第7話 今日の所はキスで勘弁してあげます

 屋上で佐久間さんの到着を待つ。

 いつもは佐久間さんの方が先に来ていることが多いのだが、今日はクラス委員会の仕事でちょっと遅れると連絡があった。

 僕はポケットから2つの便箋を取り出す。


「ちょうどいいや。台本の見直しをしておこう」


 佐久間さんは台本の雰囲気に流されて暴走してしまう癖がある。

 顔を舐めるシチュエーションでは本当に顔を舐めてしまうし、気持ちが昂ると台本にない口づけまでしてくださる始末。


「そして、ここにキスをする台本があるわけだけど……」


 これをやったら高確率で佐久間さんの唇を手に入れられる気がするのだけど……

 ちょっと不誠実過ぎるかな。

 さすがに幻滅されてしまうかもしれない。


「やっぱりこっちは止めておこう。今日は比較的ソフトの方の台本だけ読んでもらおうかな」


 ややハードな台本は手元の床に置き、ソフトな方の台本の最終修正を行う。


「……よし。こんなもんかな」


 修正を終えると僕は大きく背伸びをする。

 最近ASMRの動画視聴や台本作りなどをやっていたから少し寝不足気味だ。

 佐久間さんが来るまでちょっと仮眠していようかな。

 僕は日陰の壁にもたれかかると、そのまますぐに夢の世界へと誘われていった。

 1通の便箋が手元に置かれたままなことに気づかないまま……







「青葉くん。遅れました。ごめんなさ——あれ? 寝てる」


 ドアの開く音が聞こえた気がする。

 人の気配が寝ている僕の方へと近づいてくる。


「……可愛い」


 この声は……佐久間さんか。


「よいしょっと……」


 不意に腕を持ち上げられて佐久間さんの肩に僕の手が置かれる。

 佐久間さんが何をするつもりなのか気になった僕はこのまま寝たふりをしてみることにした。


「えへへ」


 ストンと彼女の頭が僕の胸の辺りに置かれる。

 どうやら僕は彼女のクッションとなっているようだった。


「優君のにおい……」


 そしてなぜか嗅がれていた。


「落ち着くなぁ。ここ」


 佐久間さんの全身がより深くこちらに傾く。

 完全に僕へ身体を預けているようだ。


「気持ちよさそうに寝ていますね」


 今度は左手を持ち上げられ、彼女の頬の辺りに持って行かれる。


「にへへ。優君の手は私のもの~」


 佐久間さんの所有物と化してしまった僕の左手に一瞬冷たい感触が奔る。


「どうして優君の指はこんなに舐めたくなるのでしょう……」


 って、口に咥えていたんかい。

 てことは先ほどの冷たい感触はもしかして舌……?

 目を瞑っているので確信はないが、十中八九当たっているだろう。


「起こさないように……起こさないように……っ」


 今度は首筋辺りに柔らかな感触。

 次に頬にも同じ感触が奔り……

 最後、唇にもその感触が——


「ゆ、優君が悪いんですからね。こんなに無防備に寝ているなんて……私に襲ってくれって言っているようなものなんですから」


 そのセリフ、男女逆じゃない? 佐久間さんが襲う側でいいの?


「きょ、今日の所はキスで勘弁してあげます。で、でも、次は遠慮しませんから」


「(~~~~っ!?)」


 キ、キス!?

 なんか覚えのある柔らかさだなと思ったら、さ、佐久間さんの唇か。

 えっ? てことは今僕、首と頬と口にキスされたってこと?

 どうしてそんなにサービスしてくれるの? 天使なの?


「今日はASMRはお預けですかね。たまにはこんな日も……って、あれ? 優君の便箋がある」


 えっ? 僕のASMR台本は胸ポケットにしまったはず。

 あっ! いや違う! それはアレだ! 床に置きっぱなしにしていたハードな内容の方……!


「ふぅん。優くんエッチだ。こんなことを私に言わせようとしているんだ」


「——ち、違うんだ! そっちは気の迷いというか、処分し忘れただけで!」


「へっ?」


「……あっ」


 僕の胸の中でくつろいでいた佐久間さんと目が合ってしまう。

 その顔色は見る見る深紅へと染まっていく。


「きゃぁぁぁっ! ゆ、ゆゆゆゆ、優君!? も、ももも、もしかして、起きて——っ!!」


「い、いや、違う! 寝てた! 寝てたんだ! そう夢! 美咲が僕の匂いを嗅いでいたこととかキスしてきたこととか全部夢に違いないんだ!」


「~~~~っ!!」


 佐久間さんは涙目になりながら羞恥でプルプル震えている。

 そして——


「痛い! 痛いって! ほんとごめん! 寝たふりしていたのは本当にごめん! で、でも寝ている男にあんなことする美咲にも少しは責が——」


「むぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


「ごめんなさいごめんなさい! 全て僕が悪かったですぅぅぅ!」


 思いっきりグーで殴ってきて僕の記憶を消去させようとしてくる佐久間さん。

 だが、今日の出来事は僕の中の脳内メモリーに永久保存されたことは言うまでもないのであった。

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