第2話 電話
薄暗い廊下を歩く。
事務当直の私は、いつものように夜八時の病院の中、地下へと続く階段へ向かう。
古い蛍光灯のぼけた明かりが妙に郷愁をかき立てる。いつかの夜の学校にも似た空気が、昔の記憶を掘り起こすのだろう。
階段を降りて重い扉を開き、中へ入った。
地下は慣れていても夜は不気味だ。だだっ広い倉庫のような、物の散乱する中を行かねばならぬ。
築五十年がくる古い病院の地下には、必要なのか不要なのか判断されぬまま放置された備品が、ここそこに積み上げられている。
奥まで行ってボイラーのスイッチを切り、もときた道を帰る。
はやく戻って部屋でくつろごう。
そう考えた耳に、ふと、小さなベルの音が聞こえた。
リリリリン
リリリリン
何処から聞こえるのだろう。
遠くで電話が鳴っている。
リリリリン
リリリリン
電子音ではない、昔の黒電話の音だ。
どこかの部屋の中で鳴っている。
リリリリン
リリリリン
誰も受話器を取る者がいないのか、いつまでも鳴っている。
リリリリン
リリリリン
私はある部屋の前で立ち止まった。
地下から一階へ戻る階段の途中に、その部屋はあった。
この白い鉄の扉の向こうで、電話が鳴っている。
リリリリン
リリリリン
私は病院の見取り図を思い出していた。
今は使われる事がなくなり、物置となっているその部屋は、昔この病院が建てられた当時電話交換室だった。
外部からかかってきた電話を取り次ぐ電話交換手がいた場所だ。
リリリリン
リリリリン
ベルの音は確かにこの部屋の中から聞こえてくる。
一向に止まる気配はない。
だが、もうずっと前から電話機は取り外されている。
この部屋の中には電話機は無い。
リリリリン
リリリリン
扉を開けることはできなかった。
私はベルの音を背中に聞きながら、足早に事務所へと戻った。明るい事務所の中に入り、椅子に座ってホッとする。
着ているシャツはじっとりと汗ばんでいた。
電話機のない部屋にかかる電話。
あれは過去にあった出来事なのか。
一体誰がかけてきているのだろう。
いつまでもなっていたベルの音は、今も誰かが助けを求めているのだろうか。
当直室に入り、テレビをつける。明るいバラエティの番組が、急に現実に引き戻してくれた気がした。
しかし、古い記憶の中の黒電話の音は、その日いつまでも私の耳に残り続けた。
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