第13話 エピローグ

「ねぇ、咲間くんは?」

 私は企画部のオフィスルームを見渡し、同僚らしき若い女性に声をかける。

「あ、小浮気さん。あれ…どこ行ったんだろう?すぐ戻ると思いますよ」

「そっか…」

 私は一旦帰りかけ、踵を返す。

「ね、ちょっと、内緒で教えてくれないかな?」

「ぇ…なん、です、か?」

 女子社員は、思わず身構える。

「咲間くん、私に結婚相手のこと教えてくれないのよ。画像とか…ない?」

 女子社員は、「ほほぉ」と、何やら思わせぶりにうなづき、スマホを取り出す。

「確か…以前にLINEにアップされて、それをダウンロードしておいたような…えっとぉ…ちょっと待ってくださいね。うーん、と…あれ?」

 私は人差し指で画面をスクロールしている女子社員に背を向け、営業部に戻った。


「あ、小浮気さん、どこ行ってたんですか?ご来客ですよ?」

 受付嬢兼庶務係のみっちゃんから、声をかけられる。

「ぇ、あ、もう来たのか。ごめん、お茶くれる?」

「了解です。あ、1番ブースにご案内してあります」

「ありがとう。あ、そうだ!」

 急に振り返った私に、みっちゃんは格闘のポーズをとる。

「今度、一緒にご飯、行かない?予約取った店があるんだけれど、相手が行けなくなっちゃったみたいでさ」

「一人で行けば…」

「いや、一人はぁ…やじゃない?」

「考えておきます」

「じゃ、あとでね」

 デスクに戻り、資料を抱え込むと、接客用のパーティションブースへと向かう。

「ごめんなさい、お待たせして。今日は、暑い中にも関わらず、打ち合わせに来ていただき、誠にありがとうございます」

 クライアントの担当者は、私の顔を見るなり、手をひらひら振って恐縮する。

「とんでもないです。急なご連絡だったのに、ご対応いただいて感謝です。実は、取引先の帰りで、小浮気さんの会社が近くなのを思い出して、ぜひ寄ろうと」

「それはどうも、思い出していただき、光栄です」

「先日は、配布計画もいただいていたのに、インターネットの印刷会社に頼みたい、なんて不躾なお願いを聞いてくださり、ありがとうございました。と言うよりも、失礼でしたよね。ごめんなさい」

「いえいえ…時代の流れですから…はは」

「いただいたデザインを社長が、とっても気に入ってました。実は私もでして…仕入れ元に、こんな形で売り出すから、期待しててくれって言ってきたところなんです」

「それは、重ね重ね、光栄です。とっても、励みになるお言葉ですよ」

「そうしたら、そこの担当者が…実はインターネットの印刷屋を紹介してくれたのも、その人なんですが、どうやらデザインを社内で作っているらしく…こんな状況みたいで…」

 担当者は、カバンの中から製品紹介のフライヤーを取り出した。

「…あぁ、何とも、アレな感じですね」

 私は言葉を濁す。

「ですよね…アレなんです。それで、ぜひお金をかけてでも、プロの力をお借りしたいと言うので、今回はご紹介できないか、という相談なのですが…」

 私は、担当者と顔を見合わす。

「ぜ、ぜひ、お願いします!御社のご紹介なら、安心です」

 担当者は、イタズラっ子のように、微笑む。

「結構、数あるみたいなんですが…大丈夫でしょうか?あ、もちろん、紹介だけでバックなんて要りませんし、弊社の仕事の値引きだなんて、無粋な要望もいたしません。だいぶ、お安くしていただいているのも承知しておりますので…ただ、そこで見栄を張ってしまった手前…何とかお引き受けいただきたいのですが…」


 打ち合わせが済んだ後、私は担当者に社内の見学を勧めたが、迷惑だろうから、と早々に帰ってしまった。

 私は自分のデスクに戻って、一息つく。

 外回りの最中、急の連絡を受けて、慌てて戻って来た私以外、営業マンは誰もいない。

 昼間に社内にいると、まるで働いていないかのように見えてしまう…営業マンはそういう目線を嫌って、用事がなくても外に出る習性を持つのだ。

「珍しく、いい話だったみたいじゃない?」

「珍しく、は余計だわよ。私はいつだって、いい話だけを持って帰る、優秀な営業マンなのだから」

「業績次第で、すぐに態度が変わるよね、営業マンって」

「いーじゃん、別に。仕事本位なのは、悪いことじゃぁないわよ」


 私は両手を頭の後ろで組み、これからの未来に少しだけ想いを馳せる。

「世はペーパーレス化の時代。いずれ無くなる業界としても、やり方を変えていけば、もう少しは仕事があるのかもね」

「あぁ〜、この会社内の恋愛事情を捜査するのも、もう飽きた。私も仕事したいなぁ」

 せっかくの私の格言じみた言葉を、萌さんはあっさりスルーする。

「魔女の助手という、立派な仕事があるじゃない。現代の専門職なんだから、助言できることはいくらだってあるでしょうに」

「だって、根本的な手法を変えないんじゃぁ、埒があかないわよ。中古の電子顕微鏡を買わせるのにだって、すっごい苦労したんだから。頑固なのよ、研究者って人種は…未だに、カルガモだし!」

