第2話

 ふと意識が急浮上する。

 まず初めに感じたのは、鼻腔を擽るほのかに甘い香り。

 そして身体を包み込む温かさと弾力。


 前世の記憶・・・・・が蘇った今の俺なら、それが何なのかはすぐに見当が付く。

 これはつまり、女性の―――



「……何やってるの、姉さん・・・


「あ、起きた? ヴェルトちゃんおはよー♪」



 いつもの・・・・姉さんの奇行に、俺は思わずため息を漏らした。

 今世の記憶では、彼女の名はアイナ。俺より五つ上の姉だ。

 今の俺は10歳のため、彼女は15歳ということになるが……それにしてはでかい。色々と。


 前世と今世の記憶が混在していることから察するに、どうやら『転生魔法』は成功したようだ。少し記憶を整理しよう。


 今世の俺の名は『ヴェルト・アンブルフ』。奇しくも前世の俺と同じ名を貰ったようだ。

 現在の歳は10歳。ようやく剣の訓練を始めようかといった年齢である。



 アンブルフ家は騎士爵であり、小さいながらも一応領地を持っている。

 現在の当主で、俺の父親でもあるフリード・アンブルフで三代目であるので、まだまだ新興貴族といった具合だ。


 三代を経ても未だ昇爵していないということでもあるが……まぁ、それだけ平和な世の中であるということだ。それに、爵位が高すぎず、騎士の精神に溢れる父フリードのことを慕う領民がほとんどで、領地としては非常にいい雰囲気である。



 ちなみに、姉アイナとは別に、兄も一人いる。八つ年上の、現在18歳の兄ルフト。心優しく、面倒見がいい兄だ。


 姉アイナは重度のブラコン……じゃなくて世話焼きであるため、俺は兄と姉両方から構ってもらえて、今世はなかなかに充実した日々を送っている。



 さて、ようやく剣の訓練を始める頃だと言ったが、前世の記憶が蘇る前のヴェルトの記憶では、剣術も魔法も見た記憶がない。


 それもそうか。

 大きな戦争なども起きずに平和な世の中が続いているのだから、わざわざ幼い子供に剣を教える必要は無いだろう。あくまで、騎士爵の息子として剣術を修めておく、というだけである。


 それに、俺は今になってようやく前世の記憶と魔力の一部を取り戻した。

 魔力の大部分は失われているが……くそ、全盛期の1%にも満たないか……。



 いや、今はこれでいいとしておこう。

 寧ろ、『延命魔法』まで使って千年近く生きた俺の前世の記憶と魔力を、十年で今世の身体に馴染ませることができただけ重畳である。


 しばらくはこの身体の使い方を覚えるとして……如何せん情報が足りていない。


 今世の記憶では、現在新歴1035年。俺が転生する前はソフィアー歴と呼ばれていたため、どうやら俺の転生後に時代が変わったようだ。


 そして、時代が変わって千年も経っているのだ。世界が大きく変わっていても不思議ではない。まずはそれを調べるところから開始だな。



「ヴェルトちゃんがムズカシい顔してる~。でもそんな表情も可愛い!」


「ちょっ、んぷっ……!」



 色々と記憶を整理していると、反応が無い俺に痺れを切らしたのか、アイナがさらに俺を強く抱きしめた。10歳の身体ではろくな抵抗もできずに、顔が胸に沈み込む。


 お、溺れる……



『随分楽しそうですね? マスター』


(イデアっ!?)


『ようやく見つけたと思ったら……私という者がいながら……』



 姉アイナの心地よさに浸りそうになった途端、抑揚のない声が頭の中に響く。

 紛れもない、前世からの相棒。

 魔導書『真理を覗く者ヴェリタスイデア』のイデアの声である。


 その声は嫉妬を含んだもので、前世で知るイデアよりも感情が豊かになっているように感じる。『嫉妬インウィディア』のタイトルも記されているからか……


 イデアには実態がないはずなのに、ジトッとした視線を感じる気がする。

 ……『憤怒イラ』まで展開されたら困るな。



「ぷはっ! 姉さん! なんで毎回俺の布団に潜り込んでくるのさ!」


「だってヴェルトちゃんがあんまり美味しそ……じゃなかった、気持ちよさそうに寝てるんだもの。見てたら私も眠くなちゃって♪」


「今、美味しそうとか言わなかった?」


「ん~? 気のせいじゃない?」



 ダメだ。話が通じない。


 姉アイナは、贔屓目に見なくてもかなり容姿が整った美少女だ。

 騎士爵家であるにも関わらず男爵家からも縁談が舞い込むほどだが、本人の独特な世界観と、他の男性への塩対応のせいで未だに決まった相手は居ない。


 俺の前ではこんなにデレデレなのに……。



 ……それにしても、女性の身体ってこんな……

 そりゃ、前世の俺は国を治めていたこともある。女の身体も知り尽くしていると言ってもいいほどだ。


 しかし、真理を追究し始めてからはからっきしで、他人と話をすることすらほとんどなかったのだ。こうして女性の身体に触れることも久しぶりで、なんかこう、変な気持ちに―――



「―――って、相手は姉だろうっ!」


「きゃっ!? ど、どうしたの!?」



 煩悩を押し殺し、姉アイナの拘束が緩んだ隙に脱出。

 むぅ……っと可愛い脹れっ面を見せる姉アイナだが、その手には乗らない。


 それにしても……精神年齢は大人なのに、惑わされるとは。

 なかなか侮れないな、魅惑の果実……。



「ヴェルト、起きているのなら早く朝御飯を……って、なんでアイナもここに? 二人して何してるの?」


「あ、兄さん」


「お兄ちゃんおはよー! ヴェルトちゃんと寝るのが気持ち良くて♪」


「まったく……あんまりヴェルトを困らせたらダメだろう。ヴェルトは今日から剣の鍛錬を行う予定だし、アイナだって魔法の勉強をするんだろう?」


「そ、そうだけど……う~、お兄ちゃんが虐めるよぅ……助けてヴェルトちゃ~ん……」


「姉さんの自業自得なんだから諦めなよ……」


「うぅ、ヴェルトちゃんまで呆れた目してる……。でも、そんなヴェルトちゃんもいいかも……」


「はいはい……ヴェルトもアイナも、早く着替えて降りておいで」



 兄ルフトに軽く流された姉アイナは脹れっ面だ。

 流石は長男、姉アイナの扱いも慣れているということか。

 部屋を去る兄ルフトの背中に尊敬の視線を送っていた俺は、背後で光る野獣の眼光に気付いていなかった。


 一瞬で組み倒され、馬乗りされて身動きを封じられる。

 犯人はもちろん姉アイナ。

 しかしその手際の良さは、前世の俺と激闘を繰り広げた猛者を彷彿とさせるものであったのは、気のせいだと思いたい。


 と同時に、姉アイナの陶磁器のような白い手が俺のシャツの内側へと侵入し、しなやかな指がお腹の上を這う。擽ったさに声が漏れるのを我慢できない。



「んっ、ふっ、ね、姉さんっ……!」


「ふふふ、そんなに可愛い声出しちゃって……ヴェルトちゃんのお着替え・・・・、お姉ちゃんに任せて……?」


「ちょっ、アッ―――――!」

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