第3話

「アイナにヴェルト、おはよう。お寝坊なんて珍しいわね」



 自室を出てキッチンへ降りると、ちょうど母ヴィーナがスープをよそっているところであった。母ヴィーナはこちらに気付くと、ふんわりとした笑みを浮かべてテーブルに二人分のスープを置く。



「おはよう、母さん。姉さんがちょっとね……」


「あー、ヴェルトちゃんが私のせいにする!」


「ふふ、この子ったら、弟にお世話するのが楽しいのよ。今まで優秀なお兄さんしかいなかったもの」


「別に良いけどさ……ところで、父さんと兄さんは?」


「パパは魔物退治に出かけたわ。……最近魔物による被害が多いんですって。ルフトもついさっきパパの手伝いに出かけたわ」


「そっか……」



 魔物とは、体内に魔力を溜め込み、より強力に、より凶暴に変異した生物である。

 魔物の誕生には諸説あるが、前世で俺が研究した限りでは、強力な魔力に曝露されることによって生態が変化し誕生することが分かっている。


 アンブルフ領のような田舎では、魔物による被害が領地経営に大きく影響してしまう。なので、騎士爵位を持つ父フリードが率先して間引きをしているのだ。


 まぁ、戦いに赴く父フリードはどこか楽しそうなので、心配することは無いだろう。

将来爵位を継ぐであろう兄ルフトも、研鑽のために父に同行することが多いようだ。


 それにしても、魔物か……

 俺が『転生魔法』を使ってから、数千年が経過しているのだ。俺が知らない生態系が出来上がっていても不思議ではない。

 新しい魔物、興味があるな……。



(イデア)


『はい、マスター』


(この時代のことについて分かるか?)


『もちろんです。マスターが不在の間、私が代わって研究を続けましたから』



 イデアが言うには、今は俺が『転生魔法』を使ってから数千年も経過した後の世界。新暦へと時代が移り、旧暦の遺産はほんの僅かにしか残っていないのだと言う。


 それもそのはず。

 旧歴の文明は、俺が『転生魔法』を使ってから間もなく滅んだというのだ。



(あれだけ栄えた時代だったのに、何が起きたら滅んだりするんだ)


『戦争です。マスターの亡き後、世界を誰が治めるかで争いが起こりました。マスターが手掛けた魔導具を用いての戦争は、容易く文明を崩壊させました』


(……そうか)


『マスターが気に病む必要はありません。マスターの魔導具を正しく扱えなかった当時の人々の自業自得です』


(だと良いんだがな……)



 熱いスープをすすり、一息つく。

 関係が無いと言ってしまえばそれまでだが、間接的に俺が関わっていると言われると無視もできないな。



『あぁ、そういえばマスターにお知らせしなければならないことがありました』


(なんだ?)


『私、神様になっちゃいました!』


「……は?」


「ヴェルトちゃんどうしたの? 変な声上げて……」


「いやっ、何でもな……んぅっ、ちょっ、口拭いてくれなくていいから!」


「だいじょーぶ、お姉ちゃんに任せて?」



 ダメだ、話が(ry

 姉アイナのお世話は、もうこういうものだと諦めるしかないか。

 ハンカチから香るいい匂いと俺の頭を撫でる姉アイナの手の感触を一旦頭の隅に追いやり、イデアの言葉に思考を傾ける。



(イデア、神様になったってどういうことだ?)


『正確に言うと神様ではないのですけどね。先ほどお伝えした戦争で、ある程度の力を持った魔導士のほとんどが息絶えました。生き残った者は、魔法の適性がなく戦争に駆り出されなかった者や社会とのつながりを断った辺境の部族ぐらいでした』


(それで?)


『人類の文明、特に魔法に関しては著しく衰退しました。そんな衰退した世界では転生したマスターを迎えるのに相応しくないと考えた私は、私に記録されている魔法をほんの僅かずつ与えることにしたのです』


(……ほう)


『あ、心配せずとも、マスターの研究に関わる部分は提供していませんよ。誰でも使える生活魔法程度しか教えていません。寧ろ……』


(それを教えなければならない程衰退していたか……)


『その通りです……。その後、私が魔法を与えた者は栄え、子孫を連れて来るようになりました。その子孫にも魔法を与え……と、そんなことを続けていたら、いつの間にか私は【創始之書アカシックレコード】と呼ばれるようになっていました』



 ほう、【創始之書アカシックレコード】とはな。


 【創始之書アカシックレコード】とは、この世界の事象全てを記録しているという設定・・の、物語上の魔導書である。


 実在しない魔導書だからこそ、俺が作成に心血を注いだものだが、まさかイデアがそう呼ばれる時がこようとは。いやはや、時間の流れは恐ろしい。



『神格化までされてしまって、マスターの魔導書として私も誇らしいです! それに、色々と面白いんですよ? 二百年経つ頃には、私の元を訪れて魔法を受け取ることが習慣化し、五百年経つ頃にはそれが当たり前・・・・になりました。神様ロールプレイと言いますか、私が歴史を作っているようで、これがなかなか……』