「多様性の時代かよっ」

「ほんとっ…幽霊に、猫に、カルガモに魔女だなんて!」

 萌さんは、手を叩いて笑った。

「私の他に、話し相手を探してみたら?どこかにいるかもよ?ほら、受験生だったりしたら、有料でカンニングするアルバイトとかできるカモよ」

「ただの犯罪じゃない。それに、お金もらってどうするのよっ!?受け取れないし!」

「あ、じゃぁ、資産運用だけは、私に任せて。時代はNISAよ。ほれ、これ見て」

 ノートパソコンの画面の隅に、アメリカ大統領の任期中における起訴を巡る報道記事が流れる。

「お、ニーサですか、コブキちゃん。もう、老後が気になるお年頃なのかなぁ?」

 小野寺部長が、重そうなカバンを自分のデスクに置きながら、私に話しかけた。

「部長、いつの間に…お帰りなさい」

「おう、ただいまぁ」

「ぇ、う、これは、サボっているわけではなくてですね、お客様が急に来社したいって言うので、急いで戻って来たわけで…」

「あ、そう。で?」

「は?」

「いや、どんな話だったの?クレームじゃないよね?」

「あ、はい。それが、お仕事の紹介を頂きまして…」

「えっ、わざわざ来社してまで?ほんと?すごいじゃない。いいお客さんだねぇ〜大事にしてねぇ。でも、ま、アレだよね」

「はぁ?」

「お客さんは、鏡だってことだ」

「…ははっ、いや。そうですかねぇ、だといいんですが…」

「ところで、俺にもちょっと教えてくれないかな?」

「…営業のこと、ですか?」

「いやいや、ニーサよ、ニーサ。俺も老後がねぇ…奥さんともうまく行ってないし」

「承知の介です。でも、家庭不和は、NISAでは…」

「家庭不和って…言い方、やめてよ」



 結局、私は魔女を捌けなかった。

 その権利は私にはないし、最初から、そのつもりも無かった。

 大切な有給休暇を消費したあの日の夕方、魔女が大量に用意していたのは、萌さんの研究室に持ち込まれた薬とは別物だった。まだ開発したばかりの新薬の量産には、時間と資金を要するのだそうだ。

 用意していた薬の方は、害はないが、効果は実証済み。

 すでに利用している者たちがいるのだが、大事になり過ぎるので、これ以上は私の口からは言えない。

 媚薬の超進化版、とだけ言っておく。

 害はなくとも、弊害なら、それが人為的に成される以上、どこかで発生するものだ。

 例えば、エレベーターのボタンを押せば、別の階で誰かが舌打ちをしているかも知れない。

 私が新しい仕事を受注すれば、どこかの会社で仕事が減ることにもなる。


 人の関係性は、いつの世も一枚岩ではない。


 魔女が五百年をかけて開発した新薬の方は、それの更なる発展系にあたる。

 効果のほどは、聞くに耐え難い。

 それがあれば、社会構造は変革し、私のような職種すら、もはや必要なくなってしまうという、末恐ろしい代物である。

 魔女が、裁判を受けたその時、心に誓った復讐の気持ちが、そこに凝縮されていたのだ。

 だから、詳しくは語れない。

 “魔女の名にかけて“、私は彼女にその使用の差し止めと、同時に萌さんの症状改善を請求した。

 とはいえ、完全に支配下に置けたわけではない。

 あくまで、妥協案を模索し、契約書にサインさせた、という程度の具合だ。

 彼女は未だ、多くの秘密を隠し持ち、とりわけ身体を乗り移る手法については、口を閉ざしている。

 何はともあれ…。

 私には、魔女の新薬がこの世界の人々にとって、等しく「幸福」をもたらすものであるのか、あるいはその「真逆」であるのか、まだ判断がつかないでいた。


 あなたは、どう思うであろうか?

 それが、心に秘めた想いを、全て包み隠さず、想い人に届けてしまうものであったとしたら。

 果たして…使いたい?


 印刷屋と黒猫の魔女 (了)

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印刷屋と黒猫と魔女 小路つかさ @kojitsukasa

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