私の師匠(中)

 あれから、私はあの男と一緒に即席の訓練をした。石の投げ方、簡単な武器の作り方など……彼の教えは、私の知らないことばかりだった。


 彼はあの後、ひとしきり私に石を投げさせると何処かへ行ってしまった。最後には、『頑張れよ』とだけ言い残して。心細いと思ってしまったのは、ここだけの話だ。


 いや、甘えるな。さっさと切り替えよう。私は少し離れた場所に居る、痩せこけた三人組を見つめた。


 「……あいつの方が、百倍怖かった」


 彼と出会ってからまだ一日しか経っていないが、あの男は容赦が無い。出来るまで身体で覚えろと、何度投石をやらされたことか。おかげで右手と肩が死ぬほど痛い。


 ……ノルマを達成した後、褒めてくれたのは嬉しかったけど。


 けど、あの特訓のおかげで、今の私はかつてないほど自信に溢れていた。絶対にしくじらないという、ある種の確信までに至るほどだ。


 大丈夫。私ならやれる。いや、やるのだ。こんな私を見てくれた、あの人のためにも。


 「あん? なんだ、昨日のガキじゃ――」


 「死ね!!!」


 「ぎゃっ!?」


 まずは真ん中の汚らしい男を狙った。あいつ、しつこく蹴ってきてウザかったのだ。もちろん、あいつがまとめ役だからという理由もあった。


 「な、なにす――」


 「お前も死ね!」


 「危なっ! てめっ、もう許さねぇからな!」


 「チッ……!」


 右隣のチビには躱された。クソ、的が小さくて逸れた。やっぱり、動かれると命中率は下がってしまう。


 「舐めんなクソガキ!」


 「っ……! こ、の……!」


 「どこ行――ぼごっ……!?!?」


 激高した男は、小さなナイフを取り出して振りかぶって来た。大丈夫、これなら避けられる。身を屈めて、出来るだけ相手の死角を意識して回り込んだ。そのまま、私は腰に下げていた布袋で男の頭を殴りつけた。


 中には鉄くずや石など、固いものを入れてある。これも、あの人から教えて貰った即席の武器の作り方だった。


 「や、辞めてくれ……! こここ、降参するからさ!」


 「…………!」


 二人が気絶すると、残った枝の様に細い男が頭を地面に擦りつけた。その様子は、私の勝利を意味していた。力でも人数でも負けていた私が、今まで勝ったことなど一度も無い、私が。


 やった……! 私は、こいつらに勝ったんだ!


 「……次は、殺――!?」


 「へへっ……! やっぱガキだな!」


 そんな充足感が、私を油断させた。男は砂を私に投げつけ、僅かに目を閉じたその瞬間に腹を殴られた。急に襲ってきた衝撃で私は倒れ込んでしまい、そのままマウントポジションを取られた。