 イデアが魔法を与え続けた結果、この世界の子供は、一定の歳になると神殿を訪れ、イデアから魔導書を受け取る習慣が出来上がったという。


 兄ルフトや姉アイナ、父フリードや母ヴィーナにも、イデアが魔導書を与えたと言う。


 それにしても……



(ふふ……いつになくお喋りだな。そんなに寂しかったか? 可愛い奴め)


『!!』


(そんなに感情豊かだったか? しばらく見ない間に人間らしくなったものだ)


『そ、そうです! 寂しかったですっ! だから早く私を連れ出してください!』



 何処かの王女系ヒロインかな?

 流石は俺のイデア。

 ヒロイン属性まで合わせ持つとは。



(それで、本体……『真理を覗く者ヴェリタスイデア』はどこにあるんだ?)



 そう、今俺の頭の中に聞こえている声は、イデアが俺に接続し本体である魔導書から意識だけを届けているに過ぎない。


 まだ俺の手元には『真理を覗く者ヴェリタスイデア』は戻ってきていないのだ。



『場所は、かつてマスターが転移魔法を使用した場所……現在マスターが住んでいる国、【フローレン王国】の王都に存在するルーメンス神殿にあります』



 王都の神殿か。なるほど。

 父フリードが俺を神殿に連れていくと言っていたのも、そこでイデアから魔導書を貰うためか。合点がいったな。


 約束の歳には達していないが、父が帰ってきたらすぐにでも王都に連れて行ってもらえるよう直談判だな。



        ♢♢♢♢



 父フリードが帰って来た頃には、すでに昼過ぎとなっていた。

 どうも中型――と言っても体長2mはあるイノシシの魔物を仕留めて戻ってきた。

 今夜は肉がたっぷりと食べられそうである。


 母ヴィーナは、父フリードと兄ルフトが無事に帰って来たことに一安心し、大きなイノシシに驚き、その後は夕食のメニューを考えながら笑顔で包丁を研ぎだした。ちょっと怖い。



 それはいいとして……



「ところで父さん、お願いがあるんだけど……」


「ヴェルトがお願いとは珍しいな……なんだ?」



 家の裏庭でイノシシを捌いていた父フリードに声をかける。

 父フリードは作業の手を止め、桶に用意していた水でイノシンの血を洗い流しながら話を聞く体勢になった。



「ルーメンス神殿に行って、魔導書を貰いたいんだ。できるだけ早く……というかすぐにでも」


「ヴェルトが魔導書を? ふむ……」



 顎に手を当てて考え込む父フリード。

 ヴェルトが今後入学する予定の『中等魔法学園』では、魔導書を受け取っていることは必須条件。遅かれ早かれ、ルーメンス神殿には一度脚を運ぶ予定ではあった。


 フリードが悩んでいるのは、通例・・があるからである。


 飛び級などが無い限り、15歳から17歳の期間で『中等魔法学園』に通い、その中からさらに騎士や魔導士を目指す者が『高等魔法学園』に通うこととなる。


 『高等魔法学園』は三年間のため、20歳の成人とともに卒業、それぞれの道に別れて独り立ち、ということになる。



 『中等魔法学園』といってもその数は多く、当然学園ごとのランクというのも存在する。そのため、14・・・の誕生日にルーメンス神殿を訪れて魔導書を受け取り、その魔導書の強さに合わせた進路を一年間で決め、その学園へ入学するというのが通例である。


 まだ10歳のヴェルトが魔導書を受け取るのはまだまだ先だ。



「……そればかりは俺の一存では決められないな。【創始之書アカシックレコード】を動かすには神官様の力が必要だし、行ってすぐにやってくれるかと言うとそうでもない。各地の神殿や教会で行えるとは言え、順番待ちになるからな」


『むしろ私が待っているのに……』



 突然聞こえてくるイデアの声。

 可愛いかよ。

 イデアもしばらく見ない間に甘えん坊になったものだ。



 フリードはあまり乗り気ではない様子。


 たが、いち早く『真理を覗くものヴェリタスイデア』を迎えたい俺も引く気はない。


 父フリードも、そんな俺の意思を感じ取ったのだろう。

 少しの逡巡のあと、ふぅっと小さく息を吐いて口を開いた。



「お前は何を言っても納得しないのだろう。意志が強い子だからな。……とはいえ、俺も心配なんだ。魔導書を手にいれたヴェルトが戦いに身を置き怪我とかしないか、とな」


「父さん……」



 そこまで俺のことを気にかけてくれるとは……前世ではそんな相手いなかったからかな。胸の奥が熱くなるのが分かる。



「だから、俺を納得させる方法はただ一つ。試合に勝って俺を納得させてみろ!」



 前言撤回。

 俺の父さんは脳筋だ。



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