだけの、簡素な部屋。柔らかな風が、近くの開け放たれた窓から吹いていて、とても心地良い。まるで天国のようだ。
……もしかして、私は死んだのだろうか? ならば、この状況にも説明がつく。
まだ完全に目覚めていない私は、いつものように身体を起こそうとした。左腕に巻かれた包帯と、床に落ちた血の滲んだ布に気付く事も無いまま。
「そっか……私、死ん――!?」
「お、やっと起きた……って、何してんだ?」
「~~~~~!!!」
「おい、暴れんな。傷が開いたらどうすんだ」
数分間藻掻いて、ようやく落ち着いてきた。そこでようやく、私の目の前にあの男が居る事に気がついた。
……あれは、幻覚じゃなかったんだ。
「……どうして、助けたの?」
「あそこで死なすには勿体ないと思ってな。お前、見込みあるぞ」
「そう……」
いい顔で笑いながら、彼は私の頭を撫でた。これは動けないから抵抗しないだけで、決して褒められて嬉しいとかでは無い。絶対にあり得ない。そんなに私はチョロくない。
「先生ー? 包帯変え終わったら、買い出しをお願いして……って、あら?」
「ちょうど良かった。セラ、こいつの着替えを手伝ってやれ」
「無事に目が覚めて何よりです。では、彼女の分もお願いしますね」
「分かった。戸締まりはしっかりとな」
修道服を着た小さな少女と、彼が親しげに会話している。それを見ていると、何だか妙に嫌な気分になった。まるで、お腹が空いている目の前で食べ物を盗られたような、そんな感じ。
「では、お着替えしましょうか。お体も拭きますね」
「ありがとう……ございます」
「そんなに警戒しないでください。ここは教会で、私はシスターです。怪我人を無下には致しません」
「……うそばっかり」
世の中そんなに甘くは無い。教会の人間がそんな風に考えているのなら、路肩で死ぬ人間はもっと少ないはずだ。そも、私のような孤児がそこら中に蔓延っていることが、何よりの証明でしかない。
「……まぁ、神職の人間全てがそういう考えで無いことは知っています。それでも、手の届く範囲くらいは何とかしてみせますよ」
彼女の言葉は強く、そして綺麗だった。この人は、本気で私を助けようとしてくれているのだと、分かってしまった。
「お名前は何と言うのですか? 私はセラ・ルビムと申します。怪我が良くなる間、よろしくお願いしますね」
「…………カエデ」
「カエデちゃんですね! 私、妹が欲しいなってずっと思ってたんです! 私のことは、おねぇちゃんって呼んで良いですからね!」
「私はお前の妹じゃない。そもそも、年齢だって大して変わらないでしょ?」
「ぐがっ……!!! ち、ちなみにカエデちゃんはおいくつなのですか……?」
「……? 分かんないけど、多分12くらいだったはず」
正確には数えていないけど、確かそれほどだった気がする。それを聞いた少女は、私に背を向けてうずくまってしまった。
「これでも今年で18になるんだけどな……先生と同い年なのに、どうして私の背はいっこうに伸びないの……? 何なら、カエデちゃんの方が私より大きいの、どうかしてるよ……」
「……よく分からないけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です……少し、この世の理不尽を嘆いていただけです。お着替え、手伝いますね……」
それから、私の生活は変わった。毎日歩き回って食べ物を探す日常から、セラという修道女とあの男との共同生活になった。
彼は怪我をしていても出来る仕事を教えてくれた。刻印術というもので、決められた秘文字を刻むと、様々な効果をもたらす技術だ。最初は全く出来なかったけど、次第にきちんと効果を発揮する物を作れるようになっていった。
「カエデは手先が器用だな。俺はこういうチマチマした仕事は苦手だから、すげぇ助かるわ」
「……頭撫でないで。手元が狂う」
「綺麗に出来てっから心配すんな」
「そういう……問題じゃ無い」
私が刻印術を刻んでいると、彼は決まって私を褒めた。凄い、助かる、ありがとうって言われると、頬が緩んでしまう。彼はいつだって、私の欲しい言葉をくれた。
そんな毎日が楽しくて、嬉しくて、幸せで……だからこそ、失いたくなかった。でも、終わりは唐突にやってきた。
「傷も治ったことだ。そろそろ、また一人でやっていけ。どうしようもなくなったら、またここに来い」
「……うん、分か、った」
数ヶ月ほどたったある日、彼は私にそう言った。
理解している。教会の運営は厳しく、私の刻印術で作った品は節約になる程度でしかないことを。そもそも、治療をしてくれた分の代金だって、私は支払えない。これ以上、私はここに居るべきでは無かった。
でも、それでも……私は、手放したく無かった。
「はぁ……」
その夜は眠れなかった。近くここを去らなくてはいけない。でも、またあの日々に戻ると思うと、胸が苦しくなった。
「……?」
そんな風に月を眺めていると、外から物音がした。風を切るような、聞いたことの無い音。私は、誘われるようにその音のする場所へ向かっていた。
「――――ぁ」
淡い月夜の中、私は見た。木剣を振るう、彼の姿を。
長い年月を掛けて積み重ねられた、流れるような動き。
決して華々しくはないけれど、重く、迷いの無い太刀筋。