 「このっ……! このっ……!!! 舐めやがって!!!」


 「がっ……ぐっ……!」


 布袋は手の届かないところへ捨てられ、殴られ続ける。私に出来ることは、ただ顔を守ることしか出来なかった。無理矢理押さえつけられ、暴力に晒されるのは恐怖でしか無い。


 「へ、へへっ……おま、お前がわる、悪いんだからな……!」


 「あ……」


 男はひとしきり私を殴ると、刃物を取り出した。何処にでもある、少し錆びたナイフだった。身を捩っても、男の体重を押しのけることなど、不可能だ。


 死ぬ。このまま、私は殺される。何も出来ず、何も残せず、ただ路肩で死体となる。


 嫌だ、死にたくない。こんな終わりは嫌だ。でも、どうしようもない。私には力が無い。武器も無い。頼るべき仲間だって、存在しない。終わりなんだ。


 もう諦めよう。きっと痛いだろうけど、死んだら楽になれる。もう疲れたんだ。毎日毎日、生きていくのは。そんな私には、こんな最期がお似合いだろう。


 これで良いんだ。もう、おしまいにしよう。


 『最期まで諦めんな』


 「……るさい」


 「あ? 命乞いか?」


 『お前の命を、お前が見捨てるな』


 「っるさい……!!!」


 「チッ……! きめぇんだよ、このクソガキが!!!」


 声が聞こえた。粗暴で、乱雑で、でも誰よりも優しかったあの人の言葉が。


 あいつのせいだ。あの男が、私を変えてしまった。こんなに辛くて、痛くて、苦しいのに、まだ私は生きたいと思ってしまっている。


 抵抗しなければ死ねるって分かっているのに。これから先、今日よりも辛いことばかりだって知っている癖に。


 なのに……私は、生きていたいと思ってしまった。


 ぼやけた視界が、ゆっくりと動いていく。ナイフが少しづつ私の胸に落ちてきていて、だというのに私の身体はピクリとも動かなかった。


 でも、心臓が鳴っていた。目の前の光景とは裏腹に、ドクンドクンとうるさいくらいに鳴り響いている。まだ、私は生きている。


 「っうう……!!!」


 動け、動け動け動け動けッ――!!!


 怒れ、抵抗しろ、最期まで諦めるな……! 私はもう、私を見捨てたりなんてしない!


 だから……! 動けッ……!!! 


 「あぁぁあああああ!!!!」


 「はぁ……!? こいつ……!?」


 ナイフは突き刺さった。私の胸にではなく、咄嗟に動かした左腕に。血が沢山出ていて痛いのだろうけど、あまり痛みは感じなかった。


 男は私を困惑した眼で見ていた。もう私は、昨日までの私じゃ無い。そして、その隙を見逃すような間抜けでも無かった。


 「ぐぇ……!」


 男の喉仏を思いきり殴った。短い悲鳴と共に、男が力を緩めた。これが、最後のチャンスだ。私はすぐさま、持ってきていた布袋を手に取った。


 「がぁぁああ!!!」


 頭はぐらぐらする。血がいっぱい出ていて、今にも倒れそうだ。でも、まだ動く。


 目の前はよく見えないし、痛みだってよく分からなくなってるだけだ。でも、まだ動く。


 こんなことに意味は無い。こいつらを倒したって、私が死ぬまでの時間が長くなるだけだ。


 でも、まだ生きたい。


 「――――」


 「はあっ……はぁっ……」


 ゴスッという鈍い音がした。男は殴られた衝撃のまま、地面に倒れて動かなくなった。


 地面に倒れた、三人の男達。全て、私がやった。私が生きたいと望んで、行動したから、こいつらを倒せた。


 「ざまぁみろ……!」


 最高の気分だった。でも、私の身体も既に限界を過ぎていた。そのまま、地面に倒れ伏す。あぁ、折角、勝ったのに、な。


 「……よく、頑張ったな」


 「…………あ」


 眩む視界の中、私の目の前にはあの人が居た。きっと幻覚だろう。でも、最後に良い物が見れた。私は震える手を前に出して、精一杯の強がりを見せた。


 「らくしょー……だったよ」


 それが、最後の記憶だった。私はそのまま、意識を失った。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「ハッ……どの口が言ってんだよ」


 気まぐれで喧嘩の仕方を教えてやった少女……カエデは、ボロボロになりながらも見事に勝利を収めた。


 最初から近くで見ていたから分かる。この子はきっと、強くなる。


 こんな子供が、あの土壇場で勝負してみせた。まだ経験の浅さで隙を晒したが、それを見事ひっくり返してのけたのだ。これは、中々出来る事じゃ無い。


 「死ぬなよ。お前は、こんなところで死んで良い奴じゃない」


 俺に出来ることはそう多くない。でも、目の前の命を救うくらいなら、何とかして見せよう。カエデは文字通り命がけの勝負をしたのだ。俺も、その心意気に報いたい。


 カエデを抱えて、俺は宿に戻った。これから長い夜が、始まろうとしていた。

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