第5話

体ごと黒い闇に包まれた花應院ユウは徐々にどす黒い何かを発し始めた。彼女、つまり弓梨の体自体に変化があったわけではない。ただ、彼女の目は虚ろとなり、足もフラフラ。何より、鼻から血をたらたらと流し始めた。


アンコールが一気に止み、ざわめきが起こる。全員が心配したようにステージ場を凝視する。


関係者も弓梨の異変を感じ取ってか音楽を止める。メンバーたちも心配したように動きを止め、だが本来の弓梨の性格を警戒してか彼女の異変を遠目で見つめる。


だが周囲の反応をよそに、花應院はマイクを握る手をやめない。そして、先程よりも強く握りしめながら首を傾げる。



「何でみんな歌わないの?」



不気味なほど美しいその顔に引き込まれると同時に嫌悪する拒絶反応が、僕の体全体に走る。


周囲の人間も同じような反応であり、顔を引きつらせながらステージを見守る観客ばかり。おそらく、彼らはステージ上に立つ目の前の少女を”死人”と本能的に認識したのだろう。



「???何?」



今の状況を分かっていない者は、花應院一人だけ。不思議そうな顔でステージから会場を見る。そして今度は周囲を見渡す。が、その顔を見たメンバーが少しずつ後ずさりをし始める。メンバーのその反応に困惑する花應院。



「あれ?ライブは中止?」



本当に彼女が状況を理解していないと判断したのか、数人の関係者の大人たちがステージに上がってくる。だが、僕は察知した。その行動は絶対にやってはいけないことだった。


腕をがっしりと捕まれた弓梨だが、「行くぞ!」と言われてもまったくその場から動こうとしない。男性は弓梨の事務所社長なのか強い口調で注意するが、何度言われても彼女は反応しない。マイクを持つ手も緩めない。


流石に我慢の限界が来たのか無理やり弓梨をステージから引きずり下ろそうとした、その瞬間、弓梨がひどく冷めた声で一言つぶやいた。


「私の邪魔をしないで」


その言葉に驚いた社長と思われる男性を弓梨はステージから突き落とした。男性の体はフワッと宙を一瞬舞うが、すぐに重力に従うように地面に落ちる。舞台下にあった岩のようなスピーカーに鈍い音を立てて頭をぶつけ、そのまま後頭部から血を流し始める。




「キャァァァァーーーーーー!!!!!!」




誰の悲鳴かは分からない。だが、その悲鳴と同時に会場がパニック状態に陥る。目の前で起きた事故に全員が錯乱し始める。動揺が異常なスピードで会場全体に広がっていった。


その場から逃げる者、ただ立ち尽くす者、大声を上げて泣き叫ぶ者、手当り次第に周囲の人間に殴りかかろうとする者、頭を抱える者・・・


一人一人が変な行動をし始める。異常行動は会場全体に連鎖し、ステージにも伝染する。

メンバーの一人は急に地面を舐めだしたり、他の者は急にステージから真っ逆さまに落ちたり、着ていた服を急に脱ぎ始めたり・・・


僕は、ただただ茫然とその光景を眺めていた。僕には何もできない。何の反応もできないし、止めることもできない。目の前の出来事をただ見ていることしかできない。


ステージ中央では、事の発端である花應院がニコニコと笑っていた。まるで楽しんでいるかのように目の前の光景を眺めていた。人を今まさに殺そうとしていたにもかかわらず、何事もなかったかのように両足で軽快なリズムを取り始める。





【ふふふ、私は目の前の観客を楽しませるの!それが、アイドルだから】






マイクから聞こえるその声は既に人間のものではなかった。魂から湧き出た、どす黒い叫びだった。頬を赤らめ、鼻血を垂れ流し、グラグラの足で立ちながらも歌い出す花應院。聞いたことない曲だから、おそらく、このライブで初めて歌う新曲に違いない。


いや、そんなことは今はどうでもいい。それよりも、なぜ彼女はまだ歌い続けるのか?何でこんな状況になってしまったのか?


「な、なあビー―――」


「その前に、この場を離れるぞ!」

「えっ!?」


ビーベルは一通り目の前の光景を見納めると、急に僕を持ち上げてバサバサとその場から飛び立った。そして後ろを振り返ることもなく、逃げるように近くのビルに降り立った。



「ふ〜〜〜、何とか逃げることができた」

「そんなことより、さっきのは一体何なんだ?説明してくれよ!急に花應院ユウがおかしくなったかと思うと、人を殺して会場がパニック状態になって・・・」

「おや、何も気付かないのかい?君なら推測がつくと思ったけれど?」


なんだって、僕なら分かる?・・・いや、そう言えば・・・彼女を包んだあの黒い闇を僕は知っている。僕が死のうとした時、襲ってきた不気味で怖いものだ。つまり、彼女は―――


「暴走した、という事なのか?」

「いや正確に言うなら、やり遂げたんだ。彼女の願いが未練が、達成されてしまったのだよ」


・・・・・・どういうことだ?彼女の未練がもう無くなった、とでも言うのか?でも、まだ二曲しか彼女は歌っていないはず?それで花應院は満足したと言うのか?