無骨で、粗暴で、荒々しくて……でも、規則的な風を切る音は、それが技として完成されているのだと思った。
「……ん? なんだ、カエデか。こんな時間にどうした?」
「その……眠れなくて」
「……そうか」
彼はそう言うと、また木剣を振るい始めた。その姿を、私は近くで見続けた。
私は見惚れていた。産まれて初めて見るその動きは、私の眼に焼き付いてしまった。
「……ねぇ」
「なんだ」
「それ、私にも出来る?」
気がつけば声に出していた。彼は木剣を降ろすと、私の方を冷たい顔で見てきた。
「俺の剣は、人殺しの剣だ。他者を害し、何かを傷つけ、壊すためだけにしか使えない」
ゆっくりと、近づいてくる。いつもとは雰囲気が全く違った。冷たく、空気までもが鋭く変わったみたい。
「それを一生背負う覚悟は、あるのか?」
ドクンと、心臓が高鳴った気がした。
彼の技を、生き様を、その全てを体現したあの剣。それを、一生背負う。
もう戻れないだろう。私は一生人殺しのまま生き続ける。
でも……私はそれに魅せられてしまった。彼の全てを、知りたくなってしまった。
「良いよ……全部、背負ってあげる」
「後悔するなよ」
「しないよ。するわけが無い」
この人のことをもっと知りたい。もっと触れたい。もっともっと、全部が欲しい。
「これからもよろしくね……師匠」
あの日から、彼は私の師匠になった。私だけの師匠になったんだ。
あれからずっと……ずっとずっと、師匠のことだけを見て、触れて、考えてきた。その全てを知るために。師匠の全てを私のものにするために。
師匠の姿だけを見て、私は剣を振るった。師匠の様には出来ないけれど、貴方は私の剣を綺麗だと褒めてくれた。嬉しい。
師匠に仇なす全てを振り払った。貴方は私が居ない生活は考えられないと言ってくれた。嬉しい、嬉しい嬉しい。
師匠は私の全てを肯定してくれる。自分には勿体ない可愛い弟子だと、認めてくれた。幸せ、幸せ幸せ幸せ。
でも……私には師匠しか居ないけど、師匠には私以外にも大切な人が居る。どうして? どうしてどうして?
私が居ればそれで良いはずなのに。私だけが居る生活にすれば良いのに。私以外要らないはずなのに。どうして? どうして? どうして?
「足りない……まだ、足りない」
私の剣はあの吸血鬼に届かなかった。私は師匠を打ち倒せていない。何もかもが、足りていないのだ。
あれから強くなったつもりだった。でも、全然駄目だ。私は今も弱いままで、きっとこのままでは師匠を盗られてしまう。
それは絶対嫌だ。でも、どうすれば良い? 師匠を私だけのモノにするためには一体、どうしたら……
「……あぁ、そっか」
私は弱い。あの日から、何にも変わってなどいない。ずっとずっと弱いままだ。
それでも、私は戦わなければならない。師匠は、私だけの師匠だから。
だからこそ、如何なる手段を使おうとも、私は勝たなくてはいけない。
全ては、師匠のために。愛すべき、私の師匠のために。
「カエデ、待たせたな」
「いえ……ちょうど良いところでした」
師匠……私は弱いです。何もかもが足りなくて、不十分で、出来の悪い粗悪品です。
そんな私だとしても、師匠だけは失いたくは無いのです。貴方は、私の唯一の希望で、誇りで、生きる理由だからです。
「……? 師匠、後ろのそれは何ですか?」
「ん……? 何のこ―――」
だから、ごめんなさい。悪いのは私です。全て、私の不出来が招いたことです。
地面に倒れていく師匠と、指先に残った衝撃だけが、私の心を揺さぶる。不義理を働いたことによる罪悪感と、それを上回る恍惚とした幸福感。全部がぐちゃぐちゃに溶けて、胸が苦しい。
「あはっ……! あはは……!!!」
涙が溢れてきた。でも、笑いが止まらない。私は壊れてしまったみたいだ。
私が師匠を気絶させた。嘘で騙して、不意打ちをして、私を信頼して気を抜いていた師匠を襲った。卑怯だ、卑劣だ、人として最悪のことをした。
でも……でも、これで……!
「師匠は……私だけの、師匠だ……!」
ずっと心の奥底で考えていた。確かに師匠は私を大事にしてくれる。でも、私と同じくらい大事な人も他に居る。
セラさんもあの吸血鬼だって、きっと師匠は大切だと言うだろう。師匠はそういう人だ。彼は身内にだけは甘い。
そんな師匠に私だけを見て欲しかった。私がもっと強くなって、師匠の中を私だけが占領したかった。だけど、いつまで経っても師匠は私だけを見てくれない。
それはきっと高望みだ。そんなことは分かっている。でも、そうして欲しいと思ってしまった。その気持ちに、今までずっと蓋をして隠してきた。
「渡さない……誰にも、邪魔させない」
師匠の居ない世界は意味が無い。師匠の居ない生活に価値は無い。師匠の居ない時間に意義は無い。師匠の居ない全ては等しく空虚でしか無い。
師匠しか、私には無い。師匠だけが、私の全部だ。今までも、これからもずっと。
感情が溢れて止まない。閉め方も分からないし、閉める意味も分からない。
これで良い。もう、こうするしか無いのだ。立ち止まることは、もはや出来ないのだから。
「愛していますよ……師匠」
好意の矢印に気づかないクソボケ日記 黒羽椿 @kurobanetubaki
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