第11話
学校は楽しいし、書道教室も楽しい。週末は透に会える。もう少ししたら、きょうだいも産まれる。毎日が幸せだ。
今日は筆がとても乗っていて、今書いているのも良い出来。少し乾いてから半紙を持ち、先生の机に向かう。
「先生。お願いします。」
「よろしい。今日は上がって良いよ。お疲れ様でした。」
「ありがとうございます。」
先生に礼をして書道具の片付けをする。帰り支度を終えて、母に帰る連絡を入れようとスマホの電源を入れると。父から何回も電話がかかってきていた。そして、メッセージも。
「彗。どうしたんだ?」
「せ、先生。先生。ど、どうしよう。」
私は震えながら、先生にスマホの画面を見せる。
「……!みなさん、申し訳ない。ちょっと席を外すので、暫く留守番をお願いします。」
先生は直ぐに他の生徒さん達に声を掛け、心配だからと病院まで車で送ってくれた。
父は待合室でソワソワとしていて。先生と私が来ると、弾けるような笑顔になった。
「先生、お忙しいのに送っていだいてありがとうございます。彗、御礼は言ったかい?」
「いえいえ。彗一人で行かせると、焦って反対のバスに乗りそうでしたから。」
「そんな事は………無いかもしれないでしょ。もう、先生。生徒さん達が待ってますよ。送ってくれてありがとうございました。」
「はいはい。では、また。教室で待っているよ。」
先生が帰った。母は今寝ているそうで、父にこっちだよと言われてついて行く。
着いた部屋はガラス張りになっていて、父が指を差した先には、小さな小さな妹が箱に入って眠っていた。
「少し早く産まれたから、暫くはあの中で過ごすけど。直ぐに抱っこできるようになるって。楽しみだね。」
「うん。はじめまして、私がお姉ちゃんだよ。」
初めて見る私の妹は、なんて可愛いのだろう。小さな手がフニフニと動くのが見えた。
「彗が産まれた時を思い出すよ。僕の天使がまた一人来てくれた。あー、可愛いね。勿論、彗もお母さんも。みんな可愛いよ。」
「あー、そうですか。」
父はいつもこうだ。愛されてるのはわかるけど、若干面倒くさい。
それから3週間後。両親と妹と4人で病院を出た。
「さあ、皆んなでお家に帰ろう。」
皆んなで妹に優しく笑いかけた。妹は笑ったような顔をする。それが堪らなく可愛い。私達の鼻の下が伸びた。
太陽の照る気持ちの良い天気の中、4人で見る外は輝いていた。これからは、もっと楽しい日々が訪れるのだろう。
ーーー
透が私の家に来たのは、妹が帰ってきて5ヶ月を過ぎてからだった。
色々と忙しそうな母の代わり家の手伝いをしていたから、実際に会うのは2ヶ月振りになってしまったけど。透は何も言わずに待ってくれていた。
淡い青色のシャツを着こなした透は、少し髪の毛を伸ばしたみたい。カッコいい。
「お邪魔します。」
「どうぞ。」
透を部屋に案内しようとしたら、母が妹を抱っこして居間から顔を出した。
「透君。いらっしゃい。」
「お邪魔します。この度はご出産おめでとう御座います。こちら、僕の両親からのお祝いです。」
「ありがとう。あら、素敵なスタイ。沢山使わせていただくわね。」
私達の声に妹は反応してこちらをじっと見つめてくる。透は妹の側に近づき、優しく声をかけてくれた。
「こんにちは。僕は透って言うんだ。実は、君のお姉さんとお付き合いさせてもらっているんだ。これから宜しくね。」
「可愛いでしょー。私の可愛い天使よ。」
「君。鼻の下が伸びているよ。」
「だって可愛いもん。じゃあ、部屋に行こう。」
「ゆっくりしていってね。」
「はい。」
透を私の部屋に案内して扉を閉めると、透が抱き締めてきた。私も透の背中に手を回す。
「寂しかった。大好きな君を、こうして抱き締める夢を何度も見てたんだ。やっと本物に会えた。嬉しいよ。」
「ごめんね。私も会いたかったよ。」
お互いの温もりに触れる。大好きな透。長い時間そうした後、透は満足そうに離れた。
「ねえ、もし良ければ筆を執らせて欲しいんだ。」
私はいいよと返した。透は持ってきた自分の鞄から書道用具を取り出した。硯に水を少し入れ、墨をする。
