第3話 ポスト

 午前10時。彩香はベッドの中で目を覚ました。薄いカーテン越しに夏の日差しが差し込んでいる。彩香は目をこすりながら、ぼんやりと天井を見つめていた。エアコンの風が微かに肌を撫でるが、部屋全体は少し蒸し暑い。


 ようやくベッドから起き上がり、彩香は乱れた髪を手でまとめながら、リビングに向かった。リビングの机の上にはラップがかけられた朝食が置いてある。卵焼きとご飯、味噌汁が並んでおり、横には母親の手書きの置き手紙があった。


 「今日は遅くなります」と書かれたメモを見て、彩香は短く呟いた。「今日もでしょ。」


 彼女は椅子に腰を下ろし、朝食に手を伸ばした。卵焼きの甘い香りが鼻をくすぐる。ゆっくりと箸を動かしながら、彩香は無言で食事を進めた。キッチンの時計が静かに時を刻む音だけが響く。


 食事を終えると、彩香は食器をシンクに運び、水で軽くすすいだ。リビングのテレビをつけると、朝のニュース番組が流れていた。アナウンサーが梅雨明けを告げるニュースを伝えている。彩香はその画面をぼんやりと見つめながら、ソファに身を沈めた。


 妹の花音はすでに保育園に行っている。部屋には花音の小さなサンダルが玄関に並べられていて、朝の慌ただしさを残していた。彩香はサンダルを見て、微かに笑みを浮かべた。


 ソファに座りながら、彩香はしばらくの間、テレビの画面に映るニュースキャスターの声を聞いていた。彼女の頭の中には今日の予定がぼんやりと浮かんでは消えていく。自分の予定とバイトのシフト、そして――彩香は一度深呼吸をして、気持ちを切り替えるように背筋を伸ばした。


 午後の講義に出るため、彩香は自宅の玄関で靴を履きながら、腕時計をちらりと見た。時間は昼過ぎ、外は強い日差しが照りつけていた。彩香は玄関のドアノブを回して外に出ようとしたその時、ポストの方に人影があるのに気づいた。


 玄関とポストの間には少し距離があり、彩香は目を細めて見つめた。そこには、長い黒髪の女性がポストに何かを入れているのが見えた。彼女は白い丈の長いワンピースを着ており、大きなつばのついた白い帽子を深くかぶっているため、顔は見えなかった。


 女性は彩香に気づくと、一瞬驚いたように身体を強張らせた。次の瞬間、「あっ」と声にならない声を漏らし、帽子のつばを抑えながら慌ててその場を離れようとした。彼女は急いで足を動かし、ワンピースの裾が風に舞いながら小走りで角を曲がって見えなくなった。


 彩香はその様子をしばらく見つめていたが、怪訝な表情を浮かべながらも肩をすくめて自転車置き場に向かった。鍵を外し、自転車にまたがると、ペダルを踏み始めた。自転車の車輪がアスファルトを滑る音が響く中、彩香は帽子の女性の姿を頭の片隅に残しながら学校に向かった。


 空は真っ青で、少しの雲もない。強い日差しが彩香の肌を焼くように感じさせる。彼女は自転車を漕ぎながら、次第にスピードを上げていった。目的地である大学までの道のりは、暑さのせいかいつもより長く感じられた。


 学校に着くと、彩香は自転車を駐輪場に止め、汗を拭きながら教室へと向かった。廊下を歩きながら、ポストで見た女性のことが頭にちらつき、一瞬立ち止まった。


「なんだったんだろう、あの人…」


 小さく呟いてから、彩香は再び歩き出し、講義室のドアを開けて中に入った。講義が始まる前に席について教科書を広げながらも、心の片隅にあの女性の姿が残っているのを感じていた。


 

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