「吾輩から言うと彼女は期待していたよりも脆かったよ。まあ、もともと優しい素直な子なのだろう。そう、たったあの二曲のライブで、『人を笑顔にする』という未練を昇華させて、終わらせてしまったのだよ。要するに、彼女はそれで納得したということだ」

「納得をしたのか?でも、どうして?彼女は何で納得したんだ?」

「そんなのは知らない。吾輩の推測では彼女は優しいから・・・としか言いようがない。まあどっちにしろ彼女は壊れた。自壊した。だから、これから先に待っているのは再び、死だけ。もう、二度と花應院ユウを生き返らせることはできない」


僕は息を飲む。こんなにも早く壊れてしまうのか?つい先ほど生き返らせたばかりだというのに?そんなに人の命は脆く、軽いのか?


「ねえ、人の命は脆く軽いとか考えていないか?ああそうだよ!吾輩ら死神にとって人の命なんて、君たちにとっての蟻の命と同じぐらいにしか思えないのさ!そして吾輩は彼女のあのどす黒い闇を食べて生きている。だから言ってみればそうだな、食事をした、ぐらいにしか思えないんだよ」


食事???闇を食べて???それがこいつが花應院ユウを生き返らせた理由、とでも言うのか?


「命っていうのはタダじゃないんだよ。そんな簡単なものでもないんだよ。生き返らせるためにはそれなりの労力がいるし、負担もかかる。そしてそんなに簡単には世界の理からは抜け出せない。それでもなお、この世に未練を残す死者たちが大勢いて、彼らが望むから吾輩は生を彼らに与えている。ただし、その人間が第二の生に納得した瞬間に体が壊れる、という条件付きで・・・」


もう驚きはしない。だって、ビーベルの言うことはもっともであり、僕は忘れていた。命というのは人間にとって重いもの。そして死というのは世界の理であるということを。だから、一度死んだ者を生き返らせるという行為自体、世界の理に背くことであり、確かに駄目なことなのかもしれない。


「今まで最長で持ちこたえた期間は一年ぐらい。吾輩はこれまで何万もの人間を生き返らせたが、結局、それだけしか生きられない。吾輩は人間の感情や未練が、思いのほか、なんとも弱い脆いものだということを感じたよ」


ビーベルはそう呟いて肩をすくめながらジロリとこちらを見つめる。


「さて、本題だ!」

「いや待ってくれ!その前に、彼女はどうなるんだ?」


僕はビーベルの言葉を遮って後ろを振り返る。未だに収まらないパニックの中、ライブ会場には花應院ユウの美声が心地よく流れている。会場は騒然としているにもかかわらず、その会場以外の場所はシーンと静まり返っているいるのがまた不気味に見えてくる。


「大丈夫だよ。他の死神、いわゆる吾輩ではない真っ当な”死神”が彼女をそろそろ迎えに来る頃だろう」

「なに?他の死神だって?!死神は他にもいるのか?」

「はい。吾輩は、その他多くの死神たちと立場が異なるのです」

「ビーベル、それって、つまりお前は異端の死神なのか?」

「ええ、そうですよ。というか、他の真っ当な死神たちと敵対していると言ってもいいでしょう。だから、奴らが来る前にあの場から逃げてきたのです」


死神の世界にも異なる立場や闘争があるのか?そうか、色々と分かってきた。だったら、


「なあビーベル、【デス】というのはああやって一人を殺して一人を生き返らせていく仕事なのか?」

「ええ、そしてあの闇を得ることでパワーアップする。どうです?魅力的でしょう?」

「・・・・・・ああ、そうだな」


僕はコクリと頷いた。どうしてだか体中が熱くなり、拳を強く握りしめていた。

そうか。僕は今、興奮しているのか?


「君もやっぱりこちら側ですね。人を殺した罪悪感と一人を生き返らせる喜び、そして闇に飲まれていくことの興奮!やっぱり才能のある子ですよ、君は!」


自分でもどうしてこんなにも興奮するのか分からない。でも、人の死に触れたことで目覚めてしまったのだと分かる。僕は、彼の言うとおり【デス】になる才能を持っているのかもしれない。




ああ、彼女は綺麗だったな・・・





最初の頃はまさに生前そのもので天真爛漫で優しく笑顔で、でもどこか闇を抱えていて、それもまた魅力的に思えて、暗い過去を知ってそれでも前を向いてきたというところは賞賛できて、だからこそ応援したいと思えて、でもその時は僕は無知で人を殺すことに最初は戸惑ったけれど、目の前で見たら意外にも動揺しないで、そしてどこかでその選択が正しいと思えて、ライブが始まると予想通り彼女の虜になって必死に応援して、会場と一体化して楽しくなって、それでそれでそれでそれでそれで・・・・・・―――





「なるかい?」

「ああ・・・」


僕は【デス】になることを選択した。正しいとかそれでいいのか・・・などとは考えない。ただ、自分がしたいことをするだけ。








僕はビーベルにあの”闇”を出させた。そしてそこに躊躇いもなく顔を突っ込んで、挨拶をした。















「これから新人の【デス】になる者です。よろしくお願いします!」













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死神の使い 〜人を生き返らせる仕事に誘われたのだけれど〜 スクール  H @school-J-H

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