シュリ、シュリ、シュリ
私の部屋が墨の香りで満たされていく。透の立ち振る舞いと彼の香りに胸が甘くざわついた。
透は色紙を一枚取り出して、筆を手に取り淡墨にじっくりと浸す。しなやかな指が筆を持ち上げ、程良く筆をならして色紙に向かう。
優しく、丁寧に、やわらかな筆が色紙を進んでいく。
凛然と筆を執る透に、私はまた恋をした。
『想』
透の気持ちが溢れてくる。この一文字にたどり着くまで、きっと、ずっと練習していたのだろう。私は嬉しくて、幸せな気持ちになった。
「君への想いを書いてみたんだ。」
「ありがとう。大切にするね。」
透に抱き付くと、優しく受け止めてくれた。私の大好きな透。
「好きだよ。これからも、ずっと。」
「私も好き。」
私の頬を優しく透が撫でてくる。透は嬉しそうな、それでいて熱情の籠った瞳を向けている。
私も透の頬を撫でた。私の今の気持ちを教えるように。
「あのね。透には隠し事をしたくないから、正直に言うんだけどさ。その、先生がね。」
「先生が?なに?何かされたのか?」
透が今までになく焦り出す。もう正直に言ってしまおう。
「うん、その。ちょっとこっちに来て。」
透を居間に案内する。扉を開けて一番目に入る壁に飾っている一つの額縁を見て、透が声を出した。
「…なっ!」
「書道教室を暫くお休みしていたけど、先週から復帰したって話はしたでしょ?
先生がさ、お祝いにって書いてプレゼントしてくれたんだ。」
「えっ!」
そこには、透と同じ『想』という文字。正直に言って、レベルが違う。
荷物になるからと家まで車で送って貰い、妹にも挨拶をしてくれた。妹は初対面なのに先生に笑顔で抱っこをせがんでいたっけ。先生の子供の扱いは、昔から凄い。
「先生は家族の想いあいにって『想』と書いてくれたから。透のは、私の部屋に大切に飾らせてもらうね。」
「……俺、絶対に負けない。」
透の小さな呟きは聞かなかった事にした。
ーーー
「そのスカートだと風が吹いたら危な過ぎる。俺の後ろを歩いて。あと少しで駅だ。」
「こんなに強風が吹くなんて、知らなかったのよ。」
透と付き合い初めて、8回目の夏を迎えた。喧嘩もするし、気が合わないのもしょっちゅう。だけど、一緒にいて心強い良い存在。
湘南江の島駅のルーフテラスに着く頃には強風はおさまっていて、富士山が青く大きく見えている。
「綺麗だね。」
「君には劣るよ。」
「またそんな発言をする。」
「いつもそう思っているからさ。」
透は笑うと、小さな箱を懐から取り出した。中には私と透で選んだ結婚指輪が並んでいる。
「全く。私に内緒で双方の両親に結婚の承諾を得て、指輪も先に作ってから、プロポーズしたいって言い出すなんてね。付き合う時もそうだったけれど。入念に準備するタイプだよね。」
「どうしても君と添い遂げたくて、外堀から埋めていったんだ。」
「そんなに心配しなくても。ずっと、私は貴方だけなのに。」
透は私に跪き、指輪の入った箱を開いて見せてくる。
「彗、俺と結婚して下さい。一生大切にします。」
「はい。私も透を一生大切にします。」
お互いに笑い、指輪を交換し合った。次にと、透は持って来た鞄からノートと筆ペンを取り出す。
「お題は『結』な。妹さんに結婚を認めてもらうのに、かなり難航しているんだ。」
「そうでしょうね。なら、真剣に書くんだよ?」
「おう。任せろ。」
2人で一文字一文字を大切に書き上げる。良い作品に仕上がった。
「これ、今までの中で一番好き。真剣な中に可愛いらしさがある。妹みたい。」
「そうか?俺は彗の可愛らしさを表現したんだ。心から愛しているよ。」
「私もよ。愛しているわ。」
私達はこれからもずっと。こうして筆を執っていくんだろうな。
「君の家族も俺の家族も全員知っているんだ。世界で一番彗を愛しているのは俺だって。」
透はそう言って、私の頬を優しく撫でた。
終
凛然と筆を執る。 シーラ @theira
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